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連載No92の続きです。
明大では4.12駿河台学生会館への機動隊乱入事件をきっかけに、学内の情勢は緊迫し、4月から5月にかけて大学側と学生会(吃堯法学苑会(局堯砲箸涼銚鬚相次いで行なわれた。
団交の中で、学生側は「学校権力の粉砕と学生の手による学園の再編」「実力闘争による中教審答申、大学立法粉砕」などを掲げ、全共闘運動による実力闘争を宣言。
6月9日、「大学立法粉砕と六項目要求」というビラを明大全共闘連絡会議の名で発行した。
このビラの中で、5月15日に出された学長の大学立法反対声明を批判し、
『大学は「社会」を変革し「未来社会建設」のためにこそ「奉仕」しなければならず、あくまで「現状変革」の拠点でなければならない。
そのため、あらゆる抑圧され、差別され、搾取され、苦しんでいる大衆のための「開かれた大学」でなければならず、学問はそうした大衆の解放のためでなければならない。
帝国主義者の政治=経済政策が個別資本明大において実現されており、その執行者が他ならぬ大学自治の担い手=教授会であることを明らかにした。
学長を先頭とする中教審批判が、単なる「法制化」に対する反対にすぎず、「開かれた大学」は政府当局のいうそれと同じであることが明らかになった。
教授会の「自治=自主規制路線を粉砕し、教授会の自治に基づく中教審大学=明治大学を告発する闘いとして、六項目要求の闘いがある。』として
四大スローガンと六項目要求を掲載した。

<四大スローガン>
1 70年安保粉砕、11月佐藤訪米実力阻止!
2 大学の帝国主義的再編=大学立法、中教審答申粉砕!
3 全国学園闘争勝利!
4 学館寮農学部闘争勝利!
<六項目要求>
1 学生部廃止
2 処分撤回
3 農学部の帝国主義的再編粉砕
4 寮の完全自治権獲得
5 学館の管理運営権獲得
6 健保の赤字全学学校負担

この四大スローガンと六項目要求を掲げて、全共闘結成から全学バリケード・ストに向けた動きが加速していく。

一方、政治課題として「大学の運営に関する臨時措置法案」、いわゆる「大学立法」をめぐる闘いが全国で広がり、国会提出を前にした5月23日、全国で「大学立法粉砕統一行動」が行なわれ、集会は38都道府県、110ヶ所で開かれ、49,100人が参加した。(警視庁調べ)
東京では駿河台の明大記念館を拠点に反代々木系各派による街頭闘争が行われた。
(写真は毎日新聞から転載:明大記念館屋上から投石する学生)

【大学立法 全国的に荒れ模様 駿河台で警官と衝突】朝日新聞1969.5.24(引用)
『大学立法反対を叫ぶ反代々木系学生約3千人は、23日午後2時すぎから東京・神田の駿河台―御茶の水駅にかけての明大前通りを中心に、路上にバリケードを築いて夕方まで機動隊と激しい衝突をくりかえした。
学生の投石と機動隊のガス弾の応酬で、この一帯の交通は完全にマヒしたが、午後7時ごろ平静にもどった。この騒ぎで学生ら37人が公務執行妨害、凶器準備集合などで逮捕された。
この日、学生は明大記念館を拠点にし、各派が午後2時ごろから同館近くに集まり、それぞれ集会やデモを行なったあと、館内からイスやつい立てを持ち出して道路にバリケードを築き、路上いっぱいにデモをくりかえした。
警視庁は庁内に総合警備本部を設け、約4千人の機動隊を出動させ規制にあたったが、学生はバリケードに放火したり、投石して激しく抵抗した。
5時間近い学生と機動隊の衝突で、明大前通りはヤジ馬と一般学生でびっしり。衝突のたびにヤジ馬も大きく揺れた。学生たちは最後に拠点の明大記念館にもどり、集会のあと機動隊の包囲網をくぐるようにして、ばらばらに逃げた。(後略)』

明大記念館屋上に鈴なりになった一般学生とヘルメット学生の上を催涙弾が白煙を上げて飛ぶ様子や、明大前通りを激しくジグザグデモをする隊列など、この時の写真が「大学闘争70年安保へ」浜口タカシ写真報道(1969年)の中で見ることが出来る。

この日、私は和泉校舎から学館運営委員の社学同K氏と一緒に御茶の水へ向かった。御茶の水駅を降りると、すでに衝突は始まっており、強烈な催涙ガスの臭いで目がショボショボに。路上にはヤジ馬がぎっしり、石がゴロゴロ。
あたりを見渡しているうちにK氏は警察の通行規制のロープをくぐり、催涙ガスで煙る駿河台方面へスタスタと行ってしまった。私もあわててK氏の後を追って駿河台方面へ・・。

(つづく)