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 写真はシカゴ(注1)の1970年のヒット曲、「長い夜」(25or6to4)のシングルジャケットの写真である。
 明治大学和泉校舎の学生会館とシカゴの曲とどういう関係があるのか。
 
 1969年から1970年の2年間、私は学生会館運営委員の1員として東京杉並区にある明大和泉学生会館や御茶ノ水の駿河台学生会館で活動していた(リンクしている「明大全共闘・学館闘争・文連」のエピソード1969参照)。運営委員の活動としては、会議室の貸し出しや、電話呼び出しの館内放送、蛍光灯の取替えなど学生課との連絡、学館内サークルの運営会議開催などである。

和泉の学館運営委員会室には館内放送用の設備があり、ラジオ放送も聴けたので、何もすることがない時はラジオを聴いていた。主に聴いていたのはFEN(注2)。大学の受験勉強をしていた時にBillboardやCashBoxのポピュラーソングのヒットチャートをFENで聴いてチェックしていたこともあり、FENの全米TOP40などを聴いていた。喋っている英語の意味はよくわからなかったが、英語のリズムやポピュラーミュージックはBGMとして最適だった。その時、FENラジオからよく流れていたのがこのシカゴの「長い夜」である。私はこの曲がかかると音をすこし大きくして聴いていた。
この曲を聴くと、当時の和泉学生会館の様子が想い起される。

和泉学館には運営委員会室にピンク電話が1台しかなく、それが外部からの唯一の連絡窓口になっていた。現在のように、皆が携帯電話を持っているような時代ではなかったので、電話がかかってくると用件を取り次ぎ、放送設備を使って館内放送で呼び出しを行った。
サークルの中には、党派と関係あるサークルもいくつかあり、例えば「中国研究会」はML派、「西洋史研究会」は反帝学評、「歴史科学研究会」と「哲学研究会」は社学同などである。サークル名で呼び出せば問題ないのだろうが、一度、「反帝学評の人」という呼び出しがあり館内放送したところ、2階の学生会中執の部屋から社学同の学生が降りてきて、「他党派の呼び出しはするな!」といわれたこともある。
このピンク電話もバリスト後、鍵が壊されて電話代がなくなるなどしたため、電話代が払えなくなり、撤去されてしまった。その後、学館に電話が設置されたかどうか記憶にない。

当時の学館運営委員会のメンバーは数名いたが、私を除いて全員社学同だった。その中で私に学館のことや活動家として読むべき本のことを教えてくれたのは社学同のK氏だった。
K氏は九州出身で、当時少年マガジンに連載されていたジョージ秋山の漫画「ほらふきドンドン」によく似ていたので、皆からそうあだ名を付けられていた。
本名で呼ばれることはあまりなく、大抵はあだ名で「ほらふきドンドン」といわれていたが、実際はほらを吹くような人ではなく、1969年10月9日の機動隊導入に抵抗した明大大学院徹底抗戦組の社学同メンバーとして逮捕されている。
K氏は保釈された後、和泉学館に頭をまるめてスッキリした表情で現れ、タバコを美味そうに吸って「しばらく国に帰る」と言っていたが、それっきり姿を見なくなってしまった。
大学院徹底抗戦はK氏なりの明大闘争への決着の付け方だったのだろう。

もう1人、文学部の社学同M氏がいた。真面目でシャイなところがあったので、社学同の女学生から女性関係の話題でからかわれていた。卒業後、どこかのテレビ番組で、東京多摩地区の市民運動の代表として出演しているのを見たことがある。こんなところで活躍しているのかと思って懐かしくなった。

社学同のメンバーが学館運営委員会室に入れ替わり立ち代り現れていたこともあるのだろうが、K氏とM氏以外の学館運営委員会メンバーはよく思い出せない。
この頃出会った社学同の多くの人たちは、あまり理論をどうこう言う人は少なく、人間味があってよかったですね。
 
(注1)シカゴ:1969年に「クエスチョンズ67-68」でデビューし、今も現役で活動を続けているアメリカのロックバンド。

(注2)FEN:Far East Network(駐留米軍放送。米軍横田基地内にスタジオがあり、日本に駐留しているアメリカ軍人向けの放送局。1週間の放送時間の半分以上が音楽番組。)