赤瀬川原平さん追悼第2弾として、1970年に出版された赤瀬川原平さんの初のエッセイ集「オブジェを持った無産者」の書評を掲載する。


イメージ 1

(表紙)

この本はエッセイ集ではあるが、いわゆる「千円札裁判」に関する文章が半分以上を占めている。
「千円札裁判」とは、1963年に赤瀬川さんが製作した模型“千円札”に関して警視庁が「通貨及証券模造取締法」違反で取り調べを行い、1965年11月に起訴された事件である。裁判の特別弁護人に美術評論家の瀧口修造氏が就任している。裁判では「懲役三月執行猶予1年」の判決を受けた。
本の書評は「現代の眼」1970年8月号に掲載されたもので、画家の中村宏氏が書いたものである。
中村宏氏は1950年代、政治的、社会的な事件や事象に取材して描いた作品群で「ルポルタージュ絵画」として注目を集め、絵画だけでなく、装丁、挿画、イラストなども手掛けている。1970年前後の作品には、空に浮かぶ蒸気機関車、セーラー服姿の一つ目の少女などがモチーフとして描かれている。早稲田祭ポスターや夢野久作全集の装丁などで作品を目にした方もいると思う。
中村氏の書評はやや難解な部分もあるので、理解を助けるために、この本にも掲載されている赤瀬川原平さんの「スターリン以後のオブジェ」という文章を先に読んでいただきたい。

【スターリン以後のオブジェ】「都立大学新聞」1968年10月掲載(引用)
『催涙弾、石ころ、警棒、ラムネビン、手錠、竹槍 - 私たちはこれらを「オブジェ」としてみることができるだろう。あるいは裁判所ではこれらすべてを「ブツ」という。裁判所でいう「ブツ」とは、かって犯行に用いられたもの、あるいは犯行に用いる予定であったもの、それらのいわゆる「凶器」が静寂を強制されている法廷の中に持ちこまれた状態である。
私たちのいう「オブジェ」も、その自立的であることにおいてこの「ブツ」とよばれる状態に似ている。しかし私たち「民間人」は「ブツ」のように静寂を強制できる法廷というものを特別にもってはいない。私たちは日常生活の中に足をひたしながら、そこに交叉する法廷状の空間を仮構し、そこにオブジェという命名を行うのである。だから私たちがオブジェとよんだにしても、それはいつかは投げつけられて、機能する催涙弾として私たちの前に現れ、私たちはそれに涙を流さずにはいられない。しかし私たちはそのとき催涙弾の恐怖とともに、法廷の中に置かれ、機能を留保した催涙弾にもまた別の不安を感じる。それは、催涙弾が相手の人間に投げつけるための使命をおびたものでありながら、その法廷状の空間における催涙弾は、その投げつけられる相手をも含めた「私たち」と同等であり、同等の権利を主張することの不安なのだろうか。いいかえれば、相手をも含めた「私たち」が、その催涙弾の使用者としての地位を奪われることの不安であるのかもしれない。
オブジェという名称が、はじめて私たちの周囲の日用品につけれれたのは、法廷ではなかったが、それはいわば法廷状の空間である美術館であった。1917年、ニューヨークの美術館に一つの便器を持ちこんだ下手人は、いわずとしれたマルセル・デュシャンである。彼は便器を便所から解放し、その解放された空間の一つとして美術館を選んだのである。私たちは便器を、私たちの排泄を受け入れ、下水道に導く使命だけを担わされたものとして認識している。そのようにして便器を支配し、管理統制している私たちの内部の権力をデュシャンは放棄し、便器に自由を与え、それによって彼自身の頭蓋骨の内部も自由によって満たされたのである。このような双方の互いに対応する解放の条件として、オブジェという名称が生まれた。
一方、同じく1917年、ロシア大陸で行われていたことは、これとはまったく対称的なことである。10月、ペトラグラードの彼らは同じく「自由」を得るために、自らの生活を支配する権力を奪取したのである。一方にならっていうならば、いわば彼らは便器をかち取ったということができるかもしれない。たとえばロシアよりもさらに東方にあった八路軍が、進撃した都市の水洗便器をそれと知らずに米をといだというようなエピソードを、私たちは祖先の帝国軍人から軽蔑的によくきかされる。しかし、そのようにしながら彼らは中国大陸を支配する権力を奪取し、その便器をも手中にしたのである。
この双方、ニューヨークの便器に対応するものと、アジアの便器に対応するものとが交叉し、完全に同居する一瞬間というものがあるに違いない。片や自由のために権力を放棄し、方や自由のために権力を奪取する。その双方をとりもつ「自由」というものは、それを志向する彼方にしか完成しないものであり、たとえ交叉するにしても、この双方はその交叉地点にとどまってはいない。それぞれの志向する自由の一応の実体化と同時に、ふたたびそれらはその交叉地点から遠ざかっていくのであろう。いやこの双方は、永久に志向する彼方で交叉する予定しかないのだろうか。
私たちが自由のために奪取しようとする彼方の権力とそれを手中にし、そして完成された権力とは連続していながら明らかに異なる方向に向いているのだろう。
しかし、私たちが外部の支配から解放されようとするとき、私たちにおおいかぶさる権力の奪取に向かう以外、最終的はないのであるが、その権力を奪取しようとする行為の先端で、私たちはもう一つの権力、己れの内部を支配している権力をひそかに放棄するのではないだろうか。ラムネビンはオブジェを通過してラムネ弾となり、旗竿はオブジェを通過して竹槍となるだろう。しかし、一瞬放棄されたかもしれない私たちの内部の権力は、再びラムネ弾、竹槍として認識を支配する。このような状況に迫られた放棄よりも早く、己れの内部の権力を自らが放棄するとき、おそらくそのときオブジェという認識が生まれるのだろう。
私たちが完全に、すべてを放棄するとき、私たちは完全に、すべてを蜂起する。というとあまりにも洒落らしくなってしまうが。しかしたとえそうなるにしても、私たちは蜂起するために放棄するのでも、放棄するために蜂起するのでもないだろう。その最前線に接近するにつれ、それらは統一の様相を呈する筈のものである。少々大げさになったが、ただその双方を性急に統一しようとすることほど、おろかなことはないだろう。それは最終的には官僚と、そして官僚的芸術を生み落すのがオチである。
いずれにしろスターリン以後のオブジェという課題が、おそらく私たちには潜在的にあるのである。その一つが模型千円札なのである。それはまた、デュシャン以後の闘争なのである。この模型千円札は、国家権力によって拉致され、「ブツ」として法廷の中に置かれたのだ。(後略)』

それでは、「現在の眼」(1970年8月号)に掲載された書評を見てみよう。

イメージ 2

(現代の眼)

【著者への手紙】
『オブジェを持った無産者』赤瀬川原平著   中村 宏(画家)

本誌編集部より電話あり。“著者への手紙”欄で貴殿の『オブジェを持った無産者』をあつかいたいので、ひとつ頼む - と。
苦しかったけれども一応ひき受けた僕は、貴殿に向けて手紙を書かなきゃならんはめにおちいってしまった。
実は、他人に頼まれて手紙を書くなんぞ、とても僕には出来ないことだし、第一、貴殿に今さら手紙など、ちとしらけすぎている。
なによりも、数年にわたる内容をもつ、貴殿のこの本に対して、ちょっくら何か書けと言われても、僕の手にあまるものだ。いわばこのエッセイ集は貴殿の珠玉編であるわけだろうから、僕などの手あかに染めぬほうがいい。
と、まあ逃げの手を打ってはみたものの所詮は何か書かなきゃならんのだ。困った。どこから、何を書こうか。原平さんよ、何か言ってくれ。「手紙なんぞいらないよ。よく読んでくれればそれでいいよ」とか、なんとか。
ぐちばかり、ぶつぶつ言っていても始まらない。ともかく、とりとめもなく、書き始めることにするよ。それにしても貴殿は文章がうまい。ちょっとしたエッセイストだ。絵かきにしておくのは惜しい -いや失礼 -。過日東京と言う精神的へき地に作られた美学校と言う、図画工作教室の廊下で、この本を貴殿から渡され、今もこの本の装丁を見ているわけだが、まず目にとび込んで来る本のケースは、なかなかにくにくしいものだ。荷札にカモフラージュしてはり込んだタイトルの手ぎわよさは、ちょっとしたもんだと思うよ。すでに表紙のハンマーとはさみ同様、この本自体も法権力へ向けての第X号目の物的証拠であることを予告したわけか。
マルセル・デュシャンの便器に、いたく思いを寄せる貴殿は、しかし次のように言う。
≪・・・(デュシャンの)便器にとっては、輸入された、上からの革命であり、便器の上には再び美術館という支配者が根をおろした。(中略)一方、ハイレッド・センター(筆者注:高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の名前の頭文字を英語にしてつなげたもの)のオブジェは、その後にできた、デュシャン以後、あるいはスターリン以後のオブジェである。偽造されたオブジェ、あるいは模造されたオブジェである・・≫
つまりデュシャンの美術館的有産者オブジェよりも、もっと観念的、いや虚構的、いや無産者的であるのが、貴殿のオブジェと言うわけか。なるほど、貴殿のオブジェは、たしかに空間的論理的呪物的であるよりも、まず時間的心情的行為的である。そして、「タブロウ」(筆者注:壁画や彫刻に対して,カンバスや板に描かれて額縁に納められた絵)にはならず、すべて「情況」となる。
≪・・・そしてたしかにこれもオブジェであるのだが、これは<東欧風>の便器とは違って。我々の<行為>を当然のことのように要求し、誘発し、山手線に乗って裁判所へ行ったりすることを、誰にでもせがむのだ≫。
だが、どうだろうか。「便器デュシャン」としてのデュシャンから、デュシャン自身、「便器以後」をつくっているのではないだろうか。デュシャンのオブジェ観念は、便器止まりではなく、もっと深部を、つまり、オブジェ ⇔ 情況 ⇔ オブジェよりも、オブジェ ⇔ 論理 ⇔ オブジェの円環を提示しているはずだと思う。便器からガラス作品への方位をそう見るのだが、いかが。
要するに、便器のデュシャンは「美術館」と「お芸術」に唾棄したかっただけのこと。便器でも何でもよかったのではないか。痰壺でもいいわけだ。公衆便所を黄金でつくることにかかわって、革命が眼前にある、とレーニンが言ったと噂を流すダリの観念、あるいは60年安保闘争中、国会議事堂正面玄関の階段に立小便の放列をした若者たちの行為と、つまりは、同じ、情況オブジェ論につきているのではないだろうか。
ガラスのデュシャンは、情況オブジェ論から一歩出て、各オブジェ間の論理的解明へと向かう、論理オブジェクト論を示していると思える。僕が考えるオブジェ観念は後者に属する。たしかに貴殿が指摘するように、オブジェを「ブツ」と言った方が、何かはっきりする。しかし、すでに貴殿のオブジェは「法廷」という「美術館」の軍門に下ったことのその意味から「ブツ」に転位したのである。この場合の「ブツ」とはむろん物質のことではなく、あくまでも物件のことであり、情況の中の価値品目である。
情況ぎらいの僕が思うには、やはり芸術作品と言われる品目は、どうさかだちしても「美術館」からはぬけ出す出来ないと思う。あたかも、われわれ自体の生活が、国家あるいは階級関係からぬけ出せないように、だ。ああ、いやだ、いやだ!
ひとり、芸術品目だけが、かりに「美術館」からぬけ出せたとしても、もうひとつ外側の「美術館」 - 国家、がまちかまえている。むしろ国家へ近づくだけの話だ。国家へ近づくことを、「情況化」という。ここにあっては美術館を有するデュシャンの便器も貴殿の法定を有するオブジェも、同質のものとなる。「行為」とは観音様の手のひらの上の悟空であったのだ。
芸術品目、すなわちオブジェは、このように情況とかかわればかかわるほど、国家権力へ近づく。つまりオブジェにおける呪物性をさけて、逆にオブジェを拡大すればするほどオブジェは情況化し、国会意志の御意にめすことになる。この辺のあたりで「芸術と政治」なんぞという低次元の問題をもたげる。
さて、オブジェは、あくまでも拡大してはならず、むしろ逆に、呪物として自閉させ、その果てに論理物質としてのオブジェを見る、としなければならないものだと考えるがいかが。オブジェとは僕が思うには、あくまでも、呪物であり、物質の内側において覚醒する論理そのものでなければならないのだ。したがって、情況と係わり合うことではなく、情況は、あとからつくられるものとなる。呪物とはまた、物質に向かう微粒子的自覚であり、それはタブロオの自覚の世界へとつながっていると思う。
貴殿のオブジェは「物品贈呈式」を経て拡散していったらしいが、どうも僕には疑問だ。しかし、貴殿のオブジェは贈呈出来るものなのだろう。僕のオブジェ、いや呪物は、贈呈など出来るしろものではない。古典的女学生のごとく恥ずかしくて、とても、とても ―。
いや、まったくへんな話になってきたようだが -。それにしても貴殿の精神には、一貫してパロディー魂が感じられて、痛快だ。なかんづく、社会主義リアリズムに対して「資本主義リアリズム」とはねえ。面白い。
「スターリン以後のオブジェ」とか、「順法絵画」とか、「蒼ざめた野次馬を見よ」とか「野次馬軍団」とか、「芸術は武装放棄せよ」等々。なによりもエセ「千円札」とはパロディそのもの。本当に痛快だよ。だけどここだけの話だが、本当の「ニセ金づくり」てのは、本当の芸術家だと思うよ。ニセ金つくるやつなんざあ、きっと自閉症にきまっている。芸術なんかも、自閉症患者のつくったニセ世界の絵図面だぜ。
≪・・・“千円札裁判”は、私にとっては救いであったのだ。私は“梱包”をつくり“千円札”を作ってからやることがなくなってしまい、心臓ノイローゼと同時に極度の睡眠恐怖症におちいっていた≫と、貴殿はあとがきでかいている。少なからず、ほんの一部分ではあったが、世間様をさわがせた罪人の、真人間に対する、これは詫びであるように、僕にはとれる。
いいではないか、「懲役三月猶予1年」になろうが「無罪」になろうが、実はどっちでもよかった、と言う罪。そして裁判を利用して心臓ノイローゼや睡眠恐怖症をなおし、あまつさえ「オブジェを持った無産者」を出版したと言う罪も、貴殿のこの1通の心のこもった詫び状で、すべて許されるのだ。腹黒いユーモア、おっと“黒いユーモア”などと、きどらないで、罪を詫びる、そしてそれを許す「悲しくも優しいユーモア」の方が、僕には分かるような気がする。
≪・・・ひょっとすると、私のまえに逆光の中の人影として見えた瀧口氏は、エレベーターで昇って廊下を歩いてきたのではなく、最初から逆光を背にして、逆光の窓の外側からこの廊下にはいっていたのだろうか≫と、貴殿の恐怖は瀧口修造氏をとらえる。
悲しさを理解したもののみがもつ恐怖。その恐怖をもっても理解した瀧口氏。本当は瀧口氏こそ、貴殿に向けて手紙をかくべき人ではなかったか。

(現代思潮社刊・B6版・363ページ・980円)』

イメージ 3

(裏表紙)

(終)