2017年の10・8羽田闘争50周年を前に「10・8山﨑博昭プロジェクト」が始動した。このプロジェクトに関連して、前回と前々回のブログで、1967年10月8日の羽田闘争を当時の新聞記事と羽田10・8救援会発行の「10・8救援ニュース」の記事で振り返ったが、今回は羽田闘争の映画「現認報告書」についての「映画反戦」の記事を掲載する。
この資料は山本義隆氏よりプロジェクトに提供されたものである。

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(「現認報告書」大阪自主上映会ポスター)

【映画反戦 第1号 1968年1月20日】(抜粋)
ドキュメント「権力」製作・上映実行委員会 岩波映画労働組合気付

「現認報告書」上映運動へ!   実行委員会
『われわれ、この映画の製作・上映実行委員会は、10・8羽田闘争における山﨑君の無念の死が問いかける重い意味を受け止め、そこでたたかった学生、労働者の爆発的な怒りを、全面的に共有しようとするものである。
羽田事件は、現に進展しつつある日本のヴェトナム戦争への加担を鋭く告発すると同時に、あらゆる既成の反体制運動と組織に、そのあり方の本質的な再検討をせまった。突出してたたかった学生たちを、その突出ゆえに批判し、たたかいの効果を公認の尺度ではかるような客観主義的な立場にたつことを、われわれは拒否する。各人の分断孤立の状態をその痛みにおいてとらえ、われわれの日常に複雑なかたちでせまる経済的、経済外的権力の支配構造をみつめ、持ち場における自己を洗い出し、運動の有機性を回復することなくして、真の連帯を準備することはできないだろう。
両次にわたる羽田デモへの暴虐な弾圧は、70年安保体制への布石として、あらゆる批判者の口を封じようとする日本帝国主義の、人民に対する挑戦である。それはまた、権力の尻馬にのって、良識という名の睡眠薬を大衆にふりまこうとするマスコミのキャンペーンとともに、われわれが日常的な映画創造活動において対決しているところの、あらゆる表現の自由を圧殺しようとする隠微な体制の意志と直結しているのである。例えば、明治百年を記念すると称して戦後の諸矛盾をおおいかくし、万国博を謳歌して太平ムードを宣揚し、沖縄返還問題を曖昧化させて運動にくさびを打ち込もうとするというような一連の動きが、他方における、羽田闘争を民主勢力破壊と評価し、山﨑君の死を官憲マスコミ以上に誹謗する一部左翼勢力の腐敗ぶりとみごとに癒着しつつ、大衆的な規模で戦後民主主義を欺瞞的に裏切って行くという今日の状況がある。それを、われわれ自身の主体空洞化の危機としてとらえかえさない限り、未来への展望はあり得ないだろう。
映画「現認報告書」はあくまでも映画作家の自立をつらぬきつつ反体制、ヴェトナム反戦を真に志向する多くの人々とともに、羽田闘争の本質的な意味をほりさげて考えるための作為である。政策・上映実行委員会としては、この映画の製作に直接、間接参加してくれた多くの有志に感謝と連帯を表明するとともに、今後の上映運動への積極的な協力と、あらゆる角度からの討論を切望するものである。
また、今度のドキュメント“権力”「現認報告書」製作・上映運動を当面する重要な課題としてとり組んで来た岩波映画労組、映像芸術の会、グループびじょん、自主上映組織の会、大阪自主上映実行委員会等の横のつながりは、今後の目標設定の中で持続的に展開されて行くだろう。とりあえず、そのためのコミュニケーション媒体としてこの通信―名づけて「映画反戦」第1号をおくる。更にあらたなグループ、個人の参加を期待する。

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(ドキュメント「権力」シナリオの表紙)

【私は観た】
「暴力」とは何か    大江健三郎

僕は暗がりのなかで、つい唸り声をたててしまいながらこの映画を見た。この作品が、羽田の犠牲者の死因を充分にあきらかにしたということは、おそらくできないであろう。しかし、ここに写しだされたデモンストレーションの光景は、「暴力」がいかにもあきらかに「権力」のがわにあることを具体的に示している。しかもその「暴力」は、整備され訓練され、いやがうえにも肥大しつつあることが明瞭である。
そして学生という「民衆」のがわの「抵抗」は、それは画面を見つめる者の眼に、いかなる意味でも「暴力」とはうつらない。学生たちは、不思議なほどストイックな我慢強さにおいて苦痛を耐えている。まことに絶望的なほどの勇敢な弱者の印象である。
ここにおいて羽田の死者がどのようにしてあらわれたか、ということの根本的な意味は切実に了解されるのである。僕はいま、もっとも直截にいわねばならない。学生が今後どのような状況のもとに殺されるとしても、その殺害者は「権力」であり。その最下端の執行者たる武装警官の「暴力」である。
われわれがいま、どのように悪い時代に生きているのか、ということをこの映画は、あらためて教える。学生のデモンストレーションにおける行動が、われわれの時代を、一挙に解析して、その悪しき本質をあきらかにするのをわれわれは画面に見るのである。
日本の言論を代表するような様ざまの報道機関が、あえてその真実の、自然な表現を拒んだところのものを、僕は苦痛の感覚と共に、あらためてここに直視しなければならなかったのである。この映画を見る者は「強権」の共犯たりえないであろう。
ある明確な呼びかけの意志をこめて、若い芸術家たちが作品を作ること、そのかけがえのない清新な力を、ここに見出すことができたことをもまた、僕は感動してそれをみずからふりかえりみるためのヤスリとする。
(作家)

敗北感を基底に権力への怒りを   鈴木清順

山﨑さんの死に深い哀悼の意を捧げます。ありていに言って映画「権力」は私を含めてあの日の観客にどよめきと怒りを与えませんでした。山際さんが今、初期の目的を達したと言われている心に、何か隙間があるように思えてなりません。私も企業内で仕事をしていますのでいろいろの制約があります。ましてあなた方は権力の中で仕事をしようとなさったのですから、私の想像以上の制約があったと思います。今、貴方がかんじて居られるのは、本当は生なましい敗北感ではないでしょうか。権力への敗北感、誰一人「敗けた」とも「口惜しい」とも言わない。「権力」には深いところでの敗北の涙がありませんでした。折角ラスト警官にとりかこまれたデモ隊の敗北も、その前の学生たちの不敵な面だましいのUPのられつ(吐き気を催すほど厭でした)に冷たいくらい悲しい敗北の余韻がちょん切られてしまいました。敗北感を基底に権力への恐怖、怒り、憎しみが力として凝結してくるのではないでしょうか。(それは長い長い権力への闘争ですから・・・権力対反権力。反権力対反反権力についての私なりの意見もありますが)
歳末テレビ街頭録音「言い度いこと」で、若い男はベトナムについて意見なし、若い女はミニスカートのことばかり。私は「権力を」みたあと、初めて日本の若者ものに激しい怒りを感じました。今年は「圧殺の森」「河・あの裏切りが重く」「権力」と私自身何しているのかと言い度くなるような立派な地道な運動が静かに流れ出したのを涙が出るくらいうれしく思いました。運動自体が大切なことです。皆様の折角の御自愛を祈ります。
(映画監督)

【スタッフレポート】
「現認報告書」その出発と過程の中で  大津幸四郎

10月8日、佐藤の訪ヴェトを阻止するため学生と労働者の突出した部分が羽田に結集した。国家権力は彼らの正当なデモ隊を、抵抗権を死でもって鎮圧した。山﨑君は殺され、国家権力とそれに見事に協調したマスコミ、一部自称民主的文化人は彼らを「暴徒」とたたき積極的に国家権力の弾圧体制に協力した。連日、マスコミは学生をたたき、学生の闘いを擁護すること、歴史に対する正当な位置を占めるべき彼らの闘いを擁護する意識は全く反映しないばかりか、その類の言説を主張することは一種の犯罪者的臭いさえ伴わなければならなかった。闘う戦線はずたずたに引き裂かれた。大きく後退していること、そして体制はまさにファシズムへの道を着々歩んでいること、このまま放置したなら創造行為という根源的自由までも簡単に侵される時代がすぐ目の前に来るだろう、と我々は毎日をいらだって過ごした。既に「圧殺の森」を創る中で闘う学生達の正当さと権力の弾圧の激しさを体験したスタッフは山﨑君の死因に大きな疑問を持つと共に、権力に抵抗する学生達の声を歴史の中に正当に位置づけたいと思っていた。
10月17日、山﨑君の追悼中央葬が雨の中日比谷公園で行われた。公園の周辺は戦闘服に身をかためた機動隊で包囲され、参加者は一人一人、1kwのサーチライトを浴びせかけられ、身体検査までされなければ会場にたどりつくことさえできなかった。旗竿、葬儀用角材はとりあげられ、山﨑君の分骨まで機動隊に一時没収される。しかし報道のキャメラは機動隊の暴力には向けられず、指名手配中の学生活動家の出現にのみ集中している。この異常な事態―ファシズムのピークの状態―を怒りをもって記録すべきフィルムは存在しないのか?フィルムにたづさわる者としてこの状態を黙って見ていて良いのか?創る場がないとすれば、我々で作る場を作っていかなければならない。我々の根源的自由、根源的権利が今、目の前で侵されつづけている。我々は創る場を作ることから出発しよう。我々は我々の怒りを塗りこめるべきフィルムを作ることに踏み切った。
われわれの衝動は多くの映画作家の危機感、怒りと合体し、実行委員会の形成へと進んだ。しかし権力の弾圧、特に製作途上での弾圧を恐れ、ゲリラ化の方針で進められた。このため、実行員会はまさに血を吐くような苦しみを経過しなければならなかった。スタッフは事実の収拾―特に山﨑君の死因の事実の収拾に乗り出した。ここで、そしてそれ以後もスタッフは常に権力の弾圧とその威圧にさらされることになる。山﨑君の死因を握っていると見なされる学生活動家は常に私服の尾行を受け、何時破防法の名の下に弾圧されるかわからない緊張状態におかれていた。
スタッフも尾行する私服をまきながら彼等と会うが、事は現在政治的時間の中で揺れ動いている事件であるため、事実を全的に公表することは権力側がそれによって次の弾圧体制をひくことが予想されるため発表できない。(これに類似な事実はその後も数多くあった)
更に権力の実態を暴こうととする我々の企図を権力側は妨害破壊する可能性は充分計算される。そして、権力は単に我々の外部に存在するばかりでなく、その威圧感と影響は我々の内部にも陰を落としている。我々の目は、進行する事態を我々スタッフが浴びるであろう直接間接の弾圧とが我々スタッフの内部でどう揺れながら終局的には闘う側、歴史の正当性に対する強靭な意識へと高まるかのプロセスを記録しつつ現実にアプローチしていく(スタッフが前面にでること、それは闘う戦線と後退の中で、政治的意味と影響とその責任まで含めて、闘う者の意識にまで到達できるであろう対象を発見できなかった)そのことを企画しながら権力の威圧と攪乱に混乱させられ、明確な方法論に到達できず、シンクロキャメラの技術的方法論を読みきれぬことと相まって、製作途上でその企図は曖昧に流され形骸化され、その後闘う側に加えられる弾圧の激しさとそれへの単純な怒りによりかかってしまう。権力の弾圧と威圧、我々の内部に生きる権力、これらが一体となって我々の対象に迫る方法論を鈍らせてしまう。その後、11月11日の中央大学での学連大会とその後の動き、その中で彼等は闘う意味と姿勢をある種の情熱を以って語り合ったと後に伝え聞いたが、彼らのすぐ近くまで接近しながら、撮影することで闘う側を不利に陥し込むかもしれないと云う疑いと権力の直接の弾圧に攪乱され撮影に踏み切れなかった。もっとも、スムースに入って行くにはルートが発見されていないため、たとえ入っても彼等も我々を警戒しただろうし、そのことで我々も臆病になるーそこに闘う戦線を分断する権力の楔を我々は見る。権力との闘いを、権力の実態を我々の内部を滲して見る。そのための明確な方法論を読み得ない内に、権力の弾圧の激しさの前に混乱させられてしまう。今その痛みをもって作品の全製作過程を振り返っている。
(キャメラ・マン)

以上。「映画反戦」の記事を抜粋して掲載した。
この映画「現認報告書」は、10月4日に品川区の「きゅりあん」で行われる「10・8山﨑博昭プロジェクト 講演と映画の会」で上映される。
1967年10・8羽田闘争関連資料の掲載は、今回でいったん終了する。「10・8山﨑博昭プロジェクト」は今後も続くので、機会を見て新たな資料を掲載していく予定である。

<お知らせ>
10月4日の【10・8山﨑博昭プロジェクト/50周年まであと3年 講演と映画の集い】は定員に達しましたので、申込みを締め切らせていただきました。ご応募ありがとうございました。
なお、プロジェクトの賛同人の申込みは随時受けておりますので、下記アドレスからお申込み下さい。
「10・8山﨑博昭プロジェクト」  http://yamazakiproject.com