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(文書が長くブログの字数制限を越えるため、No298-1からNo298-3に分けて掲載します。)

今年の4月の「明大土曜会」で、「大震災義援!ウシトラ旅団」の2年間の活動について、旅団長のH氏からお話を伺った。
先週に引き続き、そのお話の内容を掲載する。

(写真はウシトラ旅団ブログより転載)
<要求を形にして繋いでいく>
私たちがやれることは、イベントをやる、イベントのお手伝いをやる、自治会の運営を支えるみたいなことしか出来ていないんですけど、やはり仮設には仮設の役割があって、その周りにどういう影響を及ぼすのかを考えます。仮設と仮設を繋いだり、仮設と借り上げ住宅の人たちを繋いだり、仮設と周辺住民の人たちを繋いでいきたいのです。実際には放射能の問題やら原発をどうしていくかという問題は、双葉郡の町々の行く末、いわきの行く末とも関わってくることなので、そこをどうやって結び合わせて行くのかという課題に取り組むことを、やり続けようと考えています。
少しずつですが、踏み込んだり、跳ね返されたりしながらの活動です。例えば、泉玉露の自治会に去年の総会でスローガンを挙げてもらったんです。「政府は我々の生活保障を行え」、二つ目は「東京電力は被害に応じた補償を直ちに行え」、三つ目は「富岡町当局は国・東電の補償実現を要求をする先頭に立て」、四つ目は「国・県・富岡町は双葉郡住民のための暮らしと健康を守る施策を直ちに実施せよ」、最後は「双葉郡は一つだ。共に力を合わせてこの困難を生き抜こう」、これが去年の自治会の決議として挙がって、自治会の集会場の入り口にズドーンと貼られました。ところが1年経ってみると、いつの間にかこれが剥がれている。つまり、それは自治会の人たちの意識もあるし、そこにそういうものがあるということについて、嫌だというか、別の路線を考える人もいる訳で、それが何となく剥がれて行くというのが、ある意味で今の被災者の気持ちや在りかたを象徴しているのではないかと思います。
だから、私たちはこれをやる時は、こういう風にしませんかと「かっちょい」で提案してやったんですけれども、ある種のそこまで踏み込むのかどうかというような迷いもありましたし、それでもスローガンを掲げてもらうようにした訳です。よその仮設住宅でそんな決議が上がったという話はまったく聞きません。それはそれで良かっただろうと思いますし、これをやって跳ね返されても、次の別の道を探していきます。例えば賠償問題、「皆さん賠償はどのようにされるか知っていますか」という基礎の基礎から勉強会をもう1回やっていく。東京から私たちが講師を連れて行って仮設でやってもらいました。泉玉露仮設では、恒常的な勉強会ができてその人達が賠償問題に取り組む中心になってきました。また、集会場だけでなくて、プレハブの路地みたいなところで爺ちゃん婆ちゃんが集まってお茶を飲んだり、酒を飲んだりしながらしているところに行って、話をして「何ができるんだろうか」と考えてみたり、そんな作業をずっと繰り返しています。
自治会なり住民の人たちの中に入って、ちゃんと彼らの要求やら何やらをくみ出しつつ、それを形にして繋いでいくというような具体的な作業がとても必要だなと思っています。そんなようなことを考えると、ボランティアで私たちのような考え方、動き方でやっている人たちは恐らくウシトラくらいじゃないかと思っているんです。どこまでできるか、何ができるかは別にして、本当は現実に求めらていることに応えようとするボランティアとかNPOはまだまだ足りないというか、できていないように感じています。
被災者が言葉にしていることもあるし、日々を生きるだけで疲れ果てきちんと言葉にできていないことも受け止めるようにして、自分たちで出来ることをやっていただけたらなと思います。

(No298-2に続く)