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(No241-2の続きです。)

しかし、一部の革命派の同志たちは、依然として反米愛国路線による軍事の統帥の必要を理解せず、政治「抜き」の軍事路線を押し進めたため、獄中の全ての同志がこれを断固批判し、再三再四、脱党宣言を含めて、7月以来、今回の事態に至るまで、この路線に警告を発してきました。(中略)
しかし、彼らは獄中が脱党宣言を出すのを避けるためか(それともマスコミのでたらめか)獄中の者には合同しない、統一赤軍はつくらない、反米愛国路線は守る、人民遊撃路線は守る、毛沢東思想は守ると、手紙で1月に知らせてきたので獄中一同安心していたのでした。(中略)
政治を放棄した時、そこにもうこうした痛ましい火種はあったのです。(中略)
政治路線を重視し、政治的自覚の高い人で軍を構成しないと、軍の機密保持のため不必要な処置をとらなくてはならなくなる。我々は、今回の事態をはっきりと政治抜き「軍事路線」の破産と宣言します。我々は、反米愛国路線、人民遊撃戦争路線、毛沢東思想を放棄して結成された統一赤軍=新党は我々の党派(革命左派)とは別の党派であることを宣言します。(中略)
政治路線が正しいか否かが、全てを決定するのであり、政治によって我々の闘争を全て統帥しなくてはなりません。我々は反米愛国を高くかかげて、人民遊撃戦争路線を高くかかげ、毛沢東思想を高くかかげて、赤軍派の同志の皆さんと固く正しく団結し、共闘し、人民遊撃戦争の大道を前進しようではありませんか。(中略)軽井沢銃撃戦は断乎支持する。(後略)』

『各氏アピール
「赤軍派の同志諸君ならびに連合赤軍の同志諸君そして友人たちへ! 重信房子」
さらば連合赤軍の同志諸君!
赤軍兵士の1人として、夢と勇気を込めて、決別を宣言する。決別とは、真の革命戦争を準備すること。決別とは、不退転の決意で自らを検証すること。
たとえ銃撃戦の開始をもって、人民に武装の質を伝達したとしても、自らの体内に共産主義がないかぎり、それは我々がめざす革命戦争ではない。
敵との直接的な緊張関係を通してでなく、味方内部を規律によって、共産主義化しうるという幻想は、悪しき独裁を助けるだけだ。我々はこんな革命はいらない。
仲間を殺した連合赤軍の同志たち、今だ、同志と呼ぼうとする私の気持ちが判りますか。仲間を殺す権利など、誰も持ちあわせてはいない。あなたたちの革命の私物化を、闘う同志たちは、決して、許しはしないだろう。
たとえあなた達が、数人、数十人の敵を殺したとしても、仲間を殺した罪は、償えないだろう。
殺害に責任ある同志たち、ブルジョア裁判によってではなく、人民の手によって裁かれることを望んで欲しい。
(中略)
パレスチナの闘う同志達は、日本の闘いをインターナショナルといいつつも、実は、ナショナルな情念価値観念にとらわれていることに、悲しみと、驚きを表現しています。(後略)』

『獄中アピール
「共産主義者同盟赤軍派 上野勝輝」
今回の連合赤軍について見た場合、あきらかに反革命兵士の処刑ではない。
赤色救援会声明は「両者は不可分の冷厳たる現実であるにも拘らず云々」として銃撃戦支持、同志殺しウヤムヤの態度を表明している。銃撃戦をブルジョアとプロレタリアという階級闘争のあらわれとして、支持するが、プロレタリアと共産主義の点からは同志殺しというプロレタリアート独裁の展望を否定し去った連合赤軍故に支持しない、これが正しい立場である。
あさま山荘の銃撃戦は、銃撃戦という発展段階、これからますます革命戦争が必要だという発展段階を示したにすぎない。
「党内闘争―処刑」ではない、同志殺しだ。』

この「もっぷる通信特別号 3・31人民集会特集」は、リンクしている「明大全共闘・学館闘争・文連」HPの「時代の証言者たち」コーナーで、連合赤軍を検証する重要な資料の一つとして全文公開している。
そちらも見ていただきたい。

今年(2012年)の5月13日、「連合赤軍事件の全体像を残す会」主催の「浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍」シンポジウムが都内で開かれた。
当事者として植垣康博氏(赤軍派)、青砥幹夫氏(赤軍派)、雪野建作氏(革命左派)、前沢虎義氏(革命左派)が出席。塩見孝也氏(赤軍派議長)、三上治氏(叛旗派)、鈴木邦男氏(一水会代表)、森達也氏(映像作家)、山本直樹氏(漫画家)など多数ゲストを交えて、5時間近く様々な事が語られた。
このシンポジウムの様子も、近日中に紹介する予定である。