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No126の続きです。

衆議院で可決された大学立法は8月3日夜、参議院本会議で強行採決され、8月17日に施行された。
新聞によると、この時点で「紛争中」の大学は国立41、公立7、私立23の計71大学となっている。もちろん明大もその中の1校であった。

大学立法施行時に、ストや校舎占拠などから6ヶ月以上たった「重症校」は東京教育大学、東京外語大、東京水産大、横浜国大、富山大、京大、阪大、神戸大、和歌山大、岡山大、広島大、熊本大の12校。
「紛争大学」と認定されると、自主収拾期間を経て文部大臣による職権閉校、そして大学廃校となる。
大学立法の施行を待たず、神戸大では機動隊が導入され、バリケード封鎖が解除された。また、大学立法施行日には、広島大と中央大に機動隊が導入され、徹底抗戦した学生が逮捕され、その後も次々と機動隊が導入されていく。
一方、明大の学内ではまだ大きな動きはなく、夏休み明けが焦点とされていたため、私と414B統一戦線のN君は大阪城公園で開催された「反戦のための万国博」に参加するため、大阪に向かった。(ハンパクの様子は、No94~96を参照)

8月はバリケード封鎖も1ヶ月以上経過し、夏休みということもあり、闘争も休戦状態となったが、明治大学新聞に明大闘争の経過と展望について、全共闘幹部による座談会が掲載されているので、見てみよう。
出席者は全共闘代表の福田直人氏の代理で生田の八木文明氏(工学部建築科4年)(社学同)、全二部共闘会議議長の本間晟豪氏(二部文学部4年)(ML派)、学生会中央執行委員長の両川敏雄氏(政経学部4年)(社学同)の三氏である。

【新たな全共闘運動の創出を】1969.8.21明治大学新聞(引用)
『司会:では、まずこれまでのバリケードストの思想的背景を踏まえた上での経過を具体的に述べていただきたいと思います。

八木:一時的には学生の昂揚すなわち大学立法粉砕の闘いがなされてきたのだが、大学側の夏休みという巧妙な対策の中で、闘いの結集の基盤がなくなってきているし、現在的にはこの全共闘運動が大学立法に対して結合しているのか、あるいは9.10.11月の佐藤訪米へ向けての結成の管であるのか、そこまで問われていると見ています。

本間:バリ・ストについてはいろんな総括ができると思う。
ひとつには大学立法という闘いそのものに対する総括と、も一つはとりわけ二部において強調されてきた全共闘運動についての総括です。
極端にいうと明治大学で創り出すものは何よりも全共闘運動だと思う。
バリ・ストの総括をする時、この全共闘運動をいかに現出せしめたかを重要な問題にしなければならない。
これについてはそれほどの成果があったとはいえない。
というのは大学立法そのものが明確な政治的焦点を持ちにくい性格をもっていたから、逆に学生の意識の分解が定着したまま運動が進行せざるを得なかったということがある。
しかしながら、大学立法の闘い、総括としての日本における大学闘争がこのまま平行線を辿っていくとは考えない。
個別明治大学だけをとってみても、夏休み明けが一つの焦点となりながら、授業再開か否かで一つの大きな流動化があらわれると思う。
問題はその流動化に、今の組織がどれだけ耐えうる組織的力量・運動実践としての力量を保ちえるのかということを検証していかなければならない。

両川:総括を行なう場合、はっきり全共闘運動は学生会中執ではないということを重要な問題として総括しなければならない。
全共闘が結成されたのは、大学立法反対、明治大学におけるいろいろな諸矛盾という二つの社会的問題を、層としての政治的問題のスローガンとしてかかげてきた。
だから、これらは即時的に学生諸君が理解できたと思う。
そういう意味では、夏休みを控えて苦しいのは当然のことであるし、それほど悲観的なことだとは思わない。
あとは全共闘運動が単なる共闘会議という性格に終わった場合、一つの社会革命の問題としてしか把えきれないという限界性を、全共闘内部で討論する必要があると思う。
その場合、全共闘がポツダム自治会を乗り越える形であるとするのではなくて、むしろ現在の既存の政治体制というものに向かって攻撃できるかということを提起する必要がある。
と同時に、この間政治闘争を闘ってきた全学連・全共闘という二重的な組織がどうしても必要だ。(後略)』

この座談会では、ノンセクトの台頭と、それをいかに全共闘運動に包含していくのか、そして今後の政治闘争を含めた展望、全学連と全共闘の関係などについて語られ、「全共闘自身が武装して、学内における武装から権力に向けての武装という運動形成にならざるを得ない。」「全共闘は70年安保を闘えない限り、これからの運動は一切ない。」「全共闘という統一戦線機構の中において指導的な党派というものが、どれだけ指導力量を発揮できるか問われている。」などの発言が続いた。

(つづく)