今はもう廃刊になってしまったが、「平凡パンチ」という雑誌があった。
1960年代を代表する雑誌といってもいいだろう。
ファッション、車、女性のヌードなど若者向けのいわゆる“軟派”系の雑誌であるが、当時の学園闘争関連の記事も載せていた。
今回紹介するのは、1969年11月24日号(写真)である。
目次を見ると
ザ・ビートルズの世紀のイタズラ(筆者注:サージャント・ペッパーズをめぐる噂)
白い超ミニのさわやかな17人 <ステージ101>に登場する女のコたち
オトコならやって見ろ! 世間の冷たい眼に挑戦する<奇行>の値段
ワイダンする女の子研究
などの記事が並ぶ中で、小中陽太郎氏(作家・ベ平連)による「この人の証言」というコーナーがあり、第1回目のゲストとして日大全共闘議長 秋田明大氏の獄中インタビューが載っている。
「平凡パンチ」の読者向けではあるが、秋田氏の人柄が伝わってくる内容である。
【女ってこんなにキレイだったのか 独房の中で8ヶ月激動の時代を見つめる人間秋田】
平凡パンチ 1969.11.24 (引用)
『東京拘置所の壁は高く、厚かった。私は、秋の朝、何度か東京拘置所に足を運んだ。
秋田明大に最後に会ったのは1年前の冬、某所から某所へ移動の間のことだった。
8ヶ月ぶりに会う彼と私の間には、面会室の金網が、白く鈍く立ちはだかり、かたわらに、メモをとる看守の姿があった。金網は二重になり、顔の輪郭さえボケテいる。
しかも、面会時間は、たったの5分と厳重に制限される。
二重の金網の向こうから聞こえてくる人間、秋田明大もナマの声をきいてくれ。
<山本クンに会って思わずニヤリ>
東京拘置所の面会人待合室は人生の縮図だ。
小指をつめたヤクザもん。野球帽のオッサンは、競馬場のノミ屋か?
乳飲み子の手をひいた若い女は兎のようにおどおどし、髪をアップにしたトルコ嬢は、ヒモが獄中にいるのか。
白髪の父親が「ガロ」を差入れる。いずれも学生たちの肉親だろう。
私は胸に98番の面会票を付ける。
「三号室に入りなさい」
金網だけが光る。その向こうの小暗いカゲに、紺色のTシャツを着た秋田明大がいた。
土気色の肌、少しむくんでいる。髪も長く、乱れている。
その顔が、にっこり笑って「やあ」といった。
コナカ けさ起きて、ナニ考えた?
アキタ ひとりごと言った。「アア・イヤンナッチャウナ」
コナカ 運動不足じゃないか?
アキタ 独房で体操やるわけ。腕立て伏せ、腹筋、さか立ち、それとコマネズミみたいに走りまわる。いままで体をきたえるため、ハダカでいたけど。このごろじゃ寒くて・・。
コナカ 変わった手紙や知らない面会人が来るかい?
アキタ うん、2.3日前、モミジの押し葉を入れた手紙が来た。「外の空気はとてもおいしいですよ、もう秋ですもの」だって。チキショウ!
それから「あなたは罪を犯しています」。なんだろうね。コレ。
コナカ 君の背番号は?
アキタ 40××番。(獄中の秘密につき伏せ字。でもオレ聞イチャッタ=小中注)
コナカ その番号は、一生忘れないだろ。
アキタ 権力から与えられた屈辱の勲章。でも名誉の勲章だね。
コナカ 看守なんかと話す?
アキタ 若い看守がね、オレの職業どう思うってきくんだ。オレ、答えられないよナ。
コナカ ほかの仲間と話す機会は?
アキタ ないね。あ、そうだ。山本さん(東大全共闘議長)に会ったよ。あれは10.21の前だから20日だったかな。接見に出かけるんで廊下を歩いていたら向こうから声かけるんだ。「おう」といってニヤッと笑ったんでね、こっちも「おう」ってね。
コナカ 護送車の窓から見るシャバのようすは。どうだい。
アキタ それがふしぎに腹立たしくないんだ。街ゆく女性の体、顔つきなんかが、やたら目についてね、女ってこんなにきれいだったかって、目をサラのようにして見るんだけど、アッという間さ。すぐ地裁に着いちゃう。
コナカ 誰にいちばん会いたい?
アキタ ゲバラ、シュバイツアー
コナカ 夢なんか見る?
アキタ ふしぎと見ない。オレ寝ながらドナルらしいよ。
コナカ もしキミが日大に入っていなかったら、今ごろなにしてる?
アキタ 大学出ても、なにするかわからないのに、仮定のことは答えられないよ。ま、しいていえば、百姓でもやってるかな。(後略)』
インタビューはまだ続くが、続編は来週。
(つづく)
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