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(No316-2の続きです)

私と正清さんがあそこに居ることを先方は認定している。その居る権利を第三者に譲ってはならない、承継してはならないとなっていまして、そのためには我々は居なくてはならないことになっている。従って、第一審が終わるまでは居なくてはいけないし、居る権利がある。これから先、もし数年でも我々があそこに堂々と居られるとすれば、運動全体にとって非常に重要なことだろうということで、長引かせるだけでも一定の意味があるんです。
しかし、5月の段階では3回くらいで裁判が終わって結審してしまうだろうという見通しがあって、ここをどうにかしようということでいろいろやって、結果として第4回まで行ってしまった。恐らくあと2回くらいやることになるのではないだろうか。3回目までに、訴えている内容の議論が少し始まった。

最近の問題から言うと、全体から見れば必ずしも大きな問題ではないけれども、裁判上の問題としては大きい、監視カメラによる人物の認定を先方が間違えてしまった。
私と一緒にやっているAさんを正清さんと思ってしまった。証拠写真が出てくる時にAさんを正清さんとして出している。「これはとんでもないことだ」と2回目から言われて、「これについてちゃんと釈明しろ」ということなんですね。彼らは「たまたま間違えただけなんだ」ということなんです。しかし、訴状には何月何日から正清が引き続き占有していると書いてある。その時の占有している証拠としては、監視カメラを見て勤務評定みたいなものを作って、それを証拠として正清が引き続きここに来ていると言っている。
それは単に証拠を間違えたというレベルの問題ではない。回数から言うと、正清よりAさんの方が回数が多いと思うんです。それをもって、たくさん来ているとか言われても話にならない。私としては、意見として訴状を書き直せと要請しています。
問題はそれだけではない。我々としては国有地であるかどうかを争ってもどうにもならない。国有地なんだけれども、単なる空地、フリースペースに我々が居ることがどうなのか、つまり民主主義や脱原発の運動との関わりおいて、ここをちゃんと本格的に議論していただきたい、やるべきだというのが我々の一貫した主張であり、そのようなものとして今後も頑張ってやっていくということになります。
今のところ、1回だけは狭い法廷でやられたんですが、2回目3回目は東京地裁の一番広いところでやれるようになって、それでも傍聴希望者の3分の1くらいしか入れない。4回目もできるだけたくさんの方においでいただいて、テントの裁判を巡る基本的な運動上の側面からの大きな力を是非発揮したいと思っていて、今のところ、皆さんの力でそういう形になってきているというのがテントを巡る状況です。

ただし、テントは裁判だけやっている訳ではありません。元々我々自身がここに2年居るとは思っていなかった訳です。最初の頃は1週間か10日という感じだったんです。
だからテントを買っていなかったんです。レンタルで借りたんです。ところが2日も経つと、10日で返す訳にはいかないとなって、結局、すぐ買い取ることにしたんだけれども、買い取った以上はずっと居るしかない訳で、そのうちに2つ目のテントを作ったりした。
特に2つ目のテントを作る時にどうだったのかということがありますが、これは福島の女たちを中心にして、東京の経産省周辺にテントがあるらしいということを聞いて、私のところに「テントに行って一緒に座り込みをやっていいですか」という連絡があったんですね。経産省のところに勝手に居る訳で、店子なので、「皆さんがいらっしゃることにいいとか悪いとか言いませんけれども、テントとしては歓迎します」ということで彼女たちが来ることになったんです。
男と同じテントじゃマズイということで、潔く新しいテントを買おうということで新しいテントを建てた。福島から「原発はいらない福島の女たち」ということで、当初は100人くらい来て、3日間あそこで頑張って、その後、全国の女たちということで1週間頑張った訳です。そこで我々と福島の女たちとの関係が深まっていくということがあって、帰る前にさよならパーティーをテント前でやりまして、そこでまたやろうということで別れて、また来てもらっている訳ですが、成り行きから言っても我々と福島の女たちの関係はそんなに簡単に切れる状況ではない。
実際にテントを作った後の交流は「原発はいらない女たちの会」が中心となって付き合いが続いている。割とゆったりとした団体なんですけれども、テントとの関係が比較的強くなってきて、今日に至るということになっています。

(No316-4に続く)