10月27日の新聞を見ていたら「赤瀬川原平さん死去」という見出しの記事を見つけた。「えー!?」という感じである。あの赤瀬川さんが死んでしまった・・・。(絶句)

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(新聞記事)

赤瀬川さんは、私の大好きな芸術家であり、作家であり、写真家(カメラマン)である。
ちょうど翌日の10月28日から千葉市美術館で開催される「赤瀬川原平の芸術原論展」を見に行こうと思っていた時だったので、よけいショックだった。
10月28日は少し風は強いが秋晴れのいい天気だった。
千葉市美術館は千葉駅から徒歩15分ほどのところにある。建物の下の部分は千葉市の中央区役所になっており、美術館は上階にある。
美術館に到着すると、正面に人だかりがしている。カメラを持った人たちもいる。赤瀬川さんが死んだということで、美術展の初日ということもあり、取材か?と思ったら勘違い。全く関係のないCMと思われる撮影スタッフの人たちだった。
美術館の入り口には「赤瀬川原平の芸術原論展」のポスターが貼ってある。美術館へのエレベーターは私一人。もっと人がいると思ったのだが・・・。

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美術館の館内に入ると、入口に
「去る10月26日、赤瀬川原平氏がお亡くなりになりました。77歳でした。ここに、生前の氏の活動に対し改めて敬意を捧げるとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。」
という小さな紙が貼ってある。
美術展のパンフレットによると
【赤瀬川原平(1937−)は、前衛美術家、漫画家・イラストレーター、小説家・エッセイスト、写真家といった複数の顔を持つ芸術家です。 
 前衛美術家としてその経歴をスタートした赤瀬川は、1960年、篠原有司男、吉村益信、荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の結成に参加。1963年には中西夏之、高松次郎と「ハイレッド・センター」の活動を開始し、「反芸術」を代表する作家となりました。またこのころ制作した一連の《模型千円札》が「通貨及証券模造取締法」違反に問われてしまい、1965年より「千円札裁判」を闘うことで、その名は現代美術界の外にも広まって行きました。同裁判の控訴審が終了した1968年頃からは、漫画家・イラストレーターの領域に活動の場を移し、『櫻画報』の成功によって一躍パロディ漫画の旗手となります。さらに70年代末より文学の世界にも本格的に足を踏み入れ、1981年には芥川賞を受賞しました。80年代以降は、「超芸術トマソン」「路上観察学会」「ライカ同盟」の連載や活動を通して、街中で発見した奇妙な物件を写真に記録・発表しました。また1999年、エッセイ『老人力』がブームを巻き起こしたことは、記憶に新しいところです。 
 このように赤瀬川は、とてもひとことでは言い表せないほど多彩な活動を展開してきました。一方で、様々な分野を大胆に横断しながらも、60年代から近作まで、その制作への姿勢は一貫しています。彼は何かを表現したり、創造したりすることよりも、卓越した観察眼と思考力を駆使して、平凡な事物や常識をほんの少しズラし、転倒させることを好みます。そうすることで見慣れた日常を、ユーモアに満ちた新鮮な作品へと変えてしまいます。60年代の《模型千円札》《宇宙の缶詰》にしろ、《トマソン》『老人力』にしろ、この独特のズラしや転倒の方法論から生まれました。 
 赤瀬川原平は、その独創的な作品と発想によって、日本の現代美術史において揺るぎない地位を築く一方、いまなお若い作家たちに刺激を与え続けています。本展は、500点を超える赤瀬川の多彩な作品・資料を通して、50年におよぶ氏の活動を一望します。1995年に名古屋市美術館で開かれた「赤瀬川原平の冒険−脳内リゾート開発大作戦」を除けば、これまでその活動が本格的に回顧される機会はありませんでした。今回、60年代の前衛美術はもちろんのこと、70年代の漫画・イラストレーション、80年代のトマソン、路上観察学会の仕事にも大きなスペースを割き、美術分野を中心に、この作家の幅広い活動を展観します。さらに土方巽、唐十郎、足立正生、小野洋子、瀧口修造、林静一、つげ義春、永山則夫、中平卓馬、鈴木志郎康らとの交友を示す作品資料も展示することで、当時のより広い文化状況の一端もお見せ出来ればと思います。】
とのことである。

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(パンフレット)

当初は赤瀬川さんの50年に及ぶ活動の回顧展として企画されたものと思うが、直前の赤瀬川さんの死によって、遺作展になってしまった。まだ存命の方の作品の回顧展と、亡くなった方の作品の遺作展では、見る側の気持ちも違ってくる。
会場には、1960年代の「読売アンデパンタン」展に出品された作品、「ハイレッドセンター」時代の活動を記録した写真、梱包作品、シェルタープランの模型、宇宙の缶詰、そして、伝説的な千円札裁判で押収された模型(自家製)千円札、模型千円札で梱包されたカバン・ナイフ・ハサミ・カナヅチ、大日本零円札などの作品が並んでいる。
この時代の関係書籍としては、以下のようなものがある。

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「赤い風船 あるいは 牝猫の夜」(1963年)

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「オブジェを持った無産者」(1970年)

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「いまやアクションあるのみ!」(1985年)

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「東京ミキサー計画」(1984年)

次のコーナーには、娑婆留闘社発行の獄送激画通信、朝日ジャーナルに掲載された「桜画報」の原画、各種雑誌への掲載作品(週刊アンポの表紙、現代詩手帖カット、映画批評表紙など)、ポスター(三里塚幻野祭、第2回国際反帝会議、赤軍―PFLP世界戦争宣言)などが並ぶ。
この時代の関係書籍としては以下のようなものがある。

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「追放された野次馬」1972年)

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「桜画報・激動の千二百五十日」(1974年)

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「週刊アンポ」(1970年)

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「朝日ジャーナル1971年3月19日号掲載の桜画報」

次のコーナーでは、「トマソン」と路上観察の写真群が並ぶ。「トマソン」とは「むかしジャイアンツの助人外人にゲーリー・トマソンがいた。高額の契約金でジャイアンツに入団しながら、毎打席ごとに三振の山を築き上げた。人間扇風機といわれながら、打者としての機能を失くしてベンチに控える姿は、そのまま超芸術の構造をあらわしていた。以後私たちはその存在を胸に焼きつけながら、超芸術物件をトマソンと呼ぶようになったのである」とのこと。
町の中の道路や塀や建物などに、人知れずひっそりとある造形物、トマソン=「超芸術」物件の写真が並んでいる。
私もカメラを趣味としているが、なかなか「超芸術」物件は発見できない。というかカメラで撮る自分自身の自意識に縛られている。これらの写真を撮る境地まで、まだ達していないということである。
この時代の関係書籍としては以下のようなものがある。

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超芸術「トマソン」(1985年)

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「東京路上探検記」(1986年)

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「路上観察学入門」(1986年)

赤瀬川さんは作家尾辻克彦として芥川賞を受賞しているが、千葉市美術館では作家としての作品は展示していない。
「赤瀬川原平×尾辻克彦」という文学と美術の多面体展が「町田市民文学館ことばらんど」で12月21日まで開催されているので、作家としての赤瀬川原平に興味のある方は、そちらの展覧会へどうぞ。

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「父が消えた」(1981年)

時代ごとの赤瀬川さんの関係書籍を何冊か紹介したが、1冊となると、この本がいいかもしれない。赤瀬川さんへのインタビューを基に作られた本である。「全面自供」のタイトルどおり、自伝的本である。

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「全面自供」(2001年)

このブログを書きながら、本棚の赤瀬川さんの本(尾辻克彦を含む)を数えてみると、29冊もあった。私の蔵書の中ではダントツで1位の著者である。朝日ジャーナルや現代の眼、構造、現代詩手帖など関連書籍を含めると、どのくらいあるか分からない。
いままで写真で紹介した本は、私の本棚の中の一部である。
冒頭にも書いたが、赤瀬川原平さんは私の大好きな芸術家であり、作家であり、写真家(カメラマン)である。
このブログのタイトル「野次馬雑記」も、以下の赤瀬川さんの文章に影響を受けて付けたものである。
「野次馬軍団宣言
東京に野次馬が出る。蒼ざめた野次馬である。ふるい東京のすべての実権派は、この野次馬を退治しようとして神聖な同盟を結んでいる。警視庁と新聞社、検察庁と裁判所、体制内反対派と体制内賛成派。・・・・
万国の野次馬 蒼ざめよ!」

千葉市美術館で赤瀬川さんの作品や写真を見ながら、その作品や写真が出来あがるまでの行為(アクション)そのものが、私たちを惹きつけ、刺激するものだということに改めて気付かされた。
出来あがった作品や写真は、行為の結果として美術館に展示されている。それは行為の到達点であり、到達点だけを見ても、その作品や写真の意味を理解することはできない。
作品や写真が出来あがるまでの過程、それを作る行為そのものが作品であり芸術なのである。それらの行為(アクション)は、私たちに現実(対象)が持つ既定の意味への疑問を投げかける。与えられた既定の意味をそのまま受け入れて生きていけば、何も考えることはない。体制側にとっては都合のいいことである。既定の意味に疑問を持たせないことが、体制を守ることなのである。
しかし、行為(アクション)が現実(対象)への疑問を投げかける時、私たちを取り巻く世界は変わっていく。
赤瀬川さんの「ゲージュツ」の核心は正にそこにあるのではないだろうか。

合掌。

※「赤瀬川原平の芸術原論展 1960年代から現在まで」千葉市美術館で12月23日まで開催。

(終)

【お知らせ】
「土屋源太郎さんの闘いを支援する集い」が12月6日(土)に開催されます。
12月6日(土)に「土屋源太郎さんの闘いを支援する集い」が御茶ノ水の明大紫紺館で開催されます。
土屋さんは、砂川事件最高裁判決無効の裁判闘争を現在行っています。その闘いを支援するとともに、土屋さんも関わってこられた明大学生運動60年の歴史を振り返るというのが、この集いの趣旨です。
明大関係者が中心となりますが、それ以外の方々にも参加を広く呼びかけています。多くの方の参加をお待ちしています。

○日時  2014年12月6日(土) 午後6時~9時
○会場  明大紫紺館(JR「御茶ノ水」駅下車 徒歩8分)
○会費  八千円
○申込み 11月25日までに下記ホームページのコメント欄に連絡先を明記の上、申し込んでください。

ホームページ「明大全共闘・学館闘争・文連」