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(No304-2の続きです)

司会『いい話だよな。おじさんすぐ泣いちゃうよ(笑)。いくつか、そういうエポック・メーキングな事があって、東北大会の悔しさを回復できるような形で、ある種、演劇としては一般の人に見られないままコンテストが終わってしまうというところから、もう1回いろんな人たちに見てもらえる、そういう意味では復活していくみたいな過程を通って、3月に私がいわきで見た時よりも、はるかに素晴らしいものに演劇としては成長してきている。みなさんも成長してきたという感じです。
一つ聞きたいと思ったのは、会津に浜通りから避難してきている人たちの仮設住宅で演じましたよね。その時みなさんどんな気持ちだったのかな。』
(写真:仮設住宅での公演の新聞記事)
Mさん『仮設住宅の公演は2回あったんですよ。一つは楢葉から会津に来たところと、大熊から会津に来たところで、2回やらせていただいて、私は会津で生まれて、震災の時もそんなにひどいということではなくて、本当の震災を経験していないから、目の前でやるのがどうしようか悩んでいたことがあったけど、だけど自分たちでこういう劇をやって、もっと前を向いて欲しくて、まだ希望というか、そういう光があるんだよというのを伝えたくて、同じ福島でも一緒に頑張っていこう、という風に本番でできるように練習も頑張って、本番でたぶん伝わったと思うんで、それをバックにしてこれから進んで行って欲しいなと思いました。』
Sさん『東北大会でボロクソに言われて、成長もしましたけれど、やっぱ、さすがにみんな被災者という特殊な空間じゃないですか。そこで演じるのは何となく怖い感じがありました。(震災の)経験者なんで、やって、その時(東北大会)と同じように言われたら、次は絶対に起ち上がれないと思ったんですけれども、いやーちゃんと伝わりましたね。うれしかったです。その2つの公演があって「すごく良かったよ」と言ってもらえて、その結果、ここで自信を持ってみんな演じられている。いい経験でした。』
S君『大熊町の人と、楢葉町の人と、どちらも被災者ということで、シュレーディンガーを見てもらって、最初は「これを見て何か罵倒でもされるんじゃないかな」と思ったんです。でも、大熊町の人と、楢葉町の人も最後は拍手喝采で見届けてくれたんです。それで最後にお見送りする時に、この劇の気持ちが伝わって嬉しかったんです(涙)。
その時に受け入れてもらったから東京でできると思っています。』

司会『いくつか反応を聞いたんだけど、なかなか言葉に出来ない自分たちの心の内をこの劇が表現してくれた、という言い方される被災者の人たちがいました。たぶん、そうなんだと思うんですね。すごくつらくて絶望的な状況があるんだけれども、そこのところを抜きにして絆だとか手を繋ごうとかいうのはあり得ない話で、ちゃんとそれを受け止めるような、こういう子たちが育つということが重要なことで、今、私たちはその過程を見ているという感じがします。外から見ています。
部長さん、キャストではないけれど、そういう状況を見られているのをどう思いますか。』
部長『正直、楢葉公演の方が先だったんですけど、その時、正直こちらはすごくビビッていたんですよ。本当に大丈夫なのかなとか、やってもいいのかなとか、東北大会のことがあって、落ち込んでいて、その中での楢葉公演だったので、正直精神的にもきていたんですけれども、楢葉公演を乗り越えてから、またどんどん成長して行って、メッセンジャーとして・・ここに来ることができたんで・・本当につらかったですけど・・・(涙声に)
(ガンバレーという声)楽園に来て本当良かったな・・と思います。』(拍手)

司会『この劇団が育っていく過程自体がそうだと思うんですけれども、彼ら、彼女らがある種の使命感みたいなものを自然に持っている。これをやることの意味をちゃんと分かって、ここに来て演じている。それも高校生としてはすごいなと思うんです。
それでラスト・クエスチョン。新しいキャストになっていきますよね。その辺の決意を、こういう風に自分はやりたいんだと思っていることがあったら話を聞かせてもらいたい。
昨日3年生に聞いたら、私たちよりいいものは出来ない(笑)、そんなことあり得ないと言っていましたから、そこを乗り越えるという決意を一言ずつもらえるかな?』
Mさん『新キャストで、私は被災者役をやることになって、今演じている役と真反対の役で、出来るのかなというのと、今までの積み重なってきたものが、私で壊すんじゃないかなとか、そういうことがあって、与えられた役はすごくうれしいんですが、ちゃんと伝えられるかどうか不安で、だけど伝えなきゃいけないから、頑張って先輩以上のものをやりたい。』(拍手)

(No304-4に続く)