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(No297-3の続きです)
(写真はウシトラ旅団ブログより転載)

仮の町だとかいろんなことが言われていますが、仮設には五百人くらい住んでいるわけだから、その人達をバラバラにせずに、低層階のちゃんとした住居を作って、近所の人とも付き合えるような施設を作り、周辺の人たちと交流できて何とか生きられるようにできないのかと思います。できればそこでまた2年前のように、子供と孫がいっしょに暮らせるようにできたらなおいい。それでも帰りたいと思う人は何十年かそこで頑張れるという形を「村」として作り、そこで暮らすことが出来れば少しは展望が見えてくるかもしれません。けれども、今の状況でこのまま進むと、阪神淡路で起こったようなひどい状況の中で打ち捨てられていく、棄民化されていくということが起こるだろう、と言えると思います。
そういうことを考えて、ボランティアの人たちも何とかしなくては、ということで動いています。いわきの場合、「3・11被災者を支援するいわき連絡協議会」というのがあります。事務所が中央台という分譲地にあります。被災するまで全然家が建っていなかったところだったんですけど、一気に仮設住宅がたくさん出来たんです。楢葉や広野の人たちが何千人も仮設に住んでいる。補償金を使いながら、もう1回自分たちの生活再建をいわきでやろうと決断した人たちは、そこに新しい家を作っています。津波で家をなくしたいわき市民の新しい家も周りに出来てきている。私たちが被災した年の4月に行った時は、本当にガラーンとした感じだったのに、今やそこにいっぱい新しい家が建っている状態です 。
震災直後の3月4月の頃に、中央台で被災者を受け入れていた消防団員のおじさんなどが中心になって動いて、被災民に対する支援を続けている。それが少しずつ実を結んできて、いろんなボランティアの人やら、社協やら、行政も含めて入れながら動かしていっている。福島では初めての試みの組織的な形になっているらしくて、注目されています。

いわきは地震・津波で被災しているところなんですね。原発事故による放射能汚染もある。被災者でもあり、被災者を受け入れているところでもあり、かつ、原発の収束作業に向けて出撃拠点の町でもある。そういう意味では複雑なことになっていて、それがとても入り組んでいます。仮設から朝5時頃に自分の車に乗ってJヴィレ ッジまで行く人もいれば、いわき市に住んでいて、専用バスに乗ってJヴィレッジまで行って、そこから福島第一原発に入るという人もいる。その周りでやっている除染労働などの拠点でもあるので、それこそ、少しまっとうな除染労働をやる会社から、ヤクザな連中までいるというのが入り乱れてあります。
そういう人たちが五千人から一万人くらい入ってきている。避難した人も一万人くらいいる、双葉郡から避難してきた被災者が二万五千人くらいいる、気を付けてみると大変な状況にあるということです。そういう状況について「被災者がいるから、自分たちが迷惑している」と反発を持っている元から居るいわき市民もいる。これをどうやって解きほぐすというか、お互いを繋いでいくかということを考えなければいけないだろう。』

(次週に続く)