野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

今回のブログは、今年の4月に開催した明大土曜会での、大学生ジャーナリスト中村眞大さんのお話である。
明大土曜会は偶数月の第1土曜日に開催しており、毎回いろいろなテーマについて関係者から話を聴いたり、議論したりしている。参加者は明大のOBが中心とはなっているが、オープン参加で、他の大学OBや若い世代まで幅広い方々が参加している。
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【2020年代 若者の社会運動を同世代の立場から取材して】
   明治学院大学3年生  中村眞大(まさひろ)さん
プロフィール:ドキュメンタリー映画「北園現代史」監督。校則問題・社会問題をテーマに映像発信する大学生ジャーナリスト

小林哲夫
今日は、明治学院大学の3年生の中村さんをお呼びしました。簡単にご紹介します。
都立北園高校出身で、大学に入ってから学生の社会運動、社会に向き合う学生の人たちの取材をされてきました、この2年間の取材の話をしていただきます。

中村眞大
皆さま初めまして。明治学院大学の中村眞大と申します。
都立の北園高校という、制服も無く、校則も無いという自由な校風の高校に在籍していたんですけれども、在籍中に、例えば髪の毛を染めてはいけないだとか、いろいろな制約、管理教育というものが強化され始めてきまして、それはおかしいんじゃないかということで、友人と一緒にそういった問題に抗議する、問題提起するようなドキュメンタリー映画を制作しまして公開をしたところ、小林哲夫さんなどに取材をしていただきまして、大学入学後に、学校の校則問題に取り組みつつ、同じような活動をしている同世代の若者の取材を始めるようになりました。今はライターという形を取りながら、『情況』誌に編集部として参加しています。

●何がホットなのか
まず、2020年代の若者たちが何に取り組んでいるのかということについて、お話をさせていただければと思います。
〇環境問題
2000年代生まれが一番注目しているというか、一番人数が多い問題としては環境問題があると思います。
環境活動家のスウェーデンのグレタ・トウーンベリさんという方が、僕と同い年なんですけれども、グレタさんが始めた気候危機の運動が世界中に広まりまして、日本でも「Fridays For Future Japan」(未来のための金曜日)という若者グループが全国的にいろんなところで支部を作って活動しています。例えば、金曜日に学校の授業をストライキして抗議活動をする。そのような抗議の形態を取っています。
あとは、「Fridays For Future Japan」を卒業した年上のメンバーたちが、「record 1.5」というグループを立ち上げまして、12月にエジプトで行われた気候問題の国際会議COP27で、世界中から集まった活動家たちと一緒に抗議行動をしたり、その様子を映像に残して編集をして、今度『気候危機が叫ぶ』というタイトルでドキュメンタリー映画を公開すると聞いています。
彼らはよく、「私たちは当事者であると当時に加害者でもある」と言っておりまして、若者ということで将来の影響を大きく受けてしまう。今の地球はどうなってしまうのかということで、被害者、当事者であるということと同時に、今世界中にはツバルであったりアフリカだったり、発展途上国が気候変動の影響を本当に大きく受けている、自分の住んでいる国が沈んでしまうだとか、大きな災害の被害に遭っているとか、私たちの日本は多少の被害は受けているけれども、そこまで大きな影響も受けておらず、何か出来る立場である先進国であるのに、なかなか対策を講じていない、そういうことで、「私たちは当事者であると同時に加害者でもある」と言っているのが印象的でした。
この気候変動の活動の外には、明治神宮外苑の再開発に反対する運動が盛り上がりを見せています。先日、東京新聞に坂本龍一さんも寄稿されていましたけれども、上智大学の学生さんが中心となって、森林伐採や明治神宮外苑のイチョウ並木の根が再開発によって枯れてしまう、そういうリスクを無視して行っている東京都や企業の再開発事業に抗議するような形で、先日も都庁前で緑のプラカードを掲げたサイレント・デモを行っていました。

〇性の問題
続きまして、性の問題、例えばジェンダーの問題です。ジェンダーの問題も若者の間で関心を集めています。
例えば、女性尊重の動きであるフヱミニズムの問題。日本では「Voice Up Japan」という団体、「Voice Up Japan」は大学に根差した活動を進めていまして、例えば「Voice Up Japan」明治大学支部であったり、「Voice Up Japan」国際基督教大学支部のような形で大学ごとに支部を作って活動しています。
イベント開催や勉強会の他にも、私の通っている明治学院大学では生理用品の無料配布などの活動もしています。また、能條桃子さんという方が中心となって、今度の4月の統一地方選挙で女性議員の割合をまずは3割にする、今後は将来的に半分にしていくという、候補者を応援しようという、投票に行こうというだけではなくて候補者の応援をしようというフェイズに行こうというプロジェクトをしている「FIFTYS  PROJECT」、更には、「Girl Up Tokyo」や「学生団体iml」(イムアイ)というような、様々な団体が活動をしています。また、ジェンダーということで言うと、最近話題となっている性的マイノリティの権利拡大のための活動、もちろん当事者もやっているんですけれども、当事者に寄り添うという形でAlly (アライ)という、当事者ではないけれども一緒に活動しているという若者も多く参加しています。

〇入管問題
次に、入管問題。入管問題の難民支援の活動も若者の間で広がりを見せています。入管に収容されていたウィシュマ・サンダマリさんというスリランカ人の女性が死亡したという事件がありまして、それをきっかけにマスコミで大きく報道されまして、「BOND」(バンド)という団体、これは元々中国の残留孤児の支援をしていた団体なんですけれども、この「BOND」という団体が、これは珍しい例なんですが、大人たちの団体が学生をメンバーにすることで、今や学生団体のようになっているんですが、上智大学や獨協大学に支部を作って、入管に収容されている外国人の方との面会支援だったり、2月22日には上野で行われたデモでは、若年層・中間層・シニア、外国人、親子連れ、性的マイノリティなど、多様な人々がデモに参加していて、印象的だと思いました。

〇校則問題
最後に、学校の校則の問題についてご紹介します。ずっと50年以上前から、どういった権利で、どういった権限で学校側が生徒の見た目を縛るんだということが言われてきたんですけれども、今でも残念ながらそうした問題が続いています。
先日も、外国にルーツを持つ生徒が、卒業式で伝統的な髪形で参加しようとしたら、卒業式に参加させてもらえなかったというような事件もあって、新聞で大きく報道されていたんですけれども、ここでは紹介しきれないようなたくさんのひどい事例が全国であります。
最近は、いろいろな活動が功を奏して、文部科学省や地方自治体も校則の見直しを進めてきていて、そこは一つ進展はしているんですけれども、行政側の通達が届きにくいような私立学校では、未だに古い、有り得ないような指導が続いている、なかなかそれが表に出てこないとう現状があるのも事実です。

これらが今の若者が参加している運動の中でかなり盛り上がっているものですけれども、
ご紹介した4つ以外にも、例えば沖縄の問題に関心を持っている若者も多いですし、あとは軍拡反対だったり、原発の問題に関心を持っている若者も多くて、この前、渋谷で軍拡反対・平和を求める若者中心のデモが行われ、ものすごい数の若者が参加したと聞いています。
あと、私は民族派の方も取材しているんですけれども、民族派の方は若者が少ないという現状があるらしいんですけれども、それでも民族派のホープと言われるような若い人も何員かいるようで、憂国運動の大衆化ということを目指して日々活動をしていると聞いています。

●特徴
今、私が取材をして感じるのは、組織、団体というものがあまり重視されていない、もちろん重視されているところも多いですが、こういう新しい活動に関しては個人が尊重されているところが大きいと思います。
例えば「Fridays For Future」はメンバーを「オーガナイザー」と呼んでいまして、リーダーというような代表という役職も基本的に設けていません。ただ、このような組織体制、あえて悪い言い方をすると寄せ集め的になってしまうので、組織の中で考え方の対立が起きてしまったりとか、そのようなデメリットもあるんですけれども、基本的にはそれぞれが自由に活動することができているようです。
また、活動の発信はSNS、ツイッターであったりインスタグラク、ユーチューブであったりSNSを中心に活動の発信を行っています。ミーティングもZoomなどのオンラインビデオ通話サービスを用いることも多いので、こうしたことが、運動が東京だけでなく地方にも広がって、地方のメンバーが一気に一つのミ-ティングに参加できて、一緒のプロジェクトが出来るということが、SNSだったりZoomなどを使っていることが大きいのかなと思います。ただ、一方で紙に残らないので、「記録に残りにくい」というデメリットもあると思います。
私が今、河出書房新社という出版社で、こういう若者の社会運動を行っている当事者の大学生、高校生に書いてもらって、夏ごろに共著本という形で2020年代の若者がどのような活動をしているのかという本を出版させていただく予定です。

●呼称
呼称についてですが、よく社会運動家とか活動家と言いますけれど、最近では「アクティビスト」と横文字で呼ぶ傾向があると思います。これは「活動家」の和訳なんですけれど、「活動家」と聞くと、どうも物騒だという理由から「アクティビスト」という西洋的な雰囲気のある呼び方が好まれるのかと思います。ただ、「アクティビスト」と使っているのは、いわゆるZ世代と同じようにメディアがかなり使っているという節がありまして、「アクティビスト」になってしまう当事者たちはどのように感じているかと言うと、この呼び方にしっくり来ていない人も多いということで、何と名乗ればいいか分からないということで「アクティビスト」と迷いながらも名乗っている人、例えば「人権アクティビスト」だったり「気候アクティビスト」と名乗っている人もいれば、「アクティビスト」というのは嫌だから「活動家」でいいということで「気候活動家」と名乗っている人たちもいて、その辺はかなりバラバラかなという印象を受けます。
そうした中で、話を聴いてみると、祖父母の学生運動の影響を受けた私たちの親世代、40代50代の親世代が、そうした運動に対する偏見の目が大きいので、「活動家」と名乗りづらいのかなと思います。
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●『情況』の宣伝
最後に『情況』の宣伝をさせていただければと思います。私が編集部員として参加している変革のための総合誌『情況』が、昨年休刊したんですけれども、今年の2月に復刊しました。27歳の編集長塩野谷恭輔という東大で宗教学を研究されている方が代表取締役に就任して、編集部メンバーもシニアの方々が引退して、ほぼ20代、10代のメンバーで構成されています。なので、すごく歴史ある雑誌なんだけれども、中身はすごい20代みたいな変な感じになっているんですが、昔の学生運動の話題も取り込んで記録に残すという活動を進めつつも、その時代の社会運動に合わせた特集をどんどん組んでいきたいと思っておりますので、ぜひご購読よろしくお願いいたします。
若者たちの間でも、昔の学生運動に興味のある学生もかなり多いという印象もあります。そうした人たち、特に今の運動をしている人たちと話をしてみると、『情況』を読んでいるよと言ってくれる同世代の人たちも多くて、いろいろと興味のある人も多いという印象があります。
復刊号が宗教特集で、次号は動物特集を予定しています。
(終)

【お知らせ その1】
重信房子さんの新刊発売!
『はたちの時代』(太田出版) 2023年6月16日刊行
はたちの時代

前半は66年から68年までの明大学費闘争を中心とした時期のこと(この部分は私のブログに「1960年代と私」というタイトルで掲載したものです)。
後半は69年から72年までの赤軍派の時期のことが書かれています。
定価 2,860円(税込)

【お知らせ その2】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。

http://zenkyoutou.com/yajiuma.html

●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在12校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その3】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は6月16日(金)に更新予定です。

今回のブログは、今年の3月2日から5日まで、土屋源太郎さんを団長として、「老学青」総勢18名で沖縄を訪問した明大土曜会沖縄ネットワーク沖縄訪問報告の続編である。
沖縄訪問の初日の3月2日に遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんから、遺骨収集を始めたいきさつや活動内容、更に現在進められている辺野古新基地建設、琉球弧の自衛隊基地建設強化に対する厳しい批判の説明もお聞きした。
沖縄県名護市の辺野古では、現在新基地建設のための土砂の搬入が続いているが、膨大な埋め立て土砂を調達するために、元々は西日本各地から土砂を持ってくる計画だった。しかし、埋め立て予定地の大浦湾一帯に軟弱地盤が存在することが明らかとなったことを受け、防衛省は大規模な地盤改良のための設計変更を県に申請し、県外からの土砂搬入は県条例でかなり難しいということで、埋め立て土砂の採取地に本島南部の糸満市と八重瀬町などを追加した。
ところが本島南部は沖縄戦が最も激しく戦われた場所で、いまだに戦没者、犠牲者の遺骨が出てくるという場所であり、よりによって南部の遺骨が混じっている土砂を、戦争のための基地建設に使うというのはもってのほかだとうことで、具志堅隆松さんが反対の呼びかけを続けている。
以下、遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんのお話の概要である。
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【沖縄県における戦没者遺骨収集について】
(この概要は、沖縄訪問に参加したK・Y氏のメモに加筆したものです。)
2023年3月2日(木)18:40から
那覇市民協働プラザにて 
講師:具志堅 隆松さん ― 遺骨収集ボランティア(ボランチュ)「ガマフヤー」代表― 
具志堅さんは自営業の傍ら、週末に遺骨収集活動を30年余にわたり続けてきた。
「ガマフヤー」設立の目的は「壕や山野に眠る沖縄戦没者の遺骨収集をすることにより、沖縄戦没者の慰霊と沖縄戦の実相を伝え、次の世代の平和につなげる」ことである。設立は1983年。
ガマは琉球石灰岩の鍾乳洞で自然に出来たもの。「ガマフヤー」とは「ガマを掘る人」という意味である。ガマは沖縄本島南部に集中している。
ちなみに辺野古埋立て土砂の七割を、本島南部産を使用する予定とのこと。
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(写真 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」より転載)
遺骨収集は、磁気探査機を使用する。自然界に存在する磁気にも反応してしまうが、軍靴の底に付いていた鉄鋲や武器などの磁気を発する物体の反応を見て、遺骨を見つけ出す。

2008年6月、返還された「米軍住宅跡地(※1)」の再開発地区において住民参加の遺骨収集を行い、そこに遺骨があることが知られるようになった。
(※1)解説:那覇市牧港住宅地区。面積195万1千㎡(60万坪弱、東京ドーム4万7千㎡の42個分。1965年に部分返還開始、22年後の1987年全面返還。那覇市の8字(上之屋・天久・安謝・銘苅・安里・真嘉比・古島・おもろまち)に及んでいた。跡地は、那覇市新都心地区土地区画整理事業を実施中。シュガーローフ(※2)は、具志堅さんの子供の頃の遊び場だった。現在は、大きな配水タンクのある公園になっている。
場所は、那覇市字真嘉比。沖縄戦最激戦地、米軍呼称シュガーローフ・ヒルである。戦闘は、1945年5月5月12日から5月18日にかけて7日間にわたり行われ、双方合わせて5千人(1日当り700人以上)が亡くなったと言われる沖縄戦最大の激戦地であった。
(※2)解説:①Sugar loaf(シュガーローフとは往時、租砂糖が擂鉢を伏せたように固められていた形状を言う。②地元では、慶良間諸島が眺望できることから、慶良間チージ(キラマチージ)と呼んでいる。③日本軍呼称は、安里52高地とも、擂鉢丘ともいわれた。④沖縄都市モノレール、おもろまち駅西側にあり、大きな白い配水タンクが丘の上に聳えていて、那覇空港から市内に向かい、国際通りを過ぎた直後に見ることができる。
米軍は、本島北部を1~2週間で制圧後、南部に転戦してきた。
対峙したのは、千葉県「佐倉の連隊」(※3)に埼玉から1,040人が加わった。
(※3)解説:独立混成第15連隊。1944年6月24日千葉県佐倉にて近衛歩兵連隊を中心に関東一円の部隊を集成して新設された。

厚生労働省は、日本本土の港において、沖縄戦帰還者から聞取りを実施した。
その後、41年前(1982年か?)より遺骨収集活動を開始する。
役所は動きが遅い。もう、沖縄返還から10年、敗戦後36年経過している。

2008年6月28日、沖縄県遺骨収集担当部署を訪問する。
沖縄県保護・援護課は、「遺骨収集は終了している」という認識を示す。
遺骨収集の済んでいない埋没壕が多数ある。戦いは壕内(日本軍)からの方が有利であるため、米軍は壕内に攻め込まず、入口をダイナマイトで封鎖した。現在、壕(ガマ)の入口は陥没し、草木が生い茂り分からなくなっているものが多い。
埋没壕の遺骨収集については、厚労省は実施方針を示す。
しかし、現場の建設工事会社と、遺骨収集会社は異なる。なぜ同じ会社がやらないのか納得がゆかない。

朝鮮特需の話が出たがメモが欠落。多分、戦争の武器を作るために、金属類を取りにガマに入った人がいることかと思う。。

遺骨収集するにも日曜日は、人員が少ない。
不景気なので、ホームレスの人達を教会が引取り、働きに出られる人は働きに出す。
厚労省は金を払って、業者にやらせる。
ホームレスの人達を手助けして、戦没者の声なき声に応えるのはどうかと考え、厚生労働省に訴える。
当時の厚生労働大臣・舛添要一に面談すると、対応が早かった。
緊急雇用創出事業を適用するので、沖縄県から厚労省に要請するよう促された。
しかし、沖縄県は、「遺骨収集事業は終了した」の一点張りであった。
「それならば」と、那覇市に相談すると応諾ししてくれた。
緊急雇用創出事業の雇用期間は、六ヶ月間であった。
作業面積は一人当たり一日4㎡と、遺跡発掘に準じた見積もりをした。
プロシスキーパーとガマフヤー協同で、真嘉比小学校南側の土地7,000㎡(2122坪)を発掘した。
2009年10月9日から12月10日まで、55人のホームレスの人達は、公園から出勤して172体を収集した。
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(写真 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」より転載)
まず、標高の高いところから下に向けて、等高線上を掘り進む。遺骨を探り当てると、遺跡の発掘調査のように、刷毛と竹串を使って丁寧に作業する。
軍隊手帳は紙の部分は無くなり、セルロイドのみ残っている。兵隊の認識票は、上官に取り上げられたらしく、一分隊13人分が纏まって出てきたこともあった。認識票は、少尉以上は名前が記載されているが、それ以下の兵隊は数字のみであった。172体を収集し、DNA鑑定したら、3体の身元が判明した。
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(写真 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」より転載)
日本軍の蛸壺は、直径60㎝、深さ120㎝あり、中から千人針の布に縫い込まれた穴なし五銭銅貨(四銭=死線を越える意)が出てくる。その蛸壺の中の遺体を発掘したホームレスの人は、「自分は、本土より沖縄へ死のうと思って来たが、遺骨収集により命の大切さを知り考えを変えた」と述べ、この仕事が終わったら故郷に戻ると言っていた。
アメリカ兵は、3日以上同地点にいて移動しない場合は、周辺の日本兵の遺体を集めてオイルをかけて燃し、埋めていた。そうしたキャンプ跡地には、C-レーション(携行食缶詰)やそれより古いK-レ-ションの残骸が出てくる。

遺体のDNA鑑定が規則化されたが、防衛省は南部の土砂を埋め立てに使う方針である。厚労省は2016年以降、遺骨のDNA鑑定を決定する。
沖縄戦では、20万人以上亡くなっている。そのうち、600体のDNA鑑定を実施した。
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(写真 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」より転載)
2021年3月1日、南部土砂採取禁止の為、沖縄県庁前でハンストを始めた。
南部・沖縄戦跡国定公園地域内、魂魄(こんぱく)の塔西側において土砂採取の計画(糸満市米須、沖縄土石工業、永山盛也代表)が明らかになる。この場所は、具志堅さんの話を聞く前に、平和ガイドの沖本さんに案内された所である。

2020年11月20日、防衛省に申し込みをする。
具志堅さんは、防衛省内部で共感者の出ることを期待した。遺骨が多数ある南部戦跡における土砂採取は「人の道に外れる」と訴えた。

2021年2月26日、防衛省に2回目の要請を行う。この度は、日本山妙法寺の僧侶も賛同して参加した。
2月17日、沖縄県選出、赤嶺政賢衆議院議員(1947年生れ、共産党、沖縄1区)は国会質問し、当時の菅義偉首相(1948年生れ)は、業者による遺骨収集に配慮を示すと答弁した。
防衛省担当者は、具志堅さんからの質問に対して、「南部に遺骨が多数あることは、新聞報道などで知っている」と答えた。「貴方達は、戦友(自衛隊の先輩)の遺骨を使って、アメリカ軍の基地を造ろうとしている」と更に突っ込んだ。
西銘恒三郎(自民党衆議院議員、沖縄4区、1954年生れ))も同じことを言う。沖縄では党派は関係がない。
自分はハンストをして、現実を人に知らせたい。
全国の地方議会に要請文を送り、いくつかの賛同を得られた(※4)。
(※4)解説:琉球新報(2022年12月30日付)によると、県内外の1743の地方議会に意見書の可決を促す要望書を送付。2022年12月21日までに、227議会が意見書を可決した。可決された意見書のほとんどは、遺骨を含む土砂やその可能性のある土砂は使わないことや、国の責任で遺骨収集することを求めている。

東京弁護士会は、「遺骨は遺族のもの、戦争基地に投げ込むな」と声明を出す。
靖国神社前でも座り込みを敢行したが、別に何ともなかった。
日本は、米国の属国と化しているが、米軍兵士の未収集の遺骨も含まれている。
戦争が起きたら、避難はシェルターにせよと言うが、建設を認めるのは、戦争を認めることだ。
「戦争があったら、お前らシェルターに入るなよ!」と右翼に言われた。

戦跡国定公園を航空写真で見ると、川状の緑の線が見えるのは、全て崖の未利用地である。
そこには遺骨がある。琉球石灰岩で構成される未利用地であるから、自治体による買取りを望んでいる。ふるさと納税金を財源に充て、全国的な問題として知らせたい。
最後に、なぜこの仕事を続けているのかと問われた具志堅さんは、「勝ち負けではない。不条理の中には、立ち止まっていられない」と答えていた。
以上

【補足】
 沖縄の闘いに連帯する関東の会発行「ナンクルナイサー」(2021.12.31発行)には、「第7回沖縄の闘いに連帯する集い」での具志堅隆松さんの講演の内容が掲載されている。沖縄訪問での講演を補足する意味で、その中の一部を転載させていただいた。
【「止めさせて!父を海に沈めないで!」家族の顔いに応えて・・・】
一昨年の4月、沖縄防衛局が大浦湾の軟弱地盤を埋めるために土砂が足りないということで、沖縄県内7力所から土砂を採取する届け出を知事へ出しました。その場所が遺骨収集の現揚とぶつかるのではないかと心配していたところ、その心配が的中し、まだ遺骨が残っている未開発の緑地帯から土砂を採取されることになってしまいました。
遺骨を見つけ、次の日曜日にまた作業をしようと行ってみると、周りの木が伐採されており、磁気探査をしている人に聞くと採石場になるということでした。
最初は業者を止めようと思いましたが、業者が採石をするのは需要があるからであり、需要ができたのは沖縄防衛局が計画を立てたことが問題だと考え、防衛局へ要請をすることにしました。
防衛局は、遺骨がまだあると知らないのではないかと思い、まずは現場視察を要請しました。すると防衛局は、「まだ決まったことではなく、内部で共有したいと思う」と返答しました。計画を立てた時に、南部にまだ遺骨があることを知っていましたかと聞くと、それには答えませんでした。「知っていたなら人の道を外れていますよ」と言っても、何も答えませんでした。
次に、計画の断念を要請しましたが、防衛局はその少し前に菅首相が国会で行なった答弁を繰り返すだけでした。その答弁とは、「業者が遺骨に配慮すると思う」というものです。それは業者が遺骨収集をするということかと尋ねても、何も答えません。
私はいろいろな人にこのことを伝えましたが、「いくら何でもそんなことはしないのではないか」という反応でした。多くの人にこのことを知ってもらおうと、「ハンガーストライキ」を行ないました。
すると、多くのお年寄りがやって来て、「どうにかして止めてください」と言われました。ある人は、「泳げなかった父親が陸路を逃げて死んでしまったので、その父親を海に沈めないでほしい」と言っていました。
私は「できるだけのことはします」と約束しました。
遺骨が含まれている土砂を埋め立てに使う話を聞いた人は、「国がそんなことをするのは間違っている」と言ってくれます。国に間違ったことをさせないため、全国の地方議会に「南部から土砂を採取しないでください」という意見書を採択させる取り組みを始めました。
【主権者=国民が決める! 「勇気」を出して国の方向を変えよう!】
全国の自治体議会は1,743あります。宗教者の人たちが協力してくれ、全国へ要請書を発送し、138議会から「国に要請しました」という回答が届きました。しかし、ほとんどの議会では採択に至っていません。郵送された要請書は議長預かりとなり、地元の人が議会に提出しないと審議されないところが多いのです。
議会への要請は国民としてできる権利です。そのために必要なのは「勇気」です。勇気を出して国の方向を変えましょう。
私たちは主権者です。国の方向を決めるのは私たちです。

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在18大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在13校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は5月26日(金)に更新予定です。

今回のブログは、今年の4月に開催した明大土曜会での、明大土曜会沖縄ネットワーク沖縄訪問の報告である。
沖縄ネットワークでは、今年の3月2日から5日まで、土屋源太郎さんを団長として、「老学青」総勢18名で沖縄を訪問した。その訪問の報告と、土屋源太郎さんの挨拶、それに鹿児島県の馬毛島の基地反対運動をしている明大OBの投稿を掲載した。
明大土曜会は偶数月の第1土曜日に開催しており、毎回いろいろなテーマについて関係者から話を聴いたり、議論したりしている。参加者は明大のOBが中心とはなっているが、オープン参加で、他の大学OBや若い世代まで幅広い方々が参加している。
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【明大土曜会沖縄ネットワーク沖縄訪問の報告】(N氏のレジュメより))
3月2日(木)
早朝、沖縄・那覇空港に向け羽田空港を出発。現地でのレンタカー手配は各グループで行い、全体は14時にひめゆり記念館で集合とした。南部戦跡巡りを案内していただく沖本裕司さん(71年から沖縄移住平和ガイドをやっている)と合流。
ひめゆり記念館入口前の碑の前で、沖本さんから記念館の設立の経過やひめゆり部隊の基本的な事項の説明を聞いた後、記念館の中を見学。
続いて近くの「沖縄陸軍病院山城本部壕跡」を見学。大きなガマ(琉球石灰岩で形成された自然の洞窟)の中が本部となっていた。

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次に、辺野古新基地の埋め立てに使う土砂を採取する予定地となっている熊野鉱山を見学。戦争犠牲者の遺骨が今もなお埋まっている。業者から出された採掘許可が昨年県から降りたが、糸満市が農地法の手続きをまだ終了せず、採掘は始まっていない(北上田さんの情報では、それも近々終了し、3月末には開始される動きがあるとのこと)。
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周辺には沖縄戦で戦死した各県出身者の慰霊碑が点在。奈良県は「大和の塔」、和歌山県は「紀乃国の塔」など。その中で魂魄の塔は特別だ。ここは、敗戦直後、米須地区に移転収容された旧真和志村(現在の那覇市)の住民が米軍の許可を得て遺骨収集班を結成、道路や畑、丘、森に散っていた遺骨を集め建立したものだ。当時は「3万5千余柱」と沖縄で最多の遺骨が納められていたが、1974年、那覇市に1957年に建設された戦没者中央納骨所に移設されたとのこと。
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次に私たちは平和祈念公園を訪れた。まず1975年建立された韓国人慰霊碑へ。さらに沖縄戦で亡くなった人々の名前が出身県、国ごとに刻まれた平和の礎を訪れた。ここには、順次名前が追加されるという。中には名前が分からず「比嘉武栄の一子、二子」などと刻まれている戦死者もいる。

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もっと時間をかけて平和公園についての説明も聞きたかったが時間がなく、沖本さんと別れ次の予定地に。
17時半頃、なは市民協働プラザ到着。ここで、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さんのお話を聞く。パワーポイントを使って、遺骨収集を始めたいきさつや活動内容を説明。現在進められている辺野古新基地建設、琉球弧の自衛隊基地建設強化に対する厳しい批判の説明もお聞きした。初めて聞いたメンバーもいて、感銘を受けた様子。

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これで初日の行動日程を終了し、各自宿泊先に向かう。

3月3日(金)
この日はキキンプ・シュワブ前での座り込み、安和、塩川の埋め立て土砂搬入トラック阻止行動に参加の予定だったが、警備部隊が石垣島に行った為に工事が中止となり、同行動は中止。警察の警備がなければできない公共工事とは一体何なのだろうか?
そこで、各グループで独自行動に向かう。NグループN・Hさん(芝工大出身。沖縄移住)の案内で、まず嘉数高台公園に向かう。ここは、普天間飛行場が望める場所だ。オスプレイが6機ほど駐機していた。
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次に沖縄国際大学を訪れた。2004年8月に起きた米軍へリ墜落現場。
焼けただれた木が保存されているが、当時の場所から一般の人が見られる場所に移動されていた。
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その後、沖縄市(旧コザ市)に移動。1970年にコザ暴動が発生した「コザゲート通り(嘉手納基地の正面ゲートに向かう通り)」を歩く。通りの途中に沖縄市戦後文化資料展示館があり、沖縄市の戦後の歴史が日常生活や米軍との関係、文化・娯楽など詳しく展示、解説されている。もちろん「コザ暴動Jについても解説がある。
次に、かでな道の駅(嘉手納基地に隣接)に行き昼食(大変なボリューム!)。屋上から嘉手納飛行場が一望できる。セスナ機や軍用機が何度も飛んでいた。
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続いて、読谷飛行場跡地を経てチビチリガマを見学。
ここは、集団自決が行われた場所で、ガマの中には降りられるが、奥は遺族に意向現在は入れない。
15時過ぎ、全員がうるま市役所前に集合。「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」事務局長の宮城英和さんなどと合流。なんと、参議院議員高良鉄美さんも飛び入り参加してくれた。
そこから車で陸上自衛隊勝連分屯地正門前に移動。同分屯地では地対艦ミサイル配備とそのための隊舎建設などの工事が進められている。正門の外からも工事の様子が伺える。宮城さんから詳しい説明を受けた。資格のない白ナンバーのダンプが荷物を運ぶ、強風の中でもクレーン車を動かす、保安林を勝手に伐採するなど、露骨に法律を踏みにじって進められている基地建設の実態を知ることが出来た。
最後に全員で「ミサイル配備を許さないぞ!」などをシュプレヒコール。
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次に近くの米軍ホワイトビーチ基地を見渡せる高台に行く。宮城さんや現地で長く監視行動を行っている方から説明を受ける。同基地は米海軍と陸軍の桟橋があり、第7艦隊の兵站支援港、同艦隊第76機動部隊第1水陸両用群の母港だ。米原子力潜水艦や空母も停泊する場合がある。また北側が現在海上自衛隊の基地となっており、まさに日米軍事同盟を象徴する基地だ。
夜は、我々の仲間で、キャンプシュワブ前テントのスタッフをやっている橋本武志さんの紹介により、名護市の沖縄料理店「蓬来」で全員の交流会を開催。
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食べきれないほどの沖縄料理を堪能した。ここ名護市の基地の反対派のなじみの店で、店主の女性も基地反対運動に熱心とのこと。老労青学の活発な交流が夜遅くまで続いた。

3月4日(土)
11時からキャンプ・シュワブ前で開催された「止めよう!辺野古新基地建設第35回県民大行動」に全員参加。参加者589名。土屋源太郎団長が「ゲストスピーチ」として登場。「(基地が集中しているのは)本土で基地反対運動が高まり、沖縄への移駐によって生じた。申し訳ない気持ちがある」「今日の経験を持ち帰って共有し、沖縄と連帯じて運動を続けていく」という発言が多くの参加者に感銘、共感を与え大きな拍手が起こった(沖縄の人たちは発言者にこうした拍手をすることは珍しいそうです)。
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13時からは、汀間港から2グループに分かれグラスボートに乗船。船長は、特別に名護市議会議員の東恩納琢磨さんにやっていただき、大浦湾の大型サンゴを観察、詳しい説明を受けた。
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ここで全体は別れ、Nグループ、学生グループは高江に向かう。Yグループは那覇に向かう。
高江では、北部訓練場の正門前に行く。警備員が私たちの写真を撮ったで「肖像権侵害なので止めろ」と抗議。こちらから撮ったら逆に「止めてくれ」というので、「公務員なのでそうした権利はない」と言ったら「私は民間の警備員だ」というが「POLICE」と記されたジャンパーを着ていた。警察を僭称しているのか、民間人を装っているのか、ともかく態度が悪かった。
その後2017年米軍へリが墜落した現場を見渡せる高台に向かう。正確には見えなかったが、常に米軍機事故に晒されている現状を確認。
夜には、前日の交流会で予定が変更し参加できなかった前県議会議員の仲村善幸さん主催の交流会が前日と同じ「蓬来」で開催。Nグループと学生グループが参加、更に親交を深めた。Yグループは那覇で昔の友人と会い、旧交を温めた。

3月5日(日)
Nグループは那覇市に移動。午前中は首里城などを見学。
N、Yは首里城の地下に建設されていた第32軍司令部豪の入り口を見学。午後はそれぞれ自由行動。
16時45分沖縄を離れる。一路東京・羽田へ。
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まとめとして
今回のツアーは、Hさんが企画して以来、3年振りに実現したものだった。実施直前にHさんが急死して中断、再開しようとしたらコロナ感染の拡大で2回も中止となった。昨年末、コロナが収束に向かっているのではないかという「感触」により、改めて企画を立て準備してきた。ただ、当初から積極的に参加希望者を集め、昨年予定したツアーでは丁寧な企画、予定表を作成していただいた埼玉のTさんたちが、まだ公に呼びかけることに慎重となり、参加を見送ったことは非常に残念だった。
それでも、御年88歳の土屋源太郎さんを団長に現役の学生を含む20代の青年、後期高齢者、現役労働者など「老労青学」の20名近くの参加者を得られたことは大きな成果だった。また、沖本さんや橋本さんを始め、現地で活動している多くの方々の理解、協力によって充実したツアーを無事に終えることが出来た。
感謝に絶えない。今回の経験を今後の活動、沖縄連帯に活かしていきたい。皆さん、本当にお疲れ様でした。
※ 報告の中の具志堅隆松さんのお話については、後日ブログに概要を掲載する予定です。

明大土曜会沖縄ネットワーク沖縄訪問の報告の後、報告の中にあった3月4日のキャンプ・シュワブ前で開催された「止めよう!辺野古新基地建設第35回県民大行動」での土屋源太郎団長の「ゲストスピーチ」の映像を上映した。

●土屋源太郎団長の「ゲストスピーチ」<映像より>
主催者:本日、東京から参加していただいているグループを紹介して、連帯の挨拶をいただきたいと思います。
「伊達判決を生かす会」共同代表のお一人、土屋源太郎さんが参加されていますので、ご挨拶をお願いします。(拍手)
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土屋源太郎
こんにちは、土屋です。88歳でございます。(拍手)1957年、米軍立川基地に反対する砂川闘争に、学生運動のリーダーとして参加しまして、基地内に侵入して逮捕されました。その砂川裁判で、駐留米軍は日本政府が土地、建物等を供与している、それは当然日本の戦力に値する、いったん事があれば戦争に巻き込まれる、明らかに駐留米軍は憲法違反だ。憲法九条に違反する、という判決があった(「伊達判決」)。日米両政府は、その判決に大変驚いた。最高裁で謀議を行った上で否決したわけです。それが砂川闘争であり、それに対して私は国家賠償請求の戦いを現在も続けております。(拍手)
1950年、60年代、当時の米軍基地は、本土が80%、沖縄が20%。その後、50年代、60年代に本土での基地闘争を進めた結果、沖縄に70%の基地があり、本土に30%となった。沖縄の人たちには大変大きな負担と迷惑をかけております。私は、沖縄に基地が使われることを阻止できなかった。このことについては申し訳ないと思うと同時に、大いに現在も反省しております。沖縄の人たちと共に戦うという決意があります。
実は、今日この会場に、私の学生運動時代の母校の明治大学の後輩の仲間、そして沖縄の基地問題に関心のある学生さんの諸君と、そして50年末から60年にかけて、基地反対闘争と安保闘争を共に戦った戦友、全部で18人で参加しています。(拍手)
普天間基地、さらにはホワイトビーチなど各基地を回って、地元の人たちとも交流を進めてきました。そして、多くの事を学ばさせていただきました。今日この集会に18名が参加しています。
辺野古基地の建設、そして、いわゆる敵基地攻撃が出来るということで、沖縄諸島の自衛隊基地に、岸田政権は攻撃用のトマホーク等のミサイルを配備しようとしています。絶対に戦争をさせるわけにはいきません。(拍手)
私は今日の皆さん方の熱い集会の気持ちをしっかり受け止めていきたい。そして更に、沖縄の気持ちを本土にしっかり持ち帰って、残念ながら本土の運動は十分ではない。しかし我々は闘いをしっかり続けていく、そして闘いを粘り強く諦めない、これが大事だと思っています。そしてその中で、本土でしっかり今日の実態を伝えて、闘いを強めていきたい。それで皆さんと共に、闘いを連帯していきたいと思っています。
どうぞ頑張って戦いましょう。ありがとうございました。(拍手)
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(2023年3月7日付『東京新聞』より)

映像上映の後、土屋源太郎さんから沖縄訪問団長としての挨拶があった。
●土屋源太郎さんからの挨拶
今度の沖縄訪問について、Y君を始め土曜会の皆さんの本当に熱いご支援があって、何とか無事に沖縄に行くことができて、本当にありがとうございました。
我々のグループ6人は、Y君がリーダーで、大変心遣いが優しいM君、少々ゆるキャラなTさん、ちょっと固いなというRさん、それと美人で美声な紅一点のSさん、2日から5日まで、闘争に行ったつもりだったんですが、中身は大変楽しい旅でした。
さきほどのビデオで私が発言した内容ですが、これも6人で車の中で、私が「こういう内容で喋りたいんだけどどうだろう」と言うと、皆さんがいろんな角度からこうした方がいい、ああした方がいいと助言をいただいたものですから、なかなかいい話になったようです。
今度沖縄に行ったのは6年ぶりなんです。5回目です。6年くらい前は、本土から行っても、決して歓迎じゃないんだよね。むしろ、沖縄に来て応援に来たという名目を作るというよりも、本土でちゃんと運動をやってよ、沖縄に来るのもいいけど、むしろ本土でしっかりとした運動をしてください、という雰囲気が非常に強かった。だから本土からの発言を、ああいう集会で求めるとか、拍手が出るという雰囲気はあまりなかった。
沖縄が今、非常に難しい状況になっていることは事実。ご承知のとおり、「オール沖縄」が、保守系と言われる連中がほとんど抜けてしまった。残された、いわゆる革新系の運動をしている人たちの間でも、若干の意見が出てきている。正直言って、キャンプ・シュワブの座り込みも前ほど多くない。辺野古でテントを張ったり小屋を作ったりしていたんだけれど、それも右翼が来て壊したという経過があって、今の雰囲気は、どちらかと言うと本土から応援に来て欲しい、それで関心を持って持ち帰って欲しい、という感情が沖縄の人たちの中にあるんじゃないかという感じを受けました。
沖縄には多くの友人、知人がいるんですけれども、6年ぶりでいろんな人に会いました。話をした後で、男性、女性いろんな方が来てくれて、「土屋さんを見習ってもっと頑張らなければいけないよね」とか、いろんな方にお会いできました。これは大変僕も嬉しかったし、そんな思いで帰ってきました。
沖縄の問題は、辺野古基地の建設が非常に問題であると同時に、沖縄周辺地域に自衛隊基地が作られて、そこに迎撃用だけではなく攻撃用ミサイルまで設置するという状況になってきていて、県知事の玉城知事自身が自衛隊の誘致を認めましたから、当時は通信隊などを中心に派遣するという話だったのが、実際に蓋を開けてみたらミサイル基地になっていた。これは全くの約束違反だしおかしいんじゃないか、という意見も多分に起こってきている。
今、非常に危険なのは、石垣島とか宮古島に自衛隊のミサイル基地が作られている。残念ながら、沖縄の中心と島のほとんどの首長選挙で負けている、連敗続き。そういう状況ですから、もっと本土で沖縄の実態というものを、我々自身が自分たちの問題としてしっかり受け止めて、闘いを広げていく。なかなか本土では難しい問題がいっぱいありますけれど、是非そういう方向で行きたいと思います。
特に今回は、若い人の参加があった。これは大変に有難かった。本当に良かった。そういう意味で、若い人たちにきちっと繋いでいくことも大事なので、そういう意味でこれからも頑張っていきたいと思います。
どうもいろいろありがとうございました。

以上で4月1日の明大土曜会で沖縄訪問の報告は終りであるが、その後、鹿児島県の種子島で、馬毛島の基地反対の活動を続けている牧 洋一郎さん(明大農学部出身)から、基地反対運動の状況を知らせる投稿があったので、以下に掲載する。

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【鹿児島県種子島の属島・馬毛島は宝の島か、それとも金色夜叉の島か】
                                        種子島在住者  牧 洋一郎
 南西諸島の北部に位置する種子島の属島・馬毛島(西之表市から真西12キロメートル沖に浮かぶ8.2平方キロメートルの小島、無人島)では、南西諸島における離島防衛の一環として、自衛隊基地及び米軍FCLP(空母艦載機陸上離着陸訓練)基地を建設中である。昨年は前立腺がんを患い病気との闘いであったが、今年は順調に回復していることもあって、馬毛島の現状を一島民として見て見ぬふりはできぬと思い、基地反対運動に係わって生活している。
馬毛島の葉山港周辺一帯の約2ヘクタールは、西之表市の塰泊(あまどまり)浦集落の共有入会地(民法263条、共同体規制に制約された共同所有地)であり、今でも、他の浦集団にも利用されている極めて重要な漁業基地である。入会権の大家・中尾英俊教授とともに入会権の調査で訪れた島であるが、今は防衛省が基地建設を進めているので、島に上陸することができない現状である。現在、南西諸島の島々では中国の脅威を念頭に、軍事基地の強化・要塞化が進行しており、2019年11月、馬毛島では土地面積の約99%が、開発業者タストン・エアポート㈱から防衛省へ160億円で買収合意がなされ、熊毛地域(種子島・屋久島)の住民らは不安と期待の中で騒然とした状況にある。要するに、熊毛地域の住民らはこのような情勢に、如何に考え如何なる問題を提起せねばならないかを突きつけられているのではなかろうか。
殊に種子島(面積約450平方キロメートル、人口約2万8千人)では、馬毛島にての自衛隊基地及び米軍FCLP基地問題について、自衛隊と米軍の一体化すなわち集団的自衛権(自国に対する武力攻撃がなくても、同盟国が戦火に巻き込まれたときに、是非を問わず助けに入る権利)の行使が取りざたされる中、基地建設反対派住民らは、騒音被害、戦争への誘因・標的、米兵による乱暴狼藉の予想等を根拠に反対しているが、一方、賛成派住民らは、交付金による地域経済の浮揚、地域の活性化、自衛隊家族の転入による人口増加等に繋がると期待し賛成している。島内は基地建設反対派と賛成派の双方に分れている現状である。
それから、行政の対応についても注視すべきところである。2022年2月、西之表市長が防衛省に対し、米軍再編交付金を受け取る意向を示したことについて、新たな局面を迎えることになった(市長は未だに基地整備について賛否の明言を避けてはいる)。そして、屋久島(面積約504平方キロメートル、人口約1万3千人)であるが、基地計画の賛否について屋久島町長は「行政区は西之表市。首長の判断にとやかく言うつもりはない。」「屋久島は観光立島。計画がすすむなら、米軍機がルートを外れ島近くを飛ぶことのないよう、申し入れを続けるなど心しないといけない。」と述べるに留まっている。なお、中種子町と南種子町は基地建設賛成の意向を示している。
今、種子島の島民らにとって、馬毛島は基地建設反対派から見ても賛成派から見ても「宝の島」であることに変わりはないが、反対派からすれば島の自然や漁業を生かした宝の島であり、賛成派からすれば米軍再編交付金(2023年度の交付金28億円)が落ちる棚ぼたの宝の島ということである。また、種子島漁協は漁業権放棄について、防衛省に22億円で漁場を売り渡すことを圧倒的多数(出席漁協正組合員105人中99人の同意)で議決した。まさに馬毛島を巡って、種子島では金色夜叉の世界が訪れていることを意味するものである。
 熊毛の住民らは馬毛島基地着工により、島民の安全な暮らしが破られようとしている。中尾教授は、「平和を守る、あるいは平和を勝ち取ることは費用(カネ)もかかり疲れることである。しかしわれわれ(全人類)の生命を守り、国土を守るためにはそれをしなければならない。それこそが平和憲法を守る途なのである(日本社会と法)。」と論考されているが、然りである。このことを肝に銘じて、島での生活を続けたい。
                           2023年4月16日 

* 本稿は西南学院大学「ほうげん会」への投稿原稿「種子島の属島・馬毛島の基地問題」を加筆修正したものである。

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