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(No325-1の続きです)

このストライキに対し、当局は18日学長、商学部長名で次のような掲示を出した。
<商学部学生諸君へ>
去る15日、前日の商学部学生大会においてスト権が確立されたと称して、一部の者が大学側の制止にもかかわらず大学の器物を持ち出し、また授業妨害の行為に出たことは極めて遺憾である。
学生委員の選出も学部全クラスについてはまだ終わっていない状況で開かれ、また学部学生会規約に照らしても不備な点のあるこの学生大会が果たして正当性をもつかについては大きな疑義が持たれることであり、もともと大学はこのような大会決定には拘束されるべきものでもないので、平常通り授業を行う方針で臨んだ。
しかるに前記のような行動が強行され、他学部の授業にまで迷惑を及ぼしたことは、許しがたい行為であり、このような行動に出た人たちの責任は重大である。猛省を促したい。
また他の多くの学生諸君には。このような不祥事が今後繰り返されることのないよう、それぞれ言動に慎重を期されることを切に要望する。
5月18日
学長 商学部長』

5月15日、私も商学部の学生として1日スト決議を受けて学内集会と授業阻止行動に参加した。1号館の入り口で大学職員と衝突。1号館前で集会を行い、授業粉砕闘争。その後、中庭での集会に合流し150名で学内デモを行い、再度の中庭集会の後、日比谷野音の「愛知訪ジャカルタ抗議集会」へ150から200名の部隊で向かった。

【全共闘が抗議集会 18日外相、ジャカルタで出発 明治大学新聞1970.5.21】
『愛知外務大臣はインドネシアの首都ジャカルタで開催される「アジア会議」に出席するため15日、日本を発った。
この会議は事実上、アジアの反共国家の集まりであるため、日本がこれに参加することに対して、内外から激しい反対運動が盛り上がっていた。
特に、外相が出発する15日は、全国全共闘、革マル派などがそれぞれ抗議集会を開いて気勢を上げた。
全国全共闘は午前6時過ぎから多摩川緑公園に約2,000名を集めて集会を開き、大田区民広場前―六郷橋―萩中公園の順でデモ行進した。デモ途中の大田区民広場前では、全共闘学生と革マル派の衝突が一部で起こったが、大きな衝突には至らなかった。さらに解散まぎわ、全共闘学生が機動隊に投石したため、19名が検挙された。
また、夕方の5時からは、全国反戦、全国全共闘主催の「米帝のカンボジア侵略反対、愛知訪ジャカルタ抗議集会」が日比谷野外音楽堂で開催され、労働者、学生、市民約5,000人の結集をみた。全国反戦、全国全共闘のアッピールが述べられた後、在日米人行動委員会からタドタドしい日本語を使って、米帝への力強い闘争宣言が発せられ、会場から盛んな拍手を浴びた。
激しい内ゲバなどもあり、会場はたびたび混乱したが、8時過ぎから機動隊の片側規制の中を、霞が関―虎の門―新橋―八重洲口の順でデモ行進し、そのまま解散した。』

5月20日、全国学生解放戦線臨時大会が和泉で開かれた。ML派は全国動員で150名が参加した。
翌21日も全国全共闘の集会が行われ、各派の内ゲバが続いた。
(写真は5月21日の集会:「戦旗」より転載)
【六月に向け決起集会 全国全共闘日比谷で開く 明治大学新聞1970.5.21】
『「米帝のカンボジア軍事介入反対」「日帝のアジア進出の道を阻止せよ」と叫ぶ全国全共闘連合は中央総決起集会を21日午後5時頃より、日比谷野外音楽堂で開き約5,000人の結集をみた。会場では各セクトごとに席を陣取り、内ゲバに備えて本学全共闘学生が緩衝地帯をつくっているのが目についた。
集会はまず八派から六月決戦へ向けての決意表明がなされ、続いて各大学全共闘代表の“5・29全国ゼネスト”へ向けての決意が表明された。また、久しぶりに全国全共闘連合副議長の秋田明大日大全共闘議長の決意表明のもなされた。各大学全共闘の挨拶の途中、闘争方針で対立している中核派と反中核連合である学生解放戦線・反帝学評・フロントなど計500人がが会場内で旗竿をふりかざして内ゲバを演じた。
集会は収拾のつかないまま閉会、7時半すぎよりデモに移った。大蔵省上・虎の門・西新橋・数寄屋橋・東京駅八重洲口の順でデモ行進したが、商業紙への取材妨害暴行事件に対する配慮からか、この日は機動隊の規制もゆるやかで、珍しく検挙者を出さなかった。』

(次週に続く)