昨年の4月に始めた「週刊アンポ」で読む1969-70年シリーズの2回目。

今回は羽仁五郎氏が語る「歴史とはなにか」。

1969年12月に発行された「週刊アンポ」第4号に掲載された記事である。

羽仁五郎氏は当時67歳の歴史学者で、「都市の論理」という本を出しており、反日共系学生に絶大な人気があった。

1969年2月11日に中大中庭で行われた「日大闘争勝利労学市民5万人大集会」では約2万人の参加者を前に「最後の勝利者は、闘う学生きみたちのものだ!」とアジ演説を行っている。

 
 
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(1969.2.11中大中庭)


私は1969年4月に明大に入学したが、日本武道館で行われた入学式の後、学生会主催の第二部で講演を行ったのが羽仁五郎氏であった。羽仁氏の講演を聞いたのは、もちろんその時が初めてだった。大学では周りの仲間がみんな「都市の論理」を読んでいたので、私も借りて読んだが、どういう内容だったか殆ど記憶にない。

 
 
 
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【歴史とは何か(聞き書き)羽仁五郎】週刊アンポ 第4号 1969.12.29


では始めようか。

歴史というふうにみなが考えているものは実際は、歴史じゃないんだ。

このごろ歴史ブームなんて言って、「天と地」だとか、その前だったらば「赤穂浪士」。それから大仏次郎の「パリ燃ゆ」だとかいうふうなものが、ふつうの歴史だと思われている。それから、山岡なんとか・・・荘八か、あれの何とかね、それから吉川英治の何とかいうのが、歴史だとみんな思っているんだが、それは歴史じゃないんだ。大学で教えている歴史学というのも、実際は歴史とは言えないのではないかな。歴史っていうのは一体なんなのか。いまいったような歴史っていうのは一体なんなのか。いまいったような歴史というのは、一種の昔話みたいなもので、ある意味では非常にくだらないものだ。それから、このごろ何だっけな、ありゃ、何とか55号とかいうんで、こうジャンケンして変わり番に裸になるっていうやつね。しばらく前の毎日新聞なんかに、そのコント55号ってのは、実にくだらないが、でも、「天と地」ほどはくだらなくはない、というような話が出ていたらしい。ぼくもあとから人に聞いたんだがね。どういう意味でそういうふうに言ったかよく知らないんだが、まあ確かに、そのコント55号みたいなものなんだ。いままでの歴史はね。「天と地」とくらべると、まだそのコント55号の方が意味がある、おもしろい。

 
 
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(羽仁五郎氏)

<帝王の学から人民の学へ>

歴史じゃないものを歴史のように教えられているんだ。これは偶然そうなっているわけではない。また人民が無知で、ああいうものを歴史だと思っているわけでもなくて、歴史じゃないものを、歴史と思わせていることが、いま一番の問題なんだ。歴史というものを、人民が学ぶと、非常に困るんだ。そうでなければそれをごまかすはずはないと思うんだ。それほど歴史ってものは、おそろしいものなんだよ。

歴史ってものは、昔は帝王の学問というふうに言われていた。だから中国でも史記とか何とかいうものは、その帝王に読ませるために歴史家が書いたんだ。帝王が最後に勉強するのは歴史であった。どうしてかっていうと、帝王として、人民を支配するために、いままでの君主がどういうようにすると、うまく人民を支配でき、どういうふうにやると、自分が滅亡するか、ということが歴史から解るからだ。だから秦の始皇帝のように、いたずらに学問を弾圧すると、三代で滅びてしまうのだ。あんまり学問を弾圧したりすると、早く滅びてしまう。そういうことはやらない方がいい。しかしあまり学問を自由にしても、よくない。とかなんとかいうことを学ぶ帝王の学が、歴史と言われていた。

 だが現在は、かっての帝王の学が、いま人民の学になるかならないかというとこなんだ。そういう人民の学としての、人民の最高の学問としての歴史というものができあがると、支配階級は非常に困る。だから、そこでいろいろインチキをやるんだな。

 それで結局、歴史とは何ぞやと言えばね、現在の段階では、その帝王の学に対する人民の学の闘争だ、というふうに言ってもいいのではないか。帝王の学に対して人民の学、という対立において、歴史および歴史学というものを、とらえることができる、と思うんだ。それは別にぼくが一人で勝手に言っているわけではない。現にそうなっているんだ。いまだれでも帝王の学というものと、闘わなきゃならないということは、わかっているわけだ。つまり支配階級の最高の理論というものに対して、人民がやはり最高の理論を持たなければならん、ということだろうな。

 その帝王の学という場合には、つまり二つあるわけでね、一つは帝王が自分で学ぶ歴史学というものと、それからもう一つは、その帝王が支配するために、人民をそういうふうに教育する、そういう意味での歴史学。二面性っていうか、それは一つのものなんだけれど。現在の日本でも文部省がいろいろ考えている。家永君の歴史の教科書なんかを、弾圧してね。文部省がつくろうとしているやつが帝王の歴史、支配階級の歴史だろう。

 支配階級のイデオロギーというものと、それから支配される階級のイデオロギーというものと、そのまあ二種類あるんだろうね。帝王のイデオロギーっていうのも、それからその支配階級に支配される人民のイデオロギーというのもひっくるめて、階級的支配の歴史というふうに言っていいと思うんだな。それに対する人民の歴史学というのは、階級的解放の歴史学ということになるんだろう。それで、その違いはね、いろんな点ではっきり出てくるわけだ。

 
 
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 <サラリーマンとニセの歴史>

 歴史を支配階級を中心に書いている。たとえば日本の歴史を天皇陛下を中心に書いていく。あるいは、王朝の公家、あるいは封建時代であれば武士を中心に書く。明治維新なんかでも、下級武士、NHKなんかで放送する時は、さむらい階級が、その改革運動をやったというふうな話になっている。つまり人民っていうものは出てこないんだね。それが第一の違いだな。あの人民の出てこない歴史学は、人民の歴史学じゃないっていうことは、はっきりしている。だから、サラリーマンなんかが「風林火山」なんか読んで、あるいは「徳川家康」を読んで、サラリーマンが徳川家康に、支配階級になることは、絶対にないんだ。だから、サラリーマンが徳川家康なんか読んで、山岡荘八なんかを読んで、何か教養になったというふうに思っていれば、それはだまされているか、そうでなきゃ、仲間を裏切っている。おもしろいのは、豊臣秀吉について、福沢諭吉が、あれは「文明論の概略」だったか「学問のすすめ」のどっちかの中で、豊臣秀吉は百姓から出て太政大臣になったと、えらい人だというふうに普通言うのだけれども、百姓の方から見れば裏切りもんである、となるだろうって書いてあるのは、今の関係をよくあらわしていると思うんだよ。豊臣秀吉っていうのは、初めは百姓一揆で実力をあらわしてきたんだな。それで百姓一揆で、武士を倒すはずで、だから蜂須賀小六なんていう盗賊と、盗賊っていうのは一種の不平分子、武士階級の中の、まあ造反というほどでもないけれども、その批判的な分子だね、それと結びついて出てきた、けれども最後に刀狩りで人民の武装を解除してしまう。しかも秀吉の刀狩りあたりから日本は人民が武装する習慣を失っちゃったんだな。それでいまでもちょと学生がヘルメットとゲバ棒ぐらい持つと大騒ぎをやるんだよ。だけどアメリカやヨーロッパじゃ学生が軽機関銃を持って出てくるんだからね。そりゃ日本は、ヘルとゲバぐらいだからあれでいいじゃないか、とまああの程度でありがたいと、支配階級は思えばいいんだな。

 人民を中心にする歴史学というのはね、いままで研究されていないんだね、まったく。ぼくの岩波新書の「日本人民の歴史」あたりがまあ始めじゃないのかな。ちょいちょい人民が出てくる。人民の横顔ぐらいが出てくるのは、いままでもあるんだ、たとえば柳田国男なんか、みんながだいぶこのごろ持ち上げているけれど、あれは人民の正面の姿じゃなくて人民の背中。うしろ姿ぐらいがちらりちらり見えると、ばかにそれを値打ちがあるようなことを言うんだ。人民を取り扱うのに、腰を曲げてさ、何かしょっていくうしろ姿ぐらいが出てくると、大よろこびしているんだから、そんなのは道楽もいいところでね。やっぱり人民が正面から出てくるのをあつかわなくてはだめだ。人民の歴史の研究が非常にむずかしいっていうのは、史料がないことだと思われている。支配階級の方はいろいろ文章があるだろ。公文書もあるしね。いろいろな著述もあるし。ところが人民の方は文章がないというんだ。柳田国男なんかは、文章じゃなく、口に伝えられている歴史があるんだ、なんていうんだけれど人民の歴史の史料がないというのは、大まちがいで史料はあるんだね。でその史料っていうのは、どういうときにできるかって言うと、百姓一揆なんかのときに、支配階級の方にその史料がちゃんとできるんだよ。だから、人民の闘争の記録っていうのはあるんだね。闘争の相手が支配階級だから、支配階級がその史料を残さざるを得ないんだ。だから平安朝の貴族、たとえば藤原定家の日記の中に、そのころの京都の市中に、彼らの口から言えば、賊があらわれてきた。つまり人民の蜂起があらわれてきて、なかなかそれを押さえることができず、困ったもんだ、というふうなことが出てくるんだ。それから、江戸時代になってくると、百姓一揆の記録はあるんだ。それでは闘争のときの姿だけが出てきて、ふだんの姿がわからないじゃないか、というようなことを言う人がいるんだが、闘争の時を通して、ふだんの姿がわかるんだ。たとえば、闘争のときに米を食えるようにしてほしいと言えば、ふだん米を食ってないってことはわかるんだよ。

 現代に歴史学がどう生きるかということも、昔の歴史を現代に生かそうっていうと変になっちゃうんだよ。たとえば家康のことを研究して、それで会社の中で巧みに部下を操縦する、そういう意味において歴史を現代に生かすということは、まったくナンセンスなんだね。そうじゃなくて、人民を中心にして、はじめて歴史が現代に生きてくるということなんだろう。

 
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<過去へ向かう歴史と未来へ向かう歴史>

 それから、そのいわゆる支配階級の歴史との違いの方は、歴史というものは、だんだん進歩してきているんだから、支配階級にとっては過去の方がいいにきまっている。いまの自民党にすればね、帝国憲法時代がいいにきまっているんだな。天皇主権時代がいいにきまってんだ。だけど人民にとっちゃ、もう過去に行けばいくほど、ひどい目にあってね、奴隷であったり、農奴であったりなんかしてんだろ。だから、人民にとっては歴史学が、未来の方に向かっている。過去の方にひっぱって行く歴史学ってのは、支配者の歴史学であって、だんじてわれわれの歴史学じゃないんだ。現在から未来へ持って行くという歴史学が人民の歴史学だっていうことはわかるだろう。それから支配階級にとっては、世の中がね、落ち着いている方がありがたいんだ。動かない方がね。自分につごうがいい。しかし人民にとっちゃもう世の中が動かなかった日にゃもう手も足も出ないんだ。だからその支配階級にとっちゃ歴史は制度の歴史みたいになるんだよ。人民の側から言えば、その制度がくずれて新しい制度ができてくる。そういうのが変革だね。あるいは革命。だから制度論に対してその変革の論理、それが人民の歴史学だ。歴史でも、たとえばその唯物史観なんていう歴史でもね、階級構成ばかり問題にしているやつがいるんだが、これはほんとうの人民の歴史学とは言えないんだ。たとえば、ぼくの今度の「都市の論理」なんかに対しても、大学、ユニベルシタスというのは一種の自治体であるというのを、それは当時の制度の面から言うとギルドってなものは閉鎖的なもんで、それを現代に生かすことはできないって言う。だからぼくの「都市の論理」は間違っているってな論議をやる連中がずいぶんいるんだね。それは、ルネッサンスを制度的にしか考えないということだ。そのギルドってものが、どういう古い制度を打ちやぶって出てきたかということを考えない。つまりギルドっていうものは市民階級というものが、初めてあらわれてきた形なんだ。封建的な制度に対してはギルドってものは進歩的なんだ。しかし市民階級はその後に労働者階級になったり進歩してきたから、そののちの姿に比べればギルドというものは遅れた形なんだろう。

 まあいずれにしても制度と言う側面ばかり考えるという考え方は世の中は動かんという方の考えだな。支配階級の考えなんだ。もちろんその革命ってものが起こるには、どういう状態が、どういう条件が必要か、という意味では、その制度の問題に十分なる。ならなきゃならない。ならなきゃならないが、その重点が制度の方にあるんじゃなくて、古い制度がやぶれて、新しい制度が生まれてくるというところにあるんだろうね。そういう意味でマルクスなり、エンゲルスなりが、歴史というのは階級闘争の歴史だというふうに言ったのだろう。

 だから現在の大学闘争の中でも、その大学の歴史学に対する闘争というのは、大きな問題なんだ。たとえばね、ぼくなんか、東京大学やほかの国立大学で絶対その歴史を教えさせないんだ。これは偶然じゃないんで、東京大学は人民の歴史学を研究するという任務をごまかしている。それで帝王の歴史学をやっているかといえば、そうじゃないだろう。どっちでもないようなあいまいなものをやっているんだね。だからこれは東京大学に限らず京都大学にせよほかの国立大学にせよ私立大学にせよ、いまの大学の歴史ってものは、いま言ってきたような点から言って、はなはだあいまいなものなんだよ。人民の歴史学ということになってくると、その歴史の法則ということが問題になってくる。支配階級の場合だと先例っていうふうなことが重要になる。人民の場合には先例で生活することはできない。奴隷だったのだから。だからこの将来を判断するということだと、歴史現象に法則がないと将来の判断ができないんだ。歴史が過去を問題にすればね、法則は問題にならないんだよ。先例でいいんだな。安保条約なら、まあ外交問題なんかでもいまの政府が国会で答弁するなんかはほとんど先例をこしらえているのに過ぎないんだな。それで、いままで原子力潜水艦が日本に寄港するときに、核兵器は積んでいなかったんだから、いまも積んでいないと思う、とかなんとか先例で判断する。それから裁判官がほれ、いま東大闘争なんかで三百人も入れる法廷はないっていうのも、いままでないという先例なんだな、それから裁判の例で言えば、なぜ大学紛争が起こったのかなんていう原因は、刑事事件では扱わな

い。石を投げたか、投げないか、おまわりをつき飛ばしたかどうかということが問題なんだっていうのも、先例ではそうなっているというだけなんだな。だから東京地裁の裁判官が言うのはようするに先例しか問題にしてないんだ。

 
 
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<法則としての歴史へ>

 歴史学が人民の歴史学になるには、法則でなければならない。こういうふうにすればこういうふうになると。したがって、こういう弾圧に対してはこういうふうに戦うとね。それから戦い、闘争が分裂すれば弾圧されちゃうとかっていうふうないろんな法則だね。その法則が問題になるんだ。この点についてほら、東大の歴史の方の主任教授の一人である林健太郎っていうのが、歴史は法則じゃないということを、もうだいぶ前から主張しているんだね。その林健太郎ってもんが、この間の東大闘争のときにどういう立場をとったか。ようするに学生の新しい要求っていうものに対しては答えができないんだな。いままで大学ってもんはどうやってきたかという先例のことしか答えられないという。だから東大闘争において林健太郎教授がとった態度っていうのは、彼の歴史学とぴったり一致しているんだ。それは加藤学長の法律学が彼の確認書ってものにハッキリあらわれている。確認ってなようにすりゃね。いまだって法律で言えばね、裁判だって当事者主義で検察官と被告とは対等なはずなんだよ。ところが事実はその被告と検察官とは対等じゃない。被告はどんどんだまされて退廷させられ、検察官だけが裁判官とぼそぼそとやっているという、だから確認したからって何も意味がない。闘争ってものを認めないなら、確認書ってものは単なる形式で、だれも守りゃしない。そういう法律学における形式主義ね、つまり法というものは闘争の上に成り立っているんだということを否定しちゃって、法というのは闘争を否定するためにあるように言ってくる法律学、それと並んで歴史学は法則科学じゃないという林健太郎なんかの主張が、現代の大学の主流なんだな。それを、学生が破壊しなきゃだめだという。単に大学の建物を破壊するだけじゃない。大学の学問の問題だというようにきているんで、したがって大学がその正常な状態にもどるなんていうのはね、元の状態にもどるのを正常っていうんで、それは先例主義なんだ。文部省の考えている正常ってのはようするに学生はものを言えない。そして教授はもうでたらめや汚職をやって、医学部の教授は薬屋とぐるになって悪いことばっかりやってゆく、そして講座があって教授は自分の学説とちょっとでも違うようなことを言う助教授はどんどん追い出しちゃう。というおよそ腐敗した大学の状態にかえるってことなんだ。それを正常の状態にかえるというふうに言ってるんだろう。そうなれば、歴史学だって結局、帝王支配階級にとって都合のいいような歴史をまた教えられる。それがどういう歴史学であるかって言えば、革命を否定する歴史学なんだな。

 
 
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(写真集「日大全共闘」より転載1969.2.11中大中庭)

 

(終)