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「新聞で見る1969年」シリーズ。
今回は、ホームページの1968-69全国学園闘争「図書館」コーナーでも公開中の東大闘争獄中書簡集である。
ある方からの寄贈を受け、現在、第12号まで公開が進んでいるが、この書簡集に関する新聞記事があるので見てみよう。

【獄中書簡】1969.7.12毎日新聞(引用)
『(前略)<早くも12号を発行>
タイプ印刷で20ページたらずの小冊子。それも、東大前の鈴木書店や神田すずらん通りの内山書店など、ごく少数の書店にしか置いてないのに、いま学生たちの間で“隠れたベストセラー”になっている週刊誌がある。
その名は網走番外地―いや、都内各署に留置されている学生たちの“獄中書簡”を集めた「東大闘争・獄中書簡集」だ。

4月20日に創刊されたときは「せいぜい三号くらいしか続かないだろう」という声もあったのに、着実に号を重ねて、早くも十二号が出たところだが、その売れ行きは「うちに置いてある週刊誌の中では一番です」と、書店側でも感心するほど。
「うちだけで通算六千部は出ていますね。もちろん、いまも好調です。」(鈴木書店)
発行者は「獄中書簡発行委員会」で、委員長代行は加藤二郎君となっているが、もちろん仮名。
連絡先の東大追分寮(文京区向丘1の12の7)内、真崎猛哲君も“まっ先、ゲバ哲”のニックネームで、読者のアイドルになりはじめているが、これまた架空の人物である。
(中略)

<理屈ぬきでの愛読>
まったくゲリラ的で、人を食った刊行方法だが、毎週土曜日の新宿広場や各種の集会に持って行くと、1部50円で飛ぶような売れ行き。
この種の刊行物の中では、まず筆頭のベストセラーだ。
が、それのそのはず。「毎号欠かさずに読んでいる」という学生に聞いてみると、「あの東大闘争を勇敢にたたかって、パクられただけでもカッコイイのに、その獄中から手紙をよこすなんて。ますますカッコイイわ。」(共立女子大1年生)
「全共闘が配るビラなんかより、ずっと真実味があって、胸に響くものがある」(明大2年生)などと、理屈ぬきの愛読ぶり。
「ぼくも1回パクられたことがあるから、ここに書いてあることがよくわかる」(日大3年生)という声も少なくなかった。(中略)

<全くない罪の意識>
事実、書簡集に収録されている手紙を見ても、罪の意識はまったくなく、獄中で窃盗犯と一緒になった学生は犯人に同情して、こう書いている。
「奪われた富の何分の一かを奪い返そうとした彼は即時に手錠をかけられました。窃盗・・。
僕らの言葉でいえば“奪還未遂”でしょう。」(6.7合併号)
このメイ文はそのまま表紙に使われているが、手紙の一部を表紙に刷り込む方法は毎号同じ。
「ここにいる限り、パクられる心配はないとふと考え、ア然としたことがある。独房の中にも唾棄(だき)すべき日常性が忍び込んでいたのである。」(8号)とか「諸君が面会を終わって帰っていく時、我々がその背中にどれだけ熱い期待のまなざしを投げかけているかを、肌身で感じて欲しい。」(12号)
そして、表紙をめくると「目次」になっていて「中野より工藤民男・山形大」「東拘より渡辺黙男・東大」といった“仮名”が並んでいる。
「東拘より」というのは東京拘置所からという意味で、「中野」というのは中野刑務所のことだ。
なかには本名でゲバルト・ローザの異名をとる柏崎千枝子さん(東大大学院博士課程)や、山本君とともに全共闘で活躍した今井澄君(医学部六年)の名前もある。

<たたかいの武器に>
それぞれに闘争の第一線から身を引かされ、獄中でひとり時間をかけて考えたり、悩んだことを書いているので、読む者の胸に訴える文章が多い。
ある者は静かに自分のおい立ちを語り、ある者は獄中で読んだ本の感想を書いていて、現代版「きけわだつみのこえ」といった感じがしないでもない。
しかし印刷費を友だちから借金して、スタートさせたという編集委員のS君(文学部五年)は「わだつみのこえなど読んだことがないし、読みたいとも思わない」という“戦無派”だ。
それどころか「商業的な出版社から続々と刊行されている“闘争の記録”だって、ニガニガしくて読む気がしない」と、こういっていた。
「資本家の食い物にされている闘争の記録に反対して、自分たちの記録を作ろうと始めたものです。いろんな出版社から“うちで出せばもっと売れるぞ”と失礼なことをいっているが、ぼくらは決して売り渡しません。
問題は売れる売れないではなく、この書簡集をいかにして、闘いの武器にしていくかです」
書簡集は毎号、獄中の学生に差入れされ、彼らを勇気づけているし、獄中・獄外の連帯の本拠にもなりつつあるから、いまや立派な武器といえよう。』

この書簡集は編集委員のS君の思いとは別に、1970年2月に三一書房から出版されている。