全国学園闘争の記録シリーズ。今回は東京外国語大学である。
東京外語大闘争の発端は、学生寮の新設にともなう管理運営問題である。
以下、当時の新聞記事を中心に闘争の経過を見てみよう。
なお、記事中に全共闘支持の明らかにしたとして辞職勧告を受けた安東次男教授(詩人・評論家)のことが書かれているが、定年まで勤めて退官したとのことである。

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68.12.18  東京外語大、学生寮の自治を巡って学生と大学側が徹夜の団交。

68.12.23  東京外語大全共闘が二号館校舎をバリケード封鎖。

【読売新聞 1968.12.24】(引用)
外語大全面封鎖
紛争中の東京外国語大学の全学共闘会議は、23日午後、アジア・アフリカ言語文化研究所(A・A研)がある2号館をバリケード封鎖した。同大学には1号館と2号館があるが、1号館はさきに封鎖されており、これで全学封鎖されたわけ。
これは18、19日両日の徹夜の大衆団交で、大学側が「23日大衆団交を開く」と約束しながら「監禁される恐れがある」と拒否したためとみられる。

68.12.27 東京外語大教授会、全共闘支持の立場を明らかにした安東次男教授に辞職勧告を決議。

69.1.6 東京外語大、学長を委員長とする入学試験実行委員会を設置。

69.1.20 東京外語大の学生大会に全共闘系学生400人が押しかけ、警備の機動隊と衝突。学生は講堂内に入り演壇を占拠。

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69.2.25 東京外語大でスト解除派の集会にスト派学生200人が押しかけ、乱闘となり数人が負傷。機動隊100人が出動。フランス語学科教員全員が全共闘の主張に共感する声明を発表。
「全共闘の具体的戦術については批判がないわけではないが、要求の基盤にあって、それを支えているものは、人間的自由と品位を求める根源的要求であり、大学を真に人間的な創造の場にしたいという正当な要求だ」

【毎日新聞 1969.3.11】(引用)
教授陣も真っ二つ
東外大“最後の交渉”つぶれる
入試を13日後にひかえ、150日ストが続く東京外語大学(小川芳男学長)では10日午後、全学共闘会議(反日共系)が提起した7項目要求を議題として公開交渉(大衆団交)を開く予定だったが、流会となった。
この集会は、紛争解決への「最終的な公開集会だ」と大学当局も全共闘も認めていたもので、これが流会になったため、小川学長は同日夜、「重大な決意をしなければならない」と語った。これは機動隊を導入してバリケードを撤去、学内の”正常化”を図ったうえで入試を実施する意味である。また同集会の流会で学内の、特に教授会内の対立が一層むき出しとなった。
 公開交渉は全学共闘会議と大学当局の間で①教官の身柄を拘束しない②ゲバ棒を持ち込まない③正門のバリケードをゆるめ教官、学生らが自由に通行できるようにする、などの合意が成立し、10日午後1時から開くことになっていた。しかし、大学当局は①全学共闘会議が全教官に送った集会への招請状は内容からみて脅迫状ととれる②正門バリケードをゆるめる約束を守らないばかりか、構内に入る学生をチェックしたーなどを理由に、全共闘に対して「交渉断念」を通告した。

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 このため全学共闘会議はただちに講堂で「流会弾劾集会」を開いた。同集会には約720人の学生が参加し、教授、助教授、講師ら13,4人も加わった。
 岩崎力フランス科助教授ら3教授は壇上に立って発言。集会終了後には小野協一(英米科教授)篠田浩一郎、岩崎力、渡瀬嘉朗(フランス科助教授)河島英昭(イタリア科講師)田中克彦(モンゴル科助教授)安東次男(国文学教授)吉沢豊明(音声学助教授)山之内靖(経済史助教授)の9教官が連名で「全共闘の提起した問題の重要性を認識し、これと正面から取組むことなしに事態の本質的な解決はあり得ない。しかるに執行部(教授会の)代表委員会は、学生との最後の対話の機会さえも自ら葬り去った。かかる無責任な行為に断固抗議し、執行部、代表委の即時退陣を要求する」との声明文を発表した。
 学生大会の開催を要求して署名運動を展開しているクラス連合、日共系など5、600人の学生たちは「この日の公開交渉は学生大会開催への妨害となるものだから認めない」と主張。その一方で全学共闘会議に集まっているのも6,700人になるなど、学生が真っ二つに割れ、教授会内部の対立表面化を合わせて、東京外国語大の紛争は大きなヤマ場を迎えた。
 なお入試会場については、受験生約7千人を分散収容する東京都内の予備校など4ケ所ほどをすでに確保、受験生には14、5日ごろ郵送文章で各人に通知する。

69.3.16 東京外語大に機動隊導入。占拠中の全共闘学生は学内デモ後、構外に退去。

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【毎日新聞 1969.3.17】(引用)
東外大に機動隊
学長要請 5ケ月ぶりに封鎖解く
「紛争の経過
東京外語大は、学生寮の管理運営、学費値上げ反対などをめぐって、昨年10月11日にストに突入、正門、一号館などが封鎖され、11月2日には二号館などにもバリケードが構築された。大学当局は自主解決を唱えて、学生たちとの交渉にあたっていたが、東大、日大に劣らぬ激しい大衆団交が行われるなど、事態は好転のきざしもみえず、10日に開く予定だった最終公開交渉も流会となり、教授会内部も全学共闘会議を支持する教授たちが出て真っ二つに割れた。
このため小川学長は機動隊導入もやむを得ないという強い決意を固め、13日に教授会を開いた結果「過半数で執行部が信任された」として、14日午後、警視庁を訪れ、警視庁導入の打ち合わせを行った。大学側は15日、学生に退去命令を出した。」

国立二期校の入試を1週間後に控え、ドロ沼の紛争が続いている東京外国語大学=小川芳明学長=東京北区西ケ原4の5の3=は16日朝、小川学長名で警視庁に機動隊の導入を要請、警視庁は午前8時、制私服警官300人を動員、占拠学生を排除、5ケ月ぶりにバリケードを撤去した。
占拠学生たちは警官隊の導入時前、学外に退去したが、最後まで座り込みで抵抗した学生ら4人が不退去罪、公安条例違反の現行犯で検挙された。大学当局は同日から当分の間、キャンパスをロックアウト、学内の正常化に努める。

警視庁は午前8時一斉に正門などから構内に入った。本館前では警官隊の再三の退去要求にもかかわらず、3人の学生が座り込んだため、不退去罪の現行犯で検挙された。この他には大した抵抗もなく、警官隊は正門や本館、二号館などに築かれたバリケ-ドをくずして片づけた。
学長室はじめ各研究室は比較的保存され、長期紛争校としては荒廃は比較的少なかった。
しかし、図書館にあった新刊本数十冊がなくなっており、また竹内与之助助教授の研究室内の机の引き出しにあった現金6万円も消えていた。
泊り込んでいた約150人の学生は午前7時半ごろに学外に退去、国電巣鴨駅前までデモをしたが、警官隊に北区滝野川の公園まで規制され解散した。この際、指導学生1人が検挙された。
この日のバリケード排除で、大学当局はできるだけ早い時期に4年生の授業を再開し、遅くとも4月1日までには授業再開したいとして、17日午後開かれる教授会で10日ないし2週間の警官隊の学内駐留、夜間体制を決める模様。
小川学長はこの日「学生諸君へ」と題し「学生の中には機動隊導入が大学の自治を侵害するとして反対する人もいるようだが、この55ケ月間の状態こそ大学の存立をおびやかすもの。今後学生と協力して外語大の再建に当たりたい」との学長声明を郵送した。
また、この警官導入に対し、安東次男教授(国文学)篠田浩一郎助教授(仏文)ら執行部批判派の7教官は同日夜、小川学長に「機動隊導入は学園紛争解決を放棄したもの」との抗議文章を手渡した。

【読売新聞 1969.3.17】(引用)
東京外語大にも機動隊
(中略)
山積みの難問抱えたまま
東京外語大は16日、機動隊の“力”によって5ケ月ぶりにやっと物理的には正常な状態を取り戻した。だが完全に立ち切られた全共闘との話し合い路線、未解決のままの安東次男教授(国文学)への辞職勧告―山積した難問は片付く気配がない。
 昨年10月、全学が無期限ストに突入した直後、3週間のアメリカ出張から帰国した小川学長は「今浦島の感じだ」と変わりように驚いた。だが、完全自治寮建設要求はすでに6月から出されていた。学校はその後、学生への提案で「夏休みと重なり、十分な連絡がとれなかったことも紛争の一因だ」と放任を反省、注意していれば”今浦島”にならなかったことを認めている。11月の全共闘との大衆団交では一方的につるしあげられ、あげくは全共闘のカタを持った安東教授に対し、教授の規律を乱したと”離縁状”をたたきつけた。
1月20日、ノンセクトの学内正常化委が集会を開き、学校側は最後の望みを託した。全共闘はこれを「学内の分断工作」と”フンサイ”、学校側と学生の対話は完全に途切れたかに見えた。この間、学校側は手紙戦術で学生に訴え、全共闘は再び学校側との話し合いを求めてきた。
両者は新宿のバーや池袋の喫茶店、神楽坂のビルなどで、ある時は1~2名、ある時は数人で予備交渉を続け、話し合いのいくつかの条件を決めた。最後の望みをかけた3・10交渉・・・。しかし、全共闘が約束した条件、バリケードをゆるめる、全学生を自由に入れるなどの約束を守らず、ついに流会して、この日を迎えた。
学校側は全共闘を「信義を踏みにじった。われわれには東大、東教大のような“失政”はなかった」といい、全共闘は「管理者的発想から一歩も踏み出せない」と非難、断絶は深まるばかりである、

69.4.10 東京外語大で学内立ち入り禁止解除。全共闘学生が通用門を突破して学内に乱入。機動隊が出動し、学生128人を逮捕。

【毎日新聞 1969.9.10】(引用)
東京外語大 試験場に機動隊
全共闘派の35人を逮捕
“紛争重症校”の東京外国語大学(東京北区西ヶ原、鐘ケ江信光学長代行)は10日からロックアウト状態のまま、残っていた43年度前期試験を機動隊つきで始めたが、5教室で全共闘派学生が「試験粉砕」を叫んだため、大学側が機動隊を教室にいれ混乱、ロシア語、仏語、ヒンズー語の3教室が試験中止となった。
また、学外でも試験反対のデモがあり。機動隊と衝突、正午現在、35人が威力業務妨害、公務執行妨害で逮捕された。
学生が教室に入ったのは昨年10月に全学ストに入って以来11ケ月ぶりだが、ものものしい警戒と厳しい検問に、学生の表情は複雑で、大学方にせきたてられた“紛争自主収拾”路線のかげりが見えた。
この日行われたのは旧1,2年生の各語科総合試験。旧1年から3年までと、単位未修了の旧4年生の計1,471人が受験票を提出した。これは全学生の90.5%にあたるが、なかには全共闘派の活動家学生からも受験票提出があったので、大学当局は大学構内のゲリラ活動を警戒、初日の日程を1,2年生を午前、午後の入替え制として実施、滝野川署に警官出動を要請していた。
午前中の1年生の試験は定刻どおり10時から始まり、受験票を提出していた522人のうち429人が教室に集まった。しかし、1階1214番教室のロシア語科、2階1309番教室の中国語科など5教室では全共闘派の学生が「われわれの闘争はなんだったのか。試験を粉砕しよう」と呼びかけ、討論集会に切り替えた。
このため午前10時15分、坂本定忠学生課長が「試験はできないから全員出るように」と通告、ただちに機動隊の出動を求めた。
入れかわりに門外に待機していた機動隊員が校舎内に入り、ロシア語、中国語、仏語の3教室にいた全共闘派とみられる学生11人を検挙した。
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この騒ぎでロシア語、仏語、ヒンズー語の3試験は中止。中止の試験は19日までの全試験日程が終わったあと改めて行うことになった。
また大学側は正門内側に「試験場内の秩序を乱す行為などは法律による規制にゆだね、受験票を没収して試験無効とし、処分することもある」との警告を掲示した。
一方、受験を拒否していた全共闘派学生ら約100人はヘルメット姿で国電大塚駅に集まり、午前10時半すぎ大学から200メートルほどの西ヶ原四丁目交差点までデモをしたが、待機していた機動隊と衝突、けちらされて24人が公務執行妨害などの疑いで検挙された。
午後の部は午後1時から始まったが、うちロシア語科で2人がアジ演説して強制退去させられ、数人が試験を拒否し、うち1人が答案用紙を破った。

【毎日新聞 1969.9.26】(引用)
キャンパス情報
試験も終わり“重症”脱出へ
<東京外語大>
19日午後、ロックアウト状態のままで、10日から機動隊の警戒で行われていた43年度学年末試験を終えた。大学当局はこれで紛争の自主正常化の“ひとヤマ”を越えたとみており、文部省から“紛争重症校”に認定されて大学法の剣が峰に立たされていた教授会はホットひと安心。6ケ月にわたるロックアウトも早ければ25日には解きたいと言っている。大学側の発表によると、受験票を出していた旧1年~4年の1,471人のうち約70%が試験を受けた。

69.10.13 授業再開。

(終)

【お知らせ その1】
9784792795856

『「全共闘」未完の総括ー450人のアンケートを読む』
全共闘運動から半世紀の節目の昨年末、往時の運動体験者450人超のアンケートを掲載した『続全共闘白書』を刊行したところ、数多くのメディアで紹介されて増刷にもなり、所期の目的である「全共闘世代の社会的遺言」を残すことができました。
しかし、それだけは全共闘運動経験者による一方的な発言・発信でしかありません。次世代との対話・交歓があってこそ、本書の社会的役割が果たせるものと考えております。
そこで、本書に対して、世代を超えた様々な分野の方からご意見やコメントをいただいて『「全共闘」未完の総括ー450人のアンケートを読む』を刊行することになりました。
「続・全共闘白書」とともに、是非お読みください。

執筆者
<上・同世代>山本義隆、秋田明大、菅直人、落合恵子、平野悠、木村三浩、重信房子、小西隆裕、三好春樹、住沢博紀、筆坂秀世
<下世代>大谷行雄、白井聡、有田芳生、香山リカ、田原牧、佐藤優、雨宮処凛、外山恒一、小林哲夫、平松けんじ、田中駿介
<研究者>小杉亮子、松井隆志、チェルシー、劉燕子、那波泰輔、近藤伸郎 
<書評>高成田亨、三上治
<集計データ>前田和男

定価1,980円(税込み)
世界書院刊

(問い合わせ先)
『続・全共闘白書』編纂実行委員会【担当・干場(ホシバ)】
〒113-0033 東京都文京区本郷3-24-17 ネクストビル402号
ティエフネットワーク気付
TEL03-5689-8182 FAX03-5689-8192
メールアドレス zenkyoutou@gmail.com  

【1968-69全国学園闘争アーカイブス】
「続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。


【学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録】
続・全共闘白書」のサイトに、表題のページを開設しました。
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
知られざる闘争の記録です。


【お知らせ その2】
ブログは概ね隔週で更新しています。
次回は3月11(金)に更新予定です。