(ブログの字数制限を越えるため、No249-1 とNo249-3の3つに分けてあります。)
7月16日、代々木公園で「さようなら原発10万人集会」が開かれた。
毎週金曜日、首相官邸前で数万人の市民が原発再稼働に抗議の声を上げる中で、どのくらいの参加者があるか注目されたが、主催者発表で17万人、警視庁発表でも7万数千人もの人々が集まった。
4大学共闘(明大、日大、芝工大、専修大の全共闘派)を中心とするメンバーも、この集会に参加し、独自の小集会と、果敢なデモを行った。
今回は、この小集会での発言を中心に、当日の様子を報告する。
<小集会での発言>
Y・R『今日は暑い中、こうして集まっていただき、皆さんご苦労様です。私たちは、昨年の3・11の後、4月10日に、この3大学共闘母体になるような集まりを芝公園で行いました。その後、9月19日、明治公園で行われた5万人集会、実質6万人集まった大集会に3大学共闘、当時は芝浦工大、日大、そして明治、この3大学の旗を高く掲げまして、我々は登場したわけです。
その後、私たちは、例えば今年の3月11日、福島郡山における現地集会に3大学共闘として参加しました。そして、その前段の3月10日の猫啼温泉における交流会において、専修大学のメンバーを加えて、これからは4大学共闘として闘おう、ということを確認しました。(異議なし)
ここに専修大学全共闘の旗が掲げられています。これをもって、4大学共闘が見事に実現したと思います。(拍手)(写真右上)
私たちは、この間、例えば経産省前のテント村におけるハンバーストライキにYさん、そして私も参加しました。また、6月16日、大飯原発再稼働阻止の闘いに福井においても私たちは闘いました。このような形をもって、4大学共闘として、我々はこの間、1年以上にわたって闘い抜いてきました。
また、今日、このような形で、若干まだ集まりは良くないんですが、これから三々五々と集まって来ると思いますので、皆さん、元気にがんばっていきたいと思います。
それでは、最初にYさんの方から、この間の闘いの経過と、今日の闘いに向けた決意表明を受けていきたいと思います。(異議なし)』(写真中段)
芝工大Y『今日ここに、暑い中、多くの全学闘、全共闘の旗の下に結集した皆さん、まず、芝浦工大の私の方から挨拶したいと思います。(異議なし)
さきほど、明大のY・Rさんの方から紹介がありましたように、私たちは昨年の3・11以降、自分たちの全共闘運動の原点を見つめ直す、このことを、一つの自分たちの40年前からの総括として、この反原発運動に参加してきました。(異議なし)
もちろん、私たち全共闘世代の多くの人たちが、市民運動や地域運動で闘っています。この反原発の闘いにも多く私たちは見ることができます。
しかし、私たちは何故この全共闘の旗の下にいるのでしょうか。40年前、私たちが為し得なかったこと、つまり、ベトナム反戦や沖縄闘争としてしか語られなかった40年前の闘争を、私たちは3・11で反省の念を突きつけられました。
私たちが原発や核の問題を捉えることができなかった、私たちが闘うことができなかったということが、今日の事態を引き出してしまいました。私たちは、まず、このことを反省の原点に置きながら、あくまでも全共闘運動にこだわった運動として、この原発反対、再稼働反対の闘いに起ち上がってきています。
9・19明治公園における6万人の集会において、私たちは3大学共闘として闘いました。
しかし今日、専修大学の仲間を加え、そしてまた、4大学以外の仲間を加えてここに結集しています。
私たちは9・19以降、経済産業省前のテント村において、9月11日、若者4人のハンガーストライキに応え、改憲阻止の会がテントを作り、それ以来310日になろうとしています。このテントが作られて310日近くになろうとしています。その間、昨年12月11日、福島の女性たちが未来を育む10月10日の応援闘争を闘うという決意を受けまして、私たちは今年の9月11日まで10月10日のテント応援闘争を闘おうと思っています。
その間、経産省テントを基準にして、多くの市民が集まり、学生が集まり、サラリーマンが集まり、そして私たちのような世代の人たちがあり、裾野を広げていきました。
私たちは、その裾野がますます多く広がる運動を、力は小さいけれども、断固として押し進めて行こうではありませんか。(異議なし)
私たちは、残念ながら大飯原発3号基の再稼働を許してしまいました。しかし、私たちはこの3号基の再稼働を止めろ、撤回させるというメッセージを持って闘って行こうではありませんか。(よし)
(No249-2に続く)
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