
(No304-1の続きです)
司会『東京のお客さんはどこか温かいと思ったと言っていたけど・・』
『結局、伝わったんです。お客さんの方も受け止めてくれたというのがすっごく分かって、それで。』
(演劇部部長登場)
司会『福島の美里町のラーメン屋で話を聞いた時に、東北大会の時の反応がすごくつらいものがあって、そのことがあったので、うちから声をかけて、東京で公演をやるということが大変うれしかったという話をしていましたね。ウシトラのよいしょも含めて、その辺の気持ちを。』
『東北大会では、今日の劇よりももっとストレートな内容だったんですね。言い回しももっとストレートだったんです。ドスンとくる感じだったので、東北で受け入れてもらえなかったんですよ。分かる人は分かってくれた人がちゃんといたんですけど、講評で「重い」「つらい」というのがすっごく書かれていて、それを見て全員で本当にショックで沈んでいたんですけど、そこでウシトラさんが・・・』
司会『そういうのが欲しかった。』(笑)
『震災のことを分かっている優しい方々が、傷つけられた私たちを励ますというか、俺たちがいるから大丈夫だよ、みたいな。(公演が)終わってから搬出の時にさーと来てくれて、うれしかった。(声が詰まる)』
司会『下北沢でやろうね。待ているからと言ったんだよね。』
『そこからボロ泣きです。こんなにも分かっている人がちゃんといるんだな・・・』
司会『おじさんも捨てたもんじゃないなと・・・』(笑)
司会『ここにいる高校2年生ですが、みなさんがご存知の高校2年生の顔とちょっと違うと思うんです。今、話してまた思うんですけど、大人ともきちんと話ができて、しっかりものを考えて、これは「シュレーディンガーの猫」という演劇を通して、S先生が厳しい指導をしているんですが、それを彼ら、彼女らはきちんと受け止めて負けずにやるんですが、それが1年生の顔と2年生の顔とは全然違うんです。それは演劇で過ごした時間でそういう風になってきたのかなと思います。
この演劇が育っていく過程で、いくつかエポック・メイキングな事があったんですけれども、モデルになった富岡町から原発事故で避難して大沼高校に入ったSさん、先輩になるのかな、それがきっかけになってこの演劇が生まれたんですけれども、1年半くらい、彼女は全然自分の体験を話さなかった。練習を始めてから「それじゃ伝わらないよ」と言われたんだよね。』
『言われました。』
司会『その時、どういう風に受け止めたのかな。』
『話を聞くときに、私はまだキャストではなかったんですよ。演出する立場で聞いていて、キャストにとっても、その話はすごく心に刺さるというか、響くような話でしたし、演出の立場からもすごく、ちゃんと本当のことをみんなに伝えなくちゃという気持ちがあって、泣きながら、彼(S君)が一番ボロ泣きでした、他の人たちもボロ泣きでした。その話をちゃんと伝えられるように、これからどうしようかということを決めて、この話を決めました。』
司会『どうして泣いたのかな。』
S君『話がリアルすぎて想像力しちゃって、こうやって人が流されたり家が壊されたのかな、それを思っただけで涙がボロボロで、吐き気もして、ヤバかったです。その話を聞いて、このシューレディンガーを完成させて、東京人に見てもらいたいと感じました。』
(Sさん登場)
司会『この演劇が急激に良くなったのは、稽古に入ってから、Sさんが「貴方たちのやり方では被災者の気持ちは通じないんだよ」ということを、自分の体験を話して、そこで演劇が良くなったという話をしていたんですが、その時、Sさんはどういう話をされていたんですか。』
Sさん『3・11の時から自分がどこに居て、その時間何をしていて、それから何処に避難して、今どんな状況にあるのかということを全部話しました。』
司会『貴方はたぶん泣きながら話したんだと思うけど、目の前にいる部員の人たちも号泣する人もいて、相手方もまた泣いている訳で、それを見て、この芝居は変わっていくような予感はあったんでしょうか。』
Sさん『その話をしてから、部員の人たちが一人ひとり震災のことついて気持ちが作られていくのが分かったんですね。震災に対する思いが強まっていって、「この子たちなら任せられる」と思って、伝えてくれると思った。』
(No304-3に続く)
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