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(No267-2の続きです)

<70年に強気のセクト野郎>
それなら、これからの70年闘争は、どのようなカタチをとるのだろうか。
フロントは「2・4、4・28、6・15といった具体的なスケジュールのほかに、春から新入生をまきこみ、全人民的に闘争を勝ち取っていき、非合法性活動を展開していく。具体的には都市ゲリラへの移行を意味する。」という。
実際にこのスケジュールは可能だろうか。セクトの再編が先ではないか。
「ここで注目されるのが赤軍派だ。主体はあばれたい盛りの高校生だ。当局をここにひきつけ、他の組織に力をたくわえさせるための擬装だ、とする説もがある。」(作家・佐野美津男氏)
こういった見方をふまえたうえでの、フロントのスケジュールなのだろうか。いくぶんか力不足が感じられるのだが。
「70年闘争は、学園、職場において組織活動をし、地道にシンパを集めていこう、というのが、どうもホンネのようだ。総評的にスケジュール闘争をシコシコやるしかない」(佐野氏)
もうひとつ、可能性は少ないにしても、テロの出現も考えられぬわけではない。先にふれたとおり、最近の規制の方針は学生側と接触せずに適当の距離をとる、ということになってきた。
この距離がかえってテロを生むというのだ。力で屈服させられたものは、テロの形で攻撃をする。11月決戦で決定的な敗北をうけた学生側は、あの闘いをどういう形で総括するか、おそらく苦渋にみちた見通ししか出て来ないだろう。
そうなれば彼らのなかから、なにがとびだすか、保証のかぎりではあるまい。
(中略)
彼らはいま、空白の状態にある。
<ゲバルトの季節>が終わって<冬の時代>なのだ。去年11月の蒲田決戦で、痛烈に打ちのめされた敗北感が、学生の間で支配的だからだ。
待っていた火炎ビンは来なかったし、心身ともに彼らはいま疲れはてている。
そして、70年をむかえた。当面の目標はなにか。なにもないのだ。
4・28が、やや考えられるだけで、彼らのエネルギーをブチ当てていく目標は失われた感がある。11月の佐藤訪米阻止阻止闘争が敗北に終わったと同時に、安保は彼らの手をはなれた、という言い方も許されるだろう。
ことしの6・15は、単なる記念集会に終わりそうだと観測するムキも多い。そして、沖縄は72年に返還されることが決まり、三里塚も成田も先が見えている。
闘争に見切りをつける学生がふえていることは事実だ。
いままで自分たちのやってきたことが違うんじゃないか、と彼らは考え始めている。
「高校時代から闘争をやってきた連中は、いまはもうパンクしてますよ。ショーモーしちゃって、いまは、なにもしていませんね。」とあるノンセクトラジカルの学生は語っていた。

<肉体労働かマリワナか>
(中略)
働きたいと考えている学生がふえているのだ。それも、自分の体を動かす肉体労働をしたい、と彼らは言う。
11月決戦の敗北が、そのいちばんの原因になっている。(中略)
60年安保のあと挫折感を持った連中は、マイナスの方向でしか思考も行動もできなかった。つまり、挫折感に酔っているうちに、なんとなくオトナになってしまい、そして10年たった。
しかし、70年安保のために主体的に闘った連中は、もう次の行動を起こしている。彼らに空白の時間はない。あれがダメならコッチにしよう、と行動的なのだ。
「肉体労働を志向せず、金儲けを志向しない連中は、マリワナに向かうか、フリーセックスにするか、グループ単位の芸術運動を志すか、なにをやるにしても、彼らはすでに自分たちの行動を起こしている。」』

この記事が書かれたのが1970年1月。確かにこの時期、70年安保闘争は、69年11月の佐藤訪米阻止闘争で終わった、という雰囲気もあったように記憶している。
しかし、このオチではガッカリしてしまう。「平凡パンチ」の記事なのでこんなところか、とも思うが・・・

(終)