今回のブログは、昨年(2020年)12月に開催した明大土曜会での土屋源太郎さん(伊達判決を生かす会)のお話である。参加者からの質問を基に土屋さんが答える形で、砂川闘争の裁判や安保・沖縄問題などについて語っていただいた。
【明大土曜会】2020.12.5
司会「今回の明大土曜会は第60回になります。2011年2月に第1回の明大土曜会を開催し、その時も土屋源太郎さんを呼んでお話を聴きました。来年で10年目になりますが、60回目の記念の会ということで土屋さんに来ていただきました。
今回は講演ではなく、こちらから質問してそれに土屋さんが答えていただくという形式でやります。」
【土屋源太郎さんとのフリート-ク】
(注1:1957年7月、米軍立川基地拡張に反対するデモ隊の一部が柵を壊し基地内に侵入したとして日米安保条約に基づく特別措置法により逮捕・起訴された。東京地裁の伊達裁判長は、日米安保条約に基づく駐留米軍は憲法違反であり、デモ隊の行為は無罪であるという判決を出した。)
(注2:第1審判決に対し、控訴を経ずに最高裁判所に申し立てを行うこと。)
土屋「伊達判決が出て翌々日くらいに跳躍上告なので、何かあるとは思っていた。伊達判決が出たことによって、日米安保条約の交渉に相当影響していることは分かっていた。結局、弁護団も我々もそれ以上の追求はしなかった。そこには何かがあると思っていたが、それほど深く考えなかった。司法の独立という幻想を持っていた。」
Q「伊達判決が出たのが3月30日。当日の新聞夕刊記事に砂川闘争の伊達判決を報じた記事とともに、もう最高裁への飛躍上告の記事が出ている。かなり新聞社としてもこの問題についての蓄積があったのではないか。」
土屋「当時の砂川闘争については、新聞社もずっと取り上げていた。3月30日の判決当日だけでなく、何日もいろんな形で取り上げていた。それだけ反響があったということは、駐留米軍が違憲という判決は初めてだったから。それと砂川闘争というのは、千人からの負傷者を出した『流血の砂川』と言われるような闘争だということが、多くの人に知られていた。」
Q「60年安保改定を前に、伊達判決は喉に棘が突き刺さったようなものだったので、権力側としてはありとあらゆる手を使って伊達判決を撤回して、安保は合憲としたかった。それに対して土屋さんを含めて被告になっていた側の闘いは大きな弁護団を作ってやっていましたが、裁判そのものは盛り上がっていましたか?」
土屋「58年の初めころから安保改定交渉が始まる。安保改定の目玉は、日本が攻撃された時に駐留米軍がそれに対抗する行動を取るという条項を入れることだった。それまでは国内の騒乱があった時には駐留米軍が対応するという条項はあった。
57年から下交渉があって、58年から委員会で協議して59年春に改定安保条約を国会に提出する予定だった。その前の3月にこの判決が出て大慌てになった。それで日本側として早期に潰すという流れの中で、砂川裁判があった。59年の12月に最高裁で判決が出て、60年早々に安保条約改定に入っていく。全部アメリカ政府の中で、そのスケジュールが組まれていたということ。」
Q「統治行為論の判決は米軍が合憲だとか判断しない、裁判所として高度の政治的なことは判断しないとなる。一方、沖縄県の辺野古訴訟では政権に都合よいところは政治的に踏み込む判決を出している。この59年から60年の判決はどのように位置付けられるのか。」
土屋「この問題は非常に重要。伊達判決は、米軍駐留は日本の要請で基地提供の資金を日本が出している。そういう状況の中で指揮権・管理権が日本側にないとしても、仮に米軍が戦争に巻き込まれた場合、当然日本国も基地があることによって巻き込まれる。だから明らかにこれは日本における戦力と同じものである。だから憲法9条に違反するという趣旨。最高裁の判決は、米軍駐留については、日本は自衛をする権利はあるが、自衛をするだけの力がない。力がないから米軍に駐留を許している。さらに指揮権・管理権が日本にないから日本の軍隊ではないし戦力ではないので米軍駐留は認める。ただし、安保条約のような高度な政治性のあるものについては、司法が介入すべきでないという統治行為論。
ところが、今年、この統治行為論についの最高裁の調査官メモが発見された。調査官はいろいろな資料を集めたり、伊達判決の内容を解明する仕事をしていた。
その中で、驚くべきことは統治行為論については、15人の裁判官のうち6人か7人しか賛成しなかった。少数意見だった。むしろ多数は使うべきではないという判断だった。
その中で、驚くべきことは統治行為論については、15人の裁判官のうち6人か7人しか賛成しなかった。少数意見だった。むしろ多数は使うべきではないという判断だった。
ところが最終的に田中裁判長の判断で結果的に採用することになった。だから最高裁判決を読むとすごく矛盾している。安保条約に基づく駐留米軍があるにもかかわらず、安保条約に関する審議はしない。
安保交渉の背景があるので、伊達判決を早く破棄するのが最高裁の中心の課題だったと思う。結果として訳のわからない無理筋の判決を出した。ところが、この統治行為論があるために、いろんな所の裁判が統治行為論で出口で全部シャットアウトされている。非常にこれが問題。本来なら統治行為論について見直しをすべきだ。
この問題は非常に大きい問題なので、マスコミもなかなか取り上げない。朝日新聞くらいだ。これを今度の裁判で追及していこうと思っている。」
Q「米軍を巡る下級審の裁判では統治行為論が呪縛をもたらしている。去年4月に沖縄の安和桟橋に行った時に、普天間基地爆音訴訟の団長が那覇地裁での判決についてマイクを握り、『基地爆音という住民の切実な願いに司法は全く目を向けようとしない。この国にこういう司法判断がある。我々としては、みっともない裁判である』ということを言っている。」
土屋「爆音訴訟の問題に関連して話をすると、砂川裁判の最高裁判決で統治行為論が出ると同時に、そこで暗黙の判決の趣旨としては、安保条約に触れないということは、安保条約は日本の憲法の上位にあるということを実質的に認めた。そのために米軍駐留について日本の国内法を適用しないことが問題になっている。だから今、訴訟があった場合、爆音によって被害が出たものについては被害の補償をする。ただし夜間飛行の停止とかそういうものについては、日本の国内法を適用することはできないということで、自衛隊の夜間飛行は禁止する、米軍の夜間飛行は依然として停止もしなければ低空飛行も禁止はしない。その上で横田空域の管理は米軍がしている。それすらも止めにできないというのが実態としてある。それは全て砂川裁判の最高裁判決の統治行為論などがいろんな形で影響している。
そこにもってきて、今度の安保法制で安倍政権が砂川最高裁判決で集団的自衛権を認めるなんて馬鹿なことを言い出して(注3)、それもあるから我々は裁判にもっていった。今回の再審請求もそれがあるからぶつけた。イタリアでは国内法が適用されて、米軍が出動するにしてもイタリア側の許可がいる。日本とは全然違う。フィリピンでさえ基地を一時撤去させたからね。何も触れないでそのままずっと占領のような状態を維持しているのは日本だけ。安保条約は10年経過したら毎年変更協議ができることになっている。1回もやったことがないけれど。」
(注3:「砂川最高裁判決が集団的自衛権行使の根拠になりうる」という発言)
Q「11月に屋良朝博議員(沖縄3区・立憲)と勉強会をやって、普天間問題の見解を聞いた。屋良さんは、安保条約がどうこうではなく、普天間基地の返還はアメリカの事情で実現できる。その根拠は普天間の機能として一つは空中給油機の配備がある、これは岩国に移転している。二つ目はいざという時のアメリカから派遣される応援米軍の受け入れ。これは福岡と宮崎の自衛隊基地で受け入れの準備が進んでいる。三つ目はオスプレイの訓練の問題。これは佐賀と岩国で受け入れる可能性がある。日米安保を前提とした上で、県外移設を進めれば基地問題は解決する。そのことを実現するためには政権交代が必要という論理だった。
また小川和久(注4)は県内でうまく回せば普天間基地はすぐ返せるという主張をしている。キャンプハンセンにもともと飛行場あったので、その飛行場をもう1回作り直せばOKだということ。彼は一時自民党のブレーンをしていた。
このような発言は、安保条約の有り無しに関わらず、安保条約を認めた上でも出来るという考え方だが、そういう考えについてはどうか。」
(注4:軍事アナリスト)
土屋「その考えは非常に重要な問題。この間静岡で『沖縄を語る会』があり、オンラインで前泊さん(注5)を呼んだ。彼は非常にはっきりしている。彼は『辺野古移転問題は単に普天間基地の代替施設を作ることに対する反対ではない。基本的な本来の考え方は沖縄から基地をなくすという考え方。ところがオール沖縄にするためには、そこまで出すとまとまらない。しかし現実にはいろいろな矛盾が出てきた。玉城デニーになって、基本的には玉城さんも安保条約は賛成。だから基地をなくせという発想ではない。基地を辺野古に作ることは反対なので、そこに問題がある』と言っていた。だから問題はそこなんだよ。沖縄の中でも安保条約に反対だから辺野古の基地はダメということと、単に普天間基地を辺野古に移設して膨大な費用をかけることに反対するということがあり、共闘体制での内部がガタついていることも事実。
そこの難しさがあり、当初はあまり言わなかったが、『独立論』が出てきている。このまま日本で交渉させても、安保条約がある以上交渉は進まないだろう。そうではなくて沖縄は独立して直接アメリカと交渉することによって、安保条約を含めた全体的な交渉ができるということ。沖縄の中でもいろいろ出てきている。
玉城知事の親分は小沢一郎。その辺が微妙に働いているのも事実。
本来は、まとめて行くためには、安保の問題も大事だが、まず辺野古移設を止めるのを第一目標にする必要がある。」
(注5:前泊博盛・ジャーナリスト・沖縄国際大学大学院教授)
Q「南西諸島のミサイル配備問題については。」
土屋「自衛隊が今、配備を進めているが、玉城さんは反対していない。黙っている。地元では反対運動があるが、それには触れない。現実には相当作られてしまった。」。
Q「石垣島の反対運動の人に話を聞いたことがある。社民系と共産系、さらに本土から移住してきた人と土着の人が足の引っ張り合いをしている間にどんどん基地ができてしまっているという状況がある。宮古島もゴルフ場だったところが均されてフェンスができている。安保の問題を言わないで反基地だけを言うと、自衛隊基地ならいいのかという問題になってしまう。本来そうではないと思っているので、その辺をどう訴えていくのか。」
土屋「そういう意味でも、できればこちらから沖縄に行って交流すると同時に、現地の若い人たちと、こちらの若い人たちと交流をやって、どういう考え方を彼らが持っているか知る機会を持つ必要があるのではないか。」
Q「県民投票をやった元山さんと話したことがある。『沖縄の運動を沖縄の人だけでやってナショナリズムの話にしたら負けるだろう。だから普遍的な平和主義とかそういう問題で巻き込んでやった方がいい』という話をしたら、『それは違う。沖縄人によってやらなければいけない』という話をされていた。玉城さんの主張は『イデオロギーよりアイデンティティ』。最終的には平和主義とか、そういうイデオロギーでやっていかないと、結局日本国家とかアメリカ国家とか、そういう巨大なアイデンティティに勝てないんじゃないかと思っている。沖縄で運動をやっている若い世代の人は、沖縄人としての自覚みたいなところから運動に関わる人が多いような気がする。そこをどうすり合わせていけるのか分からない。」
Q「1950年代当時、砂川だけでなく全国で基地反対闘争が盛り上がっていた。その闘争との交流や影響はあったのか。」
土屋「内灘とか基地反対闘争があって、交流があった。その人たちも砂川に応援に来た。いろいろな交流があり、全国的な運動として広まった。というのは、50年代は日本の基地は8割が本土、2割が沖縄だった。60年代以降になってどんどん沖縄に移していく。それで7対3という逆転現象を起こしていく。
もう一つ今年になって分かったことがあった。それは砂川基地の拡張について我々は冷戦があって、近代兵器の大型のジェット機を飛ばすために滑走路の延長が必要だと考えていた。ところがそれにプラス、どういう問題があったかというと、52年に朝鮮戦争が終息を迎える。47年頃からベトナム民主共和国の独立運動に対しフランスが闘って戦争になっていた。米国はそれに対して資金的な援助はしていたが、フランスが敗けて押されてくる。それと朝鮮戦争の終結の目途が付いた。そこで米軍がベトナムに介入することを決める。それを決めることによって、米軍立川基地をベトナム攻撃のための基地として使いたい、そのための延長ということが背景にあったようだ。それから原爆を小型化して地雷にする。その原爆地雷を積み込んで行くという計画があったらしい。でも軍の内部で対立があって、結果的にそれはやらずに枯葉剤になった。それは今年の春、アメリカの資料で発見された。
今年はこの件と統治行為論の調査官メモが新しく発見された。歴史ってすごいね、これだけ経ってもそういうことが分かってくるんだから。」
Q「砂川事件国賠訴訟(注5)で国側はアメリカ政府公文書の存在についてどうのように主張しているのか。」
土屋「再審請求が却下になって国賠訴訟をすることになった。この裁判でひどいことは、国側は最初に何と言ったかというと『公文書の文章は不知』と言った。そればかりか、この文章はアメリカのマッカーサー大使が一部捏造したのではないか。また、通訳が入ったり、タイピストに打たせたりしているので、真意が伝わっていないと同時に大使の私見も入り込んだ形で文章を出しているのではないかということまで言い出している。それに対して我々は、公文書館に直接国側が文章を取り寄せろと主張した。裁判所は国に文章の調査を求めた。もし調査をしなければ、しないなりの理由を出せと言った。ところが国側からは『公文書について捏造したというようなことは今後触れない』という回答だけが来た。公文書がないとかではなく、触れませんという回答だけが来た。今度の裁判はこれが非常に大きな問題になる。
また皆さんに裁判への協力をお願いしたい。」
(注5:伊達判決の一審判決を覆す最高裁判決を出した当時の田中耕太郎最高裁長官が駐日米大使らに、審理進行中の裁判情報を漏洩・提供していたことは憲法37条が定めた「公平な裁判を受ける権利」を侵害するものだとして、砂川事件元被告人ら3人が、2019年3月に国を相手取り東京地裁に国家賠償請求訴訟を提起した。)
(沖縄意見広告 朝日新聞朝刊2021年6月6日:土屋さんは「沖縄意見広告運動」の共同代表です)
※フリートークの前半はこれで終了しました。
後半は明大の自治会と全学連の話になります。後半は今後ブログに掲載予定です。
(つづく)
【お知らせ その1】
『「全共闘」未完の総括ー450人のアンケートを読む』2021年1月19日刊行!
全共闘運動から半世紀の節目の昨年末、往時の運動体験者450人超のアンケートを掲載した『続全共闘白書』を刊行したところ、数多くのメディアで紹介されて増刷にもなり、所期の目的である「全共闘世代の社会的遺言」を残すことができました。
しかし、それだけは全共闘運動経験者による一方的な発言・発信でしかありません。次世代との対話・交歓があってこそ、本書の社会的役割が果たせるものと考えております。
そこで、本書に対して、世代を超えた様々な分野の方からご意見やコメントをいただいて『「全共闘」未完の総括ー450人のアンケートを読む』を刊行することになりました。
「続・全共闘白書」とともに、是非お読みください。
執筆者
<上・同世代>山本義隆、秋田明大、菅直人、落合恵子、平野悠、木村三浩、重信房子、小西隆裕、三好春樹、住沢博紀、筆坂秀世
<下世代>大谷行雄、白井聡、有田芳生、香山リカ、田原牧、佐藤優、雨宮処凛、外山恒一、小林哲夫、平松けんじ、田中駿介
<研究者>小杉亮子、松井隆志、チェルシー、劉燕子、那波泰輔、近藤伸郎
<書評>高成田亨、三上治
<集計データ>前田和男
定価1,980円(税込み)
世界書院刊
(問い合わせ先)
『続・全共闘白書』編纂実行委員会【担当・干場(ホシバ)】
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
ティエフネットワーク気付
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス zenkyoutou@gmail.com
【1968-69全国学園闘争アーカイブス】
「続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
【学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録】
続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
知られざる闘争の記録です。
【お知らせ その2】
「語り継ぐ1969」
糟谷孝幸追悼50年ーその生と死
1968糟谷孝幸50周年プロジェクト編
2,000円+税
11月13日刊行 社会評論社
本書は序章から第8章までにわかれ、それぞれ特徴ある章立てとなっています。
「はしがき」には、「1969年11月13日、佐藤首相の訪米を阻止しようとする激しいたたかいの渦中で、一人の若者が機動隊の暴行によって命を奪われた。
糟谷孝幸、21歳、岡山大学の学生であった。
ごく普通の学生であった彼は全共闘運動に加わった後、11月13日の大阪での実力闘争への参加を前にして『犠牲になれというのか。犠牲ではないのだ。それが僕が人間として生きることが可能な唯一の道なのだ』(日記)と自問自答し、逮捕を覚悟して決断し、行動に身を投じた。
糟谷君のたたかいと生き方を忘却することなく人びとの記憶にとどめると同時に、この時代になぜ大勢の人びとが抵抗の行動に立ち上がったのかを次の世代に語り継ぎたい。
社会の不条理と権力の横暴に対する抵抗は決してなくならず、必ず蘇る一本書は、こうした願いを共有して70余名もの人間が自らの経験を踏まえ深い思いを込めて、コロナ禍と向きあう日々のなかで、執筆した共同の作品である。」と記してあります。
ごく普通の学生であった糟谷君が時代の大きな波に背中を押されながら、1969年秋の闘いへの参加を前にして自問自答を繰り返し、逮捕を覚悟して決断し、行動に身を投じたその姿は、あの時代の若者の生き方の象徴だったとも言えます。
本書が、私たちが何者であり、何をなそうとしてきたか、次世代へ語り継ぐ一助になっていれば、幸いです。
【お申し込み・お問い合わせ先】
1969糟谷孝幸50周年プロジェクト事務局
〒700-0971 岡山市北区野田5-8-11 ほっと企画気付
電話086-242-5220(090-9410-6488 山田雅美)FAX 086-244-7724
E-mail:m-yamada@po1.oninet.ne.jp
【お知らせ その3】
ブログは隔週で更新しています。
次回は6月25日(金)に更新予定です。
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