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(ブログの字数制限の関係で2つに分けてあります。No207-1から見てください。)

明治大学 菅野氏(写真中央左)
「明治大学の生田共闘で5年間学生時代を過ごしました。その後、山形に帰って百姓になりまして、以来、37~8年農業をやっております。
福島まで120キロくらいでしょうか、沢山の福島の方々が私たちの住む長井市に来ております。もう帰れないというふうに、彼らは口々に言っておりまして、安住の地を捜し求めているという現実があります。
私たち百姓も、原発の中に見られるような経済成長至上主義というか原理主義というか、その伸びきったところで今度の事故が起きましたが、一方で、TPPという皆さんご存知でしょうか、アメリカを中心とした新しい連携協定を作ろうとしている、そのことで、最終的に農業が無くなろうとしていました。それに対する闘いを組んでいる最中の原発事故です。
今後、どういうような形で土を処理した生業を、というよりもこの国の食糧生産の基地を農民としてどういう風に守っていけるかということについては、まったく暗澹たる気持ちでおりますが、しかし、先程の芝工大の先輩の話を聞いておりますと、実に健康な言葉を続けながらご自分の気持ちを明らかにされておりましたし、久しぶりに異議なしという言葉を40年ぶりでしょうか、聞くことができまして(異議なし)、やれると、まだ60だけどやらなくてはならないという気持ちを再び持つことができた、そのように感じています。
芝工大の方々には思い出がありまして、この明治公園において明大生田の隊列のすぐ脇に芝工大の学生諸君の隊列がありまして、このマイクが壊れて、明治の工学部の学生もいた訳ですけど、何とも直しがたくいるところに「俺に貸してくれ」と芝工大の方々が持っていってくれて、直ぐに直してくれたということがありました。(異議なし)
今、またこういう所で、場を共に出来るということに嬉しさを感じています。
今日は頑張ります。皆さんよろしくお願いします。(異議なし)」

司会(米田)
「だんだん本調子に近づいてきたようですが、では、続きまして日大全共闘を代表して発言を受けたいと思います。Nさんお願いします。(異議なし)」
日大 N氏(写真右上)
「未だに日大全共闘だと思っています。日大全共闘なので、あまり難しいことは掲げません。デモでハネたいと思っている人もいるかもしれませんが、そういう人はハネてもいいんですが、後は面倒見ますから。できればこれから長い闘いなので歳を考えて、程ほどに出来れば、少しずつやっていこう、ということを呼びかけたいと思います。よろしくお願いします。(異議なし)」

司会(米田)
「今、飛び入りでちょっと昔、毛色が違ったんですが、横浜国大全共闘の人が見えていますので、一言発言をお願いしたいと思います。(異議なし)」
横国大 K氏
「米田さんと同じ杉並区で区議会議員をやっています。米田さんに応援していただいています。今日は共に頑張りましょう。」

司会(米田)
「続きまして、専修大学のK君から発言を受けたいと思います。」
専大 K氏
「専修大学生田校舎におりました。明大生田の方とは、谷を隔てて一つだったんですが、専修大学の全共闘は1969年の1.18-19が終わって4月以降の結成です。
1回もバリケードというものが築けないままに大量の逮捕者を出して終わっていきました。
さて、この原発の被害は全国各地の農民に多大の苦しみを与えています。(ナンセンス)
一昨日、静岡の農家の方とお会いすることがありました。
3.11の事故以降、3月18日に私はタンポポ舎の面々と浜岡原発を見てきました。とんでもない施設です。地元の人たちから土塁といわれてる天然の砂丘があるんですが、それによって守れるんだというようなことを言っています。しかし、地元の人や周辺の農家の人は全くそのことを信じていません。
もし、浜岡原発で同じようなことが起きたとすると、恐らく日本経済は壊滅するだろうということが分かっております。
今、この原発の問題は、チェルノブイリ以降は都会を中心として様々な市民運動が形成されました。
今日の事態は被害を受けた福島、宮城、岩手、青森など地域の農民とともに私たちがどのような形でとり結ぶことができるのかが鍵だろうと思います。
その意味では、反原発運動としての地域住民闘争を展開しなければならないと私は思っています。
今日の参加は専大からは1人ですが、1人でも専大全共闘を担っていきたい、このように思っています。(異議なし)よろしくお願いします。」

(次週に続く)