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前回の続きです。
6月20日に関大会館を封鎖した全共闘は、翌日一旦撤退したが、6月22日、再度封鎖に踏み切る。(写真は毎日グラフから転載)

【関西大再び騒然 全共闘、体育会系とこぜり合い】毎日新聞 1969.6.23(引用)
『封鎖さわぎが一段落したばかりの関西大学で22日朝、再び全学共闘会議派の学生が関大会館を占拠、表にバリケードを築いてたてこもり、封鎖に反対する体育会系学生と深夜までにらみあった。
このため大学側は緊急部局長会議を開き、両派が衝突したときは、警察の出動を要請することを決めるとともに、実力行使を避けるよう説得をつづけた。
全共闘(文、社会、商三学部自治会と五学部闘争委員会で組織)は21日午後7時すぎ、バリケード封鎖中の関大会館から自主的に撤退、姿を消したが、22日午前10時ごろ、“外人部隊”を含め約150名のヘルメット学生を動員、会館を再占拠した。
このあと全共闘は会館前の広場に立てカンバン、机などでバリケードをつくり、館内に角材、鉄パイプ、石などを持込み、さらに小型トラックで食料を運び込んで長期封鎖の体制にはいった。
一方、体育会、文化系の学生約500人も約400メートル離れた体育館やサークル館3ヶ所にたてこもり、通路にバリケードを築いてにらみあった。
両派の学生は夜にはいってから再三鉄パイプなどをふりかざしてこぜりあいを繰返した。』

【キャンパス情報】毎日新聞 1969.6.24(引用)
『機動隊導入を決議
<関西大>全共闘(反日共系)が大学本部を封鎖しているが、学友会執行部(体育会系)は23日、全学集会を開き「機動隊導入を大学側に要請する」と決議した。
全学集会は約五千人の学生が参加、杉原四郎教学部長、桜田誉学生部長らも出席した。
全共闘はこの決議に強く反発しているので、紛争はいっそうこじれそうだ。』

【苦悩する個別学園闘争 関西から】朝日ジャーナル 1969.9.21号(引用)
『日大ミニチュア版 関西大
(前回よりつづく)このときの学内の右翼勢力と全共闘のゲバでは日本刀が登場するなど日大的なシーンがあったらしいのです。
このあたりから、いくつかのサークルが続々学友会離脱を宣言するなど、中執による支配体制が事実上崩壊をみせはじめるのです。
一方、大学側の内部はバラバラで、法、文、商の教授会は機動隊導入に反対の決議をするしまつ。
日大ともっとも違うのは古田会頭的な人物が関大にはいないことかもしれません。
結局、中谷敬寿学長、桜田誉学生部長ら執行部は8月30日に辞表を提出してしまいました。
9月8日、法、経など一部授業再開の動きが出はじめましたが、全共闘は妨害戦術に出ており、まだまだ情勢は混沌としています。
ところで関大は万博会場に近く、学外では関大闘争が万博反対にどう結びつくか、関心のまとなのですが、学生たちは、基本的には反対していてもさて具体的にどうするかということになると相手がでかすぎて・・と苦笑していました。』

闘争とは直接関係ないが、万博に関連して新聞にこんな記事が載っていた。

【関大全共闘、手配師に食われる】毎日新聞 1969.8.14(引用)
『万博工事 保釈金かせぎ二百人タダ働き
逮捕された学友たちの保釈金をかせぐため。関西大学全学共闘会議の学生たち延べ228人が、24日間も万国博の国連館建設現場で働いた。
ところが、いっこうに金を払ってくれず、全共闘で調べたところ、この仕事をあっせんした手配師が金を持ち逃げした疑いがでてきた。
学生たちが働いたのは熊谷組の下請会社、柏田工務店の建設現場。全共闘のメンバーの1人N君=社会学部三回生=が国鉄大阪駅で手配師の「西田」という男から「万国博会場でいい仕事がある」と持ちかけられ、仲間と相談した結果、逮捕された学友の保釈金や闘争資金に使う目的で、全共闘あげて働くことを決めた。
学生たちがこの話に乗ったのは、日給2,300円(食事付き)という条件だったためで、口約束だけでとびついた。
全共闘は封鎖中の同大学社会学、法文研究室に泊まり込んでいる学生たちを、先月18日から毎日平均10人、柏田工務店に派遣、万国博会場内で土運びやアナ掘り作業をした。
給料日の今月10日、学生が柏田工務店に給料をもらいに行ったところ、日当は手配師が約束した1日2,300円ではなく1,100円と半額で、しかも食事代(350円)を差引いて、たったの750円という説明。
この抗議で寝耳に水の柏田工務店社長、柏田定利さんが調べたところ、先月分の給料は、すでに会計係から手配師の「西田」に支払われていることがわかり、保釈金も皮算用に終わりそう。
自分たちが汗を流した国連館の壁に「万国博粉砕」と書きなぐったのが精いっぱいのウサ晴らしだった。』

(終)