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(No310-1の続きです)

つぎに各大学全共闘の連帯挨拶に移り、最初に本学全共闘を代表して、学生解放戦線の関口成一君が登壇し、演説したことから、一部学生会のヘゲモニーを握る反帝戦線(ブンド)の学生が反発し、両者で激しい内ゲバを演じた。会場は騒然となったが、インターの合唱で静かになり、集会が続行された。
他大学生共闘、反戦青年委員会の4・28沖縄闘争へ向けての闘争宣言が発せられた。そのあと、今度は、本学全共闘を代表して横谷優一君が演説したことにより、学生解放戦線の学生が反発し、再び内ゲバを演じた。両者の間に中核、反帝学評の学生が緩衝地帯を作り、ようやく集会を終了することができた。集会には新入生の姿もちらほら数えることができた。
(解説)
これは昨年の本学のバリスト以降、明大全共闘(代表反帝戦線福田直人君)、二部共闘(議長学生解放戦線本間晟豪君)、全明全共闘(学生解放戦線と中核派の共闘であり、ブンドは不参加、議長は関口成一君)が結成され、明大全共闘の代表を巡って、反帝戦線と学生解放戦線の間で争いがあり、今回それが表面化したものである。
なお、翌4月23日には、学生解放戦線の学生約50名が本学和泉校舎校内に集まり、当日予定されていたブンドの新入生歓迎集会に介入しようと、竹竿で武装したが、反帝戦線(ブンド)の学生が姿を現さなかったことにより、衝突が回避されるという事態が起こっている。両者の対立は今後の本学の闘争組織と運動に少なからぬ影響を及ぼすものとみられる。』

【ML派の無政府主義を粉砕! 戦旗1970 年5 月1日】
『(前略)わが赤ヘルとML両派が明大全共闘を代表して発言するということが、全共闘書記局で確認されていながらも(2・14明治公園での集会の前例を踏まえ)この政党間協定を打ち破り、わが同盟ならびに全国全共闘連合に敵対する行為の数々を積み重ねたのである。列挙すればおよそ5点である。
〆能蕕烹唯滅百惴?発言に立った時、赤ヘル部隊に襲いかかったこと。¬逝臍感ζを代表して横谷君が発言しようとした時、マイクを切断し司会者の東大全共闘鈴木君に殴りかかったこと。赤ヘルが演壇を固めている時にML派は出入り口にて、書く大学全共闘の赤ヘルに暴行を働いたこと。ぅ妊發暴个觧?惴紊ら襲撃したこと。ゲ鮖驚賄世療豕?悗如機動隊の目前で又もや襲撃を繰り返し官憲の介入を招かせ、同志を官憲に売り渡したこと以上である。(後略)』

翌23日、大学当局は4・28に向けて告示を出した。
【告示 1970年4月23日】
『最近、一部活動家学生集団の行動が学内外で見かけられ、4月28日の「沖縄反戦デー」のストライキ宣言など、さまざまな行動への呼びかけ立看板やアジビラによって見うけられる。大学はそうした政治的目的による一部学生の過激な行動のために、教育・研究という大学本来の使命を犠牲にされてはならないと考える。あるセクトが公言しているような「明大再占拠」などの行為は断じてこれを許すことはできない。
学生諸君は、この厳しい事態を認識し、学園の平和と自由が如何にわれわれの日常の生活に必須の条件であるかを熟慮し、理性をもって冷静に対処されるよう切に要望する。』

告示が出された日、ML派は和泉校舎を武装制圧した。
【ブンド、ML、中大代々木寮でまた衝突 明治大学新聞1970年4月30日】
『22日の全国全共闘主催の新入生歓迎集会(日比谷野外音楽堂)でのブンドとMLの内ゲバは既報のとおりであるが、翌23日にも両派の抗争が起こった。
23日、和泉校舎では反帝戦線(ブンド)の政治集会が予定されていた。
しかし、午前10時ごろ、学生解放戦線(ML)約20人が竹ザオを持って、中庭で集会を開いたため、反帝戦線の政治集会は流会となった。解放戦線は1時間ほどして引き上げた。その後、午後5時ごろ中大代々木寮近くで、ML派の高校生の集会がもたれた。そこへ約40人の反帝戦線の学生が、材木屋から持ち出した角材で向かい、乱闘。25人が窃盗、凶器準備集合罪などの現行犯で逮捕された。(後略)』
この4月23日は、私の記憶ではML派は和泉キャンパスを全都動員90名の武装部隊で制圧した。
当日、ML派の部隊は、和泉の新学館2階の中執の部屋に向けて、中庭から竹ザオで武装してやってきた。私は学館運営委員として、ML派の部隊の指揮をやっていた○○君に「どうするつもりだ!」と問いかけたが、「お前は関係ないからどいていろ!」ということで、ML派の部隊は学館に入って行った。学館内にはブントはおらず、ML派は引き上げて行った。
(写真は4・28のデモの様子)

(No310-3に続く)