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9月19日、東京新宿区の明治公園で「さようなら原発 集まれ!5万人」集会が開催された。この集会とその後のデモ(パレード)に、明大、日大、芝工大の3大学共闘を中心としたメンバーが参加したので、その報告をする。
(報告はブログの字数制限の関係で4つのパーツに分け、今週と来週の2週に分けて掲載します。)

集会の前に3大学で小集会を持つということで、早めに家を出てJR「千駄ヶ谷」の駅に向う。「代々木」駅で総武線に乗り換えると、電車の中はそれらしき人たちで一杯。
「千駄ヶ谷」の駅前に出ると、待ち合わせをしている団体やグループの人たちでここも一杯。
明治公園に向う歩道も人波で埋まり、歩いていくがなかなかたどり着かない。
小集会の前には何とか着いたが、まだ集会開始の1時間前というのに、公園内は半分ほど埋まっている。どのくらいの人が来るのか見当がつかない。
1969年10月10日、この明治公園で行われたべ平連、全国反戦、全国全共闘、反代々木系各派(革マル派を含む)による「ベトナム反戦・安保粉砕・沖縄闘争勝利・佐藤訪米阻止」集会を思い出す。あの時は主催者発表で10万人(警視庁発表は2万人)。

12時半になり、3大学共闘を中心とした集会が始まった。以下、集会での各大学からの発言を紹介する。(発言が聞き取れない部分は省略しています)
司会は明大の米田隆介氏。

司会(米田)(写真左下)
「私たちは40年前、よく明治公園に来て、いろんな集会を行ないました。いわゆる全共闘世代です。私たちは今回の3.11、あの原発の問題を踏まえまして、40年間のいろんな想いを込めまして、再度私たちは闘いに立ちました。(異議なし)
そして具体的には4月10日に芝公園で第1回目の共同行動を行い、6月11日の100万人アクションに呼応しまして、芝浦工大全学闘、日本大学全学共闘会議、明治大学全学共闘会議、明大土曜会で統一行動をもって6.11の集会に参加しました。
そして、本日はこの第2波として、今日、9.19の集会に3大学共闘の名前を持って参加していきたいと思っております。
では、この間の問題につきまして、芝浦工大全学闘のYさんより発言を受けたいと思います。」(異議なし)

芝工大 Y氏(写真右上)
「芝浦工大のYです。私たち芝浦工大全学闘は、昨年11月、「もうひとつの全共闘」という芝浦工大の闘争史の本を出版しました。そして私たちが昨年11月に、この本を出版して宣伝活動をしている中で3月11日、とんでもない事故が起きてしまいました。
しかしながら、私たちはこの原発、あるいは核という問題に振り返ってみれば、本当に40年間いったい何を成しえたのでしょうか。
確かに私たちは大学の不正や、また安保やベトナムこうした闘いに必死になって闘ってきました。しかしながら、この原発問題や核の問題に本当に私たち全共闘運動が取り組むことができたのでしょうか。
この大きなマイナス、私たちが出来なかった点をはっきりと反省するところから、この原発反対運動を進める必要があると思います。
4月10日、私たちはいち早く芝公園23号地での原発反対の<全ての原発を停止せよ>のスローガンの下に芝工大全学闘の旗を掲げました。
そして、明大の全共闘の人たちと日大全共闘の人たちと、共に同じ旗を掲げることが出来たのです。
それ以降、私たちは芝公園での集会やあらゆるデモに共に参加して、絆を深めることができました。
そして私たちは3大学が共に闘うことによって、全共闘世代がもう一度やらなくてはならない。私たち60代がこのままで眠り込んでいいのだろうか、決してそうではない、私たちがこの私たちの世代の責任を負おうとするならば、今、私たちができる範囲で老骨にムチ打ちながら闘いに参加しなければなりません。(異議なし)
そして、ますます我々は全共闘の旗を高く掲げて決して恥じることなく、我々ここに参加している一人ひとりが、芝工大全学闘であり、日大全共闘であり明大全共闘の一人ひとりが、そうなんだ、そういう我々がその主体なんだということを皆で確認しましょう。
私が日大全共闘である、私が明大全共闘である、私はいつになっても芝浦工大全学闘の旗を掲げる覚悟をもって、この原発を全て廃止するまで共に闘いましょう。(異議なし)
もっともっと多くの我々の世代の人たちに呼びかけて輪を広げながら、我々全共闘世代は闘うぞ、ということをこれからの原発闘争の中で大きな旗を掲げていこうではありませんか。(異議なし)
今日は暑い中、共に闘い抜こうではありませんか。(異議なし)」

司会(米田)
「だいぶ昔の調子が戻ってきたようですね(笑)。皆さん元気に頑張っていきましょう。
続きまして、遠く山形の地より本日の集会のために駆けつけていただきました菅野君より明治大学を代表して発言をお願いしたいと思います。」

(No207-2に続く)