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(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No286-1からNo286-3に分けて掲載します。)

3月3日(日)、明治大学リバティーホールで、経産省前テント広場やたんぽぽ舎などの主催で「福島原発災害に学ぶ 福島・首都圏の集い」が開催された
集会では11名のゲストスピーカーの方が発言したが、今回はNo284に続き、2名の方の発言を掲載する。
(録音が聞きとれない部分など、発言の一部を省略しています。)

郡司『後半の最初の方は佐久間久夫さん、お願いします。現在は二本松市で農業をなさっております。』

佐久間久夫(さくま ひさお)さん
【1950年生まれ。福島県立矢吹ケ原経営伝習農場卒。平成7年まで水稲と養蚕を主体とした農業に従事。平成8年養蚕を止め、雨よけハウスによるトマト栽培を始め現在に至る。現在、土壌のセシウムで悩んでいます。二本松市東和に在住する兼業農家。】

佐久間『皆さんこんにちは。私はこういうところで喋ったことがないんで、方言が入って分かりづらいと思いますが、聞いてください。
今から2年前、3月11日にドカーンとなって終りなんですが、我々はドカーンとなってから3日間停電があったので、津波はラジオで聞いていたんですけれども、(原発の爆発は)本当かなと思った。これが第一番。
翌日の土曜日が雨だったんです。たまたま仕事に来ていた人が、「雨に当たらない方がいいよ」と言う訳です。「そんなこと嘘だべ、本当に当たらない方がいいだべ?」と言ったら、「第一番目の雨は上から落ちてきて、それに混ざっているから当たんねえほうがいいよ。できるだけ当たらない」。そういうことを聞きまして「いやーこれはドカーンとなったら大変だな」と思っていたら、12日の4時頃には大型観光バスがすごかった。何で観光バスが来るのか分からなかった。「こんな地震で観光バスで旅行なんて馬鹿じゃないか」と思った。(笑)そうしたら、それが避難だった。後で運転手さんに聞いた話なんですが、「どこさ行くか分からないから、とにかく西さ逃げろ」と言われて来た、西、西って、だから会津の方。
二本松市には、現在、浪江町の人が仮役場と仮設住宅を作って入っているんですけど、浪江町の人は津島ってとこさ逃げちゃった。それは県が早く発表すれば、そこで止まって行かなかった。発表しなかったから、浪江の海の方から津島の山の中の、(放射能が)いっぱい溜まっているとこさ、ここが安心だべと行った。
それで二本松の方で体育館に避難して1ケ月いたんです。それから温泉に行ったり離れ離れになったんですけど、そういうことで2年が過ぎようとしていますが、私も今、第一原発から直線で約42辧川俣町の人も避難しているんですけれども、避難の仕方がおかしいんです。
上の方が川俣町で避難して、下の人は二本松市は奥にずっとあるんだけど、下の人は避難しなくていいんだもの。皆さんこれをどう思います。上から来る水を使って、みんな田んぼを作っている。現実はこういう状態。
事故があった年に学校の校庭の除染を第一にやった。その土をどこにやったと思いますか?校庭に穴を2m掘って、そこにシートを張って、山から土を持ってきて1m土をかけた。それはあくまでも仮置き場。いつか持っていくところがあるから仮置き場なんで、絶対持っていかないんだから。掘り返して持っていくところなんかない。東京ドーム何個分にもなる。それを福島県は仮置き場がどうのこうのと騒いでいるけど、それは危ない。
今、民家の除染をやっている。さっき除染は屋根を拭くだけと言ったけど、最初やったのは屋根を高圧洗浄で水で洗った。屋根は新しいのは漏らないからいいけど、古くなっていると トタン屋根がめくれちゃって雨が漏っちゃって、これはダメだと。それより雨どいの方が高いんです。「雨どいの古いやつは新しい雨どいを買って付けた方が早い」とみんな言っているけど、市のマニュアルには拭きなさいと書いてあるから拭いている。壁はやらない。
その、除染した布、雑巾はダメだ。、そのあとテレビで水も洗えばダメだ、川で長靴洗ったからダメだって。でも、俺思うに除染なんて不可能だもんね。(拍手)絶対不可能。できるはずない。
民間の除染もどこに埋めているかと言うと、他に持っていけないから、我が家の庭を掘ってそこに埋めている。それも仮置き場。それで、ホットスポットは全部違うからどこにあるか分からない。だけど風評被害は確実にある。だから、風評被害でトマトなんかも(放射能を)測ってやっているんですけど、1箱300円くらい。
県内で二番目に古い水力発電がある。100年間持っている。原発は高い金出して何年持ったの?だから自然とエネルギーを大事にして、作って止められないものはやらない方がいいと思うんだけど。(拍手)
そういうことで終わらせていただきます。どうも有難うございます。』

(No286-2に続く)