「週刊アンポ」で読む1969-70年シリーズの2回目。
この「週刊アンポ」という雑誌は、1969年11月17日に第1号が発行され、以降、1970年6月上旬までに第15号まで発行された。編集・発行人は故小田実氏である。
今回は、「週刊アンポ」第10号に掲載された「秋田明大獄外記」である。

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【「秋田明大獄外記」 週刊アンポNO10 1970.3.23発行】
秋田明大はくだらねえ、という声をはやく聞きたい・・・彼はじぶんからそういった。そしたらおヨメさんももらえるし・・・。しかし、動き出した人間・秋田明大はその動きを止めるわけにはいかない。右翼におそわれた全共闘学生は死んだ。秋田は怒った。
より日大をかたれ、よりたたかえ、これが秋田明大の、いまの、スローガンだ。
オレは逃げていると思う・・・彼はこうもいう。彼が逃げれば逃げるほど、彼の好きな<自然>に近づいていく。<自然>との距離がせばまればせばまるほど、現代の秩序、現代の権力のメカニズムは、秋田明大をとらえようとするだろう。
自然児・秋田明大は逃亡する。自然児・秋田明大は逃げることで権力にたちむかう。10ケ月の空白のあとで、動き出した人間・秋田明大<何処にいる?>

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たくさんの犠牲があった。68年の5月に日大闘争が急激に爆発する以前に、すでにものすごい犠牲が出た。
退学させられた学生たち、追い出された教官たち、こうしたひとびとのことを僕たちは忘れることはできない。こうしたひとびとが、68年6月以前に、困難なたたかいを持続していたからこそ、日大闘争は開始されたのだ。

68年に全共闘運動が始まった。この運動は歴史的必然だった。
それまでのたたかいというものは、いわゆる革命理論を立てることから出発していたけれど、全共闘運動というのは、あるいはベ平連運動というのは、自己解放という視点からスタートした。
それからもうひとつは、直接民主主義という視点。

全共闘運動のなかからたくさんの犠牲が出た。いや、今だって出ている。
1700近く、という数字は、日大闘争のなかで逮捕された学生の数だ。一万名以上、というのは負傷した学生の数だ。
日大では、この数字は当然のことだ。ほんとうは当然ではないんだが、日大の現実を見ていると、当然のように思えてくる。

68年4月25日、20億円の不正事件が明らかになった。会頭古田は、それにもかかわらず、いなおりつづけた。
日大闘争は、この事件の追求から始まった。それを追及するのは当然のことだった。日大生でなくても20億円横領に怒った。だから・・・。

68年6月11日、古田の追求集会を経済学部前で開いていた。、そこにはたぶん5千名をこえる日大生が集まっていた。
そのとき、二階の窓から、砲丸や鉄製のゴミ箱がとんできた。学生たちはたくさんケガをした。投げたのは三百名ほどの日大右翼だった。
機動隊が構内に入ってきたのは、そのときだ。彼らは機動隊を拍手で迎えた。逮捕されたのは、しかし、僕らのほうだった。右翼はだれひとり逮捕されなかった。

日大では、自民党が倒れないぎり、たたかいはおきない、よくそういわれていたことを覚えている。日大闘争のおきる前だ。
しかし、僕らは自民党が倒れるのを待っているわけにはいかない。いや、待っていればいるほど、自民党は倒れないのだ・・・。
僕らはすでに、たたかいを始めてしまったのだ。このたたかいを推進するほかに、僕らの進むべき道はない。

全共闘運動は、日大闘争は終息したとよくいわれる。だが、たたかいは始まったばかりだ。

「敵を恐れるな・・・せいぜい敵は君を殺すことができるだけだ・・・友を恐れるな・・・せいぜい君を裏切ることができるだけだ・・・無関心な人々をこそ恐れよ・・・彼らは殺人も裏切りもしない・・・だが彼らの暗黙の承認の前に、この世に殺リクと裏切りが存続するのだ」

現在という時代を生きていくなかで、僕らは悪しき秩序、悪しき知恵を得て生きて行く。人間性をすりへらして生きることを要求される。
これが大衆なのだ。さまざまな自己矛盾をかかえて生きている。その自己矛盾が何であるのかを、ひき出していくことによって、僕らは大衆であることを脱皮していく。否定的な意味での大衆であることを。

久しぶりに、ある友だちに会った。彼は昨年までいっしょにたたかった仲間だ。そして今は、ある会社に就職している。
職場で優秀な人間であるといううわさは前から聞いていた。優秀ということばの意味を、僕はかなり否定的にとらえていた。彼の場合。
ところが会ってみて、僕はうれしくなった。彼は昔とかわっていなかた。あいかわらずシンのある人間だった。
職業を否定することはできない。そうである以上、僕らはたたかいながら働くことが必要だ。友だちは実行者だった。

友だちはいま、どこかの組織に入っているわけではない。少なくとも名目的には。しかし、ある種の結びつきはある。その結びつきは、いわば個と個の結びつきとでもいうべきものだ。
個と個の結びつき、というのは非常に強いものだ。全共闘運動というのは、こうした個と個の結びつきを大切にする。
だから、全国全共闘が、いわゆる八派の連合になっているのはまずいことだ。このことを、他人事のようにいうことはできない。僕にも多くの責任があるのだから。
けれども、全国全共闘が八派連合になっているという矛盾をインペイすることはできない。それは、たたかっているひとびとに対するギマンだ。

全共闘を解体しようという声がある。全共闘を止揚しようというのなら、話はわかる。だが、止揚と解体はけっして同じものではない。
全共闘解体に、僕は正面から反対する。

2月25日、午前10時20分、日大全共闘に加えられた弾圧。

日大全共闘文理学部闘争委員会の学生30数名が、文理学部府中校舎の1年生に対して、「古田新支配体制粉砕!」のため、京王線武蔵野台駅前にて、同日午後4時から開く予定の「2・25 1年拡大討論集会」の呼びかけのビラを配布中、文理府中校舎方向より駆けつけた日大アウシュビッツ体制の右翼警備員2~30名―この右翼連の一部は文理世田谷校舎からトヨエースで駆けつけた。後に判明するーに丸太(直径5センチ)、鉄パイプ、木刀で襲われ、多数の重軽傷者を出し、この混乱に乗じて卑劣にも国家権力―機動隊は被害者である文理学部闘争委員会の学友29名を逮捕していったのである。

このとき、日大全共闘、中村克巳君は傷つき、3月2日午前7時20分、死亡した。

左側頭部に3センチ四方の陥没骨折。

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(中村克巳君が被っていたヘルメット。「日大930の会」にて。)

警視庁発表<3月2日午前11時>中村君は交通事故死。理由―1.電車の車体にヘルメットの塗料がついていたという目撃者がいる。2.運転手の証言によると「ガツンという音がしてショックを感じたので急停車した。」
よって運転手の業務上傷害致死事件として捜査する。

府中署公式見解(2月25日)の修正見解。
「証人の調べで、鉄パイプ等は全共闘学生のものではなかったことが判明。したがって、これまで被害者としてのみあつかってきた体育会系学生を、過剰防衛の疑いがあるので、暴力行為容疑で取り調べる用意がある。しかし、体育会系学生は現在スキーに出かけているので、いますぐには取り調べはしない」

病院発表・・・「中村君の体の傷は、左側頭部の傷以外にはなく、服も汚れていない」
目撃者の証言・・・「運転手は車掌の車内電話の知らせではじめて知り、急停車した。ガツンという衝撃ではない」

中村君を殺したのは、日大右翼であり、それをあやつる古田体制である。そしてさらにそれと結びついた国家権力である。
たとえ百歩ゆずって、中村君の死が交通事故であったにせよ、殺人者は右翼と古田理事と国家権力なのだ。

日本大学は大学ではない。これがわれわれの日大に対する認識だ。われわれというのは、すべての日大生、ということなのだ。
学問・研究の自由はない。自治会活動は圧殺される。各学部学生分断支配。集会・出版の自由は口にもできない。右翼警備員の検問、検閲体制。農獣医学部の小林忠太郎講師ら、まともな学者の追放は昔からだ。
失うものは、われわれには何ひとつない。

ぼくには、たたかいが日常だ。
3年前、闘争と日常は僕のなかで分離していた。集会やデモのあと、その次は映画、あるいは酒、というふうに。
けれども、いつのまにかこうした分離がなくなってきた。それを僕は不安だとは思わない。

日常性というものを、僕はたいへんに恐れる。バリケードのなかにも日常がある。その日常に埋没していくことはたやすいことだ。そしてそれは危険なことだ。
しかし、僕は、日常性を拒否しない。うまいものを食べること、いい家に住むこと、こうしたことをダメだと誰がいえるだろう。
ソボクな欲望をおさえることを、僕はしない。
自己をいつでも変革していかなければならない。しかし、この自己変革と日常性は互いに矛盾するものではない。

家族帝国主義フンサイ!とよくいわれる。けれども、これで親の愛情を否定できるだろうか。否定できないものとしてあることを、僕は認めよう。

日大闘争にかかわっていることを、僕の親は最初知らなかった。新聞に僕の名前が出たとき、親は東京に出てきた。ビックリしたからだった。
「バカみるのは、お前だけだよ」と父親はいった。僕はこたえた。「お父ちゃんは学生を裏切ってもいいのか」
おやじは何もいわなかった。体にだけは気をつけろ、そういっただけだ。

「はやくヨメをもらえ」
このまえ、おやじはいったものだ。
「でも、食っていけないよ」
「おまえの分だけ、オレが働けばいいんだから」

まだ結婚はしない。日大闘争をもっと押し進めなければならない。それに第一、あるひとりの女性を、独占することはできない。コレガオレノ女ダ、ということはキライだ。性というものが、相手を独占することなく、解放されるとはどういうことなのだろう。もしかしたら、それがわかるまで結婚できないのかなあ。しかし、これはちょっと大変だ。

はやく「秋田はくだらねえ」といわれたい。そしたら議長もやめられる。運動ももっとよくなる。
人間は単純なのがいい。とにかく自然が好きだ。

東京の雨、いなかの晴天、これが好きだ。

自然に生きるために、いま、たたかわなければならない。

(終)

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