イメージ 1
(No332-1の続きです)

そうやって2011年3月11日から一連の事故が起き、それは今も続いています。「たらちね」の事業は放射能の測定を始め、子どもたちの甲状腺検診、沖縄の子ども保養プロジェクト、専門家による講演会や勉強会などを行っています。それぞれの事業を通じて様々な人々と出会い、様々な立場や暮らしを垣間見、そしてその皆さんと同じく被曝し、被災している自分たちのことを考えます。
そんな中、「何故避難しないのか」と時々質問されますが、私自身には大きく2つの理由があります。私の住むいわき市の線量が一部の高線量地域を除き、今現在、年間1ミリシーベルトの許容をギリギリクリアする状況にあること、また、私自身の子どもはすでに親許を離れていて福島には居住していないことが外向きの理由です。
しかし、心の部分では大きな理由が別にあり、その理由から避難せず今に至っております。それはこの事故が天災ではなく人災であるということです。天災で土地を追われるならば、それは致し方ないことです。圧倒的な自然の力の前で人間は無力だからです。津波や地震、火山の爆発、いろいろなことがありますが、人間はそれらの天災を回避しながら居住する場所を選んで存在してきました。人々は自然の中の一部として生きられる場所を探して暮らしてきました。天災による被害にも大きな悲しみが伴い、心身が痛み、苦しみが癒えるには時間がかかります。でも、それでも人は立ち上がり、希望の光を少しずつ輝かせていきながら、明日に向かって進んでいくようになります。私たちの祖先がそうしてきたように、私たちもそうすると思います。
けれども原発の事故は人災です。人の手が及ばない次元のものではありません。私たちと同じ人間の力により行われる、非人道的な行為です。事故を起こすことが目的ではないけれども、結果として非人道的な行為となります。止めようのない力ではなく、止められる力です。同じ人間の行う行為により、私たちが土地を追われることは、道理に合わない理不尽さとともに、大きな悲しみと無念さが心の底に横たわります。どこに引っ越しをしても、どんな新しいコミニティーを築いても、この悲しみと無念さから解放されることはありません。何故ならば、この事故により私たちが失ったものは、取り返しのつかないほど大きなものだからです。
それは子どもたちの心と体の健康のこと、そして未来の事です。「たらちね」で甲状腺の検診を行う中で、子どもたちの事故当時の初期の急性被曝症の話を多く聞きます。一番多い内容は集落の子どもたちの鼻血が止まらなかったことです。これは専門の医師によると、急性的な強い被曝により、体内の粘膜が広範に炎症を起こしたことが原因だそうです。炎症を起こした粘膜から出血をし、鼻血となって血液が体外に排出するということです。避難時の混乱で確認されてはいませんが、鼻血があるならば血便などの下血も予想されます。
鼻血のことだけを考えても、この事故が子どもたちの未来に大きな影を落としていることは、はっきりと見えていることです。
本当に取り返しのつかない大きなものを失ったことに気付かされました。「たらちね」に関わって3年の間、私たちの活動の精神的な支えの根底が、私たちが大人として、一人一人の責任に気付くために払ってしまった、取り返しのつかない大きな代償を決して無駄にすることはできない、その代償をなかったことになど出来ないという思いです。原発の事故により、子どもたちに降ろすことのできない重い荷物を背負わせてしまいました。本当に申し訳ないという気持ちです。
また、健康の問題だけでなく、原発の事故状況が今後どのように悪化していくか見当もつかない中、その収束の行方を担っていくのは、この事故に関係のない子どもたちです。
30年後、40年後、50年度、この事故の責任を問われる大人は世代の交代とともに消えていきます。私たち大人は、子どもたちの小さな肩に暴走する原発の収束を、嫌がおうにも背負わせない訳にはいかず、その罪はとても大きなものです。
これは福島だけの問題ではありません。世の中の責任を担う世代の大人一人ひとりが、等しく抱える責任です。さらに、この事故を積極的に指導する結果になった人々には、もっと大きな責任があります。事故につながるズサンな運営管理とともに、命に係わる重要な情報の隠ぺいです。
「たらちね」は、子どもの肩に乗せてしまった大きな苦しみの荷物を、少しでも軽くすることを目標に活動しています。私たちにどこまでできるのか分かりませんが、できるところまではやろうというのが私たちの考えです。汚染から逃れて新しい暮らしを築いても、心が解放されることはありません。

(No332-3に続く)