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今年の最初の回は、「記憶を記録する」シリーズ。

No198で、日大闘争の記録「叛逆のバリケード」巻頭詩の作者である日大文理学部闘争委員会T氏から伺った話を書いたが、その時の喫茶店Dでの会話の録音には、同席した文闘委N氏の日大闘争への発言も入っていた。
日大闘争初期の貴重な証言なのでN氏にブログへの掲載についてお願いしたところ、「第3者に迷惑がかからない範囲」での公開という条件で、快く了承していただいた。
そこで当日のN氏の発言内容を時系列で編集し、N氏の補足も加えて数回に分けて掲載することとした。

読んでいただく前に私とN氏との関係について紹介すると、N氏とは以前から仕事の関係でつながりがあったが、学生時代の事はお互いに知る由もなかった。
10数年前、新宿警察署の前にあった「秀新」という大衆割烹に一緒に飲みに行き、仕事の話などをして帰ろうかという頃、私が明大文連の飲み会の予約をしたところ、N氏が「文連」という言葉に反応して「もしかしてあの当時・・」という話になった。
話をしていくうちにお互いの素性が明らかになり、それ以来の付き合いである。
この「秀新」という店のマスターは日大全共闘(経済学部)のK氏で、私はこの店で大学卒業後のフリーター時代にアルバイトをしていたことがある。

以下、N氏とT氏の発言である。(Yは筆者)
(写真は新版「叛逆のバリケード」より転載。68.5.31文理グラウンドでの全学総決起集会。)
『1 文理は体育会系がいっぱい

N:「(日大に)入った時は4クラスだったかな?」

T;「3クラス、4クラスだった。」

N:「学科の募集人員は40名だった。入ってみたら400人ぐらい居るんだよ。」

T:「そうそう。」

N「文理は体育会系、運動部が一番多いんだから。文理学部は野球場や陸上競技場があるから、他学部の学生も運動部の練習は文理学部が中心なんだ。」

Y「そうなの。」

T「松原高校近辺に運動部の合宿所が多い。」

N「もちろん体育学科もあるし。スポーツ選手というのは文理学部で、他学部に入っていても午後は練習に文理に来るとか体育会系はいっぱい居た。」

T「あの当時、相撲のWとかね・・」

N「Wとは演習で一緒だった。彼は学年1年上だったんだよね。多分単位落としていたんだと思うけど、最初の授業1回だけであとは出てこなくなった。水泳選手のK、男みたいな声を出していた。地下食堂で毎日カレーしか食ってなかったけど、体育会か何かの連中に囲まれてドケドケドケって入ってくるんだよ。俺が食っているところに(来て)、ドケって言われて立ち食い、そういうことなかった?」

T「なかった。たまたま一緒にならなかっただけで。」

N「地下だよ、正門入って左側、カレーとかしかメニューが無いところ。体育学科教授には有名な体操のEだとかねHもいたよね。」

T「体育のE、器械体操か何かやらされるのかと思った。そういうのは、あんまりやらなかったけど。サッカーとか球技だった。筋肉質でね、背は小さかったけど。」

N「体小さかったよね。」

T「デモの時に出て来た。やめろーって、えらい勢いで。」


2 68年5月は傍観者だった

N「俺は立ち上がりが遅い。Tは埼玉の高校だから政治的感覚が違うんですよ。」

Y「(T氏に)1年の時から活動していたんですか?」

T「いや違いますよ。2年から。」

Y「68年から。」

T「そうですよ。」

Y「68年の5月からいろんな問題が出てきてからですか。」

T「そうですね。最初のデモっていうか構内でやった時からですね。マスコミ研究会で全員で出て行ったから。引っ張られるような形で。」

Y「(「忘れざる日々」の)年表にあるようなところにはだいたい居たということなんですか。これを見ると68年の5月ぐらいから、ずーっと続いていますが。」

T「(文理学部キャンパスの)池のまわりに居た。池の回りを一回りするのも大変なんだ、蹴られて。」

N「5月25日の一番ピークだった時(抗議集会)、みんな隊列組んでデモやって門から出て、正門の前の通りがあったじゃない、あそこで名前正確に知らないんだけど、通称ゲバシンと呼ばれていた彼が俺らが歩道で見ていたら、「君たちは何を見ているんだ、君たちはなぜ隊列に入らないのか」と言っていた。(その時の)彼の形相がすごかった。俺はまだ傍観者だったけど、関心があったし、やらなけりゃなと思ったけど、隊列に入れなかったからそばで見てたわけさ。そしたら彼がボコボコに殴られているわけよ。それでも周りで見ている連中に向かって、「何でおまえたちは隊列に入らないんだ。」(と叫んでいる。)俺、彼のそういう記憶があるんだ。で、どうしようかなって思った記憶がある。彼のこと知らない?」

T「ほかの学科の人とつきあいがないから・・・。」

N「ずーっと、いたよ。」

T「顔見りゃ、思い出すかも知れないけど。ほとんど泊まり込みの時でも社会か教育か中文とかその辺としか、つきあいないから。」』

(No220-2に続く)