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(ブログの字数制限の関係で2つに分けてあります。No220-1から見てください。)

(写真は毎日グラフから転載。68.9.12神田駿河台下。)

『N「俺はね、周辺でウダウダしていたから入るのが遅かったけど、初っぱなから全部記憶がありますよ。勃発する前にUさんが、社会学科学生会の委員長をやっていて、使途不明金糾弾集会やるから集まれと言って各教室を回ってきたことを憶えているんですよ。5月の時も、あの時初めて文理で隊列組んでデモと集会やっていたんだけど、俺は中に入ってなかった。周辺でずっと見ていた。ちょっとブランクがあって、夏休みになって田舎に帰っていた。親から仕送り止められるとアウトだから、夏休みに帰ってこいと言われるとみんな帰っちゃう。本格的に(闘争に)入ったのは秋になってから。
地方から来る学生には先進的なやつと保守的なやつがいるんだよ。俺は頭で分かっていても入っていけないタイプだった。」


3 9.12全学総決起集会が初めてのデモ

N「俺が感じたのは、東京の高校生は政治的感覚が違うということ。ぱっと入っていく。地方出身者は入っていくやつもいるけど、だめだな。でも浪人している人は1年東京に来ていて見ているから結構早い。社会学科のSを知らないかな。俺は彼からオルグられた、最終的に。俺が迷っていたら食堂に呼ばれて、「お前が人間として正しいことやれるかどうかの瀬戸際だ。先はどうなるか分からないけど、俺はあの時正しいことをやったんだというということを人生の中で後悔したくないということなら隊列に入るべきだ。」と言われて、「そうだな」と。それではじめて夏以降に(隊列に)入った。彼は九州出身で一浪していた。彼は大分のM高校出身だった。俺の直接のきっかけは彼ですよ。(Tは)よくスーッと入れたよね。」

T「関心はあったけどね。」

N「東京の大学や高校の人たちは政治的、社会的に文化的に刺激が違うんだと、お前なんか田舎もんだからだめだ、と先輩に言われて、そうだなと思ったこともある。」

N「俺が初めて(隊列に)入ったのが、忘れもしない9.12(全学総決起集会)ですよ。何故かって言うと、夏休みに伊勢丹の配送所でバイトやっていたら、その中に法学部でバレバレのやつが居て、彼から9.12に行こうって言われた。法学部の現史研、マル中のOやSが居た。彼らが主宰するサークルに入っていたらしい。もう初っぱなで辞めちゃったんだけどね、彼から「やんなきゃダメだよ」って言われて、いきなり9.12に行った。9.12忘れもしないよ、御茶ノ水理工学部7号館の空き地があって、そこへ集合して、さっき言ったSからもやんなきゃダメだって言われたから、俺決意して行ったんだ。
デモに移って神保町でドンパチ始まっちゃって、路地に逃げたのよ。その狭い路地で大勢のデモ隊がマルキにギューと挟まれた。で、あの時ホント、圧殺されるんじゃないかと思ったけど、高校時代チョット運動やって体力あったからグッと我慢して、パクられそうになったけど、まぁ、いいよって逮捕されず解放された。それが初めてのデモだった。あの時まだよく分からなかったけど、銀ヘル被って、デモやって、いや、遠巻きに何回か見に行ったことはあったけど、隊列に入ったのは半年後だったから、それからですよ。それからずーっと・・・。」


4 寒かった11.22の夜

N「その年の11月22日に、東大安田講堂前で東大・日大闘争連帯全国集会があった。その頃には、もう何度もデモに参加していた。日大全共闘は、夜になってやや遅れて大部隊で集会に参加した。ライトに照らされた安田講堂には各党派の旗が掲げられ、本郷キャンパスは旗が林立し、全国動員に近かったのではないか。
 この時、初めて東大構内をデモしたが、教育学部前でこれまた全国動員とウワサされた民青と一瞬即発の状態で内心、怖かった。彼らは黄色のヘルメットで武装していた。集会前から「民青は、アカツキ行動隊を動員している」とか「全国から動員されて本郷周辺の宿に泊まりこんでいる。そこでトンカツ?とか旨いものを食っているから我々よりもゲバが強い」などと妙なことを吹き込む仲間がいてビビッた。
 遠目に見た時は、黄色のヘルメット姿で建物の前で全共闘部隊を牽制するためにピケを張っているようだったが、デモ隊列で接近したら背後や足元にゲバ棒が見えてゾッとしたね。
この集会は長時間だったと記憶している。途中、安田講堂内に入ったが、後に占拠学生が壊したと報道された大講堂(卒業式を行う所)の中は、この時はまだ汚れても、破壊されてもいなかった。
 ここが壊されたのは、1.18が近くなってからでは、と思う。
 そして、この夜は寒かった。
 集会中に、寒さと空腹に耐えかねて、正門の外に出たらラーメン屋の屋台が出ており、後輩と2人、熱いラーメンを食べたのを覚えている。』

(次週に続く)