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(No311-1の続きです)

最初に司会者から「忘れざる日々」の次回の企画を「救対」にしたいという提案があった。ただし「救対から支援を受けた話はあるが、実際に救対に関わった人の話が集まらない。救対関係者を知っている人がいれば教えてもらいたい。」とのことだった。
これに関連して、副議長のY氏から「日大闘争で捕まった時と、政治闘争で捕まった時では意識が違う。日大闘争で捕まった時は救対の励ましで力が出る。精神的支えとして大きなものがあった。救対活動の事実をハッキリさせて残しておく必要がある。」との発言があった。
司会者からまとめで「逮捕されたもののケアをどうしていたのか、忘れざる日々の中で紹介したい。」という発言があった。
次に日大全共闘資料集について、芸術学部のM氏から報告があった。
日大全共闘資料集は『機嵜景絞麁擦妨る日大闘争」供崢日ジャーナル」が見た日大闘争」掘孱僑検Γ僑抗慇姑人陲汎鋿臚争」』が発行されており、その発行者がM氏である。)
会場のパワーポイントには次の文字が書かれていた。
「日大闘争は誰によって報じられ、語られ、論じられたか。
マスコミや文化人は日大闘争の何に注目し、なぜ支持し、どこを評価したのか。」
M氏からは「68年12月に逮捕され、69年3月に出てきたら日大全共闘が変わっていた。他大学と同じ全共闘になってしまった。全共闘会議もなくなり、党派会議になっていた。日大闘争は他大学と違う何かがあったと思う。どこが違うのかを見つけ出すためにこの作業をやった。」との発言があった。
司会者から『「忘れざる日々」は、この冊子の新聞取材で「10号まで出す」と「公約」したため、10号まで出す予定だが、今回の4号で切り札を全部切ってしまった。「情報」の問題も切り札であり、今後の企画編集で本としてのレベルを上げる必要がある。』との発言があった。
これに関連して、参加者から「日大闘争を計画して仕組んだ人たちがいる。実際に計画を作った人たちがこの本の企画に参加していない。また語っていないので満足したものになっていない。そこまで踏み込んでいかないと10号まで続かないのではないか。」という意見も出た。反対に「雑文だけでも十分」という意見もあった。
司会者からは「日大闘争は他とは違う、すごかったと言われるが、何が違うのか、何がすごかったのか、来年以降も議論して行きたい。」と発言があった。
最後に11月3日に御茶ノ水の連合会館で開催される「大学闘争45周年記念フーラム」について、実行委員会の教育大M氏から参加の要請があった。(※参照)

懇親会ではフォーラム実行委員会の教育大M氏と中大O氏と一緒のテーブルに着いた。そこに日大全共闘ライトウイングの芸術学部Y氏、経済学部I氏、T氏が来てワイワイガヤガヤ・・・。
懇親会の途中でJUNさんから南相馬市放射線モニタリング調査測定活動報告、そしてO氏から「オリンピック候補地の放射能を測る会」の運動の報告があった。

私はこの日大930の会に参加して5年目になる。最初に参加したのは日大全共闘結成40周年の時だった。あの時は知っている人が誰もおらず(農獣医のS氏は除く)心細かった。「全共闘だった時代」主宰のyamamoto氏から明大の人がいるということで紹介されたのが、aagh@文ゼミ氏だった。
その後、明大の集まり(土曜会)に参加し、aagh氏は亡くなり、3・11以降は4大学共闘として、昔と同じように日大全共闘の皆さんと集会やデモに参加している。
今回の「日大930会」に参加して、この5年間の出来事が思い出された。

時は容赦なく過ぎて行く。「記憶を記録する」作業は時間との闘いである。日大930会の方々の今後の活動に期待したい。(私も微力ながら支援します。)

※ 「言っておきたいことがあるー大学闘争45周年記念フォーラム」のお知らせ
日時:2013年11月3日(日)
   午前11時~午後6時25分
会場:連合会館(旧総評会館)201会議室
   (東京メトロ千代田線「新御茶ノ水」駅B3出口スグ)
内容:午前11時    開場
   午前11時30分 開会
   午後 1時30分 第一セッション終了(昼食休憩)
   午後 2時15分 第二セッション開始
   午後 4時15分 第二セッション終了
   午後 4時25分 第三セッション開始
   午後 6時25分 閉会
会費:1,000円
主催:大学闘争45周年記念フォーラム実行委員会


(終)