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浅川マキ
歌手
1970年「浅川マキの世界」でレコードデビュー。現在も活動を続けている。

前回の連載No2に1971.6.15集会のデモで逮捕されたO君との東京拘置所での接見の様子を書いたが、書いているときにO君から借りたままになっている浅川マキのレコードのことを思い出した。
レコードはまだ我が家にある。レコードを聴けるステレオは10数年前に廃棄してしまったので、もうレコードは聴けない。
借りていたレコードは「浅川マキの世界」。浅川マキのファーストアルバムである。
レコードを借りている間にO君が逮捕され、結局そのままになってしまったのだ。あれから36年、今ではレコードは聴く機会もなく物入れの棚にある。

O君からレコードを借りた後、「MAKI供廚鯒磴辰拭どちらも浅川マキの初期を代表するとても素敵なアルバムである。2つのアルバムには寺山修司作詞の曲が多数入っているが、浅川マキの雰囲気・声とよくあっている。寺山修司も私の好きな作家・映画監督・演劇家であるが、この2人のコラボレーションはベスト。
この2枚のアルバムの曲は好きな曲ばかりだが、敢えて1曲を選ぶとすると、「朝日のあたる家」(新宿花園神社でのライブ)かな。オリジナル曲ではないが娼婦が歌う雰囲気がとてもよく出ている。浅川マキには娼婦の歌がよく似合う・・・・・。

浅川マキは歌手として認められる前、一時、ピンク映画にも出演していた。私も1970年か71年頃、東京の場末のピンク映画館で浅川マキが出演していたピンク映画を見たことがある。もちろん主役ではなく端役の娼婦役であるが、マキの雰囲気そのままだった。題名は思い出せない。

さて、10月下旬から11月上旬は当時も今も大学祭の季節である。
1971年の10月31日から11月3日まで開催された明治大学駿台祭で学苑会(局堯砲隆愀玄圓11号館に「リヴァプール」という名の喫茶店を開設した。
その宣伝文句には

― 全てのBeatles Generationはリヴァプールに結集せよ!
全時間BeatlesLP演奏。でも時々浅川マキもかけるかもしれないよ。―

とある。
私は駿台祭当日、御茶ノ水の明大駿河台学館のあたりをうろうろしながら、11号館から小さく聞こえるBeatlesと浅川マキの歌に耳を傾けていたが、浅川マキのレコードもBeatlesに劣らず、よくかかっていた。

この喫茶店を取り仕切っていたのが、局学苑会の活動家だった写真のヌードの女性である。(写真は71年の学苑会駿台祭パンフレットからの転載。写真の撮影場所は明大記念館内。)
あと何枚か彼女の写真がパンフレットに掲載されているが、この写真を選んで載せた。
彼女とはあまり話したことはなかったが、クールでとても存在感のある女性だった。
ビートルズと浅川マキ、ちょっと不釣合いな感じがするかもしれないが、浅川マキの歌は確かにあの時代の歌だった。