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(No324-1の続きです)
(写真は「毎日グラフ」1969.2.15号より転載)

たまに石が投げられ、とても届かなくて、両軍の中間におちる。「直ちに退去しなさい、石を投げてはいけない、こら」切り口上につい感情がまじって、指揮車の、金網の中でマイクがさけぶ、「各人投石者を確認の上、逮捕せよ」しごく無表情な声がひびいたかと思うと、突如、隊員の列は、我がちにときの声をあげ、催涙弾を発射しつつ、駈け出して、口々に「この野郎」「ぶち殺すぞ」「ふざけやがって」示威なのか、恐ろしいつぶやきをもらし、もとより群衆、あっという間に、横丁に逃げこみ、退き、すると、「中隊現在位置にもどれ」また命令があって、いとあっさり引きかえす。私服が背の高い男を両脇から固めて連行し、男は重病人のように頬あおざめていた。
報道の腕章にものをいわせて、機動隊の列戦を突破し、群衆側にうつると、そのすぐ後にバリケードがあって、全学連各派の旗が、ならんでいる。バリケードの内側では、闘士たち、敷石をはいで打ちつけ、投石の準備に大わらわ。両側の塀に見物人が鈴なり。あちらこちらに、派ごとの小集会があって、気勢をあげ、お茶の水駅を中心にして、あらゆる道がバリケードで封鎖されているのだ。とんまな車が近づくと、まず二人ばかり、すごい剣幕で怒鳴り立て、それを一人がなだめて、運転者に丁寧に説明する。これはどうも、やくざの手口に似ていて、計算の上のことだろう。さきほどの喫茶店も表を閉め、交番に、解放区の札がかかる。
さまざまなデモの隊列と、色とりどりの旗が錯綜して、それとまるで、水と油の感じ、着かざった娘や、子供連れの父親、恋人が、楽しそうにながめている。なにやら、お祭りめいていて、たとえばここに機動隊が押し寄せたら、大混乱となるだろうに、毛ほども心配していない様子。ぼくは、歩きながら、常に逃げ道を考えているのだが、よほど、臆病にできているとみえる。(中略)(再び東大へ向かい、落城後、お茶の水へ向かう)
学生の数を、ラジオでは千五百人とといっていたが、とてもそれではきかぬ。加えて何万かの弥次馬、まともにぶつかれば、大混乱となるだろうし、どうせ危ないとみれば、いち早く逃げ出すにしろ、この目で見ておきたい。さっきまでやりあっていたガソリンスタンド近辺、すっかり平穏になって、激しく車が行きかい、さらに医科歯科大横のバリケードもなくなっている。弥次馬だけが右往左往していて、機動隊もどこにひそむのか姿がみえぬ。
戦線がのびすぎたと、バリケードをお茶の水駅近くに移し、それだけに内側は、ごったがえす騒ぎで、おどろいたことに、まだ子供連れの男、老人がうろうろしている。「私服の野郎けとばしてやった」「いやあ、さっきは、俺のこの肩のところにまで、機動隊の手がとどいてよ、びっくりしたのなんの、聖橋まで走って、足ががくがくよ」先のとがった靴、野暮ったい身なりの若者が、楽しそうにいう。ぼくは駿河台下のバリケードまで歩いて、いざとなれば山の上ホテルへ逃げ込むA氏との約束、ホテルのバアへ立ち寄り、ウイスキー二はい飲んで、さすがに人気のないロビー、今、見てきた東大の、TVニュースをながめ、さてと、もう一度表に出たら、なんと、学生はすべて消えていて、一般群衆ばかり、明治大学近くに群がり、バリケードはあっさり突破されたらしくて、お茶の水駅に、ジュラルミンの楯がならんでいる。声も出さず、石も投げず、ただ、機動隊とにらめあうだけで、二度、三度、隊員が突っこんでくるが、いったんは逃げても、すぐに元通り、道いっぱいにたちはだかり、異様な静けさのままいる。これは機動隊にとってもかなり気味のわるいものではないか。午後11時をまわった頃、群衆は、ふいにやめたという風に、遊びにあきたといった態で、ぞろりぞろり帰りはじめ、その後は、投光器に照らし出された路上、無数の石ころが、それぞれ影を抱いて美しい模様をえがき出していた。中央大学のバリケードは固く閉ざされ、日大は窓から食糧を運んでいた。山の上ホテルで飲み直すつもり、坂を中途まで登ったら、二十人ばかりの隊員が駈足で追いすがり、思わずたちすくんだら、かまわず追い抜いて、ホテル横のバリケード撤去にかかり、ものの三分とかからず、道をあけ、たちまちまた、黒いつむじ風のように坂を駆けおりる。
機動隊は、たしかに、市民対し、無敵の強さを持つ、あれは強すぎるのではないか。「デモといっても近頃は、すぐサンドイッチにされて、護送されてるみたいなものですからねぇ」A氏がつぶやいた。サンドイッチのハムほどの、自由、戦前のパンばかりよりはましだけれども。』

(終)