イメージ 1
前回の黒ヘルの続き。黒ヘルは一般的には党派に属さないノンセクト活動家と考えるのが正解と思うが、必ずしも左翼とは限らず、右翼民族派も黒ヘルを被っていた。1971年頃、御茶ノ水駅周辺で何の表示もない黒ヘル学生がビラを配っていた。ビラを受け取って読んでみると、どうも変なビラである。「家畜人ヤプー」(※)のことが書いてあるビラで、左翼のビラにしてはおかしい。よく読んでみると中大の右翼民族派のビラだった。黒ヘルを被っていたので、てっきり左翼と思い込んでいたのと、「家畜人ヤプー」の内容だったことで、記憶に残っている。

黒ヘルは左翼だけでなく右翼も被っていた。そして黒ヘルについてもう1つの事実が明らかに・・・。
こんな本がある。

「過激派殲滅作戦」―公安記者日記―
1973年3月31日発行

この本は1971年6月から1972年5月まで、警視庁の公安・警備担当記者として勤務した時の経験を綴った日記を公表するというスタイルをとっている。
この時期は70年安保闘争終焉後の新左翼運動の分化と先鋭化を物語るような事件が次々と起こっている。

1971・ 6 中核派集会が開催された明治公園周辺でのデモ中、鉄パイプ爆弾により機動隊37名が負傷。以後、爆弾事件が続く。
1971・ 9 三里塚で神奈川県警機動隊が白ヘルの反対派グループ約500名に襲われ隊員3名死亡
1971・12 警視庁警備部長宅に小包爆弾。夫人死亡。新宿伊勢丹前交番にクリスマスツリー爆弾。12名重軽傷。
1972・ 2 連合赤軍による浅間山荘事件。
1972. 5 赤軍派によるテルアビブ空港乱射事件。

このような時期の警視庁公安課の動向がよくわかる本であるが、この本の中に以下のような写真がある。タイトルは

【71年の10.21国際反戦デーの際、東京・芝公園で黒ヘル姿の警官に逮捕される女性】

その写真に関する部分を引用すると
「一見すると「叛」と書いた黒ヘルの男と機動隊員が、ジーパン姿の若い女性を引っ張り合っている写真だ。しかし、よく見ると、黒ヘルの男は女の両足首を両腕でかかえ、マル機は女のえり首を片手でつかみ、両者で女をぶらさげている。しかもまわりに他のデモ隊の姿は見えないし、他のマル機は落ち着いた表情でこの三人を見守っている。つまり、黒ヘルの男がマル機といっしょに、抵抗する女性を逮捕し、ひきたてているシーンというわけだ。現場は芝公園で反中核系各派の解散地だ。
警備実施がある日、デモスタイルに変身した若い男女(警官)が警視庁から出かけるのはしばしば見ているが、検挙活動にまで加わっているというのは初耳。しかもバッチリ写真にとったというのも初めてだ。この写真、当局にぶつけたら“犯人の奪い合いだ”と強弁するだろうが・・・・。写真部は時間のズレもあるしタイミングを失したということで、結局ボツにしたというが、残念。」

つまり、警官が黒ヘルを被ってデモ隊に紛れ込み、検挙活動を行っていたということである。警官であるという証拠はないが、公安・警備担当記者としてある程度の確証を持っていたのだろう。
黒ヘルを隠れ蓑にした公安(警察)の活動があったとすれば、当時、ノンセクト黒ヘルだった私としては複雑な気持ちになる。

※「家畜人ヤプー」:1956年より「奇譚クラブ」に連載されて、その後断続的に発表された沼正三の長編SF・SM小説。何故、民族派学生のビラに登場したのかは、日本民族の起源についての部分に関係していると思われる。