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前回に引き続き「明大2月6日に集う会」の報告を書くことにする。

土屋氏の講演の後、休憩をはさんで、米田氏の司会(写真)で生田、局堯∨楾察ο太瑤了臆端圓ら現況報告があった。
最初は生田地区。三里塚現闘40年!現役のI氏(68年農学部入学)から報告があった。
I氏は三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会で活動を行なっている。
『三里塚では北原派が数名がんばっているが、熱田派は私1人である。空港反対運動を40年続けている。成田では現在も横風滑走路は完成していない。空港会社から一坪共有地に対する裁判が起こされている状況である。
先ほどの講演で「ウンコ爆弾」の話があったが、こちらでもビニール袋にフン尿を入れてゴムひもでしばったものを使用している。
砂川闘争から三里塚まで人民の闘いは続いており、70~80年代より闘争は縮小しているが、成田空港は完成しないと思う。

2~3年前までは、このような会合に出ることに拒否感があった。
しかし、亡くなる人も出てきて、この先会えなくなるかもしれない、ということと、カンパを集めてくれるということで参加するようになった。
生田の会合に出て、大学時代の経験が今に生きていると思った。』

ここまで話して、手元の資料を広げながら

『ここに全明全共闘結成大会の議案書がある。生田では本校の様子がわからないので、当時、緑ヘルを被っていたが、この大会に参加した。しかし、後で聞くとMLと中核の大会で全明大の大会ではなかった。生田には情報がまったく伝わらなかった。
ところで、私が持っている資料としては生田関係の資料が殆どであるが、こういった資料をどこかできちんと保存していく必要があると思う。』

このI氏の発言に心の中で「異議なし!」と叫んだ。
その時、肩をトントンと叩かれて振り向くと、米田氏から「関連があるから次に喋ってくれ」と言われ、思わず緊張する。
緑ヘルについては、懇親会でI氏に聞いたところ、構改三派であるフロント、共学同、プロ学同ではなく、第四の党派(統一共産同盟)とのこと。
そういえば、昔、生田に構改派がいるということを聞いた記憶がある。

I氏の発言が終わり、「明大全共闘のホームページをやっているY君です」と紹介された。
私(69年商学部入学)からはホームページ作成の経緯などを簡単に報告した後
『私のホームページはマイナーなサイトであるが、インターネットは全世界に開かれている。当時の資料を持っている方がいれば是非貸していただき、時の流れの中に埋もれようとしてる資料を保存・公開していきたい』
とお願いした。

続いて、生田のS氏(67年工学部入学)から報告があった。
『長野県で障害者社会福祉活動を行っている。株式会社水輪ナチュラルファームというところで、自然農法による麦、ソバ、マメの生産を行なっている。
我々の世代は人のことで一生懸命悩んでいた世代であるが、今の世代は自分のことしか考えない。自分のことでなく人のことで悩んでいればウツにはならない。
こんなウツの青年たちを20人くらい預かって青年たちと農業をやっている。
この活動を支えるにはお金がいるので、企業から資金援助を受け、(財)いのちの森文化財団を運営している。
学生時代やっていた想いを今も持ち続けることが大事だと思う。』

当時の志を忘れないこと、同感です。
(財)いのちの森文化財団は、ホームページによると以下のような事業活動を行っている。
1.教育、文化、学習事業
2.環境保全と健康創造事業
 信州の自然を活用した体験学習の実施
3.社会復帰支援事業
 心の悩みや引きこもりなど社会復帰が困難な青年達に対する社会復帰支援
4.啓蒙、広報、研究事業
 新聞「いのちの森」通信の発行など

生田地区の報告に続き、局瑤裡忙瓠66年曲呼?悄砲ら重信さんの救対活動を行っている「土曜会」の報告があった。

『サークル(「教研」)活動家として、1年生の時、学費闘争を闘う。その後、社学同に入り重信さんと一緒に活動。
現代思想研究会に所属し研究部連合会で活動していた。
ブントの分裂後、局瑤亮匈愼韻論峽廓匹犯栖杦匹吠かれ、田中義三氏は赤軍派に行き「よど号」をハイジャック。そして連合赤軍事件があった。
連合赤軍事件で亡くなった遠山美枝子さんの弔いや、タイで逮捕された田中義三氏の救援活動などを仲介に集まるようになった。
重信さんの救対活動については、困っている人が助けを求めてくれば助けるというスタンスで、昔の明治の仲間で月1回集まって、重信さんとの面会や裁判の支援活動を行なっている。土曜日に集まるので「土曜会」。
重信さんからこの集いへのメッセージがあるので、娘のメイさんに代読してもらう。』

メイさんは、メッセージを代読する役目で来ていたのだ。
重信房子さんからのメッセージは、次週全文を掲載します。 

(つづく)