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(No326-1の続きです)

学苑会中執は40年41年と民青系が握ったが、41年12月、おりからの学費闘争の最中に行われた学苑会大会で、スト権確立問題から社学同ML派が中執を奪権し、坂田新執行部が誕生した。同中執は42年の学費闘争において“ボス交”と言われている「2・2協定」を、社学同統一派(全学闘争委員会=大内義男委員長)を除いた三派全学連とともに、同協定を認めない態度を堅持し、大学当局に最後まで闘いを組んだ。
坂田中執は42年5月31日の学生大会で滝沢執行部に引き継がれた。翌年7月3日には、中執の主導権をめぐって今回を上回る乱闘が、トラックで角材、ヘルメットを運搬して、学苑会室の明け渡しを要求しながら、ゲバルトを行使してきた民青と、これを防衛するML派の間において、駿河台学生会館と二号館で行われている。
その後、中執は7月6日の学生大会で大野新執行部(社学同ML派)へと引継ぎ、翌年12月6日の臨時学生大会では炭谷久雄(法四)委員長、本間晟豪(文四)副委員長の現執行部体制を築いた。同体制は外で街頭闘争、内で昨年の大学立法粉砕無期限バリスト闘争を闘いながら、全共闘運動を構築してきている。
一方、民青系も43年7月に瀬戸中執を発足させ、次いで武田中執と続き、昨年6月に現執行部(反主流派)黒崎中執を選出し、現在に至っている。黒崎中執派は学苑会中執として認めるように大学当局に要望しているが、認可されないできている。そこで、大学当局がロックアウト体制の下に、現在の吃学生会・局学苑会の妥当性に疑義を挟むといった“学生自治”に対する牽制を仕掛けてきているのに乗じて、民青独自の学苑会学生大会を成立させ、大学当局に認めるよう要求するものと一般的に見られている。
なお、二部学生課に提出された22日の91番教室における集会届出用紙によると、当日は商雄会大久保武美副委員長(蕎三年)を責任者とする商雄会(局商学部学生自治会)主催の「大学改革についての討論会」が行われることになっており、出席予定者は1,000人と書き込まれている。
これに対し二部学生課は大学構内に置かれた立看、アジビラなどから判断して、当日の集会が届出用紙記載どおりに行われないおそれがあるとして、商雄会責任者に、ヽ慊更霄┐鮗蕕蝓⊇顕颪鯑禄伉未蠅房損椶垢覘学苑会大会なる集会を行う場合は、混乱が生じるので中止させる場合がある、の二点を確認させたと言っている。
当日午後5時20分、全共闘学生が91番教室に近い本館中庭で集会を開いていた時、大学当局は混乱が生じたとして、中川学長名で集会の中止を宣告している。
なお、主流派の炭谷執行部は6月11日午後5時半より、本校91番教室で45年度の学苑会学生大会を予定しているので、多少の混乱が生じるものと思われる。
今回の民青系学苑会学生大会粉砕行動について、本間晟豪学苑会副委員長(主流派=学生解放戦線)は「21、22の両日は、反革命集団、民青のデッチ上げ学生大会であり、日共の指導の下に中大、明大、法大、専大などにおいて自治会乗っ取りの全国統一策動をかけてきたが、全面的に粉砕していった。今後も日共=民青のデッチ上げ集会を断固粉砕していく」と語っており、学苑会中執をめぐる抗争は今後さらに激発するものと思われる。
21日の衝突に対し、松田孝学生部長は「事件に対する措置はこれから協議して決定するが、あのような暴力行為は二度と繰り返して欲しくない」との大学当局の見解を示している。
いずれにせよ、今度の事件を各自が真剣に考察する必要があるだろう。激動する社会にあって、個々人が政治問題から逃避することはできない。沈黙することが体制側の支持者と見られる時代である。一大学内の問題でないばかりか、ただ単なる”暴力“や”破壊“という問題でもない。両者の対立には、階級闘争か議会運動かの運動論をめぐる根本的な相違が存在することを見抜かなければならないであろう。現代のがんじがらめの社会を、新たな人間性復権の社会へと変革していくには、大衆示唆運動ではどうしようもないことを60年安保闘争で知ったわれわれは今、70年安保六月行動期を迎え、新たな”飛躍“として、行動しなければならない時期を迎えている。60年安保闘争で、本学構成員全員が一丸となって「岸内閣打倒、安保廃棄」を叫んで国会への街頭行動を行った本学の情勢は現在、大きく変化している。学生追出し策が昨年末進められ、寮生までも退去勧告が出されているのが本学の現状である。六月行動を行うか否かの選択の岐路に立たされているのは他ならぬわれわれ一人ひとりだと言えるだろう。』

(次週に続く)