イメージ 1
連載91で全共闘白書について書いたが、この本は党派、ノンセクトを問わず、全国学園闘争を闘った人たちへのアンケートの回答をまとめたものである。
アンケートの中で「元活動家の沈黙」という質問への回答が気になった。
この質問の趣旨は、元活動家が政治的に沈黙している理由を聞くものなのだろうが、この質問への回答の中に、闘争に関わった者の「沈黙」に対する様々な思いが見てとれる。
以下、そのいくつかを紹介する。

【全共闘白書】(新潮社発行 全共闘白書編集委員会編)(引用)
『「元活動家の沈黙」という質問に対する回答(抜粋)
<東京大学> 66年入学
70年安保闘争の敗北の総括は、「もう一度、各自の持場に戻って、こつこつやっていこう(問題点や矛盾を見つけ、現場で運動していこう)ということであったと考える。したがって、各自の持場を超えた「政治的」なことには沈黙しているのは当然である。

<関西大学> 67年入学
より真摯に活動に関わった人ほど、政治的に関わりたくないのが自然だと思う。全共闘経験を披露しながら現在の政治を語る人を信じたくない。

<京都大学> 65年入学
それでいいと思う。あの時代に私たちが獲得したものは生活あるいは生き方の中に着実に息づいているし、いろんな所で歴史を変えていく力になっていると思う。
元活動家はあくまでもその時代に適用しただけの元活動家なのだから、出てくるべきではない。

<大阪芸術大学> 72年入学
 自分は団塊の世代の少し下なので、当時、運動を担っていた人々が潮の引くように消えたことに、怒りを感じた。かっこ良くやるだけやって、さっさとひきさがり沈黙を決め込んだという気がして、10年くらい前までは、勝手な世代だという判断だった。
今は、日本独特の社会構造の中で自分を守らざるを得なかったのだろうと解釈しているが、謎の部分はまだまだ多い。

<広島大学> 68年入学
沈黙の質が問題だと思います。このごろ、かってともに闘った連中と話をする機会がありましたが、ほとんどが“思い出”としてしか残っていないように思いました。
解体し、敗北した後は、何年たっても当然総括の季節であり、これは個人的にしか担われないものであって、行為的には沈黙するしかないと思いますが、思想的な意味での空虚な沈黙を見てばからしくなります。

<和光大学> 68年入学
何も政治的に発言すればいいということでもないだろう。元活動家の心の中には何らかの形で経験が残っているはず。それを、その場その場でいろいろな形で表現すれば良いと思う。

<早稲田大学> 72年入学
絶望が深ければ深いほど人は沈黙を守ると思うし、「自己否定」という理念が政治的沈黙への道筋となることはある意味で当たり前だと思う。』

「元活動家」の「沈黙」に対し無責任と批判する回答もあったが、それを追認(許容)する回答も多かった。
大学への入学年度の違いや、それぞれの個別の体験を踏まえたうえでの回答なのだろうから、それに対してコメントをする気はない。
ただ、「沈黙」についての私なりの回答を書いてみたいと思う。
私は3年前、ある体験がきっかけとなり「あの時代」を「語る」ことを選んだのだが、それまでは政治的にも個人的にも「沈黙」していた。
大学を離れてから30数年間、「あの時代」のことは語らずに、心の奥底にしまって黙って生きていくことが「あの時代」を体験した者の生き方と考えていた。
全共闘結成、バリケード封鎖、機動隊導入、ロックアウト、内ゲバ、70年安保闘争の終焉、運動の再構築・・・それぞれの場面で多くの人たちに出会い、そして多くの人たちが消耗し、挫折し、姿を消していった。
その間の体験は、政治や組織、思想と自らの関係を常に問われるような重く辛いものであり、懐かしい“想い出”として語れるようなものではない。
肯定することも否定することもできないような「もの」として私の中で「語る」ことを拒んでいた、とでも言っておこうか。それは同時に政治的な活動への参加についてもいえることだった。

当時の闘争に関わった多くの者は「沈黙」の中にいると思うが、たとえ深い「沈黙」の中にいても、当時の「志」を忘れずに、その時々で時代と向き合い、生きていくということが一番重要なことではないだろうか。
「沈黙」には人それぞれに意味があり、「語るべき」時がくれば、どんな形であれ人はそれを「語り始める」と私は思う。