重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」という冊子には、重信さんの東日本成人矯正医療センター(昭島市)での近況などが載っている。私のブログの読者でこの冊子を購読している人は少ないと思われるので、この冊子に掲載された重信さんの近況をブログで紹介することにした。
当時の立場や主張の違いを越えて、「あの時代」を共に過ごした同じ明大生として、いまだ獄中にある者を支えていくということである。

今回は「オリーブの樹」155号に掲載された重信さんの獄中「日誌」の要約版である。(この記事の転載については重信さんの了承を得てあります。)
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<独居より 2021年5月1日~2021年8月27日>

5月1日 5月1日にアッバス大統領が5月22日の選挙を延期すると表明したという囲み記事を朝日新聞の国際面で読みました。マルワン・バルグーテイらと話し合いがつかなければ、利権第一のファタハ・アッバス派が選挙を取りやめるのは目に見えていたので、やっぱり……です。それよりも驚いたのはその朝日の「エルサレム支局」名の記事の内容です。「~5月22日に予定されていた自治評議会選挙を延斯すると発表した。イスラエルと領有権を争う東エルサ レムでの選挙の実施が保障されない限り行わないとしている。」(アンダーラインの部分はシオニストのかねてからの主張です。)東エルサレムは、占領地として国際的に認め、匡連安保理・国連総会でも「領土を争う“係争地”とは認めていません。「係争地」は占領という事実をごまかすためにシオニストが展開してきた論理。これまでの朝日の記事でも初めてでは?……。

5月6日 メイのFBによると、レバノンではワクチンを優先的に受ける人は、医療、教育分野の人々の他にジャーナリストも新たに加えられたとのこと。メイが驚いたことに、ネットでメイのワクチン接種の日のスケジュールを伝えてきたのですって。それで、すでに4月21日に第一回の接種を行ったとあります。日本より機動的。レバノンは人口が少ないとしても、日本はまだ高齢者の摂取は1%未満。医療従事者も終わっていない。再びの緊急事態延長が知事から求められて、菅政権の頼りないこと!
今日届いた中に「泉水国賠つうしん」終刊号があります。丁度去年から一年を過ぎて、ずっと泉水さんを支えて下さった方々が編集して下さったものです。心から感謝しています。私やJRA関係者は心で支えるしか出来ませんでした。日本赤軍との関係が「争点」となり公判を不利にして来たからです。「泉水さんと同じくダッカで超法規的措置で出獄した人は何人かいる。その中で日本へ送還された人たちで、日本赤軍との関係云々として判決で断罪された人はいない。ひとり泉水博さんのみである」とAさんは「後記」で記し、彼を奪還対象者としたことの是非はどうなのだろうかと考えさせられた、とあります。私たちは熟慮する余裕も当時なかったし、国内からの力強い推薦もあったかもしれません。今から思うと長期的な見通しを持てないままに「共に」と、どの対象者にも応じてもらったことに対して、厳しい条件を(結果的に)強いてしまったと、反省すること多々あります。ただ、確実に言えることは泉水さんが革命の道を喜びを持って共に歩み、みんなと一つになって国際主義的な仕事も担い、夫人とも心から愛し合い、有意義で素晴らしい人生(と本人の弁)に間違いはないと思います。共に活動できたことを喜びとしつつ、当時の私たちの限界もまたとらえ返しています。憎むべきは検察のひどい差別の仕打ちです。

5月11日 今日は、4月の報奨金を告げられました。一時間20.9円。77時間で1、609円です。当初の一時間7.3円からは増えましたが、受刑者が社会復帰資金にするには程遠い。世界では受刑者の出所後の生活も考え、韓国やシリアまで労働者平均賃金並みか、8割と言われているのに……。

5月12日 今日の新聞で、ラーム・エマニュエル前シカゴ市長で、オバマ大統領初当選時大統領主席補佐官だった人物がバイデン政権の駐目大使らしいとの記事。ラーム・エマニュエルは、シュテルンだったか、ハガナだったか忘れましたが、イスラエルテロ機関で活躍した父をもつイスラエル人シオニストでもあります。大統領首席補佐官に指名された時イスラエルに居た父親は、「息子は、イスラエルのために働いてくれる」と大喜び。でも1年で辞してシカゴ市長へ。日本で、イスラエル・米・日の戦略同盟のためいろいろやりそうです。注視する必要ありです。
(中略)

5月28日 “監視にも独房にも慣れ二十余年来年の今日自由を浴びる”
思わず今朝、点呼起床前のペッドから隙間に覗く青い空をみていたら零れた一首です。気概はあったけれど望みは薄いと思っていた満期までの命がつながりそうそうです。まだ一年ありますが“判決は終わりにあらず始まりと服わぬ意志ふつふつと湧く”と詠んだ第一審判決からも15年が経ったのですね・・・‥・。

5月30日 リッダ闘争の日。現地時間で夜10時半頃と報道されていたので、日本時間では31日の明け方になります。「訓練した我々三戦士が、計画どおり警備兵を撃ち、慌てた警傷兵が旅行客に向かって無差別に撃ち返した。その結果、戦場に巻き込まれた人々が、多数死傷した。しかし、今僕がそう証言しても、自己弁護にしかならない」。これは、85年に捕虜交換で解放された岡本さんの回想の一部ですが、72年の事件当時はこの無差別か否かの論戦が、アルハダフPFLP事務所を中心にありました。戦士らが自ら決死するまで、何も出来なかったイスラエル警備兵は何をしたのか?殺されたイスラエル兵以外のイスラエル兵らは日本人戦士をわからず、乱射したはずだと。欧米のジヤーナリストやシンパの人々ですが、調査を求めようと討論。勿論、イスラエルは調査拒否。そして、ガッサン・カナファーニが殺されて、その件もそれまでに。そんな当時を思い返します。勿論、戦術形態から非難されても日本では当然だったかと思います。戦士たちと対話しつつ、いつもこの日を過ごし、また、パレスチナの人々と宴を催して国際主義を記念していました。
今日は静かに作歌しつつ、5・30シンポジウム、昨日の丸岡さんの命日その他を考えています。
“戦死後に届きし文に誓いたり戦士らの理想孕みて進む"
“標的を違えず敵兵撃ったろう無差別乱射と歴史は言うが"
“草原を駆け抜ける風になり鳥になり夜空に向かってオリオンとなる"
(中略)

6月16日 視察委員会(第三者機関)の「もくせいの杜通信」4月号通巻2号が届きました。視察委が収容者の声を聴き当センターヘ提言する内容です。「一ケ月に一度購入できる菓子代が高すぎる」というのもあります。「起床前に読書可にしてほしい」という要請に、当センターの回答「医療上の制約等個別に判断する場合を除き、原則として禁止していない」とあり初耳。確認すると、そうなったとのこと!いつから?周りの誰も知らなかったし、「生活心得」にもない。でもありがたい。早速起床前読書しました。読むものは書籍のみ可で、資料新聞はダメとのこと。
今日工場から戻って診察。大腸内視鏡のポリープの病理検査絡栗を教えて下さいました。1~5までの管状腺腫のうち、3とのこと。5が癌、1が正常。5ミリでしたが大きくなれば癌。でも切除出来てOKです。ワクチンもまだ不明とのことでした。
昨日、新しく教育指導担当官(若い女性)から、出所まで一年を切ったので「改善教育指導」を週一回行うと言われました。被害者への反省など、被害者団体の方との対話もあるそうです。どんな教育指導か、これから興味を持って関わっていきたいです。今後の為にも。

6月21日 (中略)今日から当センターも夏暦本格化で、今秋から9月まで週3回の入浴です。
Kさんからの久しぶりのお便りで、とても貴重な資料を送って下さいました。一つはKさんのお兄さんが豊橋空襲のことを調べていて、杉田有窓子という人の本に出ていた漢詩をコピーして送って下さったことです。この人は、1907年生まれ、1985年に亡くなられている昭和期の新聞人だとのこと。私の父が1903年生まれで、それに祖父は漢学者で、父も漢詩をやる人でしたから、未知の方ですが漢詩にする心がなんとなくわかります。
ふたつの漢詩(「赤軍ヘルメットヲ凝視シテ感アリ」と「重信房子ノ放映二感アリ」)を頂いて読んでいます。放映とは、山口淑子さんとのインタビューのこと、との補記がありました。知らない人と出合い直したようで嬉しいです。山口さんや父を思い出しています。(中略)
 パルシスデムのカタログや「UR住宅ガイド」UR賃貸住宅カタログ。都内2DK、8万~16万位……。うーんです。入居資格も定収入や家賃の100倍の貯えのある人。すみにくい世界を学習中です。都営住宅カタログも前に送ってもらいました。いろいろのものを読みつつ、生活するイメージを取り戻そうとしています。
(中略)

6月29日 工場でワクチン接種について「希望します」に○印をつけて書類提出。でも『接種券』は自分で準備する必要があるとのこと。また、役所に問い合わせねばと……。

6月30日 堂山道生さんの訃報が届きました。
6月27日に逝去されたそうです。肝癌だったとのこと。赤軍旅時代、右も左も判らない私を、書記局長として7・6前いろいろ教えて頂きました。書記局員は藤本敏夫さんと私です。
6月に知り合い、10月にはもう逮捕され、その後70年6月~12月保釈後の活動に尽力し、精根尽きて闘いから去って行った堂山さん。当時自分たちの「武装闘争路線」の無理が行き詰まったのに、その路線を問えず、「個人の弱さ」で活動を続けられなくなった……最高責任者なのに、きちんと会議もせず、一人で抜けるのは無責任だと思ってしまいました。堂山さんの後を森恒夫さんが担いました。武闘路線が赤軍旅の前提だったので、この路線を下すことが出来なかったし、またそういう考え方は「日和見」として発想できなかったのです。様々の良心を持った「革命家」の多くが、今も有効に活動しえていたら……と思ったりします。当時の仲間を思い出しつつ、堂山さんの逝去を哀悼します。
(中略)

7月7日 今日初めて出所に向けた「教育プログラム」というのを受けました。教育のタイトルを尋ねたところ「被害者の視点を取り入れた教育」というもので、12回にわたって毎週一時間行われるそうです。次回から9回は外部の講師による教育です。今日は2人の女性教育官から、前回から何か考えたことは?自らの事件に対する考え、被害者の対象は?被害者という概念から何が頭に浮かぶか?図式的に次々と示すマインドマップなどを記したりしました。私はこれまでも拘留理由開示法廷、公判で述べてきたことを中心に、自らの考えを表明しました。
(中略)

7月11日 短歌学習。歌誌「月光」のバックナンバーを学ぶ。好きな歌人も多いし、良い歌はとっても刺激になります。(中略)
福島師の歌の多面的な詠み方も学んでいます。お題の「橋」を考えると、やはり山崎クンの殺された弁天橋が真先に浮かびます。あの事件で、運動のあり方も変わり、自分の参加姿勢も変わったので。10・8です。でもうまく詠めない。
“夢の形象(かたち)数多(あまた)我らの声聞こゆ弁天橋に君を悼めば“
“落暉浴び血潮に染まりし弁天橋悼みの白花(びやっか)赤く燃え立つ“
“弁天橋悼み置かれし白百合に無数の我らの夢の像(かたち)見ゆ”
納得できるまで詠めない・・・。語彙が不足している感じです。

7月14日 今日は午後一時間、教育プログラムの受講がありました。外部の講師は新聞で存じ上げている人でした。息子を事故で亡くされ、被害者に何の情報も与えられず、被害者の人権に父として立ち上がった人です。私が名前を気に留めていたのは、この人が他の人と違って死刑廃止の立場で発言していたからです。話しているうちに、大谷弁護士や太田さんのペル--の子供基金(永山則夫)で、大谷弁護士とも知り合いであったことがわかり、気持ち的にも姿勢にも信頼できる人だな、と思いつつ、今日は私が話すことが多く、次回からもっと話を学びたいと思っています。

7月15日 今日は久しぶりの青空。まだオリーブの樹154号は届かず、待っているところです。
2時半から早めに工場を出てコーラスの講堂ヘ。マスクとフェイスシールドの発声練習も慣れました。「七夕」「川の流れのように」「古里」「花は咲く」。今日、ピアニストは「乙女の祈り」を奏でて下さいました。
もう高橋和己は読み終えました。「革命運動、変革運動には、その担い手である人間とその人格というのが非常に重大な要素」と述べています。そうだ、こんな風だった……と当時を回想しながら。
知りたかった「うっせいわ」の歌詞も届きました。

7月16日 東京は梅雨明けです。工場作業中、新しい処遇統括より面接で現状と今後の希望や見通しなど聞かれました。また、今日出した手紙が検閲でひっかかってしまいました。「教育プログラム」の講師の名前削除しました。
Tさんの暑中見舞も受け取っています。受け取った資料を見て驚きというより怒りも。一ケ月前までモサドの長官を務めていたヨシ・コーヘンが「ソフトバンク・ビジョンファンド2」の現地事務所長に任命されたそうです。投資ファンドの所長になったが、金融・投資の分野での経験は多くないが、ソフトバンク側はコーヘンのイスラエル企業や科学技術専門家とのコネをいかして、シオニスト政権との協力に新しい道を開拓することを期待していると、ロシアのスプートニク通信が伝えているようです。
岡本公三さんを捕虜交換で解放させたPFLP・GCのアハマド・ジブリル議長の死亡が7月7日発表されたという。83才だったそうです。パレスチナ人を父に、シリア人を母にもつジブリルは後継者の長男ジハードを2002年ベカー高原地域でモサドの手のものに殺されています。常に民族主義原則に立つ強固な意志のリーダーでした。ご冥福を祈ります。

7月19日 夏らしくなって真夏日が猛暑日になっているようです。でも昭島の居房はいつも寒い。冬の少し寒い房がずっと続いている感じです。工場の方は快適なのですが、房に戻るとズボン下をはき、カーディガンが必要です。起床時も。気温上昇でベランダ運動もないので、八王子時代のように夏が実感出来ない。あの頃はクラクラする灼熱下、麦わら帷子かぶってトラック3周位してたのに今はもうそんな体力もないし。
「情況」誌はとても面白かった。若者たち、高校生、大学生の別々の座談会が載っていた中で、アクティブなこうした人たちが何を考えて行動しているのかわかります。田中駿介さんが一番全共闘センスに近い発言をしています。また、「北園高校現代史」のドキュメンタリー作成過程の制作日記がとても面白い。

7月21日 今日は工場刑務作業3時までの間の13時半から14時半、教育プログラム受講がありました。前回、講師が私の考え方を理解するのに、私のどの著書を読んだら良いか?と聴かれて「日本赤軍私史」と由井さんの「情況新書」をあげました。「私史」は分かりずらいし、生い立ちを補うものとして由井さんの本をあげたのです。今日は講師がしっかりその本を持参し、読んで、レジュメまで準備していて、圧倒されました。本「私史」は長いので、まだ全部読み終えていないが、読んで感じたのは、まじめに思索していること、本当は平和主義者ではないかと思う、と言って下さって、少し驚きましたが、とても暖かい真摯な姿勢で読んでおられます。そして「私史」の本の後に「支える会」の裁判報告があるのですが、それを胱んで「状況証拠しかない。状況証拠だけで有罪にするのに私は反対です。これはひどい。20年は長すぎる。旅券法だけが罪ではないですか」とおっしやった。レジュメでは山口淑子さんや寂聴さんのインタビューやMBSのTV番組など、私の知らないものもあり、寂聴さんの話や、ネットで「オリーブの樹」「オリオンの会」も見つけ、「オリーブの樹」は151号を読んだそうです。
報道されている私と違う私を公正に見て、報道の一方的なことを感じている、と語るなど、獄に入って弁護士以外で初めて人権を尊重し、弁護士と同じような視点で語る人と対話出来、学べてありがたいことです。アラブでのアラブ人や政府の反応、パレスチナのこと、聞かれるままに語りつつ一時間はあっという間です。反省の機会ですが講習を楽しく有意義にとらえています。真面目で常に謙虚で、対等に受刑者と対話する良い人に巡り合えたと思っています。

7月28日 今日の教育プログラム講習では、検察の批判で講師と私は一致して盛り上がりました。被害者に対する検察の対応のあり方、苦い経験を話して下さり、「99.9%の起訴有罪率は、民主主義国家ではありえない」というので、私も自身の経験一検察のシナリオにあわせて被告の無罪証明となる資料隠匿や取り調べの「生きて獄から出すな、と上から言われている」etc.-から「海外から見ると99.9%は全体主義国家です」と話しました。メイの著書も読んでくださって、私に対しても、世の中を良くしたいと、率先してやるべきことをやってきたと思うし、とくに悪いところは見当たらない、と感想を述べつつ励ましてくれています。もちろん「被害者」の立場の講師の受刑者の私への授業なのです。でも講師は、自身被害者として、これはおかしいと怒りから行動を起こし、学習を通して団体を形成し、社会の不正を正そうと被害者の立場から司法の分野でずっと活動してきました。常に一つの情報でなく、いくつもの情報を分析し対策を立てること、また、行政や立法に係わってきた具体的な前進を学びました。私たちは司法や政府に言ってもムダと一挙的に変革を目指してきましたが、一つ一つ体制の中で矛盾の改善を求め、立法まで動かし作り上げていくやり方を学びます。現時代の闘い方の一つで、それが有効な分野の活動を知る思いです。死刑制度反対を含めて。
(中略)

7月30日 去年、刑務作業開始してから1年が経ちました。チームワークで楽しみつつ、有意義に民芸品(ダルマ)作りをしています。「人生でこんなにいい時は無かった」と言う年配の人もいて、びっくりしましたが、お互いを思いやり、ダルマをより良いものにと皆張り切っています。「報奨金」は、去年のはじまりは、1時間7.3円でしたが、今年7月は、20.9円で、7月までで、累計12,299円になりました!「ちりも積もれば」ですか?しかし、これでは受刑者が社会復帰する手元金には程遠いです。「犯罪者」が罪を償っても「敗者復活」の乏しい日本社会で生きていかなくてはなりません。出所後の人びとにとって再犯率を下げ、社会復帰の一助としても、労働者の平均賃金の50%くらいの労賃は支払われる必要があります。特に若い人たちが将来の希望を描くことができるように。刑務労働に対する国連の調査でも日本は飛びぬけて劣悪です。敗者復活社会を!と願いつつ。

8月15日 敗戦目。ヒロシマ・ナガサキに続くこの八月、コロナ・大雨・台風・洪水と「人新世」紀を終わらせようと地球が大奮闘しているような八月です。お盆でもあり写真を飾り、送られた「月光68号」を読みはじめています。初めのページ、福島先生の月光庵目録の中に「重信房子父」とあり、こんな一首みつけました。
“世界のために生きよ信義をつらぬけよ!昭和維新を夢みし父は“
「12人の女たちへの人物ルポ、島崎今日子『だからここに居る自分を生きる女たち』を読む。圧巻は元日本赤軍リーダー重信房子。懲役20年の刑期を医療刑務所の独房で戦う彼女の支えは父の存在であったのか」とあります。このお盆、対話している父が心の中に居ます。矢澤重徳さんの香港の雨傘運動の友を詠んだ歌の中にも“捨てられた傘にも似たる胸の中十指ひらいて確かめている“の次にこんな一首。“黄の花粉ワイシャツ染めて「菜の花の果てなき視界」重信房子よ”と。前号の私の一首を受けて下かったものでしょう。励まされ学習しつつ「月光」を読んでいます。私の分は凡作ばかり載っていて、ちょっと自分でがっかりなのですが…。(後略)

(終)

【お知らせ その1】
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『「全共闘」未完の総括ー450人のアンケートを読む』
全共闘運動から半世紀の節目の昨年末、往時の運動体験者450人超のアンケートを掲載した『続全共闘白書』を刊行したところ、数多くのメディアで紹介されて増刷にもなり、所期の目的である「全共闘世代の社会的遺言」を残すことができました。
しかし、それだけは全共闘運動経験者による一方的な発言・発信でしかありません。次世代との対話・交歓があってこそ、本書の社会的役割が果たせるものと考えております。
そこで、本書に対して、世代を超えた様々な分野の方からご意見やコメントをいただいて『「全共闘」未完の総括ー450人のアンケートを読む』を刊行することになりました。
「続・全共闘白書」とともに、是非お読みください。

執筆者
<上・同世代>山本義隆、秋田明大、菅直人、落合恵子、平野悠、木村三浩、重信房子、小西隆裕、三好春樹、住沢博紀、筆坂秀世
<下世代>大谷行雄、白井聡、有田芳生、香山リカ、田原牧、佐藤優、雨宮処凛、外山恒一、小林哲夫、平松けんじ、田中駿介
<研究者>小杉亮子、松井隆志、チェルシー、劉燕子、那波泰輔、近藤伸郎 
<書評>高成田亨、三上治
<集計データ>前田和男

定価1,980円(税込み)
世界書院刊

(問い合わせ先)
『続・全共闘白書』編纂実行委員会【担当・干場(ホシバ)】
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
ティエフネットワーク気付
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス zenkyoutou@gmail.com  

【1968-69全国学園闘争アーカイブス】
「続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。


【学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録】
続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
知られざる闘争の記録です。


【お知らせ その2】
「語り継ぐ1969」
糟谷孝幸追悼50年ーその生と死
1968糟谷孝幸50周年プロジェクト編
2,000円+税
2020年11月13日刊行 社会評論社
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本書は序章から第8章までにわかれ、それぞれ特徴ある章立てとなっています。
 「はしがき」には、「1969年11月13日、佐藤首相の訪米を阻止しようとする激しいたたかいの渦中で、一人の若者が機動隊の暴行によって命を奪われた。
糟谷孝幸、21歳、岡山大学の学生であった。
ごく普通の学生であった彼は全共闘運動に加わった後、11月13日の大阪での実力闘争への参加を前にして『犠牲になれというのか。犠牲ではないのだ。それが僕が人間として生きることが可能な唯一の道なのだ』(日記)と自問自答し、逮捕を覚悟して決断し、行動に身を投じた。
 糟谷君のたたかいと生き方を忘却することなく人びとの記憶にとどめると同時に、この時代になぜ大勢の人びとが抵抗の行動に立ち上がったのかを次の世代に語り継ぎたい。
社会の不条理と権力の横暴に対する抵抗は決してなくならず、必ず蘇る一本書は、こうした願いを共有して70余名もの人間が自らの経験を踏まえ深い思いを込めて、コロナ禍と向きあう日々のなかで、執筆した共同の作品である。」と記してあります。
 ごく普通の学生であった糟谷君が時代の大きな波に背中を押されながら、1969年秋の闘いへの参加を前にして自問自答を繰り返し、逮捕を覚悟して決断し、行動に身を投じたその姿は、あの時代の若者の生き方の象徴だったとも言えます。
 本書が、私たちが何者であり、何をなそうとしてきたか、次世代へ語り継ぐ一助になっていれば、幸いです。       
【お申し込み・お問い合わせ先】
1969糟谷孝幸50周年プロジェクト事務局
〒700-0971 岡山市北区野田5-8-11 ほっと企画気付
電話086-242-5220(090-9410-6488 山田雅美)FAX 086-244-7724
E-mail:m-yamada@po1.oninet.ne.jp

【お知らせ その3】
ブログは概ね隔週で更新しています。
次回は11月19(金)に更新予定ですが、1週間延期になる場合があります。