重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」という冊子には、重信さんの東日本成人矯正医療センター(昭島市)での近況などが載っている。私のブログの読者でこの冊子を購読している人は少ないと思われるので、この冊子に掲載された重信さんの近況をブログで紹介することにした。
当時の立場や主張の違いを越えて、「あの時代」を共に過ごした同じ明大生として、いまだ獄中にある者を支えていくということである。

今回は「オリーブの樹」153号に掲載された重信さんの獄中「日誌」の要約版である。(この記事の転載については重信さんの了承を得てあります。)

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<独居より 2020年11月11日~2021年2月5日>
11月11日 快晴が続きます。南向きなので陽が入るのですが、ベランダ運動は北向きなので、やっぱり寒い。今日は、10月分の報奨金の告知がありました。7円30銭から10月分は1時間9円40銭にアップ。10月の合計は705円でした。(中略)

11月12日 昭島の最高は15度、最低5度と、だんだん冬暦になりつつあります。
点呼後、大谷先生からお便り。私の方から紙千切りの刑務作業について中止を求めて苦情申し出をしており、解決しないなら法務大臣宛の苦情か裁判かと、大谷弁護士に相談したためです。東拘の初代視察委員会委員長として「この分野は、専門です。苦情処理の代理をします」と力強いお便りと、委任状の用紙を送って下さいました。でも、「紙千切り作業報告その2に代えて」と、11月9日付の日誌で、記したところでした。つまり、私の当センター長への「苦情申し出」は「未決定」で却下、「自分の考えを述べたものにすぎない」との回答でしたが、懲役作業としては、5ミリの紙千切り作業は中止されました。そして、「だるま作成作業」に戻り、すでに工房通いが9日から始まっているので、一旦更なる法務大臣への申し出や、裁判は、とりやめることにしました。大谷先生の心強い援護を、ありがたく受け、委任状は、まだ未交付ですが、記入の上、返送しておこうと思います。今後のためにと思っています。(中略)

11月24日 連休明けて今日から急に寒くなりました。久しぶりに和尚の法要面会の機会を得ました。読経も声が朗々として気持ちが良いです。今日は経産省前テントでの祈祷団の祈りの日。これから向かうと、大忙しの和尚です。「法要の話のみ許可」と念を押され、土曜会の話も出来ないけれど、土曜会の気持ちも交流させ、楽しい一時を過しました。(中略)
Uさんからは11/7の新宿ロフトのよど号HJ50周年トークイベントのMさんの報告を伝えて頂きました。「帰国問題以前に、何故HJやったのか?赤軍派の闘いの教訓を除いて帰国問題語るのは疑問あり」とMさんは提起したようです。第二部では、蓮池透さんの発言が良かったとか。「拉致問題は解決できない。関わっているのは日本会議らすべて安倍政権の補完組織であり、政権は解決しないで引き延ばすことに意味があるのだ。朝鮮が敵国であり続け、拉致被害者の家族が死んでしまうのを待っているのだ」と。国交正常化からしか拉致問題は解決しないのは自明です。また、この間私の「20年目」の記事が出ていたと、送ってくれたとのことでチェックしてみます。今週受け取れるか不明ですが。
(中略)

12月1日 もう師走。(中略)
12月1日夕方、宅下げ予定の昔の文章を「許可を得ずに、書き加えた」として不許可。「どこ?」と見たら、「12月1日に出すこと~」などの記入があったためとのこと。これは2017年12月初めに送り、その後2018年9月に戻してもらった原稿の一部。12/1の偶然の一致の書き込み。多分3年前に発送前に書いたらしいのですが、3年後と日付が今と一致で「嘘」のようにとられて、不愉快でロッカー中引っ掻き回して証明しようとしたけど、2017年の日誌はすでに宅下げしてない……。この原稿を出所まで保持することになってしまいました。

12月2日 寒くなりました。最高12℃、最低4℃。今日は検査のため終業2時間前に工房を出て部屋に戻り、着替えて待機。2時間半前から静脈への針入れ(造影剤投与時の分)、その後レントゲン胸・腹部、エコー検査、それからCT,その後心電図の検査、3時半ごろ終わりました。
 この頃いろいろまた、処遇が厳しい。来年2月1日からエンピツ使用禁止。「なんとか令」(?)によるみたいなので、全国的かも。ようは鉛筆削りを回収したいためのようで、色エンピツ含め不可。シャープペンのみに。腱鞘炎で4Bエンピツ使っていたのも、来年からは使えません。また、私の手紙の字が小さすぎて、規定の字数にそって書くようにと「指導」を受けました。
(中略)

12月7日 金曜日に医務からインフルエンザと肺炎ワクチンに関する説明文を渡されていました。読んだ上でさきほど「ワクチンを接種します」に署名。押印しました。
届いた資料の中にマラドーナの死去の特集があり、「マラドーナがパレスチナ支援していた」という話に、へえー!と思いつつ読みました。なぜなら1982年ベイルートがイスラエル軍に包囲された最中のことです。丁度ワールドカップサッカーでイタリアチームが優勝しました。当時世界の良心がイスラエルの侵略を非難し、パレスチナに連帯を表明していた時です。イタリアチームはこの優勝カップを、パレスチナの抵抗の闘いに連帯して、勝ったら贈ると宣言し、実際その通りPLOに贈り、包囲下の私たちを喜ばせました。その時、マラドーナはイタリアチームと対立していたのか「我々が勝ったらイスラエルに贈る」と表明して、ベイルートで悪評でした。「貧しい時にユダヤ人に助けられたらしい」という人もいましたが。後にカストロと親しくなって心酔したせいか、パレスチナ支持なのでしょう。
(中略)

12月14日 だるま製作は順調です。今日は12月の花が届きました。赤いカーネーション1本とスプレー状の赤いカーネーション1本、それにクリスマスで松ぼっくりをシルバーに塗ったものに変わった葉の茎など。でも松ぼっくりは、不許可で一見の上、廃棄でした。(中略)
味岡さんから「流砂」18・19号も届きました。18号を捲っていたら味さんの「続・全共闘白書」の「書評」が載っています。その中で、味岡さんは、私のアンケート回答に触れつつ、「読みながら、僕は彼女がある歌誌に寄せていた歌を思い出した。『マルクスやトロツキー読み吉本読み、わたしはわたしの実存で行く』(歌誌「月光」62)。この歌はいつごろのものかわからないが、一瞬にしてあの時代のことを思い起こさせたのだ」と記しているのを見つけました。あ、味さんも「月光」歌誌を読んでいるのかと驚き、また、この一首に注目して下さったことは何だか嬉しい。もちろん「あの時代」のことです。(中略)

12月16日 今日は和尚の除夜法要。面会室に入ったら、なんとパナソニックの性能の良いマイクが設置されていました!前には設置要請したのですが、却下されました。コロナ感染対策で通話用の小さい穴をふさぐ結果、みな聞きとり難いからでしょう。和尚のお経朗々のすばらしい除夜法要。和尚も私の声がよく聞こえてまるで仕切り壁がないよう!と喜んでいました。今年の法要面会のお礼、そして新年良い年に!と、ガラス越しの握手で別れました。

12月17日 今日はインフルエンザの予防接種をしました。12月のCT,エコー、レントゲン、心電図の検査結果も今日の診察で伝えられ、すべてOKでした。これで今年の診察、検査は終わりですが、あと肺炎の5年に1度の予防接種がありそうです。いつも管理されている状態の中にあり、他のひどい刑務所医療と違って、医師・検査士・看護師の集団が検討しシステム化して電子カルテで管理する普通の病院のような医療体制があるので、高齢の私にとっては助かります(その運用の点で星野さんの件のような医療ミスの批判はあるとしても)。(中略)

12月21日 冬至は快晴。友人が“今”の風がどんな風に吹いているか知られるようにと「ハルメク」「婦人公論」「AERA」を送ってくれました。リラックスして読める本でありがたいです。「『AERA』の『時代を読む』は必読です」と、ホームレスの女性のことに関する記事。友人は「亡くなった時の所持金は8円。胸、痛くて痛くて」とあります。失業・孤立・生きよう働こうとしても生活出来ないコロナ時代の日本の厳しさに思わず“殺されしホームレス女性の手持ち金たった8円哀しい日本”と雫れます。「ハルメク」はていねいに読者の声と往復していて、こういう本が売れるのでしょう。
 送られた「かけはし」「思想運動」「解放」など読み、ブンドが失った国際主義・連帯が紙面に溢れていて改めてブンドの解体を実感しています。「党組織」でないということは、こういうことだ……と。

12月27日 明日朝この手紙発信です。12/28は仕事納めです。7月27日から始まった懲役刑務作業は二度の中断で、社会参加の第一歩は計画通りに進まず。度々の中断は社会では通用しない獄中社会生活でした。ふりかえると今年一年コロナ禍で無花果の葉が剥ぎ取られた人間社会だったようです。そんな中友人たちの協力支援でパレスチナ解放闘争史を書き上げ、入力編集を終えられたのは、私にとってはありがたいことで、感謝ばかりです。新年、オリンピック・デジタル一元化管理・コロナと危機管理が進み、政府の強権はさらに進みそうです。「桜」も「学術会議問題」もあまりに強引、あまりに民の声を聞かない菅政権はもつでしょうか。オリンピックを止め、コロナ被害者への税金の分入六配を!と願う新年です。来年は年を越えるとまた出所が近づきます。良いお年を!と祈りつつ。

12月31日 溜っている資料学習したり、「シオニズム」について2016年に書いた文章をリベラシオンに送ろうかと、手直ししたり、気付いたら、もう大晦日の点呼も終わりました。(中略)
夜は丁度半世紀ぶりの「紅白」をTVで見る夜です。1970年、大晦日、紅白が終わるころ自宅に戻って家族と年越しそばとみかんで年越し。71年正月から会議続きで2月末には、ベイルートへ。丁度、50年目直にTVで見る紅白です。うーん、踊りと歌のシャウトのテンポと理屈っぽい詩のような歌詞、情熱的な割に無機質。こんな長くTVを見るのはやっぱり苦痛です。時代遅れの後期高齢者としては……。

2021年元旦 新聞が届き、選者らの「新春詠」が載っていて、永田和宏さんの日本学術会議の二首が心に残ります。“明かされぬ理由は誰もが考へるよおーく考へろよと睨まれるごと”“あのことを許したのがすべてのはじまりとわれら悔ゆべし遠からぬ日に”と詠んでいます。私も一首“嘘だった「アンダーコントロール」「モリカケ」も「改ざん」もありて長期政権”。
東拘のように正月のごちそうは、出ませんが、元旦には、一年に一個のみかん、ごはんは白米になります。昼膳に小さなお節料理が添えられました。15センチのパックにとっても小さな1~2㎝の超ミニの13種(①いもきんとん②やさい浸し③かまぼこ④カズノコ⑤伊達巻き⑥昆布巻き⑦筍⑧椎茸⑨さやえんどう⑩黒豆⑪麩⑫湯葉⑬なます)です。
友人たちからの賀状もたくさん頂きました。ありがたいことです。「コロナ禍の新年」「来年の出所に向けた新年」、「去年のパレスチナ解放闘争史完成快挙!」など、みんなの声に励まされる新年です。
夜は、去年をふりかえり、又、来年の出所のことを考えました。今年は様々に学びたい。社会に出て、半世紀のギャップにまごつくことばかりでしょうが、ここで出来る準備を心掛けようと思っています。

1月2日 今日はリラックスの一日を決めてTVで箱根駅伝、切れ切れですが楽しみました。
夜は短歌、凡作ばかりですが。“新年のコロナ拡大人類の変革迫る神の福音”コロナは戦争にたとえたり、打倒するものというよりも、より大きな人類の危機を知らせてくれた福音だったと、一世紀後の人々は、感謝するかもしれません。人類がグローバル資本主義の悪弊から脱しようとすればですが。“福笑い何度やっても哀しい顔コロナ自粛の独り遊びは”、自粛の今の気持ちを一首に託しました。

1月4日 今日は、仕事始め。期待とはずれて、室内個別作業でした。新年には……と言っていたのですが、年末からずっと個室作業。粘土もペンキも禁止のため、他で作ったダルマのペンキ塗ったものを濡れ布でみがいて、ペンキのムラをスムーズにし、その後乾いた布で光らせます。あまり上手な作品でないので、ペンキのムラをとろうとするとペンキがはげたり、形が歪んで、製品としてはどうか……というのが多い。腱鞘炎なのでなかなかむずかしい作業です。
丁度今、夜7時前、賀状やお便りを頂き感謝しつつ読み始めたら高校時代の友人から新聞で住所を知って55年ぶりのお便りあり。びっくり嬉しく読みました。「転校して来て不安な中あなたが明るくやさしく接してくれたこと感謝でいっぱい」と。そんなやさしかった? 気立ての良い仲良くしてた友人の一人。民生委員をやっているのは彼女らしい。友情はありがたいことです。お便りに励まされつつ今届いた賀状なども友人の顔を浮かべつつ読む至福の一時です。
 
1月6日 再び緊急事態宣言の気配。オリンピック中止し、まず補償を厚くしてから緊急事態を宣言してほしい日本です。核家族社会どんなに多く人が生存の危機に方途もなく立ちすくんでいることでしょうか。今日は12月クリスマスの頃送って下さった資料などが届きはじめました。遅ればせにその同封の手紙、メリークリスマスの絵も受け取っています。
資料PFLPのサイトで、旧友アブドウルラヒム・マル副議長の逝去を知りました。ファタハやハマスまで彼を「偉大な民族的戦闘者として、彼の死を深く追悼する」と、称賛しています。私が彼と出会ったのは、71年のジュラシ山岳地帯の解放区です。若松監督や足立監督と一緒に映画作りで、ゴラン高原からヨルダンのジュラシ──パレスチナ戦士の最後の砦──へ入った時です。のちにPFLP議長となるアブアリ司令官の下、文官や軍人参謀たちが10代の若者から40代のコマンドまで統率して、対ヨルダン軍、対イスラエル軍と対峙していました。彼は「マンローハ」と呼ばれていて、軍の前線を仕切っていたカードルでした。明るく戦闘的な若者。その後ジュラシは壊滅させられ、多くが絞首刑に晒されたPFLPのメンバーのうち、マンローハたち少ない人数が逃げのび、数が月後ベイルートに入り再会しました。以来マンローハは南部で指揮をしたり、対ヨルダン戦線作りに奔走していました。アブアリがPFLP議長として西岸地区で活動するために祖国入りを決めた時、彼はまたアブアリの下で闘い続けました。被占領下アブアリがイスラエルに暗殺され、その報復として、PFLPがイスラエル観光相でシャロンの盟友のセエブを殺害したことで、次の議長になったサアダトがパレスチナ刑務所からイスラエル領内に拉致されてしまいました。そのためマンローハは西岸地区でずっと議長の役割を担っていました。彼はまたアッバース大統領らのカドウミPLO政治局長追い落としに抗して、PLO執行委員としても闘ってきました。大切な柱を失ってPFLPも衝撃でしょう。祖国の外で副議長の任にあるアブアハマド・ファードも当時からの友人ですが、同世代の同志を亡くして厳しい状況の中どうしているでしょう。若い世代、当時、みな結婚し子どもを授かり、代を継いで解放を、と覚悟していたのを思い出します。きっと息子、娘たちがすでにその任を継いでいることでしょう。また、PFLPの去年12月10日のH・Pに「パレスチナの空で星になった日本のコマンド」の記事があり、リッダ闘争3戦士の戦いと岡本公三さんのことを記しています。岡本さんがPFLPの仲間の支援、レバノンの友人たちの支援で元気な様子、うれしいです。

1月8日 さっき点呼後の「お知らせ」で「1/7~2/7の約一ヶ月の『緊急事態宣言』を受けましたが、当センターでの変更事項はありません。通常通りの受刑生活を送って下さい」と放送されました。面会などの中止は無いので安心しました。(中略)

1月12日 連休明け。全国大雪の中、今日は雪がこちらには降りませんでした。午前中に和尚の新春法要。元気に年を共に越えたことを喜びました。土曜会も代表して面会下さっているのですが、旧友たちの話は出来ません。Hさんの店のこと気にし合いました。1月7日遠山さん50回忌、そして3月12日は命日として墓参を考えているとのこと。
刑務作業に戻り12月分の報奨金1時間13円30銭で898円とのことでした。
(中略)

1月15日 去年12月に出版された「『恋と革命』の死・岸上大作」読みました。60年安保・ブントと共に立って詠んだ歌が多いのを、この本で福島泰樹著者の解説で知りました。良い好きな歌が多いのは、全共闘運動の時代の情熱と共通する歌が多いからでしょう。 “意思表示せまり声なきこえを背にただ掌のマッチするのみ” “血と雨にワイシャツ濡れている無縁ひとりへの愛うつくしくする” は有名ですが、ブントの側にたった歌には、“闘わぬ党批判してきびしきに一本の煙草に涙している” “血によりてあがないしもの育まんああまた統一戦線をいう” “うつむきしまま列を組む洗われて五月の樹々は瞳(め)に痛ければ” “プラカード雨に破れて街を行き民衆はつねに試される側” “胸郭の内側にかたき論理にて棍棒に背はたやすく見せぬ” “もうひとつの壁は背後に組まれていて<トロッキスト>なる嫉視の烙印” “地下鉄の切符に鋏いれられてまた確かめているその決意” “学連旗たくみにふられ訴えやまぬ内部の声のごときその青” “装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている”など。観念に殉じて予定に沿って自裁し、「ぼくのためのノート」が自死の実況記録のように絶筆。岸上が今も「生きている」のは、同時代の仲間たちの彼の本の出版や、福島さんら「無様な生き方」をした彼への共感と愛情、そして彼の歌の力です。読んでいると心に滲みます。
昨日から屋外運動は中止です。室内で体操30分も、刑務作業も。でも空調で寒くありません。14日から、ダルマ不良品修正のための粘土も室内に入るようになりました。磨き作業と並行してやっています。腱鞘炎には粘土作業がベターでよかったです。
(中略)

1月29日 今日から刑務作業に、ダルマの白ペンキが房内に入るようになりました。これで工場と同じように鍾付けまでの作業を除いて、粘土でダルマを正確な型につくり(この、工程が下手だと、不良品になる)その上で白ペンキを4回塗り更に濡れ拭きでペンキのムラや筆の跡をなくなるまで拭いた上で、乾いた布で磨いて完成です。それが出来るようになって「意欲的」です。唯、工場でもやっていたのですが、不良品の修正のみです。粘土のやり直し、ペンキ済みの不良品の修正、ペンキがはげたものの修正など完成させる作業が多い。鍾付けからやって自分で作るのとはちがいますが、不良品再生の「敗者復活」は、それなりに工夫できて、かえって「楽しい」。
(中略)

1月31日 早くも一月尽。50年前のこの頃、アラブ行きを決断して奥平さんと計画を立て、国際部のアメリカ組(「日米同時蜂起」のペンタゴン突入を、どう米国革命グループとやるか)と、最後の打ち合わせをしていた頃です。アメリカ組の東大の加藤くんは、どうなったのだろう……と思わず思い出しました。壮大な夢に小さな自分たち。挑む感性は、やっぱり大切にしたい。もちろん、パレスチナやラテン米、東欧の友人たちが驚き「ファンタスティック!?」と大笑いした「ペンタゴン突入」という意味ではないです。
そして今の、学生たちの動向を分析した「平成・令和学生たちの社会運動」(小林哲夫著・光文社刊)を読んでいます。「2010年代から2020年代へ学生が訴える」の第一章では、どんな風に学生達が社会運動、学園での活動に関わっているか、個々のエピソード風に触れています。コロナ禍のキャンパスで事業料返還を求めたり、環境、黒人差別などずいぶん自らの決心でたちあがり活動している学生たちがいます。私が驚くのは、激しい過激ともいえる大学側の管理統制の常態化です。東洋大の学生が竹中平蔵批判のビラを撒いたが、10分とたたず大学事務室に職員らにとりかこまれてつれられ、退学の脅し。「表現の自由には責任が伴うので何らかの処分で責任を取ってもらいます」と。ビラを撒いた船橋さんは、反論し、すぐSNSで事態を発信、マスコミに拡散され、東洋大など支援が、集まったが、学生たちからは声がかからない。若い人の多くは、そういう教育の中で小学校から大学まですごしているのでその結果でしょう。「駅前や集会を聞いたり、大通りをデモしたりするのは犯罪じゃないんですか?」と学生に言われたある大学教員の驚き。「お上に逆らってはいけない」という風潮。60年代から、70年代の全共闘・反戦運動のラジカルな闘いを再現させまいと政府、公安警察、マスコミ、大学に至る教育のすさまじい結果を見る思いです。
また民青の現在の活動と日共との関係の変化も興味深い。かつて20万人いた民青メンバー推定一万人弱らしい。でも、おかしいことをおかしいと声をあげるシニアが居る限り、継続的に若い人々は影響を受けつつ批判もし、様々に闘いつづけているようです。私たちも先達を批判しつつ、問題意識を開花させて闘ったのですから。この本でていねいに個人、SEALDs、民青、いわゆる”過激派”独自グループなどをフォローして生の声を中心にまとめているので現実を知り、考えさせられる一冊です。
(中略)

2月4日 今日は追い立てられる気分で№599を投函に提出しました。「オリーブの樹」153号のため、一月末までの日誌と「一月の歌」のまとめを送ったところです。歌の方は何かと気忙しく思考を集中して詠めず凡作ばかり。もっと自分と向き合って捉えつつ詠もうと反省。二月のお題は「浮遊」です。こんな一首を詠みました。
“三陸の波にたゆたう魂魄の叫びに寒月海に落ちたり”
2/1付の歌で“「浮遊」という妙な御題を頂きて浮遊浮遊で一日暮れる”などという歌が雫れて書き留めたのですが、安易にすぎ反省。そして「浮遊」という言葉と向き合っているうちに、今日「たゆたう(たゆとう)」として詠んでみたいと、三陸の一首が生まれました。海に写したような寒月は私の叫びで、地中海に落下したように思えた、ある冬の日を想い三陸と重ねて読んでみました。今日受け取った12月の歌会の資料に刺激されたせいもあります。吉村先生「パルチのサソリ」と言われた彼にふさわしい一首をそこに見つけました。福島泰樹さんの一首です。
“冥福は祈らず星よ霧の夜の外灯漏れて瞬くよ友よ” そう、冥福よりも連帯の挨拶こそふさわしい。前に友の逝去を詠んだ一首ですが、私も一首“獄窓の落暉を赤旗替わりとし歌いて葬送(おく)らんインターナショナル”
 (中略)

2月5日夜、島崎さんの文庫本新著「だからここにいる─自分を生きる女たち」受け取れました。安藤サクラら12人の中で最年長が私みたい。そのオムニバス。婦人公論2007年11月から2008年1月まで掲載されたものとありますが、当時は公判でバタバタしていたためでしょう、始めて読む感じで、うーむと赤面しつつ読んでいます。他の人よりずいぶん長い。文章はこう書くのか……というような読ませる文。私のように1から10までダラダラ書くのではなく、1と5と10を書いて全体を読者が想像するような。また、数時間のインタビューも数行の生きたコメントだけ使う。何十人もの人から聞きとり。でも、え?!がいくつか。誰かの証言「パレスチナは通説と違い重信さんが奥平さんに逆オルグされたんだよ」と、それはないけど。また「カダフィから第四夫人になってくれとプロポーズされた」云々。誰が言ったのか……カダフィは第一夫人しかいない……。いろいろあるけど噂話、嫌な話含め読ませる文です。一カ所だけミス「レバノンとヨルダンの国境に接するジュラシマウンテン」ではなく「ヨルダンとパレスチナ」の国境です。

(終)

【お知らせ その1】
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『「全共闘」未完の総括ー450人のアンケートを読む』2021年1月19日刊行!
全共闘運動から半世紀の節目の昨年末、往時の運動体験者450人超のアンケートを掲載した『続全共闘白書』を刊行したところ、数多くのメディアで紹介されて増刷にもなり、所期の目的である「全共闘世代の社会的遺言」を残すことができました。
しかし、それだけは全共闘運動経験者による一方的な発言・発信でしかありません。次世代との対話・交歓があってこそ、本書の社会的役割が果たせるものと考えております。
そこで、本書に対して、世代を超えた様々な分野の方からご意見やコメントをいただいて『「全共闘」未完の総括ー450人のアンケートを読む』を刊行することになりました。
「続・全共闘白書」とともに、是非お読みください。

執筆者
<上・同世代>山本義隆、秋田明大、菅直人、落合恵子、平野悠、木村三浩、重信房子、小西隆裕、三好春樹、住沢博紀、筆坂秀世
<下世代>大谷行雄、白井聡、有田芳生、香山リカ、田原牧、佐藤優、雨宮処凛、外山恒一、小林哲夫、平松けんじ、田中駿介
<研究者>小杉亮子、松井隆志、チェルシー、劉燕子、那波泰輔、近藤伸郎 
<書評>高成田亨、三上治
<集計データ>前田和男

定価1,980円(税込み)
世界書院刊

(問い合わせ先)
『続・全共闘白書』編纂実行委員会【担当・干場(ホシバ)】
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
ティエフネットワーク気付
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス zenkyoutou@gmail.com  

【1968-69全国学園闘争アーカイブス】
「続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。


【学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録】
続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
知られざる闘争の記録です。


【お知らせ その2】
「語り継ぐ1969」
糟谷孝幸追悼50年ーその生と死
1968糟谷孝幸50周年プロジェクト編
2,000円+税
11月13日刊行 社会評論社

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本書は序章から第8章までにわかれ、それぞれ特徴ある章立てとなっています。
 「はしがき」には、「1969年11月13日、佐藤首相の訪米を阻止しようとする激しいたたかいの渦中で、一人の若者が機動隊の暴行によって命を奪われた。
糟谷孝幸、21歳、岡山大学の学生であった。
ごく普通の学生であった彼は全共闘運動に加わった後、11月13日の大阪での実力闘争への参加を前にして『犠牲になれというのか。犠牲ではないのだ。それが僕が人間として生きることが可能な唯一の道なのだ』(日記)と自問自答し、逮捕を覚悟して決断し、行動に身を投じた。
 糟谷君のたたかいと生き方を忘却することなく人びとの記憶にとどめると同時に、この時代になぜ大勢の人びとが抵抗の行動に立ち上がったのかを次の世代に語り継ぎたい。
社会の不条理と権力の横暴に対する抵抗は決してなくならず、必ず蘇る一本書は、こうした願いを共有して70余名もの人間が自らの経験を踏まえ深い思いを込めて、コロナ禍と向きあう日々のなかで、執筆した共同の作品である。」と記してあります。
 ごく普通の学生であった糟谷君が時代の大きな波に背中を押されながら、1969年秋の闘いへの参加を前にして自問自答を繰り返し、逮捕を覚悟して決断し、行動に身を投じたその姿は、あの時代の若者の生き方の象徴だったとも言えます。
 本書が、私たちが何者であり、何をなそうとしてきたか、次世代へ語り継ぐ一助になっていれば、幸いです。
       
【お申し込み・お問い合わせ先】
1969糟谷孝幸50周年プロジェクト事務局
〒700-0971 岡山市北区野田5-8-11 ほっと企画気付
電話086-242-5220(090-9410-6488 山田雅美)FAX 086-244-7724
E-mail:m-yamada@po1.oninet.ne.jp

【お知らせ その3】
ブログは概ね隔週で更新しています。
次回は8月27日(金)に更新予定です。