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(No291-2の続きです)

○暴力右翼が支配する異常なる学内!
国士舘大学の暴力右翼の実態をご存知だろうか?組織右翼とチンピラ右翼が横行する学園として著名なはずである。どこの大学でも体育会系学生、右翼学生は礼儀としてオッスのアイサツはするが、私服でのオッスはサマにならない。国士舘大学の如く軍服に模した、しかも洋ランと称する制服を着た場合のみ、オッスは生きてくる。(中略)この暴力右翼集団は先輩に会えば、所、時かまわずオッス、オッスとかん高い声をはりあげる。(中略)それも1回の挨拶ですむことなく、4・5回オッスを繰り返すのだから威圧感は甚だしいものがある。(中略)
又彼等は心理的に恐怖心を与え、人権意識を抑圧するのみならず、ある使命をもって、深夜学校周辺をシナイ、木刀等の凶器を持って巡視するのである。私たちの民主化闘争が公然化してからは、警備室には武器(日本刀、木銃、こん棒等)を隠し、学生監(警備専門)と一緒に学内に入る学生に学生証の提示など検問を行い、一般学生の反発を買っている。具体的には、民主化闘争の学友が民主化を呼びかけるビラを領布すると、彼等右翼傀儡学生は、いち早くかけつけてビラの回収を行い「赤のビラを読むな!」「日本人ならそのビラをよこせ!」と叫び、ひったくるのである。(中略)』

うーむ、入学式の軍艦マーチはすごい!まさに大日本帝国が国士舘の中に残存していたのだ。
この資料の中には、国士舘の教育に対する学生の声、そして、街頭での声を掲載した部分がある。日大全共闘の方も登場する。

『<国士舘教育に対する声を聞いてください>
私たちは学園の生の声を聞くため、密かに世田谷本校、鶴川分校において約50名の学友たちに会い調査をした。
○入学時のある1年生は
入学式の時は驚きました。突然、軍艦マーチがなりだすんですもの。考えたら本当に恐ろしいことです。入学式と軍艦マーチは何ら関係ないのに、あれが公然と認められてるなんて・・余りにも非常識を感じます。あれは自治会で承認されたことなんですか、(という問いに私たちが自治会は現在ないと言うと彼女は)高校でも生徒会があるというのに、それに大学で自治会がない学校なんて・・・大学じゃないと思います。
(中略)

<国士舘とはこんな大学>
この街の声は、私たちの情宣班が去る昭和46年5月20日新宿駅付近にて120分間にわたって収録したテープからの抜粋である。
○日大全共闘の諸君(この日彼らは日大闘争のビラ配布カンパ活動をしていた。)
―国士舘の学生をどのように思うかー
私は小田急線を利用しているので、よく彼らを車中でみかけるが、好感は一度もだいたことがない。それは私が現在、このような運動をしていることもあるが、単に思想的対立だけがそうさせるのではない。
―国士舘民主化運動を知っているか、また国士舘の右翼学生について何か意見はー
今、初めて知った。しかし良心的学生が多数いて当然だろう。一万人以上の学生が全部右翼だったら昭和維新てやつをやってのけるかもしれない。(笑)日大闘争と比較することはどうかと思うが、67年、68年の日大闘争に見られた状況が国士舘においても十分考えられる。要は右翼の制圧にあると思う。
日大、拓大、国士舘の暴力右翼は総合度において全く一本化し、特に国士舘の右翼は量と質と訓練において目立つものがある。また、国士舘の右翼は計画的に私たちの闘争に介入し妨害している。われわれも、いずれ共闘し、彼等と闘う用意が必要だ。(中略)』

学生の声、街の声はまだあるが、省略する。
この資料の最後、あとがきには、以下のような文章がある。

『<あとがき>
(中略)これを読んだ人は、あるいは笑い、あるいはあきれるかもしれない。だが、一見、隔離された別世界のような国士舘の実態が、戦後民主主義というものの中で、確実に温存され、育てられてきたものであることを思うと、ただあきれはてたり、笑って片づけたりはできない。また、国士舘の学生は可哀そうだで済ますこともできない。朝鮮高校生に対する暴行の先兵となっている国士舘という存在というものが、日本の教育の、日本の政治の、そして日本人の“実態”なのである。国士舘の果たす“役割”は自明であり、年々、その“価値”は増大しているのだ。国士舘闘争は、その“役割”を、その“価値”を粉砕する闘いである。(後略)』

この資料「国士舘民主化闘争」は、42年前の資料である。
しかし、この「あとがき」を読んでいて、42年前のことではなく、現在のことのように思われた。この資料に書かれているような国士舘的なものが、日本の政治の“実態”として温存され、それは今、急速に力を増そうとしているのである。

※ 「国士舘民主化闘争」及び関連資料は、ホームページの「全国学園闘争図書館」コーナーで公開しています。

(終)