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前回(No202)の続きです。

『4.脱原発への方途
原発を止めたら、足りなくなった電気をどう出すんだという議論がある。これに対する対応をどう出すか。
実は、坂本龍一なんかがやっている民間バンクですよ。この民間バンクのお金をどこに使うかというと潮力、風力、太陽熱。具体的に原発止めて行こうという事業を起こして、ここでこれだけの電気を使う、それが3基でだめならば6基にする、6基でダメならば8基にする、そのためには、これだけの資金がかかる、それをトータルしても原発よりも安くあがる。
潮力、風力、太陽光など、トータルとしてどれだけの雇用機会が生まれるかを含めて具体的に提案する、実際にやる。
僕が(今)ただ一つやれているのは、深夜電力だけ。
電気止められて黙って過ごすのはいやだから深夜の電力を使うことによって需要の一番低いところの電気を昼間からそちらに移す。今になって新しいことを発見したようなことを言っているが、(僕は)30年前からやっている。
屋根も太陽熱に替えようと思っている。自動車も二酸化炭素の発生の少ない自動車に切替えることくらいしか、反対運動を続けて行く方途が見つからない。
具体的に反原発の資料を提供するという段階から、その代替のエネルギーを提供するような団体を作っていく、グループを作っていく、個人を開発していく、この基軸をもってやれば完全に今の考え方に打ち勝てると思う。
このことを言いたくて来た。
この2つをやりませんか。この明大生田の地から新しいNPOを立ち上げて、そういうことをやろうという人間に、いろんなところから金を持ってきて、そして、実際にどこそこでどういう発電が始まったということが山火事のように広がっていけばいい。

5.建築から見た福島原発
建築関係、耐震構造についてもカラクリがある。
今のような福島の原発が可能になるような法改正は準備されていた。
(福島原発は)20メートルくらい山を削って、強い岩盤を出してそこに原発を乗せた、と言っている。それ(原発)は最初のGL(グラウンドレベル)のところに建てればよかった。
杭の長さが、30メートルか40メートルの杭を打たなければならなかった。1本30万円くらいする。これが何千本という状態で原発を支えないとダメだった。そのお金を節約して港からの荷揚げを簡単にするために、その20メートルを削って原発を下に落としてきた。
そこに津波が地盤の高さまで来た。こういうことを可能にしたのが国交省だ。そのための法律を前もって用意してきた。
建築の方からも、その時に関わった学者を実名を挙げて告発していくつもりだ。

6.津波で残った建物
こないだ釜石から宮古まで行って、宮古から石巻まで一人で自動車でボランティアをやりながら下がってきて感じたのは、原発の問題はもちろん重大な問題だが、建築の問題が全部被災の問題に片付けられているのは犯罪的だ。
流されたところの住宅は人間が住むところじゃなかった。現地でそれを言った。
「死者にムチを打つようなことを言うかもしれないけれど、あなた方は不幸にして津波に持っていかれたのではないんだ。住んだ時から持っていかれるのは分かっていたんだ。」と。
ということは、そういう所にしか彼らは住めなかったんだ。金がある人は少々不便でも高台に行った。実際に残った家と流れた家を見てごらんなさい。
石巻にいってビックリしたけど、このことは「人を殺さない住宅」という本にも書きましたが、北海道南西沖地震の時、(奥尻島)青苗地区で2軒だけ家が残った。
今回と同じように、流れてきた舟が家を潰した。津波が潰したのではなく、流れてきた舟が家を潰した。東北でも全く同じように見える。それでも2軒家が残った。僕はそちらの方に目を向けて、あそこの調査をやった。何故残ったのだろうか。
いろいろ調べて本にも書いた、論文も書いた。残るべくして残っている。
この地に家を建てる時には、どういう風に風を読まなければならないか、太陽を読まなければならないか、津波に備えなければならないかということを、この2軒の大工はちゃんと計算している。
津波は南から入って玄関を抜けて向こうへ行ってしまった。帰りも玄関から抜けて行ってしまった。家は残った。この2軒の大工は同じ大工。
これと同じことが石巻で、全部原っぱになっているのに3軒だけ家が集落で残っていた。2軒の家は入母屋作りの頑丈な家で、金持ちの家に見える。1軒は最近のプレハブのような家。
どうして残ったんだろう、これも全部調べました。結局、この3軒とも津波と風を想定して建てられている。高さの問題で言えば、GL(グラウンドレベル)は同じですから、津波に遭えば流されてもおかしくない。
東北でも北海道南西沖地震でも中部日本海沖地震でも残るべき建物は、残るべくして残っている。』

(つづく)