野次馬雑記

1960年代後半から70年代前半の新聞や雑誌の記事などを基に、「あの時代」を振り返ります。また、「明大土曜会」の活動も紹介します。

今回のブログは、7月19日に中央区の日本橋公会堂で開催された「補償なき『自粛』要請と学費問題を考えるシンポジウム」の第一部の概要である。
6月の明大土曜会でスピーチをお願いした、慶應大学の田中駿介さんを中心とした「補償なき『自粛』要請と学費問題を考えるシンポジウム実行委員会」の主催である。

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 <シンポジウム・アピール文>
 私達は、困窮者です。私達は、ふつうの人々です。
 私達は、「補償なき自粛要請」の犠性者です。このままでは、私達は新型コロナウイルスではなく国家の「要請」によって殺されてしまうでしょう。
これまで安倍首相は科学的根拠に基づかない「緊急事態宣言」を一方的に発令し、一方的に解除しました。その間外出の「自粛」、休業の「要請」が呼びかけられてきました、
 しかしその間に給付されたのは、た、った「1Q万円」です。
その間、私達は飢えてきました。仕事をしなければ食べていけないのですから。この先どうやって、生きていけばいいのでしょうか。
 学生が困窮している事態も深刻です、ただでさえアルバイトを解雇された学生が多くいるなか、キャンパス封鎖により満足な授業が受けられない状況が続いています。それだけではありません。就職活動にも影響か出ており、「新たなロスジェネ」が生まれかねない事態になっています。しかも、留学生のみに「成績要件」を課す緊急支後金制度を行うなど、あきらかに安倍政権はコロナに乗じて留学生・外国人差別を行っています、そうした事態に鑑みても、「補償」なき自粛要請はナンセンスであると訴えます。これは生存にむけた闘争です。補償なくしては、仕事もなければ、稼ぐあてもありません。
 今回の集会では、そうしたコロナ禍での課題を共有し、これからの闘いへの知恵を探ることを目的としています。闘いぬきましょう。連帯しましょう。黙って野垂れ死ぬな、生きて奴らにやり返せ!!

【第一部 補償なき「自粛」問題を考える】
<発言者>
・田中駿介(コーディネーター)
慶鹿義塾大学法学部4年。北海道出身。政治哲学を専攻(副専攻は戦後市民社会論)。高校時代、政治について考える勉強合宿を企画。若者と政治参画を論じ、慶大「小泉健三賞」、中央公論論文賞・優秀賞を受賞。大学では「丸山侃男と高畠通敏の市民運動論の差異」について研究している。「論座」「情況」等で執筆活動も行う。       ニ
・滝 薫 
青山学院女子短期大学卒業。元美容webライター。多様性を認めずモテを重視するメディアのあり方に疑問を覚え、ジェンダーに関心を持つ。朝日新聞社「か
がみよかがみ」においてエッセイを執筆。現在就労移行支援に通う精神障害当事者。
・大谷行雄
1970年東京教育大学付属駒場高校(現・筑駒)卒業後、南イリノイ州立大学留学。日本企業米国支社長などを経て在米33年。後に中東と日本の文化経済交流の活動でドバイを中心に在UAE7年。帰国後、アメリカ、ドバイ、ベトナムでビジネスと社会活動を展開中。
高校時代は、ブント社学同高校生委員として所属、現在、10・8山崎博昭プロジェクト事務局員。
・Aさん(オンライン参加)
早稲田大学国際教養学部3年(言語学)。シンガポール出身。北京大学国際関係学院留学経験あり。日本政府の留学生入国「禁止」措置により足留めになっている当事者

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田中
本日はお忙しい中、お集まりいただきまして感謝いたします。
私は慶應大学法学部4年の田中駿介と申します。
今回の主旨としては、第一部では補償なき自粛要請、つまり新型コロナウイルス感染症下において学生が困窮している問題もありますが、他方で政権がやったことというのは、十分な補償をしないで、緊急事態宣言が解除されてもなお、まだ補償がない困窮者が非常に増えている。非正規の方は非常に辛い思いをされています。あるいは留学生、外国に繋がるルーツを持つ方、外国人の方も非常に大変な思いをされています。今日オンラインで参加する留学生の方は、未だに日本に入国ができないでいる、あるいは留学生にのみ3割の成績要件を課した「学生支援給付金」の問題もあります。こうした問題は、まさに私たちが抱えている社会問題がそのまま露呈していると考えてもいいと思います。
こうした問題について、改めて本日のシンポジウムで問題提起をして考えていきたいと思います。

それでは第一部を始めさせていただきます。
発言者を紹介させていただきます。
滝薫さんです。滝さんは青山学院女子短期大学卒業後、美容webライターとして活動されていました。その中で、多様性を認めずモテることを重視するメディアのあり方に疑問を覚え、ジェンダーの勉強をされていました。朝日新聞社「かがみよかがみ」においてエッセイを執筆されたり、上野千鶴子さんと対談されたりとご活躍されています。本日はそういった面と、精神障害の当事者としてのお話もしていただきたいと思います。(拍手)
次にオンラインで参加されているAさんです。Aさんは早稲田大学3年生ですが、シンガポールのご出身で、北京大学にも留学をされていたそうです。Aさんは、現在日本政府が留学生を実質上入国をできない「禁止」措置をしていて、本来であれば日本やシンガポールに戻りたいということがあるのかもしれませんが、中国で実質上足留めされているということです。本日は中国政府のネット規制が厳しくなっているので、「微信」(ウイーチャット)を使ってお送りしています。(拍手)
最後に大谷行雄さんです。大谷さんは1970年に東京教育大学付属駒場高校(現・筑波高校)を卒業後、アメリカに渡米され、在米33年を過ごされました。大谷さんは10・8山﨑博昭プロジェクト事務局に参加され、今年の2月11日に連合会館で行われた「高校闘争50周年シンポジウム」に登壇され、その後、「要請するなら補償しろデモ」全5回に参加されたということで、当時の学生運動と、今後の社会運動を繋ぐ活動をされています。(拍手)

まず大谷さんから2・11の集会から、その後4月のデモに行かれた問題意識や、何故そういった運動にもう1回関わろうと思ったのかについてご発言いただきたいと思います。

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大谷
大谷行雄です。よろしくお願いします。
「高校闘争から半世紀」という集会が2月11日にありまして、そこで田中君あるいはここにいらしている何名かの若い人と知り合って、我々のやったことを出来る限り次の世代に継承したい、語り継ぎたいということで、若い人たちとの交流を考えていました。しかし、コロナ禍の中でそういう会合を持つことが出来ずにいたところ、田中君から4月12日に「自粛要請するなら補償しろ」というテーマのデモがあるという知らせがあり、そこに参加したわけです。
2・11高校闘争の集会についてですが、三部あって、一部は我々50年前の元高校生活動家が当時のことを話す、それは回顧的なものであったり自慢話にならないように、なるべく若い人たちに理解できるように、次世代に何らかの形で残せるような会にしようという目的ですが、第二部は香港の問題について語り合う、第三部に今の高校生、大学生など若い世代と交流を持とうということでシンポジウムをやりました。
この2・11の集会の後も若い人と交流を持ちたいということで、コロナ禍であり、4月のデモに参加して以降、5回のデモに参加させていただきました。最初は歳も歳なので野次馬的に行こうと思いましたが、やはり血が騒ぐのか一緒にデモに参加しました。私の持論は「自粛要請なんてクソったれ」と思っているので、それに対する反発というか、ましてや政府や行政の方から言われた自粛要請なんていうのはとんでもない、そんなものは政府の思惑でいいように大衆が騙されているんじゃないか、あるいは自粛自粛とさせて皆身動きできなくなって、社会運動が出来にくくされた中での都知事選なんて全くナンセンスであって、私は一切認めていない。
デモに参加するようになったきっかけ、あるいは自分の思惑というのはそんなところです。

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田中
次にAさんにお伺いしたいと思います。Aさんから留学先の北京大学では、SNSを通じて寮費を返還させる運動を行った人たちがいたと伺いました。僕らの印象では、中国は言論統制や、社会運動が厳しい状況が続いていると報道でも目にしていますが、そういった中で学生たちがSNSを通じて繋がりを求めて運動をしたという話を聴いて、僕も感銘を受けましたが、他方で日本における留学生が非常に辛い思いをされていると思います。そういった話について報告をいただきたいと思います。

Aさん
はい、分かりました。
皆さんにとってコロナはたぶん2,3月頃からだったと思いますが、中国にいる学生にとっては1月末に急にコロナでロックダウンみたいになって、寮費がどうなるか学費がどうなるか不安な状態になりました。その中で、中国人学生が住んでいる寮と留学生が住んでいる寮は違うんですが、中国人学生が住んでいる寮の寮費は年間1万数千円なので、別に寮費がどうこうという問題はなかったと思いますが、外国人留学生が住んでいる寮は、それの30倍くらいの寮費なので、寮費がどうなるのか、私たちが今、ロックダウンで寮に帰れないので、それで通わなければいけないのかという問題が出ていました。それで留学生たちは「寮費問題に関心を持っている人はこのグループに参加して下さい」というものをウイーチャットで送って、私も参加しました。それで何が起きたかと言うと、「寮費をどうしたいのか」というアンケートが送られてきて、その回答を代表者の人が北京大学の担当者に送って、担当者が「回答します」ということになりました。結局、「ロックダウンで住んでいない分は寮費を払わなくていい。荷物はそのままでいい」ということになりました。これを聞いた隣りの清華大学の留学生も、私に状況を聞いてきました。隣の学校にも影響があったということです。何でこういう運動があったかというと、そもそも寮費が高いという問題があると思います。高くなかったら、「まあいいか」となるかもしれませんが、高いからどうしようかということになる。日本の学費返還運動も、そもそも高いからだと思います。
次に留学生の問題についてです。留学生としてコロナ禍を見て、ほとんどの外国人の留学生には日本以外に帰る選択肢があるわけで、日本のニュースを見てどこに住むべきかいつも考えている。帰った方がいいと思ったら言われなくても帰るわけです。もし帰れるのでしたら。正直私はコロナ前は一生日本に住もうかと思っていましたが、日本政府のコロナ対応を見て、シンガポールに帰った方がいいかなと考え始めました。今、正直迷っています。

田中
ありがとうございました。本当は日本で就職して永住も考えた留学生が、今回のコロナ禍で、ある意味、人生設計をも見直さなければいけない事態に直面しているという話は、これから考えていかなければならないと感じました。
ここで滝さんにお伺いしますが、先程デモに行くようになった大谷さんの話もありましたが、この情勢下でデモをすることの一種の恐ろしさみたいなものを4月の時点ではお書きになっていました。
どうしてそのようにお考えになったのか、あるいは、そういった考えも、自粛要請が長引く中で少しずつ変わっていったと伺っています。どのようなご心境の変化があったのか、あるいは精神疾患の当事者として、健常者と言われる人が気付けない、分からないことがあると思うので、そういった話も含めてご報告いただければと思います。

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滝薫(たきかおる)と申します。よろしくお願いします。私は田中君の友人で、田中君から前々から「要請するなら補償しろ」デモの話を聞いていましたが、正直「何故やるの?」という感じでいました。それまでもデモだけでなく、自粛モードになっていた時、私はマジで自粛していましたが、ゴールデン街で飲み歩く彼と喧嘩したこともありました。
「要請するなら補償しろ」デモの主張としては、「要請するなら補償しろ!休ませたいなら金を出せ!仕事を休むと生活無理だ!自己責任論ふざけるな!」というような主張だったと思いますが、私はこの主張に対して概ね賛成です。概ねというか全然賛成なんですが、正直、あのデモの批評性としての意味はあったと思います。でも私はあのデモの形だけでは、皆さんの作りたい社会の形というのは出来ないと思いました。何故なら、ちょっと過激すぎるなとすごく思いました。
私は精神障害の当事者ですが、家にいたら死ぬと思ってしまいました。コロナに罹って死ぬと思って、3月後半、4月、完全に家に閉じこもっていました。緊急事態宣言が延びた時に泣いてしまって、この生活がもし1ケ月続くとしたら精神的におかしくなると思いました。
私の友達も、「うつ」がひどかった時に、「このまま家にいたらおかしくなる。自殺するな」と思ったらしいですが、私もそのぐらい追い詰められました。それまでは死ぬかもしれないと思いながら外に出ていましたが、悪い言い方をすると「慣れ」ですね。私がここで喋っているのは「慣れ」の力に他ならないと思っています。
私の弟はカラオケ店のバイトをしているので心配になって、バイトを辞めるように説教したほど「自粛警察」的なところもありました。
さきほど「自粛で死ぬと思った」と言いましたが、私が言いたいことは、現在就労移行支援に通っていまして、就労移行支援というのは、精神障がい者が再就職を目指すための福祉施設です。私は今、そこに通っています。緊急事態宣言が出ていた4月5月は、そこは閉めませんでした。障がい者のセーフティーネット、受け皿で、福祉施設は絶対に閉めてはいけないからです。それを伝えたかったです。私は福祉の力を借りて生きていますが、福祉だけに頼るような今のあり方には疑問を覚えています。

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田中
ありがとうございました、ここから突っ込んだ議論をやっていきたいと思います。私から問題提起をしたいと思います。まず僕が考えているのは、既往症があったり、住んでいる環境に持病がある方や高齢者がいらっしゃることが考えられます。僕自身は比較的若いですし、感染したからといって死ぬとか重篤になることがなかなか想像がしにくいわけですが、他方でそうでもない人がいることも理解しています。ただもう一つ僕が考えなければいけないことは、滝さんが仰ったように、ステイホーム、家に居ようということの要請、考えてみれば例えば70年代の脳性麻痺の当事者の会、「青い芝の会」は障がい者の方がどうやって街に出るかということを闘ってきたはずです。例えば介助の人がいないとバスに乗れないという時代に、自ら身体を晒しながら一人でバスに乗る権利を勝ち取ってきたわけです。あるいは家に居ると障害を抱えた子供たちが殺されたりということもあったわけで、できるだけ障がい者を家庭から距離を取らせて社会に居場所を求める運動をしてきた。つまり社会ではなく家に居ろという要請が、障がいの当事者にとって非常に暴力性があるものだということも、同時に考えなければいけないと思っていました。ですから、こうした問題については今後も考えて行かなければならないと思っています。
他方で僕が考えていることは、リベラルあるいは左派と言われる、今まで人権とかそういったものに価値を置いていた側から、政府が強権的な罰則付きでの自粛、ロックダウンを何故やらないのかという話が出たこともあります。
僕は今回のコロナ情勢下で問題提起したいのは、基本的に「自粛」という言葉は日本語としてもおかしい。辞書を引くと、「自粛」というのは「自らの行為を反省し慎むこと」ということです。「自粛期間」というのも本当はおかしいはずで、これは「謹慎期間」とかそういった意味合いですから、外に出ないことイコール自粛ではありませんし、「自粛要請」という言葉も本来おかしいはずです。
もう一つ考えなければいけないのは、「不要不急」という言葉も、本来は戦時中に鉄道線がここはいらない区間だから戦地に鉄などの資材を回そうということが語源の言葉です。僕自身も北海道に長く住んでいましたが、不要不急線と言われてきた鉄路が、今どんどん廃線になっているわけです。「不要不急」というのは明らかに経済的に、あるいは軍事的に生産性があるものとないものを分かつ言葉であるわけです。ですから今回僕が非常に気がかりなのは、コロナ禍で発生している事態や容貌が、非常に戦時下を想起させる言葉であったり、あるいは「自粛警察」というのは明らかに憲兵を思い起こさせるわけです。どうしても、そのように考えてしまうわけです。
何故今回こうした人々が辛い状況で、連帯して共生とか、よりよい価値観を持った社会にしていくチャンスであるはずなのに、どうして自粛要請とか自粛警察とか、あるいは出国禁止とか、どうしてそういう戦時下みたいなコロナ禍を、戦争に例える首相の発言を含めて疑問に感じざるを得ないところです。
そうした状況で、大谷さんと滝さんからコロナ禍での行動について意見があったと思います。
大谷さん、今までの(デモの)参加したご経験の、ご感想を聞かせて下さい。

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(ネットより転載)

大谷
滝さんの方から過激だと言われましたが、実際に私も老人の部類に入り、持病もありますので、関わりたくないし、もちろん死にたくないです。だけど、一つには我々には生きる権利と死ぬ権利がある。自分の行動によって自分が死ぬかもしれないということに自分が責任を持つしかないと思っています。さきほど言いましたが、(コロナに)罹るかもしれない、罹ったら死んでしまうかもしれない。別に自暴自棄になっているわけではないですが、田中君が言ったように「不要不急」という言葉で自粛、そしていわゆる同調圧力、そういうものが、いわゆる権力や支配者の保護によって操作されている、それが許せない。これは田中君も言いましたが、戦時中もそうだったし、我々がやっていた学園闘争においても同じなんです。要するに同調圧力というものは、日本人の持っている「和の尊重」というものがあって、結局、我々が学園闘争をやっている時に、いわゆる一般学生が自分たちの授業を妨害するなと言うのを、大学側、権力者が煽っている。それで我々の声が潰されてきた。それと同じように、今も我々が権力や支配者に対して何を言わなければいけないかという時に、コロナのせいで黙っているわけにはいかない。だから多少危険ではあるけれど、出来る限りの防衛策を取って表に出て、声をあげる、デモをやる。むしろデモに関しては私は物足りないぐらいだと思っているので。もちろん(コロナに)罹りたくないし、もちろん他人にも感染させたくない。でもそれは、出来る限りの防衛策を取れば出来ることだし、それによって我々が声をあげられなくなる、自粛から委縮してしまうことが怖い。だからあえて声をあげて「自粛クソッたれ」と言っているわけです。

田中
ありがとうございます。基本的に市民運動や広場、最近も宮下公園の問題などが出ていますが、そういったものを排除しようとする権力側は、よく公衆衛生を口実にして排除するということがありました。大谷さん仰ったように、例えば今回権力者が「夜の街」という言葉を使って職業差別を煽ったり、小学校で新しい生活様式の川柳を作ろうというような貼紙があって、「夜の街には行っちゃだめ」みたいなことを親に呼びかける川柳が書かれていたり、こういう風にどんどん職業差別が連鎖していくのかと怖くなったり、あるいは今小学校だとほぼ強制的にソーシャルディスタンス、僕はフィジカルディスタンスと言うのが適切だと思っていますが、それを取らなくてはいけなかったり、あるいはマスクの着用が学校で強制的にされているわけで、そういった「夜の街」差別みたいなものを小学生のうちから当たり前だと思って学校で教わった子たちが、10年後20年後、社会を回す側の立場になった時にどうなるのかすごく心配しています。
滝さん、この辺の話を聞いて何か思ったことはありますか?

私は自分のことを「いい子ちゃん」だと思っています。「いい子ちゃんリベラル」にかなり当てはまっていて、「言っていることは分かるけど、それでも出来なくない」という立場を取ってしまうことはあります。本当にデモの主旨にも賛成ですし、大谷さんが言っていることも分かります。権力に対して声をあげ続けていかなければならないという義務は、一般市民はみんな持っているものだと思っています。でも「できないよ」という一般市民の声も聞けよと思っています。

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田中
ここで少し話題を変えます。日本政府が緊急支援金(学生支援緊急給付金)を創設するということで、僕も振り込まれましたが、本来20万円振り込まれるはずが10万円しか振り込まれていない。大学に問い合わせても一向に返答が来なかった。あとから一方的に、20万円振り込まれるはずが10万円しか振り込まれなかった人は非課税証明書を出せという通知が来て、非課税証明書を同時に出しているにもかかわらずそういった通知が来て、改めて再申請しましたが、まだきちんとした額が振り込まれるか分かりません。しかもこれはひどい話で、下請けの会社が絡んでいるので、学校の奨学金の窓口に問い合わせても返信が来ないようになっている、あるいは大学の奨学金の窓口も電話でのやりとりを一切出来ないようにしているので、グーグルフォームを使ってでしか出来ませんが、僕はグーグルフォームで数回奨学金窓口に問い合わせをしていますが1回も返ってきたことはありません。コロナ情勢下でお忙しいことは承知していますが、電話連絡が出来ない、アルバイトが無くなって困窮しているにもかかわらず、本来セーフティネットになるべき奨学金窓口がやりとりをさせないというのは非常にあり得ない事だと思っていますが、それ以上に腹立たしい思いをしたのは、留学生のみに成績要件を課すということです。
成績要件が何故いけないと僕が考えているかというと、成績が厳しい人たちの中には、アルバイトに時間を多く割かないといけない立場だったり、あるいは今回のコロナ禍で図書館がずっと閉鎖されていたので、レポートを書くにしても、お金を持っている学生は月に何万も書籍代にかけることが出来ますが、今、学生が書籍代にかけられるお金は月に平均2千円という統計があって、そういった状況で元々ある格差が成績にも拡大しやすい。もちろん受験でもそうですが、大学に入った後に図書館が閉まっているというのはシビアな問題だと思っていますが、だからこそ留学生にのみ成績要件を課すというのは僕は本当にあり得ないと思いました。
こうした問題に、留学をされている当事者としてAさんに、どのように感じたのか教えていただきたいと思います。

Aさん
コロナで経済的に打撃を受けた大学生に給付金を出します、留学生も対象ですとニュースに出て、次の日に留学生のみ成績上位3割だけ貰えるとニュースに出て、前日に「救われる」と思った留学生が次の日、「あれ、私成績が・・」となっているのが問題だと思います。留学生にのみ成績要件があるのは確かですが、それと同時に日本人学生向けの要件として、今、奨学金を借りている人に限る要件もあります。このような制度にも間接的に成績要件が入っているわけです。上位50%だったり、学ぶ意欲がある学生だったり、そういう要件があるので、間接的に日本人学生にも成績要件があると私は思います。
文科省は何故こういう要件を作ったかというと、いずれ母国に帰る留学生が多い中、日本に将来貢献するような人材に限るようにということで、何しろこれは日本に貢献しようと思っていた留学生も、この方針を知ったら帰りたくなると思う。日本人学生にも間接的にこういう要件が入ってくるということは、つまり留学生に限らず日本の将来に貢献するような人材だけ助けたいというメッセージになるわけです。この給付金は非常に厳しいです。50%収入が減ったとかいろいろあるので、1日1食になっているような学生がこれを待っているので、成績とか、貴方は日本の役に立たないからというメッセージは危険があると思います。
実際にこのような考え方が普通だったら怖いと思いますが、最近知ったのは、八王子市独自の学生支援特別給付金というのがあり、これは1人10万円給付されますが、さきほどの学生支援特別給付金を貰えない学生で、給付型奨学金も貰っていない、奨学金も借りていない学生はこれに申請できるというのがあります。でもこれにも成績要件が入っています。つまり何も貰えなくて成績があまりよくない人はどうすればいいんですか、という問題があります。これは国の学生支援特別給付金制度のマネをしたのではないか、こういう考え方が普通になりつつあるのではないかと思っています。怖いですよね。
留学生は日本人学生と違って、日本にあまり頼れる人がいない。しかも今、自国に帰れない、日本に頼るしかないという留学生がいる。どんな人が日本に来ているかというと、私の場合はシンガポールなので、私の知っている同級生はシンガポールに残っているか、アメリカかイギリスに行っているかで、日本に来ているのは私しかいない。それは何故かというと、まず18歳で日本語を喋れる人は少ない。日本に来ている学生は、基本的に日本の文化が好きで、日本語を勉強して、そのくらい好きで友達と離れてまで日本に来ている。そういう人たちと、もう一種類は、例えばネパールの学生の場合は、ネパール人協会顧問の方のお話では、「ネパールで留学生をリクルートしているのは日本語学校を経営している日本人で、日本でアルバイトが出来ると、あまりお金のない若者に夢を与えて日本に呼ぶのです」ということです。だからこの人たちは借金をしてまで将来のために日本に行くのです。借金を抱えていて自分の国にいる家族も頼れない、アルバイトに頼っているので、留学生は週に28時間まで働けるので、普段はアルバイトに通って1日1食になっている留学生も多い。たぶんこれを見てガッカリして、これは無理だと自分の国に帰ってしまう人もいます。日本語学校も専門学校も留学生が多いので、一部の人が帰ってしまうといろんなところに影響が出ます。ですから、留学生だけの問題ではなくて、みんなの問題として考える必要があると思います。

田中
ありがとうございました。留学生の問題と言っても、特定技能実習生の問題と同じかもしれませんが、私たちがある意味安い労働力として、一種のビジネスとして留学生を招いていたというような日本社会の構造について考え直さなければいけない時期なのかなと思っています。
また、さきほどAさんからもあったように、最近は日本語学校と留学生あっせんがセットになっている。今回、コロナ禍で留学生を受け入れしないということになれば、たぶん多くの日本語学校がこのままだと倒産してしまうかもしれない。仮にそういうような事態を招けば、正に国益に反するような、本来シンガポールもそうですし、中国も戦争中植民地支配された、そういう歴史を持ってるところからわざわざ日本に来ていただける学生というのは、こんな言い方をしたらいいか分かりませんが有難い。そういうことは本当は日本人として反省して考えなければいけない問題ですし、そういった中で日本のことを理解していただくのは、僕は本当に有難いと思っています。一方で、保守派が使いそうな言葉ですけれど、「親日」あるいは「知日」な人たちを自民党は本来育てたいはずなのに、むしろ逆のことをやっているのは何と言えばいいのかと思ってしまいます。
論点が多岐にわたってきましたが、私たち日本社会が抱えている、外国にルーツを持つ人、外国籍の方に対する差別だったり、大谷さんが仰ったように権力者がこういた時になし崩し的に差別だったり新自由主義を進めようとしているのではないかということを改めて提起したいと思います。
最後に滝さんにお話しを伺いたいと思います。滝さん、こういった話を聞いて、今後、コロナ禍で考えたことをライターという立場で発表していきたいとか訴えていきたいということがあれば聞かせて下さい。

今、この状況で思ったことは、自分の考えの不確定さということがすごく恐ろしくなりました、私はさきほども申しあげたとおり、4月は「怖い怖い」と言っていて、5月は外に出て田中君と路上で遊んでいましたので、「変わり身早や」みたいな自分の一貫性のなさというのが、今後書き物をしていく人間としてふさわしいのかどうかということはすごく悩み考えました。
それで出た結論としては、目の前の現実に対峙する、そして考える、そして変わったなら変わったと素直に言う、そのスタンスが今自分の中に核として出来たかなと感じています。
田中君から言われなかったことで、自分が言いたいことがあります。私は人間関係がすごく変わってしまったことに対して恐怖を覚えています。皆さんはどうか分かりませんが、会いたい人にしか会わなくなりました。何と言うか、定期的に会って、たまに近況報告していた友達みたいな人がいなくなりました。
いなくはなっていませんが、たまにラインをしてもあまり話が盛り上がらなかったり、あとは私が考えるのが好きなせいで、言い方は悪いですがノンポリ的な友達に「あいつ変わった」と言われたりして、悪い意味で自分の周りがノイズが無い世界になりました。結構、政治的な価値観が合う人しか周りにいないという世界の問題点についてはすごく恐怖を覚えています。
以上です。

田中
ありがとうございました。確かに会いたい人としか会わない、何でも全部オンラインで、話によると慶應では三田祭もオンラインでやるということで、日常生活のあらゆるものをオンラインで代替しようとしていった時に、思いがけない他者との出会いというものがどんどん無くなっているような気がします。
自分と考えの違う人とどうやって今後関わりを持って行くのかということを、改めて考えていきたいと思いました。

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大谷
留学生の問題が出ていますが、私が根本的に聴きたいのは、日本において留学生の人権なり権利が認められているのかということです。古い話ですが、私も4、50年前にアメリカに留学生としていましたが、政治活動をすれば則強制送還、留学生の学費は当然アメリカ人の学生より何倍も高い、アメリカの場合は成績だけではなくて、ボランティア的なことをやるとお金を貰えますが、大統領が替わった途端に1通の手紙で切られる、それに対して一切の文句を言えない、そういう状況がありました。今の日本の留学生が抱えている問題というのは、金銭的に辛いということもあるし、田中君が言うように日本の国益にとって留学生は重要なんだけれど、日本において留学生の人権なり様々な権利は認められているんですか?

田中
できればAさんにお願いしたいと思いますが、僕も全然認められてこなかったと思います。他方で、日本にいる留学生の問題で僕が想起することは、一つには在日の韓国人の方で、日本で韓国の民主化を訴えたら、不当にも本人の意思に反して韓国政府に連れ戻されたという事件もありましたし、本当に留学生の闘いというものが、一つには留学先の政府に対するものもありますし、もう一つは母国で何をされるか分からないということもあったわけです。
僕も留学生が抱える問題について課題を知りたいと思いながらも、他方では例えば僕の所属している慶應大学の留学生のサポートをする役割を去年1年間行いましたが、日常的な生活の悩みばかりで、慶應に来ている留学生は比較的恵まれている人が多くいるように思われて、例えば困窮して社会運動をやって弾圧されそうになったというような話とは無縁でした。だからこそ政府もそうだし、大学もそうだし、私たち日本人学生も社会運動をやって弾圧されるかもしれないと考えている留学生を見過ごしがちになってしまった、これは僕自身の問題でもあると思っています。
Aさんからコメントをお願いします。

Aさん
留学生は、まずビザが関わっているので怖いんですよ。何か文句言ったら「嫌なら帰れ」と言われるし、声をあげるハードルが結構高いように思います。あと、言語的バリアー、日本語でうまく伝えられないというのがあると思います。
声をあげるのは無駄だと思っている人はいっぱいいると思いますが、デモはコロナ禍で出来なくてもオンライン署名活動は出来ます。

【会場からの質問】
新宿歌舞伎町のホスト
歌舞伎町でホストをしています楽(らく)と申します。
感想に近いんですけれども、僕はコロナ禍の中で実感したのは「世間の無責任さ」ということが大きいと思っています。事例で言うと、ある俳優がコロナの影響を懸念して降番だか延期をしたんですね。それに対して世間は「無責任だ」とか「職務放棄だ」とか叩いたと思うんですけれども、じゃあ実際にその人がコロナに感染したら「管理が不十分だ」と世間は言うじゃないですか。世間というのはどうすればいいのかを示すのではなくて、ただ文句を言うだけの存在なんですよ。そこがSNSなんかで顕著に現れているのかなと感じました。その世間をどうやって良い方向に向けていくのかみたいなことを考えていきたいですし、どういった考えがあるのかお聞きしたいと思います。
田中さんに世間に対して思うこととか、日本人のあり方ですね。

田中
今仰った話、難しすぎて僕には振らないで欲しいと思いましたが、皆さんにも是非お伺いしたいですが、一つ言えることは、自粛みたいなものを何故しないのかということで、さきほど権力だという話がありましたが、実は隣の人だったり、あるいは自分よりもっと苦しい人の方がやっている可能性というのは常にあるなと最近すごく感じていて、どうしてもこういうものは権力や強いものとかメディアとか大きいものとか強いものを想定する、もちろんそれもそうですが、実は内側から崩壊していくこともある、そういう目が怖い。実は第二部で登壇する予定だった方が、対面で感染リスクが怖いので、僕としてはマスクも体温の測定も連絡先も書いてもらいますけれども、事前登録制にしないのがおかしいとか、そういう問題提起がなされて、本来来る予定だった方が第二部で来られなかったということがあります。
このように、自分たちと考えが近い人たちの中からも、「もしここで感染があったら誰が責任を取るのか」とまで言われて、僕の考えだと、対策を取った上で感染リスクの責任を取れという話になると、それこそ感染者が出たら謝罪をするとか、感染者が差別される、まさに今まで水俣とかハンセン病の反省として、そういうものを生んだ構造が悪いと考えてきたのに、強い人ではなく逆にかえって感染者を責めることになる。こういう構造を僕たちは変えないといけないし、そのアイディアをずっと考えてきたつもりが、かえって逆戻りしてしまったという印象を受けています。だからこそ是非知恵を、僕もそれを乗り越える術を知りたいと思っています。今後も考えていきたいと思います。

新宿歌舞伎町のホスト
今、仰った中で自分の中で問いかけがあったんですけれども、その問いが、「騒ぐ世間」がどうやって投票に向かうのかということ。投票に向かわないことが問題だと思っていて、今この場所だと意見が出て、それについて考えて、それなりに最善の策を出してという民主主義が機能していると思うんですけれども、「騒ぐ世間」って投票に行かないんですよね。何でかっていうと、現状を良くしたいんじゃなくて、現状を良くできないことの文句を言って、その周囲の人から「そのとおりだね」と同意を受ければ承認される、承認され同意されるこで満足してしまう。それが一番の問題で、「良くしていこう」じゃなくて、悪い状況を主張して承認されて満足してしまう、そこの欲求を投票という改善の方向に向けるにはどうしたらいいかというのが一番の問題だと思っていて、問としては明確になっています。

田中
ありがとうございます。本当に難しい問題だと思います。問題提起ありがとうございます。
第一部はここまでとします。


※ 今回掲載した「補償なき『自粛』要請と学費問題を考えるシンポジウム」第一部及び掲載できなかった第二部ついて、「情況」2020年秋号にレポート記事が掲載されています。
こちらも併せてご覧ください。
「学生たちが学費問題で起ちあがる」伊集院熊(国学院大学)・田中駿介(慶應義塾大学)

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(終)

【お知らせ その1】


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「続・全共闘白書を読み解く」今秋刊行!
全共闘運動から半世紀の節目の昨年末、往時の運動体験者450人超のアンケートを掲載した『続全共闘白書』を刊行したところ、数多くのメディアで紹介されて増刷にもなり、所期の目的である「全共闘世代の社会的遺言」を残すことができました。
しかし、それだけは全共闘運動経験者による一方的な発言・発信でしかありません。次世代との対話・交歓があってこそ、本書の社会的役割が果たせるものと考えております。
そこで、本書に対して、世代を超えた様々な分野の方からご意見やコメントをいただいて『続全共闘白書を読み解く』を刊行することになりました。
「続・全共闘白書」とともに、是非お読みください。

執筆者
<上・同世代>山本義隆、秋田明大、菅直人、落合恵子、平野悠、木村三浩、重信房子、小西隆裕、三好春樹、住沢博紀、筆坂秀世
<下世代>大谷行雄、白井聡、有田芳生、香山リカ、田原牧、佐藤優、外山恒一、小林哲夫、田中駿介 他
<研究者>小杉亮子、松井隆志、チェルシー、劉燕子、那波泰輔、近藤伸郎 他
<書評>高成田亨、三上治

定価1,800円(税別)
情況出版刊

(問い合わせ先)

『続・全共闘白書』編纂実行委員会(担当・前田和男)
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
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【1968-69全国学園闘争アーカイブス】
「続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。

http://zenkyoutou.com/yajiuma.html


【学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録】
続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
知られざる闘争の記録です。

http://zenkyoutou.com/gakuen.html


【お知らせ その2】
ブログは隔週で更新しています。
次回は10月30日(金)に更新予定です。

今回のブログは、「10・8山﨑博昭プロジェクト」のWebサイトに9月20日付で掲載された、山本義隆氏のコロナ論考第三弾!「再度リニア新幹線について、そしてポスト・コロナ――コロナに思う その3」である。プロジェクト事務局のご厚意により転載させていただいた。

【再度リニア新幹線について、 そしてポスト・コロナ――コロナに思う その3】
山本義隆(科学史家、元東大全共闘議長)
はじめに
 前回、リニア中央新幹線について書きましたが、言葉足らずで誤解を招きそうな処もあり、また書き足らなかった処もあり、というわけでその続きから始めます。
 実は、前回、書くにあたっては国会図書館でいくつかの点を調べておきたかったのですが、3月以来、緊急事態ということで図書館が閉鎖され、緊急事態が解除された後にも入館者数の制限で事前申し込みになっていたので、面倒で行かなかったのです。それに私自身、外出を極力控えていたこともあります。コロナの新型肺炎では、高齢者や持病があれば重症化し易いとあり、両方とも該当するからには用心せざるを得ない立場だったのです。そればかりか、一昨年の入院後、退院してから体が元に戻るのにほとんど1年半を要したのですが、ここでもう一度入院すれば、たとえ回復してもほぼ確実に寝たきり老人ですから、人一倍用心せざるをえなかったのです。
 しかし、今回、思い切って国会図書館に行ってきました。入館希望日として3日を書いたのですが、抽選でそのうち2日があたったので、2日間足を運びました。科学史の勉強のため40年近く国会図書館に通ってきたのですが、抽選で行ったのは初めてです。こんな時が来るとは、思いもよりませんでした。

超伝導とは
 前回、リニア新幹線について、たとえば「超伝導」等のいくつかの事柄を説明抜きに書いたのですが、わかりにくい処もあったようで、また私の記述に誤解を招きかねない処もあり、そのあたりから始めます。
 以下では、固体・液体・気体を問わず分子が数多く集まって形成される巨視的な系(システム)を簡単に「物体」、そしてそのまわりの空気等の存在する空間を「環境」と呼びます。
 まず「エネルギー」ですが、これは物体を加速する能力、物体を摩擦や空気抵抗に抗して動かし続ける能力、物体を重力に逆らって持ち上げる能力、バネを引き延ばしたり気体を圧縮したりする能力、そして物体を熱する能力等を指します。つまりエネルギーの移動の形態として「仕事と熱」があるわけです。「仕事」は、物を持ち上げるとか、気体を圧縮するとか、ばねを引き延ばすとかの形で物体に与えられるエネルギーであり、「熱」は熱するという形で物体に与えられるエネルギーです。そしてその際エネルギーは保存されます。つまり物体Aと物体Bがあり、AがBに仕事をしたり熱を与えたりしたならば、その分だけAのエネルギーは減少し、Bのエネルギーは増加します。ピッチング・マシーンからボールが投げ出されるとき、マシーンはボールに仕事をするわけですが、それはマシーンの中に蓄えられていたエネルギーがボールに与えられることであり、その際ボールはエネルギーを得て、そのエネルギーを運動エネルギーの形で保持しているのです。
 他方で、熱とは、物体を構成している分子の無秩序な運動エネルギーのことです。無秩序ということは、全体として見た目には静止しているが、分子ひとつひとつがあるものは前後に、あるものは左右に、あるものは上下にというようにテンデンばらばらに動いていることを意味します。お風呂のお湯が熱いというのはそういうことです。他方、滝の水が流れ落ちるのは、すべての分子が下向きにそろって、つまり秩序だって動いているから、熱運動とは言えません。
 そして、その熱運動の激しさを表すのが温度(絶対温度)です。絶対0度とは、熱運動が0、つまりその物体が全体として静止している状態ですべての構成分子が静止している状態を指します。したがってこれ以下の温度はありません。それにたいして摂氏0度は1気圧で水が氷る温度で、これは絶対温度の273度に相当します。つまり絶対零度は摂氏-(マイナス)273度(零下273度)です。
 発電機は運動エネルギーを電気的エネルギーに変換する機械であり、電力とは発電機や電池から電流によって電気器具に供給される電気的エネルギーであり、それによってモーターを用いて物体を駆動させることも、オーブンで物体を熱することも可能な、汎用性の高いエネルギーです。その際、通常の導線(金属線)をもちいて電流を流すと、導線に電気抵抗があり、そのため供給されたエネルギーの一部が熱となって無駄に環境中に失われます(つまり環境中の空気分子に与えられるのですが,それは回収不可能で使い物になりません)。マンチェスターのジュールが発見したので、ジュール熱と言われています。
 さて、「超伝導」(まったく同じ意味で「超電導」とも書きます)ですが、ある種の金属は絶対0度近くの極低温で電気抵抗が完全に0になることが知られていますが、その状態を指します。それにたいして通常の電気抵抗のある導線の状態は「常伝導」と言います。超伝導状態にするには極低温に冷却しなければならないのですが、通常その冷却には液体ヘリウムを使います。ヘリウムは常温では気体ですが、絶対4度(摂氏零下269度)近くで液化します。
 たとえば棒磁石に巻きつくように導線を巻いて両端をつなぎ、ループ状のコイルを作ります。この状態で棒磁石を急速に抜き去りますと、そのコイルに電流が流れます。1831年にイギリスのファラデーが発見した電磁誘導という現象で、これが発電機の原理です。このときコイルが常伝導であれば、熱(ジュール熱)が発生しこの電流は減衰しやがて無くなってゆきます。しかし超伝導であれば、熱が発生せず、この電流はいつまでも流れ続けます。この点について、超伝導の解説書(岩田章『応用超伝導』講談社)には次のように書かれています:
 このようにして流れ続ける電流を永久電流といい、このような超伝導コイルの使い方を永久電流モードといいます。…… 実際に超伝導体の電気抵抗がゼロであることの実証は、この永久電流を数年間流し続けることによっておこなわれました。この永久電流が数年で打ち切られたのは、永久電流が減衰したためではありません。超伝導状態を維持するためには毎日液体ヘリウムを補給する必要があり、それがマンパワー的にも経済的にもたいへんで、この実験は中断されたのです(p.25f.)。
 この本には、次の様なことも書かれています。先にジュール熱について語りましたが、そのため発電所から都会まで電力を輸送する送電線では、かならず何パーセントかの電力が無駄に失われます。それにたいして超伝導線ではこの損失がなくなります。問題は、超伝導状態を作ることと維持することにあります。
 我が国の主幹送電線では最高10パーセントの送電電力がこの電気抵抗で〔ジュール熱として〕消費されております。超伝導送電では、このような損失がまったくなくなるわけです。しかし、実際には超伝導線を液体ヘリウムで冷却しなければなりませんので、そのためかなりの電力が必要であり、現状ではあまりメリットはありません。(同上p.21)
 これだけのこと、つまり超伝導状態を作るためには、そして維持するためにも、経費や電力が必要なことを予備知識として、あらためてリニア新幹線を考えます(今回も敬称は一切略させてもらいます)。


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▲毎日新聞社『月刊なるほドリ』2020年2月号から(作成・山田英之、古川幸奈、グラフィック・清田万作)

リニア新幹線が要する電力
 コイルに電流を流したものは電磁石として磁石とおなじ働きをします。リニア新幹線は線路上に固定したコイル(地上コイル)と列車に搭載したコイル(車上コイル)の両方に電流を流してそれらを電磁石にし、その反発力で列車を地上から浮かせ、またその極の間の斥力(反発力)と引力(吸引力)を旨く使って、列車を前に進めさせるものです。そのさい、超伝導コイルを使っているのは車上コイルだけで、地上コイルは常伝導コイルです。したがって車上コイルに対しては出発前に電流を流せば、超伝導状態が持続しているかぎり、いつまでも流れていますが、地上コイルに対してはつねに電力を供給し続けなければなりません。
 ところがリニアモーターカー開発の第一人者と言われている京谷好泰の書には次のような記述が見られます。
 リニアモーターカーの場合、この永久電流モードを使えば、車庫でコイルに電流を流し、永久電流モードにすることで、電源と接続するパワーリードを外し、営業線に出てゆくことができる。このようにすると、営業中〔運転中〕はコイルに外から電力を供給する必要はなくなる。(『リニアモーターカー』p.76)
 まるで電力を供給しなくとも走り得るように書かれていますが、これは2重に誤解を招きます。
 ひとつには、電源への接続が不要なのは車上コイルにたいしてだけであること、です。産業技術総合研究所の阿部修治の2013年の論文「エネルギー問題としてのリニア新幹線」には「JRリニアは他の磁気浮上システムとの違いを強調して<超伝導リニア>とも呼ばれるが、超伝導で走るわけではないので誤解を招く表現である。列車の駆動力は地上コイル(常伝導)から供給されるのであって<超伝導だから消費電力が少ない>などというのはまったくのあやまりである」とあります(『科学』岩波書店、2013年11月)。
 そしていまひとつには、超伝導状態を作るためだけでも相当の電力が必要なことです。
 前者から見てゆきましょう。
 リニアモーターカー駆動のために地上コイルに供給される電力について、前回見たたようにJR側の見解は、1989年にJR総研の尾関雅則が語った、従来の新幹線の3倍というもので、その値がその後も語り続けられています。1990年に交通新聞社から出された『時速500キロ「21世紀」への助走』 には書かれています:
 「新幹線の3倍、航空機の半分」と言うのが、現在のJR総研の“公式見解”。3倍の根拠は単純。新幹線とリニアの走行抵抗〔空気抵抗〕の差だ。走行抵抗は速度の2乗に比例するから「時速500キロのリニアは〔時速250キロの〕新幹線のおよそ4倍強の抵抗を受ける。しかし、車輌断面積を小さく空気抵抗を低くしたため実際は3倍で済む」(澤田一夫JR総研浮上式鉄道関連開発推進本部主任研究員)というもの。(p.82)
 従来の新幹線そのものが相当に電力を必要とし、その3倍でも相当な量ですが、それでもこれはやはり過小評価のようです。
 上記の阿部論文は、走行中に働く抵抗力として「空気抵抗」だけではなく「機械抵抗」「磁気抵抗」をも考慮し、そのそれぞれにたいして丁寧な考察をし、「JRリニアの消費電力は時速500㎞で49メガワット〔=49万キロワット〕と予測され、〔従来の〕新幹線の約4.5倍が必要である」として
 JRリニアの消費電力は新幹線の4~5倍(強調山本)
と結論づけています。これにたいするJR側からの反論は聞かれません。阿部の議論は丁寧で綿密であり、反論しようがなかったのでしょう。応用物理学者で機械工学の研究者・新宮原正三の2016年の書『科学技術の発展とエネルギーの利用』(コロナ社)にも「リニアモーターカーの使用電力が、新幹線の約3~5倍と見積もられている」と書かれています(p.75)。この値が機械工学やエネルギー問題の研究者のあいだでほぼ認められているということでしょう。
 そしていまひとつの問題。先の岩田の書からの引用にあったように、導線を超伝導状態にするために必要な液体ヘリウムを作るためにも、相当の電力を必要とするということについて見ておきましょう。
 物体を冷却するためには、自分より冷たい物体に接触させるか、そうでなければ外から仕事を加えなければなりません。絶対零度近くまで冷却するには、もちろんそれより冷たい物体に接触させるという方法は使えませんから、たとえば特殊な気体を圧縮して急激に膨らませると温度が下がること等を使います。クーラーや冷蔵庫はそのことを使っています。そのさい気体の圧縮に電力が必要なのです。冷蔵庫で室温(摂氏20数度)から摂氏0度近くまで冷却するためにも電力を要します。低温になればこの過程はより困難になりますから、液体ヘリウムを作るためにも相当の電力が必要なのです。
 それにしてはそのことに触れている文献がほとんど見当りません。私の見たかぎり唯一の例外は『危ないリニア新幹線』(リニア・市民ネット編、緑風出版、2013)の懸樋哲夫の手になる第6章「リニアのジレンマ」で、そこには「液体ヘリウム冷却のために厖大な電力を要する」とあります(p.222)。ただし、実際にどれだけの量のヘリウムを必要とするのかはどこにも書かれていないので、列車1台走らせるのに必要なヘリウム冷却のための電力がどの程度なのかについては、よくわかりません。
 ヘリウム冷却のための電力についてなぜ書かれていないのかというと、日本はもっぱら既製品つまり冷却して液化されたヘリウムをアメリカから相当な価格で購入しているからだと思われます。その価格については、先述の岩田の書には「1リットル2000円」(p.14)、京谷の書には「アメリカで1リットルが1ドルのものが、日本では1万円になる」とあります(p.96)。二つの価格に大分開きがありますが、いずれにしても安いものではありません。
 ヘリウムそのものについて言うと、問題は価格だけではありません。ヘリウムが採取できる国はアメリカ合衆国とロシアとポーランドだけであり、すこし古いが専門書には「現在の世界のヘリウム市場は量・価格ともにアメリカの動向いかんにかかわっている ……。ECC諸国のようにポーランドからの平行輸入を持たない日本その他の諸国は一層その度合いが大きい」、「現在の技術で経済的に採取可能なヘリウム資源は …… 有効に利用されないままに年々減少しつつある」(『超伝導応用技術 実際と将来』シーエムシー、1988、p.78f.)とあります。その後、大きな変化があったのかどうかは知らないのですが、供給が不安的であることは変わらないでしょう。このように高価なばかりか不安定な資源に依拠した技術は、そのことだけで公共的使用にきわめて不向きと思われます。
 結局、超伝導だから電力を必要としないというのは、液体ヘリウムの購入価格に繰り込まれている超電導状態を作るための電力を無視していることを意味します。
 同様な論理は、他にも見られるので、すこし脱線しておきます。
 たとえば核分裂性ウランは、同質量の石油に比べて圧倒的に多くのエネルギー生み出すというようなことが、原子力発電の有利さの論拠にしばしば語られています。しかし、実際には核分裂性ウランつまりウラン235は天然ウランにわずか0.7%しか含まれず、ウランそのものとしてはずっと多くを必要とします。そして核分裂を起こさせるためには、天然ウランをウラン235の含有率が数%になるまで濃縮しなければなりません。そのために必要なウラン鉱石の量は、相当になりますが、なによりも重要なことは、濃縮ウランを作る過程で大量の電力を要するということです。第二次世界大戦中に原子爆弾を作ったアメリカのマンハッタン計画でもっとも困難であったのが、原爆そのものの製作ではなく、天然ウランから核分裂性のウランを濃縮するこの過程だったのです。
 そういったことすべてを考えれば、燃料としてウランが石油にくらべて有利とは決して言えません。日本は濃縮ウランを高い金を出してアメリカから購入しているのであり、濃縮のために必要な電力はその濃縮ウランの代金に繰り込まれているのです。

リニア新幹線と原子力発電
 脱線したので、リニアに話を戻します。
 リニアが多大な電力を要するということは、リニア中央新幹線を実際に運転するためには、そのための原発を新設しなければならないことを意味しています。先ほど見た新宮原の書にも「〔リニアモーターカーを〕現在の新幹線と同程度の頻度で走らせるとすると、莫大な電力を必要とし、原子力発電所を再稼働どころか増設せねば、この電力は賄えないかもしれません」とあります(p.76)。
 JR東海は、2007年に計画を発表した時、当然そのことを前提としていたでしょう。
 JR東海内部でリニア新幹線計画を中心的に進めてきた人物は、国鉄民営化の過程で国鉄の中心にいたJR東海の初代社長・葛西敬之です。前回でも少し触れましたが、2011年3月の東日本大震災で東京電力の福島第一原発が崩壊したわずか2か月半後の5月24日の『産経新聞』に、JR東海の会長となっていた葛西はつよい調子で語っています。前回、すこし触れただけだったので、もうすこし引用しておきましょう。
 原子力を利用する以上、リスクを承知のうえでそれを克服・制御する国民的な覚悟が必要である。……日本は今、原子力利用の前提として固めておくべきであった覚悟を逃げようのない形で問い直されているのだが、冷静に考えれば結論は自明である。今回得られた教訓を生かして即応体制を強化し続ける以外に日本の活路はない。政府は稼働できる原発をすべて稼働させて電力の安定供給を堅持すべきだ。今やこの一点に国家の存亡がかかっているといっても過言ではない。
 要するに事故がありうることは認めても、それでも覚悟をきめて原発に固執せよ、今一度原発推進に邁進せよ、と、動揺している原発推進派を叱咤しているのです。
 「覚悟」という言葉が2回も出てきて「国家の存亡」とまであるこの檄文は、福島原発の事故からわずか二カ月半のこの時点では、もっとも過激な原発再稼働論でしょう。何があったのかというと、この丁度二週間前の5月10日の『朝日新聞』の一面トップに「浜岡全炉数日中に停止 中部電 首相要請を受諾」とあります。民主党の菅直人首相の要請を受け容れて中部電力が浜岡原発の運転を停止したのであり、葛西はこのことに大きな危機感を抱いたのでしょう。リニア中央新幹線の営業運転にとっては、東京電力の柏崎刈羽原発と中部電力の浜岡原発の増設と稼働が絶対的に必要なことを,葛西は知っていたのです。
 本来なら福島の事故で真っ先に見直さなければならないプロジェクトであるリニア中央新幹線計画の、堅持と継続を宣言したと言えるでしょう。
柏崎刈羽原発の増設がリニア新幹線のためのものであるということは、それまで宮崎で行なわれていたリニアの実験線の移転先が山梨に決まり、1997年に走行試験が始まった時点で東京電力が明言しています。
 すでに高度成長が終りを迎え、電力需要が頭打ちになっていた1990 年代でも、なおかつ原発拡大方針をとっていた日本政府と通産省(後の経産省)は、各電力会社に原発新設を促していたのです。三菱、日立、東芝といった原発メーカーや原発建設にあたる大手ゼネコンの保護政策です。そんなわけで、どの電力会社にとっても、需要があるから原発を新設するのではなく、原発を作るために新しい電力需要の掘り起しを考えなければならない状態になっていたのです。そして願ってもない新しい大口需要先として電力会社はリニアを見出したのです。
 『毎日新聞』(山梨版)1998年9月13日の記事には「東京電力 大槻に新変電所設置 新潟・柏崎原発と直結」との見出しで、次のように書かれています:
 東京電力は、リニアモーターカー誘致などにともなう今後予想される県内の電力需要の急増に対応するため、大月市内に新山梨変電所を設置するとともに、新潟県・柏崎刈羽原子力発電所と同変電所を結ぶ新送電線、群馬山梨幹線の建設を進めている。
 そして「柏崎刈羽原発から原発2基分に近い150万キロワットを引き込み、県内や静岡県などに供給する」という東電の計画が記されています。ちなみに柏崎刈羽では、1980年から90年までに作られた5基の原発はすべて110万Kw, そして1996年と97年に各135.6万Kwの原発2基が作られています。総発電量821万Kw、世界最大であり、恐るべき密集原発です。そしてこの第7号基がリニアのために作られたのでしょう。
 のちにJR東海がリニア中央新幹線計画に乗り出した段階では,今度は逆にJR側が、新設されるはずの東電・柏崎刈羽原発と中電・浜岡原発をリニアに欠かせない電源として位置付けることになります。
 2011年東日本大震災での東電福島第一原発の崩壊は、それまでの経産省(旧通産省)の原発拡大路線を根本的に見直す機会でした。しかし経産省も原発メーカーも電力会社も、そして原発利権に群がっている政治家や大学教授たちからなる原子力村も、それまでの行き方に対する反省を示すことなく、これまでの路線の継続を図ったのです。JR東海もまた、リニア新幹線に関してそれまでの方針の堅持を表明し、そのための絶対条件として原発再稼働を確認したのです。それが上記の葛西の談話だったのです。この方針は、その後も変っていません。
 雑誌『財界にいがた』2018年8月号には「国とJR東海がリニア中央新幹線開業に向け熱望する 柏崎刈羽原発再稼働」の見出しで書かれています:
 世界最大の原子力発電所である柏崎刈羽原発を抱える本県――。一般に柏崎刈羽原発は「関東圏の電力需要を賄うための原発」と捉えられているようだが、その存在意義は県民が思っているよりも格段に大きく、国が同原発の再稼働を強く望んでいることには確たる理由がある。その理由とは、2027年に開業予定のリニア中央新幹線の電力供給源としての同原発の再稼働が不可欠だからだ(強調山本)。
 リニア中央新幹線の建設は原発の再稼働や新設と不可分であり、したがって反リニア新幹線は反原発と直結しているのです。

安倍晋三とリニア中央新幹線計画
 ところで、今、JR東海会長・葛西敬之に言及しました。前回私は、安倍首相が2016年にJR東海のリニア中央新幹線計画への3兆円の財政投融資の投入を決定したことに触れ「安倍首相にまつわるネポティズム(お友達優遇)の影がちらついています」と書きました。このことについて、なぜか大新聞はあまり書かないのですが、『日経ビジネス』2018年8月20日号の特集「リニア新幹線 夢か、悪夢か」に詳しいので、同誌に依拠して、もうすこし書いておきましょう。
 もともとリニア中央新幹線計画は、建設費用は全額JR東海自己負担としてJR東海単独の計画で始まったのですが、2016年6月に安倍首相が大阪開通を8年間前倒しすることとともに総額9兆円の建設費のうち3兆円を国からの財政投融資で賄うことを表明し、このことで民間企業であるJR東海の計画が、公の議論がほとんどないままに「国家的なビッグプロジェクト」(『毎日新聞』2017年3月3日)に変質したのです。
 その融資の内容は「無担保で3兆円を貸し、30年間、元本返済を猶予する。しかも、超長期なのに金利は平均0.8%という低金利を適用する」(『日経ビジネス』)というとんでもないものです。この金利について、『東京新聞』には「国土交通省の試算によると、民間からの借り入れとくらべて五千億円ほど金利負担が減る」とあり、さらに書かれています:
 財政投融資の資金は政府が国債の一種「財投債」を発行し、銀行や保険会社などから借りる。JR東海への金利は将来にわたり低いまま固定されているが、財投債は日銀の政策変更や景気の改善で金利が上昇する可能性がある。
 政府が払う利息が貸し出した金利分より多くなれば、その穴埋めに税金が使われる恐れがある。(『東京新聞』2017年12月19日)
 貸付金額の大きさも、貸付条件の甘さも、いずれも破格のものです。『日経ビジネス』の記事には、日本政策投資銀行の話として書かれています。
 「民間銀行はもちろん、うちでも1社に3兆円を貸し出すことはあり得ません。相手先が倒れたら、銀行も一緒に死んでしまう。うちも他の大手銀行も、1社2000億がギリギリのラインです。30年間返済据え置き? それはないでしょう。」
とあり、そして同じ財政投融資という融資スキームを扱っている日本政策金融公庫の幹部も語っています。
「いや、あの融資条件は、他に聞いたことがないですね」。「そもそも、30年後から返すって、貸す方も借りる方も責任者は辞めているでしょう。生きているかどうかも分からないですよね。」
 金融の常識からしてありえない異常な話なのです。
 次の問題もあります。通常で言えば、金融機関がなにがしかの事業に融資するとなれば当然厳しい審査があるはずですが、このリニアのプロジェクトの場合、一体どのような審査がなされたのでしょうか。
 私の見たかぎりで、リニアについて書かれた文献の大部分は、事業の成功の可能性について、いずれもきわめて厳しい否定的な見方をしています。
 『交通学研究 2009年研究報告』に「中央リニア新幹線導入が経済と環境に及ぼす影響」という論文が掲載されています。著者は東京大学の二人の研究者・山口勝弘と山崎清で、「要旨」冒頭に「次世代の都市間高速交通網の一翼を担うことが期待される超電導磁気浮上式鉄道の東京、名古屋、大阪間への導入(中央リニア新幹線)」とあるように、基本的にはリニア新幹線について期待するという立場で書かれたもので、すくなくともリニアにたいして批判的なスタンスはありません。そして純粋な数学的な、その意味では中立的なモデルによる定量的な分析に終始しています。しかし、その結論は「要旨」には「中央リニア新幹線は、単体では採算が見込めるが、〔従来の〕東海道新幹線には巨額の減収をもたらす。従って、JR東海がリニアを導入した場合、東海道新幹線からの需要シフトにより増収効果が小さいため中央リニア新幹線の事業収支は大幅な赤字となる」とあり、本文で「東海道新幹線を保有するJR東海にとって中央リニア新幹線導入は事業収支の悪化をもたらす可能性が高い」と結論づけられています。
 難しい数学を使わなくとも、私がすでに2019年に単一の電鉄会社が競合する2本の路線を有する場合の危険性として語ったのとおなじ結論です。
この雑誌『日経ビジネス』は、標題どおりビジネスマンはあるいは株価の動向に関心のある人たちが読む雑誌で、もちろん「リベラル」でもなければ「革新的」でもありません。しかしこの雑誌の記事も、JR東海のリニア中央新幹線にたいしてはきわめて厳しい評価をしています。
 『日経ビジネス』の記事はPt.1, Pt.2, Pt.3に分かれています。そのPt.1の表題は「速ければよいのか 陸のコンコルド」です。フランス政府が国力をあげて追求したが、騒音と排気ガスの公害を撒き散らし、赤字続きでついには悲惨な事故をおこして破綻した超音速ジェット機コンコルドになぞらえているところに、リニアに対する評価が透けて見えます。そしてそこには、なんとJR東海の社長自身がリニア計画は「絶対にペイしない」と正直に語ったことまで書かれています。そしてPt.3の標題は「平成の終焉 国鉄は2度死ぬ」で、この標題もこのプロジェクトにたいするきわめて否定的な見方を暗示しています。
 公共政策に詳しい橋山禮治郎の前回見た書には、一般にプロジェクトの成功の条件として、「経済性が確保されているか、技術的な信頼性があるか、環境を破壊することはないか」を挙げ「この3点をすべて満たしていればプロジェクトとしては成功すると言えるが、そのひとつでも不十分または不適切であれば、ほぼ確実に失敗におわる」とあります(『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」』集英社新書,p.80.)。そしてとくにリニア中央新幹線について
 内外の多くのインフラ・プロジェクトの評価に携わってきた一研究者として言えることは、本件リニア計画ほど不確定要因が多く、多くの困難とリスク(経済的、技術的、環境的)を抱えたプロジェクトは、世界中を探してもまず存在しないということである(『必要か、リニア新幹線』岩波書店,p.82)。
との、最大限の危惧を表明しています。
 とくに経済性について言うならば、人口減少下での需要の増加が見込まれないことを踏まえ、審議会とJR東海自体の需要予測にたいして「これまでの分析から言えることは、審議会はもちろん、JR東海自身も需要見通しが甘すぎるという一語に尽きる。現下の厳しい経済社会を展望すると、客観的に見て需要増加の可能性はきわめて低く、それにもかかわらず輸送能力を2~5割も増強するというフレームに固執して着工すれば、プロジェクトの失敗は避け難いと判断せざるをえない」と断じています(『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」』p.100.)。
リニア中央新幹線プロジェクトは、その金額の大きさは勿論ですが、計画内容自体、通常の金融の常識では、ということはつまり資本主義的合理性という観点から見て、とても融資の対象にはなり得ない不健全なものなのです。
 『毎日新聞』の2016年7月25日の社説には「リニア新幹線 公費の投入は話が違う」と題して、「そもそもリニア計画は、JR東海の<全額自己負担>を前提に国が認可したものだ。民間企業だからこそ、JR東海は政治の介入を極力回避し、開業時期やルートなどを自分で決めることができた。…… 公的資金による国家プロジェクトの位置づけであったら、JR東海単独の事業として認められただろうか。建設が始まった今になって、やはり国が資金支援、というのは明らかに約束違反だ」とあります。しかし現実には単なる「約束違反」を越えた「不正」ではないでしょうか。
 そしてそのような理不尽がまかり通っている背景には、安倍政権の存在が考えられます。この『日経ビジネス』の記事のこの問題を扱ったPt.2の見出しは
安倍 「お友だち融資」 3兆円  第3の森加計問題
森友学園、加計学園の比ではない3兆円融資。
その破格の融資スキームが発表される前、
安倍と葛西は頻繁に会合を重ねていた。(強調ママ)
とあります。実際この記事によると、1994年以来2018年までの葛西の首相との面会は、安倍以外の10人の首相とでは計16回、年平均1.3回、それにたいして、安倍首相とは、第1次安倍内閣で7回、2018年までの第2次安倍内閣で45回、年平均で7.5回ととびぬけています。葛西と安倍の関係は、行政府の長と地域独占企業のトップとの関係をはるかに越える緊密なものになっています。そして安倍がJR東海のリニア計画への財政支援を表明した2016年6月1日までの半年間、つまり前年末から5月27日まで葛西と安倍は実に6回会談し、とくに直前の5月27日には葛西は名古屋駅で安倍を迎え、安倍はJR東海本社ビルのある名古屋JRセントラルタワーズにあるホテルに宿泊しています。
 この件にかんして、私は前回「リニア計画を引っ張ってきたJR東海の葛西敬之名誉会長は、安倍晋三首相と非常に距離が近い人物だ。二人の関係があったので優遇されたと見られても仕方がない」という橋山禮冶郎の談話を引きましたが、「…… と見られても仕方がない」というよりは「…… と見ざるをえない」と言うべきではないでしょうか。『日経ビジネス』には「これほど破格の3兆円融資は、官や民の判断能力をはるかに超えている。しかも返済されなければ、公的処理をせざるを得ない。大きな政治判断なくして実行できない」とありますが、きちんとした議論も審査もなく、まさに安倍晋三の「政治判断」でなされたとしか考えようがありません。

脱線:観光公害と奈良の鹿
 福島の原発事故を経験した現在、あの事故から顧みるならば、電力を過大に必要とする運輸システムとしてのリニア新幹線は、真っ先に見直しを必要とするプロジェクトなのです。既存の慣れ親しんだ運輸や生産のシステムでさえ、消費電力削減の要求に合致しないものの淘汰が図られているなかで、電力消費においてこれまでのものを何倍か超えるような新しい運輸システムを作り出すような余裕はもはやありえないはずです。そこまでして速く移動しなければならないような社会を作るべきではないと言うことができます。
 そして更にコロナ禍を知った今、鉄道について、より多くの人を、より速く、より遠くに運搬することを第一義とする考え方、そしてその結果として一極集中をより促進するような運輸システムにたいして同様に根本的な見直しが求められているのです。疫病は人間の活動範囲が拡大し自然の自立的な営みが侵されたときの自然からの逆襲ですが、それがパンデミックとして今回、とくに西欧や米国のような技術的先進国で急激に拡大したのは、都市に人口が集中していることに加えて、運輸・交通システムの量的拡大と高速化により国内の多くの都市が広域にわたって結び付けられ、以前には考えられなかったような多くの人の迅速な移動が生まれたことの結果でしょう。
 そのことが、例えば北陸新幹線が開通し県外や国外からのアクセスが大幅に改善された金沢でオーバーツーリズム(観光公害)の弊害とともにコロナの被害をいち早くもたらしたことは、前回述べました。丁度よい機会ですから、この観光公害について、若干、脱線的な感想を語りたいと思います。
 大分前の新聞で、京都における観光公害の記事に、嵐山の観光名所、竹林の小径に外国からの観光客がひしめいている写真が出ていました。こうなると風情も何もあったものではありません。たとえば西芳寺(苔寺)のような京都郊外の寺院は、閑散としてこその風情であり、人々が列をなしていては、その魅力は激減でしょう。拝観料が増えることは確かですが、庭園の植生も痛むだろうし、それがお寺にとって本当によいことなのでしょうか。
 ところで東京の営団地下鉄(メトロ)丸ノ内線・霞ヶ関駅のホームに、何年も前から京都とならぶ観光県・奈良そして忍者の里を擁する三重のリニア新幹線誘致広告が出ています。おそらく、新幹線径路から外れているその二県が観光ブームから取り残されているという思いがあるのでしょう。
 実際には、新幹線の駅がなくとも外国からの観光客が大勢訪れている処は多くあります。数年前、北海道の増毛に行ったときに、中国からの観光客が多いので驚きました。のちに廃線が伝えられている留萌線の終点という、率直に言って不便な所ですが、そこがかつて高倉健の映画のロケに使われたというだけの理由で、中国の人たちが押しかけていたのです。正直、驚きました。観光客をひきつける条件は、その土地固有のなにかであり、交通の便の良さだけではないのです。
 その点で、以前に私は、京都と奈良を訪れた西欧からの観光客から、感心し感激したのは京都ではなく奈良だと聞いたことがあります。つまり京都も奈良もともに多くのビルが建ちならび舗装道路に車が走っている近代都市であって、市内や郊外に古い神社仏閣が点在する所もかわりはなく、その程度のことであればアジアの都市には珍しくはない、しかし奈良には、その近代的な市内で人とならんで数多くの鹿が自由に散策している、それには驚き感心したというわけです。実際、鹿は野生生物であり、野生生物は臆病で人前に出てこないのが普通です。北極圏のトナカイは別にして、鹿を家畜にした例を聞きません。その野生生物の鹿が近代都市の内部で人を恐れもせずにのどかに草を食み歩んでいるのは、たしかに言われてみれば驚くべきことです。
 私のように関西に生まれ育った人間は、大抵は小中学校の遠足で一度は奈良にいったことがあり、そのため奈良の市内に鹿がいることを当たり前のように思っていて、外国人から指摘されてはじめて、そのことが大変珍しいことだと気付くようなところがあります。
 春日大社の使いという伝説は別にしても、平城京以来千年を大きく超える年月をかけて、人と鹿が共存する特異な空間が形成されたのです。こうして天然記念物としての「奈良の鹿」が誕生しました。その事実はたしかに他の何ものにも代えがたい観光資源と言えるでしょう。しかしそれはきわめてデリケートなバランスのうえに成り立っているのであり、観光公害と言われるまでの多くの観光客が殺到したとき、そのバランスが崩れる可能性は決して小さくはありません。そして、そのデリケートなバランスは、ひとたび崩れればもはや回復は叶わないでしょう。
その意味では、奈良がこれまで新幹線径路から外れていて、観光ブームに一歩とり残されていたことが実は幸運であったのかもしれません。現実には奈良はJR京都駅から近鉄線に乗り換えればすぐに行けるので、アクセスの問題にかんしてそれほど京都と差があるとは思えませんが、逆に言えば、いささかなりとも差があったために、かろうじて観光公害を免れてきたのかもしれません。
 なにがなんでもリニア中央新幹線を招致して地域を活性させたいという発想は、前回も語ったように、見直すべき時期が来ているのです。

ポスト・フクシマ、ポスト・コロナ
 さて、私が前回の原稿「コロナに思う その2」を10.8山﨑博昭プロジェクトのホーム・ページに掲載してもらうためにプロジェクト事務局に送ったのは7月14日でした。
その翌日、7月15日の『毎日新聞』夕刊には、法政大学学長・田中優子とコラムニスト・中森明夫のエッセーが掲載されていたのですが、いずれもコロナとの関連で東京一極集中の危険性を指摘するものです。田中は「都内の新型コロナウイルスの感染がなかなか終息しない一因は人口の首都圏集中であろう」と語り、そして普段はもっと柔らかいテーマを取り上げる中森のエッセーも、めずらしく社会的な問題を正面から捉え、熱く語っています。今回だけはストレートに言わなければという中森の思いが伝わってきます:
 新型コロナウイルスによる感染者数は東京都が突出して多い。…… 東京は異常なのだ。1400万人もが住み、15兆円の予算はスウェーデンにも匹敵する。日本の首都であり、国会議事堂があり、皇居があって、大手企業の本社や、テレビ局や新聞社のマスメディアが密集している。一極に集中した国家中枢の異様な肥大化ぶりはあまりにも危うい。(中森明夫「ニッポンへの発言」)
 誰が見てもコロナの教訓は、一極集中の危険性を明らかにしたことにあります。そして、その一極集中を生み出した大きな原因のひとつが、前回見たように、新幹線だったのです。のみならずリニア中央新幹線は、その一極集中をさらに推し進めることになるであろうと予想されているのです。このことは、前回の私のリニア批判でもっとも言いたかったことのひとつなのですが、しかし一般にはあまり知られていないことのようです。
 実際たとえば、1987年にJR東海の社長に就任した須田寛の1988年の書『東海道新幹線』には、東京‐大阪を1時間強で結ぶリニア新幹線は「首都機能の分散や、国土の均衡ある発展に大いに寄与するものと考えられる」(p.268)とあります。しかし現実には真逆の効果をもたらすと考えられています。実際にも従来の東海道新幹線は、「分散」どころか「集中」をもたらしたのです。
 そしてまた大阪維新の会は、一方では東京都に対抗する形で「大阪都」を主張しているのですが、同時にリニア中央新幹線の早期大阪開通を掲げています。しかし「大阪都」構想が東京一極集中にたいするアンチテーゼであると言うのであれば、それはリニア中央新幹線プロジェクトと矛盾しています。大阪維新の会もまた、リニア新幹線が東京一極集中を加速させるものであるという事実を理解していないのです。
 かつて江戸を唯一の焦点とする参勤交代のための東海道・中山道・甲州街道等の基幹道路(五街道)が徳川幕藩体制を支えていました。維新後、それにかわる国鉄建設が明治統一国家の骨格を形成しました。それにたいして戦後昭和の東海道新幹線はあらためて東京への一極集中を加速させたのです。そして現在計画されているリニア中央新幹線の「東京・名古屋・大阪6000万人メガロポリス」のスローガンは、日本における一極集中の極限的表現なのです。
 この点について、7月21日の『毎日新聞』の広井良典のインタビューはたいへん興味深いものです。
 公共政策と科学哲学の専門家である広井が財政学や社会心理学、医療経済学の専門家とともにAI(人工知能)を駆使して「2050年、日本は持続可能か」とのテーマで日本の将来をシミュレーションした結果が語られています。すなわち「日本の未来が都市集中型と地方分散型に二分され、後戻りのできない分岐点が25~27年ごろにやってくることが判明した」、そして現状のままの都市集中型を貫いた場合、財政は持ち直しても出生率の低下と格差の拡大はさらに進行し、個人の健康寿命や幸福感は低下する、他方、地方分散型に転じた場合は、34~37年頃までに、地域のエネルギー自給率や雇用、地方税収に力を注げば、人口、財政、環境資源、雇用、格差、健康、幸福等の観点がバランスよく持続可能になると判断されたとあり、広井はさらに語っています:
 当初は社会保障のあり方などが主要な論点になるだろうと考えていましたが、ふたを開けてみると「集中か分散か」という論点が日本の持続可能性を決める本質であることがわかりました。…… 新型コロナは主に東京などの大都市で広がり、都市集中型社会のさまざまな課題を一気に噴出させましたが、それらの解決が求められるコロナ後の社会とAIが示した持続可能な未来があまりにも一致していることに驚きました。
 この点について、かつて「原発震災」という概念を提起して福島の事故を予測した地震学者・石橋克彦は、今年7月2日の『静岡新聞』で、まったく同様に「新型コロナウイルスの大流行により、世界中で社会経済様式が大きく変わろうとしている。経済成長を至上として効率・集積・大規模化が追求されてきたが、それが感染症拡大を激化させたから、ゆとり・分散・小規模が重視されつつある。…… 今後は、東京一極集中や大都市圏の過密と地方の過疎を解消し、エネルギーや食料を域内で自給できる分散型社会を目指すべきだろう」と語っています。ここでも「集中と分散」がキーワードです。
 広井のインタビューに戻りますと、欧米の技術先進国アメリカとイギリスとドイツでのコロナ被害を比較した場合、ドイツでは被害が比較的少なかったことが見て取れるのですが、これは、米英社会がニューヨークやロンドンの一極集中であるのとちがって、「ベルリンなどの大都市もありますが、国全体に中小都市が幅広く分散しているのがドイツの特徴です。……ドイツの被害が相対的に抑えられているのは、医療システムが整備されていることなどに加え、国全体が3密の起きにくい多重構造になっていることも見逃せないと思います」と続けられています。なんだかはまりすぎの感じもしますが、興味深い指摘です。
 広井良典の『ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来』(岩波新書, 2015)も興味深い書物で、『毎日新聞』のこのインタビューと併せて読まれるべきものでしょう。広井はこの書で、『ゾウの時間 ネズミの時間』の書で知られる生物学者・本川達雄の所説を次のように紹介しています:
「ビジネスbusiness」とは文字通り“busy+ness(=忙しいこと)”が原義であるが、その本質は「エネルギーを大量に使って文字通り時間を短縮すること(=スピードを上げること)」と言い換えることができる。たとえば東京から博多への出張に列車ではなく飛行機で行くと、それはエネルギーをより多く使う分、それだけ速い時間で目的地に到達することができるわけで、つまりそれは「エネルギー → 時間」という変換がなされたことになる。
その調子で人間はスピードを無際限に速めてきており、現代人の時間の流れは縄文人の40倍ものスピードになっている(同時に縄文人の40倍のエネルギーを消費している)。しかしそうした時間の速さに現代人は身体的にもついていけなくなりつつあり、「時間環境問題」の解決こそが人間にとっての課題である、というのが本川の主張である。(p.142)
 私自身がリニア問題にこだわってきた理由を旨く説明してもらったような気がします。
 リーマン・ショックによって世界の金融に危機がもたらされた後のフクシマの原発事故は、重化学工業を中心とする大量生産・大量消費・大量廃棄に支えられた高度成長経済、そしてその条件が失われたのちの新自由主義経済における資本のグル―バルな展開と格差の拡大といった、これまで昭和戦後期から平成にいたる過程の根底的な見直しを促していたのです。そしてコロナは、大都市に資本と人口が集中し、社会的格差の拡大のなかで追い詰められた人々がゆとりをなくして働かされていることのもつ危険性をあぶり出しました。そのことは、根本的には生活と労働の見直しを促しているのです。
 上に見た広井の書の書名に「ポスト資本主義」という言葉が見られます。経済学者・水野和夫の書『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書、2014)には「もう資本主義というシステムは老朽化して、賞味期間が切れかかっています」とあります(p.131)。リーマン・ショックとフクシマの事故とコロナ禍がだめ押ししたことになります。それゆえ「ポスト・フクシマ」や「ポスト・コロナ」を語ることは、つきつめれば「ポスト資本主義」を語ることになるのでしょう。
 私自身について言えは、とてもそこまでのグランド・デザインを描くだけの能力も知識もありませんが、すくなくとも、これまでの社会システムやプロジェクトのひとつひとつにたいして、ポスト・フクシマ、ポスト・コロナの観点から見て、見直されるべきもの、否定されるべきものの指摘くらいならできるかと思っています。
その典型的な例がリニア新幹線なのです。
 石橋克彦は先述の『静岡新聞』のエッセーで「時代錯誤のリニア再考を」と訴えています。ポスト・フクシマの観点からは、過大なエネルギーを消費し原発の再稼働と新設を必要とするリニア新幹線プロジェクトは真っ先に見直されるべきものでありますが、ポスト・コロナの観点からもまた、リニアが一極集中をさらに助長しかねないものとして、真っ先に見直されるべきものであります。したがってリニア新幹線プロジェクトはその2重の意味で端的に「時代錯誤」として放棄されるべきものと言えるでしょう。
2020年9月
(やまもと・よしたか)


【お知らせ その1】

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「続・全共闘白書を読み解く」今秋刊行!
全共闘運動から半世紀の節目の昨年末、往時の運動体験者450人超のアンケートを掲載した『続全共闘白書』を刊行したところ、数多くのメディアで紹介されて増刷にもなり、所期の目的である「全共闘世代の社会的遺言」を残すことができました。
しかし、それだけは全共闘運動経験者による一方的な発言・発信でしかありません。次世代との対話・交歓があってこそ、本書の社会的役割が果たせるものと考えております。
そこで、本書に対して、世代を超えた様々な分野の方からご意見やコメントをいただいて『続全共闘白書を読み解く』を刊行することになりました。
「続・全共闘白書」とともに、是非お読みください。

執筆者
<上・同世代>山本義隆、秋田明大、菅直人、落合恵子、平野悠、木村三浩、重信房子、小西隆裕、三好春樹、住沢博紀、筆坂秀世
<下世代>大谷行雄、白井聡、有田芳生、香山リカ、田原牧、佐藤優、外山恒一、小林哲夫、田中駿介 他
<研究者>小杉亮子、松井隆志、チェルシー、劉燕子、那波泰輔、近藤伸郎 他
<書評>高成田亨、三上治

11月末刊行予定
定価1,800円(税別)
情況出版刊

(問い合わせ先)

『続・全共闘白書』編纂実行委員会(担当・前田和男)
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス zenkyoutou@gmail.com  


1968-69全国学園闘争アーカイブス】
「続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。

http://zenkyoutou.com/yajiuma.html


【学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録】
続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
知られざる闘争の記録です。

http://zenkyoutou.com/gakuen.html


【お知らせ その2】
ブログは隔週で更新しています。
次回は10月16日(金)に更新予定です。

「1960年代と私」は、重信房子さんが大学(明治大学)時代を回想した自伝的文章である。この「1960年代と私」は三部構成となっており、第一部は明大入学の1965年から1966・67年の明大学費闘争まで、第二部は1967年から1969年にかけての砂川闘争、10・8羽田闘争、神田カルチェラタン闘争など、第三部は「赤軍派時代」として1969年の赤軍派結成から赤軍派崩壊、そして連合赤軍への道が描かれている。
「1960年代と私」の第一部は、既に私のブログで公開しており、2017年5月に公開を終えている。
現在、第一部に続き第二部を公開中であるが、第二部も文字量が多いので、9回程度に分けて公開する予定である。今回は、第二部第二章(6)と(7)である。

【1960年代と私  第2部 高揚する学生運動の中で】
第2章 国際連帯する学生運動
1.高揚する街頭行動と全学連 (2019.9.13掲載)
2.三里塚闘争への参加 (2020.1.24掲載)
3.68年 高揚の中の現思研 ((2020.1.24掲載)
4.御茶ノ水・神田カルチェラタン闘争へ(2020.4.17掲載)
5.三派全学連の分裂(2020.4.17掲載)
6.ブントの国際反戦集会(今回掲載)
7.全国全共闘の波(今回掲載)
8.現思研の仲間 遠山美枝子さんのこと
9.現思研・社学同とML派の対立
10.69年 東大闘争
11.新しい経験と4・28闘争

第2章 国際連帯する学生運動
6.ブントの国際反戦集会 - 1968年8月3日
 当時の私に「新しい変革の時代」を知覚させたのは、67年の「10・8闘争」であり、生涯を教育の場で社会活動を続けていくことを考えさせました。そして、また、そうした考えに、より明確に世界、国際的な闘いの必然性を自覚させたのは、68年の8月3日に行われた「国際反戦集会」です。
 世界各地で闘っている仲間が集い、語り合い、世界の一翼として私たちの闘いがあるのだと、海外参加者らと共にインターナショナルを歌いながら強く刻まれ、感動したのです。この「8・3国際反戦集会」は、三派全学連の分裂を早くから予測していたであろうブント指導部によって、情勢を切り拓く大切な節目だったに違いありません。
 68年の春ころ、専修大学の前沢さんから「今度、我々ブントの力で、時代のオピニオンリーダーたる一般誌を出すので、協力してくれないか」と、突然誘われました。5月頃にも「フランスのカルチェラタンの闘いに示されるように、学生・労働者は政治闘争ばかりではなく、いまでは、文化・芸術含め、変革のための総合誌が問われている。8月の国際反戦集会の前には、その創刊号を出すつもりで準備している。君は、文芸サークルで編集長もやっていたので、よっちゃん(松本礼二ブント前議長)と話して、君に加わってもらいたいと思ってさ。考えといてくれないか」と言われました。確か、学館の現思研の部屋に訪ねてきたのです。その本のタイトルが、すでに『情況』と決まっていたのかどうかは思い出せません。「無理です。ちょうど卒論執筆を計画しているところだし、文学雑誌と、ブントのイニシアチブの本では、まるっきり違うし、関わりたくても無理です」と即答しました。松本さんとも会い、誘われましたが、左翼雑誌の編集には興味が湧きませんでした。そのころ京大のブントの小俣さん中心に、明大ですでに8・3集会のための様々な準備が始まっていました。

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68年、「8・3国際反戦集会」は、中央大学の講堂で行われました。この国際会議は、「国際反戦会議日本実行委員会」として6団体(共産主義者同盟、社会主義労働者同盟、社会主義労働者同盟ML派、社会主義青年同盟解放派、社会主義青年同盟国際主義派、第四インター日本支部)このうちのML派や解放派は、7月に小競り合いの末、ブントの反帝全学連が結成されていたので、その後のいきさつを詳しくはわかりませんが、共同していました。日本実行委員会は機能し、東京の「8・3集会」ばかりか、他のいくつかの都市でも行っています。
 8月4日には、国際反戦関西集会も共産同関西地方委員会、日本共産党解放戦線(上田等さんら)、社青同国際主義派、第四インター、解放派、ML派、毛沢東思想学院など、広い共同行動の中で大阪厚生年金会館に約1,000名を集めて開催されています。また、海外からの参加者らは、ヒロシマ8・6の原水禁集会や、ベ平連の京都ティーチイン集会にも参加しています。
 来日したのは、まずSWP(米国の社会主義労働者党)委員長のブレッド・ハルテットさん。彼は7月28日羽田空港に到着した折、日本の通関当局より「原水禁、べ平連への参加はかまわないが、8月国際反戦集会への参加は認められない。参加の場合には、強制退去を命ずる」と、入国時にその条件付の書類に署名させられました。この事実は、8・3国際反戦集会の中大講堂の席上、ハルデットさん自身が暴露し、抗議しました。それほど、三派系のラジカルな闘いと、米国のラジカルな運動の接触に、公安関係者は神経質になって、妨害を企てたのです。他の参加団体は、米国からはSNCC(米国・学生非暴力調整委員会)、前委員長のカーマイケルは、当時日本でもよく知られていました。ブラック・パンサー党、当時黒人の間に絶大な人気があり、黒人の権利を闘いによってかちとっていた団体です。OLAS(ラテン米人民連帯機構)、この組織は、67年7月にキューバを中心に創設され、チェ・ゲバラが当初名誉総裁で、ハバナに本部があります。SDS(米国・民主社会学生同盟)、SNCCが黒人中心の組織なのに対し、SDSは白人組織で、反戦反徴兵、ベトナム反戦闘争を中心に学生パワーを発揮し、カリフォルニア・バークレー校が拠点で、本部は、シカゴのイリノイ大学といわれていました。以上は米国からの参加団体です。仏からはJCR(仏・革命的共産主義青年同盟)、1966年4月に創設されています。JCRは50年代のアルジェリア解放闘争支援、キューバ革命支援を行い、65年大統領選時に、仏共産党の共産主義学生同盟を除名されたメンバーの他、トロッキストのメンバーを含む組織で、5月パリ革命の先頭で闘った組織です。その結果、ドゴール政権によって非合法化されたため、ブリュッセルに本部を置き、地下活動を続けていると、この会場で代表の女性が発言していました。
 ドイツからはSDS(西独・社会主義学生同盟)、西ドイツの社会民主党の学生組織ですが、ドイツ社民の大連立に反対し、中央に従わず、ベルリンで1万5千人のベトナム反戦集会を開いたといいます。北大西洋条約機構(NATO)の粉砕を訴えています。理論的には、マルクーゼ、ローザルクセンブルグ、ルカーチの影響が強いといわれていて、委員長のドチュケは銃撃被害に遭っています。

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 以上のような海外からの参加団体を加え、実行委団体や学生、市民参加のもと、8月3日、東京集会が開催されました。この東京集会は、中央大学講堂で2時10分に開会宣言され、日本実行委員会委員長松本礼二さんが開会の挨拶と経過報告を行いました。その後、海外からの参加団体の紹介があり、この時、SWPの代表のハルテットさんから、すでに述べた国外追放の制約を受けながら参加したことが語られると、拍手は講堂を揺るがすほどでした。

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その後、仏代表の女性が、パリ5月革命がいかに闘われてきたか、今も非合法化でいかに闘っているか、5月に労働者の一千万人ゼネストがいかに行われたか語ったのが、私には強い印象として目に焼き付いています。同世代のふっくらとした体型の女性が、舌鋒鋭く、ゼスチャーも交えて語る時、通訳がもどかしいくらい共感しつつ、他の誰よりも印象深かったのです。集会には、日本の闘う団体も招かれていて、戸村一作三里塚反対同盟委員長が、連帯をこめて演説したのを覚えています。また、ML派の畠山さん、解放派の大口さん、ブント議長の佐伯さん(佐野茂樹)ら、6団体トップの人々が、それぞれ自分たちの政策を表明していました。


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その後、SNCC、SDS、SWP、JCRなどが参加し、「NATO・日米安保粉砕共同闘争」を呼びかけ、全国各地で反戦集会を行っています。そして、国際連帯の絆を、新しいインターナショナルの形成として呼びかけました。
この時のブントの呼びかけた「8・3集会論文」は、プロレタリア国際主義を掲げるブントの新しい旗印となりました。「8・3論文」と呼ばれるもので、「世界プロレタリア統一戦線・世界赤軍・世界党建設の第一歩をー8・3国際反帝反戦集会への我々の主張」というタイトルの論文です。第一章は「現代過渡期世界と世界革命の展望」というもので、これを塩見孝也さん、のちの赤軍派議長が執筆しました。第二章は「70年安保・NATO粉砕の戦略的意義」で、のちにブント議長となる仏(さらぎ)徳二さんが執筆し、第三章は「8月国際反戦集会と世界党建設への道」で、旭凡太郎(のちの共産同神奈川左派)によって執筆されました。これは、8月5日の機関紙「戦旗」に発表され、この8・3論文を、2つのスローガンにまとめました。


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「帝国主義の侵略・反革命と対決し、国際階級危機を世界革命へ!」「プロレタリア国際主義のもと、全世界人民の実力武装闘争で70年安保・NATOを粉砕せよ」と。
8・3国際反戦集会に結集した組織と共に、新しいインターナショナルの潮流形成をブントは目指していました。そして、第一に69年には、NATO・70年安保粉砕を共に闘う。第二に、日米安保・沖縄・ベトナム闘争を、環太平洋諸国の武装闘争・ストライキ・デモで闘う。第三に佐藤訪米を、羽田・ワシントンで共同して阻止する。第四に、来る10・8、また10・21を国際共同行動で闘う。第五に、国際共産主義インターナショナルへ向けて、協議機関設立の準備、国際学連の再建を目指す、とする方針を主張しました。
国際社会に触れ、国際的に各地で闘う主体と直接に出会い、この出会いに国際主義のロマンを抱いたのは、私ばかりではなかったでしょう。ブントの指導部から一般メンバーまで、ブントのプロレタリア国際主義が、世界の闘争主体とスクラムを組んで闘っていくという、誇りの実感を強くしたのです。

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最後に各国語で一つの歌,インターナショナルを歌いながら、感激した私は胸にこみあげるものがありました。この8・3集会のために、現思研の仲間たちもいろいろな実務を手伝ってきました。英文タイピストのSさんは、集会まで徹夜の作業を続けたりしまた。
現思研の仲間たちが、私も含めて、ブント・社学同に対して、自覚や愛着を持ったのは、この集会の影響が強かったと思います。
国際反戦集会は、分裂して生まれたばかりの反帝全学連にとっても有利に作用していました。国際的な各国闘争主体との出会いは、日本を代表して、ブントらが実践的に国際主義を実体化する条件をつくりました。この国際反戦会議の決定として、新しいインターナショナル創設の協議機関設立や、来年69年8月の再会を約し、闘いの連帯の継続の方法も語り合いました。
しかし、ブント自身は激動の68年の中で、69年内部論争を先鋭化させ、この晴れやかな国際反戦集会を境にして、矛盾と分岐を拡大させてしまうのです。1年後の69年に米国からのSNCC.ブラックパンサーの訪日に彼らの受け入れの矛盾は哀しい現実となるのですが、それは、「7・6事件」の後だったからです。

7.全国全共闘の波
全国に、全共闘運動、学園闘争の波が広がっていったのは、いくつもの要因がありました。
第一に、日本の資本主義の戦後の成長政策によって、経済的、社会的に歪みが出来、再編成が問われていた事です。インフレや企業の海外進出など、これまでと違った社会、経済的必要が、教育の場に立ち現れていました。大学は産業に見合った教育を求められ、マスプロ教育に向かいました。大学は学究よりも経営論理を優先し、60年代は学費値上げ、学生会館や寮の管理の強化、カリキュラムの改編などが行われるようになると、大学における「学問の自由」「自治」の侵害、教育の危機に敏感に反応した学生、教職員の中から、それに反対する意志と行動が育ちました。
第二は、こうした変化の時代の中で、各大学において民主的手続きに則って、学生大会でストライキ権を確立して、自治し自衛する学費値上げ反対や学生会館の管理運営権を巡って戦ってきました。しかし、多くの大学で、大学当局による機動隊導入などの強権的やり方もあって、それに抗議しながら運動は、ラディカルに成らざるを得ない環境がありました。
戦後民主主義の中で、「全員加盟」による形式的民主主義の自治会を「ポツダム民主主義」として質的に否定しつつ、より主体的な参加方法であり、直接民主主義の原初的な意志表示として、自治会と相対的別個の闘争機関の設置が求められるようになりました。いわゆる「全共闘方式」です。この闘い方は、再建された65年12月の全学連大会でも闘争機関を設置して闘うことを方針化し、早大、明大の「学費闘争」でも闘われています。
第三には、国際的な反戦運動の広がりと高揚の中で、日本でも戦い方に変化が生まれた事です。その戦いの変化の一つは、67年10・8羽田闘争によって飛躍した街頭行動の実力闘争化、ラディカル化であり、これは党派間の競合もあって、先鋭化して行きました。もう一つの戦い方の変化は、ベ平連運動に示されました。これは、作家の小田実ら当時の人々の唱えた戦い方で「我々」では無く「私」から出発し、自分たちの自主的な参加で自分たちのやり方で好きにベトナム反戦と平和を訴えたスタイルです。フォークソングや文化・芸術的な広がりも、ラディカルな学生たちと連動しつつ意志表示されて行きました。
学内の問題を解決するために、各大学で闘争機関(共闘会議や闘争委員会)が設置されて行きます。大学、高校で自発的に戦う学生は、党派やベ平連運動を踏まえつつラディカルでかつ自発的な学内の課題を戦い抜く活動スタイルを全共闘運動として作り上げて行きました。それは、瞬く間に全国の学園闘争のスタイルとなって、68年から69年、もっとも高揚して戦われました。
68年の東京大学での処分撤回闘争、日本大学での巨額の使途不明金への糾弾など、とくに全国に、「全共闘方式」の戦いが広がって行きます。
大学で少数派グループであっても、自治会の多数決原理による「ポツダム自治会」の代行主義を脱した戦いが生まれて行きました。
これらを「全共闘運動」と総称して呼ぶようになります。直接民主主義にもっとも近い形で、自発的な戦いの場として積極的に位置づけられたのです。学生の大衆運動を集約する闘争委員会の主張が大学当局によって不当に弾圧される分、学生の支持は広がり続けます。
68年5月27日に結成された日本大学全共闘は、大衆団交を掲げてストライキ戦を戦い、東京大学では、医学部全闘委、医学連による6月15日から17日の安田講堂占拠に対し、大学当局は機動隊を17日導入して戦いを終わらせようとした事で、逆に全共闘運動が広がります。最高学府と言われる東京大学と、日本一のマンモス大学である保守の牙城日本大学の首都圏の戦いが、全国の全共闘と呼応して広がりました。

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9月4日から6日、日大全共闘は、経済学部校舎へのバリケード破壊・機動隊乱入と激しく戦っています。9月4日、強制執行で経済・法学・本部のバリケードが破壊され、132人が逮捕されると、2,000余名の学生が抗議集会を開き、ただちにバリケードを再構築しました。翌日には早朝機動隊が再度破壊しましたが、再度5,000名が抗議デモを開始し、7,000名で再びバリケード構築と、生産工学部もストに突入します。9月6日には法・経4度目の占拠・バリケード構築と激しい闘いが続きます。日大・東大を軸に全国の学園闘争は「闘争委員会」「共闘会議」等を結成して連帯しつつ、自分たちの学校の闘争課題も掲げて戦います。
9月30日には日大全共闘は、両国講堂で大衆団交を行う事を古田会頭ら大学当局に約束させました。当時の状況は、日大闘争ドキュメントの中で次のように記されています「『古田は大衆団交に出て来い』の声は、両国講堂を揺り動かし、全共闘の断固たる決意の前に、3時30分、古田会頭を始め理事、学部長20名が姿を見せた。全共闘は、抗議集会を続行し、度重なる弾圧と分断工作に抗議した。(中略)この日スト突入後百十三日目にして、古田理事会は、10万学生の前に姿を現し、自己批判し、自治権確立の諸政策を確約したが、それは日大闘争の新しい序幕であった」(『叛逆のバリケードー日大闘争の記録』三一書房1969年)
まさにその通りでした。両国講堂には4万人を超える学生が抗議に詰めかけていました。
官憲と一体となった日本大学は、一方で右翼・ヤクザ・暴力団を雇って、学生の抗議行動に対する破壊工作を行い、他方で法の悪用によって闘争指導部を非合法化し、運動潰しに乗り出して行きます。ことに、日本大学に関しては、時の佐藤首相までが10月1日に「日大の大衆団交は認められない。政治問題として対策を講ずる」と発言すると、翌10月2日、日大当局は「9月30日の確約破棄」を宣言しました。
最早、各個別の学園闘争は、政局として日本の政治情勢の反動化の分水嶺をなす事態を示したのです。この大学・政府一体の露骨な弾圧は、10月4日、日大全共闘秋田明大議長以下8名に逮捕状を出したのです。

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そして、11月8日になると日本大学の江古田に右翼「関東軍」が殴り込みをかけ、激しい死闘が続きました。日大芸闘委(日本大学芸術学部闘争委員会)は反撃し、6時間の激闘の末に、暴力団を撃退したのは、当時の学生運動の中で語り草となっていました。
佐藤政権の強権的な姿勢は、全国の大学当局を勢いづけましたが、日大のようなあそこまで、教育の場にヤクザや右翼暴力団を使った知性の欠片も無い暴力は、他にそう多く無かったように思います。
しかし、又戦いの攻防が激しくなると、日本共産党・民青系の勢力は「大学の正常化」を掲げ、当局と一体になって全共闘運動に対決しました。
この東大、日大闘争の激しい攻防の68年には、6月の神田御茶ノ水のカルチェラタン闘争以降、神田、御茶ノ水一帯に、度々解放広場の空間を出現させました。東京医科歯科大学も160日を超えるストライキを決行中であり、日大、東大、明治大学、中央大学、専修大学その他、御茶ノ水、神田の学生たちが闘争の度に「カルチェラタン闘争―解放区」を作り出しました。
全共闘運動が、報道などで全国に知られるようになると、都内、全国の高校でも高校全共闘の戦いが広がりました。そして、高校生が大学に見学応援に参加したり、大学生が高校生を助けたりしました。こうした高揚は又、各党派が更にラディカルに戦う方向へと影響を与えたと思います。
68年10.21の国際反戦デーは、各党派が自らの政治主張に則して実力デモの体制を取りました。

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中核派・ML派・第四インターなどは、新宿駅を占拠して大勢の群衆と共に、深夜まで機動隊と渡り合っていました。新宿の商店街では、駅周辺の敷石をアスファルトにして欲しいと陳情していたように、正方形の敷石を掘り起こして割り、投石の武器としていました。
同じ頃、社青同解放派は、国会突入を目指し、ブント・社学同は、防衛庁突入闘争を戦いました。
10.21国際反戦デーは、私たちと同輩の仲間たち、早稲田大学の花園紀男さんや中央大学の前田祐一さんらの指揮で、突撃隊として防衛庁に突入すると知らされました。この闘争で火炎瓶を投げるかどうか、前日まで検討され、結局使わないことにしました。代わりに、直径30センチ長さ10メートルの丸太棒20本を用意して突撃・突入を図ることになりました。
10.21の計画は、大学を出る所から規制されないよう三々五々、六本木の防衛庁の集合地点に集まり、そこでデモの先頭に丸太部隊を配置して、正門を打ち破って10.21闘争を戦うと意気込んでいました。新宿、国会、防衛庁と、戦いを分散して機動隊の力を分散させる戦術かと思ったのですが、そうでは無く、ブントによると中央権力闘争を位置づけるブント・社学同は防衛庁を選び、新宿闘争は、「自然発生性への拝跪」なのだと、中核派批判をぶっていました。

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前田さんによると、最精鋭部隊を率いて御茶ノ水聖橋口から正面突破で国電に乗って信濃町で下車、明治公園間から乃木坂を経て防衛庁前正門まで何事もなく到着。別ルートの部隊も着いて、一斉に正門鉄扉に丸太棒を担いで体当たり。庁内から高圧の放水と、攻防を1時間以上繰り返し、花園さんが正門をのりこえて庁内に入り、数人が続きました。そして、バリケードを築きインターナショナルを歌ったのですが、敵が押っ取り刀で駆けつけるには、時間が掛かったとの話でした。

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10.21当日には、私たち現思研も指示されたように、三々五々、六本木のどこかに向かう事にしました。旗を巻いて、九段方面から地下鉄に向かったのですが、振り返ると巻いた旗を持つ私たちの後に、明治大学の学生がぞろぞろ付いて来て、50人以上になってしまいました。現思研の仲間が付いて、小人数に分けて、六本木へと急ぎました。
メトロの六本木に近い出口は封鎖されていて、遠まわりして地上に出ました。「やってる、やってる」先頭の丸太部隊は、突入した後だろうか、私たちは、大通りを蹴散らされながら、何度も防衛庁へと接近を試みました。夕方には反戦労働者部隊も増え、青山通りで攻防をくり返しつつ、阻止線を突破出来ず、結局押し戻され、どこかの公園に集まりました。
「今ごろ新宿では大騒乱が始まるぞ、行こう」と、多くは戦い足らず、新宿へ回ると言います。私たちは、学生会館に戻る事にしましたが、その日の新宿は多くの野次馬的群衆も含めて大騒乱だったと、現思研の仲間も明け方歩いて帰って来ました。このように、当時の私たち学生運動の戦い方は、如何に攻撃目標に接近して戦果を上げるかという戦い方、いわば政治プロパガンダとしての実力闘争です。
8.3国際反戦集会で語った世界革命や日本革命を具体的にどうするか?議会を議会主義と一方的に否定し、全力を街頭戦に賭けるだけでいいのか?革命の実現についてブントの先輩たちに聞くと、ロシア革命やボルシェヴィキ綱領を語り、一国綱領の時では無いと言うけれど、現在の日本政府の法の支配による延命を反転させる戦いが街頭戦のみでいいのか?と疑問はいつもありました。
この頃、社会党員を父に持つ現思研の真面目な下級生の仲間が、社学同集会の後で「これって、人民のためになる戦いなのか?選挙に行く事もナンセンスなのかな」と私に問いかけて来ました。私はぐっと詰まってしまいました。
「『人民のため』なんて口幅ったくて言えない・・・『つもり』は世の中を良く変えたいと戦いの道へ入り、今もそれを出来る最善を尽くすしかない。だから選挙に行ったっていいのよ」と答えながら、どぎまぎしていました。
戦いと社会を結びきれていない、教師になって戦うまでは、こうした戦い方しかないのか・・・。教師になったらどうな風に戦えるのか?尊敬していた『教育原理』を教えてくれた三木教授が、「教師になったら文部省の方を向いて教えるな、組合の方を向いて教えるな。生徒の方を見て教えろ」と、事ある毎に学生に説いていたのを思い出したものです。
この68年10・21は1000人を超える逮捕者を出しました。山﨑博昭さんの虐殺から一周年の羽田闘争も200名弱が逮捕され、11月7日の沖縄闘争も500人弱の逮捕者が記録されています。
権力は、党派ばかりか日大、東大を始めとする大学闘争のノンセクトの指導者たちにも、逮捕状によって非合法化し、運動を破壊しようと企てていました。
68年11月22日は、全共闘運動が全国の学園闘争に希望のようにその存在を刻印した日です。10・21闘争の「新宿騒乱」に見られたように高揚した反戦政治街頭行動を背景に「東大・日大闘争勝利全国学生総決起集会」が、東大の安田講堂前で開かれたのです。

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当時、全国から党派をも含む2万人もの学生たちが集結しました。
正面に時計台の安田講堂、高く青い秋の空、色づいた銀杏の並木、そこはむんむんする程の熱気でした。各党派のカラフルなヘルメット、赤、白、青などです。それに後方から見ると、ヘルメット以外に真っ黒なヘルメットの無い頭と暗色のジャンバーやコートの上衣を着た壮観な学生たちの後姿の群れ。この日、弾圧の始まった日大闘争への支援と、11月1日ついに辞任した大河内東大総長に代わって加藤一郎総長代行就任によって東大闘争がこれから更に厳しい戦いに立ち向かうという決意を示す総決起集会でした。
10・21には、騒乱罪が適用され、既に日大全共闘議長に対する逮捕状も出ていました。
迫りくる権力の妥協を許さない弾圧を覚悟し、決戦を戦い抜く「造反有理」が宣言された日でもあります。既に占拠闘争を戦っていた東大も又決戦を迎えようとしていました。
秋田明大議長と共に、全共闘運動を牽引した東大全共闘の山本義隆代表は、後の69年9月5日の「全国全共闘連合結成大会」に向けた発言で全共闘について次のように述べています。
山本義隆代表自身は、この全国全共闘連合結成大会のために日比谷公園に入ろうとしていました。しかし、機動隊は公園の1ケ所を除いて封鎖し学生たちは機動隊の人垣の列の間をヘルメット脱がされて歩かされています。この日、明治大学全共闘の隊列の中にいて見破られ、山本代表は逮捕されてしまいました。そのため、当日は山本代表の代理が基調報告しました。

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「10・8以降の実力闘争の質は、東大―日大―教育大を先頭とする学園闘争に継承され、その限界も克服されて行く。ここに於いて、最も特筆すべきは『党派軍団』と『ポツダム自治会』の矛盾を大衆運動としての“全共闘運動”と言う形で止揚し、同時に大衆運動の次元で『帝国主義』大学の批判を通じて自己の社会的存在様式を全面的に対象化し得る契機を掴み取ったことである(中略)これまで闘争を進展せしめ得たのは、世論調査的多数派が普遍的意志を僭称する全員加盟制の形式民主主義に無前提的に捉われることのない〈闘争委員会―全共闘〉による闘争のヘゲモニーが体現されていったからに他ならない(中略)〈全共闘〉は、学園内において運動の党派的分断を克服し、大衆運動と討論を通じた党派闘争という正しい党派関係を復元し、同時に『自治会内左翼反対派』としての位置を離れ、左派の実体的ヘゲモニーを確立し、学生層の特殊階層的利害に拝跪することなく闘争を運動的にもイデオロギー的にも領導していった」と、全共闘運動を評価しています。
その考えは、当時高揚の68年を経た69年東大安田講堂攻防を超え、9月5日山本議長の逮捕状逮捕直前の評価であり、党派よりもより戦略的に現状を見ていたと言えます。私は、それを理解しつつも、当時批判され「ポツダム自治会」と揶揄された「民主主義」を大切にしたいと思ったものです。全学生に責任を負う、枷こそ大切にしたいし、大学の自治は自主管理を目指しつつも、枷を捨てては党派の介入など「暴走」してしまう危険もあると思ったためです。
私が明治大学で活動していた時代には、学費闘争のために66年12月1日の学生大会決議に則って作った闘争機関「全二部共闘会議」がありました。私たち反日共系はいわばポツダム自治会の学苑会の「主流派」を形成していたために、党派勢力が反対派的な位置から大衆運動的に自治会介入する必要はありませんでした。むしろ自治会と別個に学費値上げという中心課題の闘争機関を「全二部共闘会議」として持ち闘うことによって、自発的な闘争参加者が中心を担えたのです。同時に自治会活動に制約させずに闘うことができ、また、自治会自身を防衛する有効な方式であったといえます。
こうした全共闘運動は、しかし権力の非合法化策動と機動隊導入などの弾圧と戦いながら敗れざるを得ない力関係の中で、ラディカルに戦い抜かれました。ラディカルに戦えば戦う程、孤立を余儀なくされ、大学当局は厳しい退学を含む処分を科し、戦いのイニシアティブを取った者たちほど自己犠牲的に責任を突き付けられて行く時代になって行きます。

(続く)

【お知らせ その1】
「きみが死んだあとで」上映会のお知らせ

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長編ドキュメンタリー映画
きみが死んだあとで
2021年公開予定
製作・監督・編集 代島治彦
撮影 加藤孝信
音楽 大友良英
制作 スコブル工房
企画・製作 きみが死んだあとで製作委員会
日本/2021年/4K撮影/204分(予定)

2020年山﨑プロジェクト秋の東京集会
長編ドキュメンタリー映画「きみが死んだあとで」上映とトーク
◆日時:2020年10月4日(日)
 ◎午前の部=10:00開場/10:30開始(14:45終了)
 主催者あいさつ/「きみが死んだあとで(上)」上映/休憩/「同(下)」上映/トーク
 ◎午後の部=15:00開場/15:30開始(19:45終了)
 主催者あいさつ/「きみが死んだあとで(上)」上映/休憩/「同(下)」上映/トーク
※ 新型コロナウィルス感染防止のため、会場の定員(178席)を考慮し、同じプログラムを「午前の部」「午後の部」二回に分けて開催します。
◆会場:渋谷ユーロライブ
 http://eurolive.jp/access/
渋谷駅下車、Bunkamura前交差点左折
〒150-0044渋谷区円山町1-5KINOHAUS2F TEL:03-6675-5681
◆入場料金:1500円
◆参加申し込み:下記のフォームから〈午前の部〉〈午後の部〉を選んで、お申し込みください。
 
http://yamazakiproject.com/application

【お知らせ その2】
「続・全共闘白書」好評発売中!

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A5版720ページ
定価3,500円(税別)
情況出版刊

(問い合わせ先)

『続・全共闘白書』編纂実行委員会(担当・前田和男)
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス zenkyoutou@gmail.com  


【1968-69全国学園闘争アーカイブス】
「続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。

http://zenkyoutou.com/yajiuma.html


【学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録】
続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
知られざる闘争の記録です。



【お知らせ その3】
ブログは隔週で更新しています。
次回は10月2日(金)に更新予定です。

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