新聞で見る1969年シリーズ。今回は1969年4月の毎日新聞に掲載された記事を紹介する。

【全学連中核派のマジメ特訓 妙義山も驚きました】毎日新聞1969.4.11  ―熱っぽく安保・沖縄 「講義」もいつしかアジ演説風にー
活動家の理論武装と戦意高揚をねらって各派それぞれ恒例の春の合宿を行った。いずれも東大闘争をはじめ、全国各地の学園闘争の中間のまとめや“70年安保”に向けての戦列強化などがその中心テーマだが、そこではいったい何が論じられ、何が語られたのか。「合宿に参加して闘う戦列に参加しよう」とのパンフレットを手に入れ、群馬県妙義山のふもとでこのほど4日間にわたって開かれた「中核派」の合宿をのぞいてみた。
ゲバ棒のふるいかた、バリケードのつくりかたでも教えるのか、という冗談を背に出かけた「合宿」は、案に相違して「革命の時が近づいた」「1970年代は1930年代に類似したものになろう」「日本帝国主義打倒」「安保粉砕」と熱っぽく、かつ大真面目で語られる。カタがこるほどの“不眠不休”の勉強会。ともかくも、初めて“公開”された合宿を通じて彼らの生態をドキュメントとしておくろう。

<ストで遅れる者は待とうや>
国労が運賃値上げに反対して時限ストを行った3月18日午前9時ごろ、通勤客でごった返す池袋駅前に、若者が二百人あまり集まった。髪の毛をバサバサに長くたらし、ふてぶてしいつらがまえが目立つ。
合宿の実行委員長小林輝美君(中核全学連書記次長)が台の上に立って、あいさつを始める。「国労のストのため一部の学友がまだ到着していないが、われわれはストを断固支持しているので、少々の遅れはがまんしようじゃないか」・・どっと笑い声が起こる。
そのまま観光バス4台に分乗して気長に待つ。バスに乗る時に“交通費”の前金として1人千円ずつ取られる。小林君は道路にしゃがみこんで集めた金の勘定。“タダ乗り”はいないか、遅れているのはだれか、参加名簿に照らして大学ごとにチュックしていく。
午前11時30分。予定より2時間半も遅れてようやくスタート。「4月の闘いを前に、合宿参加者全員が、俗世界を離れて、高い理論と強い組織的盛り上がりのため全力を尽くそう。妙義山まではこれから4、5時間かかる。疲れをいやし、エネルギーをたくわえるため、ゆっくり眠っていこう」と再び合宿実行委員長の短いあいさつ。バスガールがこれを受けて「みなさん毎日のご活躍ご苦労さま。どうぞごゆっくりおくつろぎください。」と車内放送を始めるが笑い声ひとつたてる者もいない。みな押し黙って本を読むか、眠りこけたまま、バスにゆられる。
妙義山のふもとの旅館に着いたのが午後4時。「合宿が成功しますように」と再びバスガール。

イメージ 1

写真「妙義山ろくの合宿所に乗り込む全学連中核派の学生たち。旅館の玄関には「歓迎 法政大学経済ゼミナール様ご一行」とあった。

<四千五百円の費用個人もち>
直ちに大広間で部屋割りと合宿参加費の金集め。1人1泊千円で3泊分の三千円。資料代が二百円、バス代が往復千三百円で合計四千五百円。
すべて個人負担の合宿費用だ。その間にも地元の群馬大生や山梨大生が会場づくりに余念がない。参加者は日大、群大など1校で30人から50人のマンモス部隊があるかと思うと、1人1校の“代表参加”もあって、全部で関東、東北地区51大学、約三百人という。ほとんど同時に、関西、九州、中・四国ブロックでも開かれたとか。
「委員長(金山克己君=横浜国大生)はじめ書記長、中執など我が派だけで三百人を超す活動家が獄中につがれていて、なお、この盛況ぶりなんですから」というのが彼らのご自慢。
午後4時50分、部屋割り終了。女性の参加者30余名は全員、別の旅館に部屋が割当てられた。
午後6時15分、てんでんばらばらに食事開始。全員がそろったところで一斉に「いただきます」などという光景は合宿中についに一度も見られずじまい。紙のように薄いトンカツ、魚、サラダ、野菜の盛り合わせ、トウフのすまし汁、どんぶりメシを5分か10分で平らげる。
午後7時、合宿第1夜の講義が始まった。「全学連主催・安保・沖縄ゼミナール」というのが正式テーマだ。小林実行委員長が立って「国家権力の弾圧、財政の圧迫、四月闘争への準備という苦しい状況の中で結集した諸君。闘いながらの、闘いからつかの間抜け出ての、苦しい合宿となったが、ここであらためて闘う情熱をともに学んでほしい」と強調する。
ついで法政大の学生の「安保・沖縄・研究報告=日米同盟を基軸にして」16枚のワラ半紙うらおもてにぎっしり謄写版印刷されたレジュメ(要旨)を報告者が読んでいく。「日米同盟を規定する世界史的条件」「世界経済の焦点―アジアにおける反植民地・後進国支配体制の動揺とその反動的再編」「日米同盟の再強化を基軸とする日本帝国主義の反動的登場」「日本帝国主義の攻撃の基本的動向」というようなこむずかしい「講義」が続く。
要するに「日本帝国主義はいまや“死の苦悶”に悩んでいるのだ。いまこそ追撃しよう」というわけである。
「70年代にはテキの正面突破を大胆に確認しよう。最後は機動隊を飛び越えて、自衛隊や右翼との直接対決も辞さないぞ」と“講義”からアジ演説にエスカレートしたところで、すかさず「イギナーシ」。午後11時すぎにようやく講義が終わった。
「闘いに追われて、明日のレジュメがまだできていない。各校1人ずつカッティングとスッティングのため代表を出してほしい」と要請。代表に選ばれた者は徹夜作業となった。

イメージ 2

<いい席は早くとらなけりゃ>
翌19日。午前7時半に「起床、起床」の声で起こされる。ドライヤーで髪の毛をこすりつけるようなおしゃれな子は一人もいない。冷たい水でブルルンと顔を洗う程度。もちろん寝間着などというしゃれたものはない。センベイブトンに洋服やジャンパーのままもぐりこんだだけだから、朝は簡単だ。午前8時、白菜のおつゆ、卵焼き、ノリ、ツケモノにどんぶりメシの朝食。講義にそなえて席取り競争が激しい。別館の女性が到着する前にいい席はみんな男が独占、数少ない残ったザブトンを持っていこうとした女子学生に「ナンセンス」。
午前9時20分「講義開始」。昨夜のレジュメをふまえての自由討論、「いまの体制や機構は根本からくだらない、つまらないんだ。すべてぶこわせ、ぶっ倒せ」「安保がなければいまや日本の支配階級はやっていけない。そのつっかい棒ともいうべき安保をたたきこわせ」と勇ましい。

イメージ 3


<詰め込み主義でまる三日間>
午後1時すぎ、カレーライスの昼食をはさんで、午後からは東大中核派支部による「大学を安保粉砕・日帝打倒のトリデに」の講義。夜は再び自由討論。午後10時半終了。再び明日のレジュメ作りのため、“徹夜代表”選出。
“全学連主催”はここで終わり、あとは“マル学同中核派主催”の合宿に切りかえ。20日は「現代帝国主義論と国際共産主義運動史」。「30年代の敗北を教訓として70年代を勝ちぬこう」と語られ、最終日の21日は「70年へ向けての展望・四月闘争への決意」として締め上げられた。
せっかく妙義山まできながら、山登りひとつない、つめこみの勉強会。午後5時すぎ、ようやくスケジュールを全部終了し再びバスで帰京。もったいないまでのエネルギーと驚嘆するばかりの勤勉さ、キマジメぶりである。』

(終)