このブログでは、重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」に掲載された日誌(独居より)を紹介しているが、この日誌の中では、差し入れされた本への感想(書評)も「読んだ本」というコーナーに掲載されている。
今回は「オリーブの樹」131号に掲載された本の感想(書評)を紹介する。
(掲載にあたっては重信さんの了解を得ています。)

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【「歌集“暗黒世紀”坂口弘」(角川学芸出版刊)】
(ブログ管理者注:日誌では歌の漢字に読みのルビがふられていましたが、見づらいので括弧に入れました。)
「歌集“暗黒世紀”坂口弘」を読みはじめました。
はじまりの章「冬の花火」に2000年の歌が集められているのですが、読みはじめて胸を衝かれぐっと涙をこらえる想いです。はじまりから哀しい。“二〇〇〇年一月一日午後一時弁護士辞むると怒りの手紙きぬ”“弁護士に去られし吾に追打ちの<恩知らず>なる誌上批判あり”“何やらむ冬の小菅の夜の空に数十発もの花火上がれり”この三首がまず最初の頁にあります。
坂口さんにとって2000年というのは「二〇〇〇年六月に裁判のやり直しを求め、再審請求の申し立てをしました」(あとがき)とあり、また同年11月8日、私は日本で逮捕されました。「冬の花火」の頃、私はまだ逮捕前ですが、のちに同じ獄という環境に在った分、これらすべての歌を生活史として読み、また実感するので、感情が溢れてしまうのです。獄の「死刑確定囚」の孤立感の中で弁護士とどんなやりとりか分かりませんが、驚きと苦しみにもう一人の自分が直視して詠んでいる姿がうかびます。
その後の方に“待ちまちし弁護受任をしらせくる電報をおし頂きて見る”“銭(かね)すこし差入れせむかと言ひくるるさても情(こころ)ある弁護士さんかな”と詠んでいて、やっと心開ける弁護士に出会えたことにこちらもホッとします。
そんな心境を経ながら再審にたちむかっている時、私の逮捕を知ったようです。“驚きをもちてニュースを聴きてをり重信房子が国内逮捕と”“昨日(きぞ)ありし重信逮捕は触れもせで朝まだき母は面会に来つ”と詠んでいます。続いて“文春誌になほ屹立(きつりつ)せる重信の父君の書きし達意の文かな”“<日本赤>と言ひてラジオは切られけり七十五年八月四日午後”など。父を詠んでいたのを知って、また涙が迫りそうです。父が当時の激しい非難糾弾の中で「重信房子の父として」と月刊文春に私を弁護する一文をよせました。はたちをすぎた大人が「確信犯」で行っていることで親を非難するのはおかしい。かつての戦前の赤狩りのような風潮」と淡々と記していました。それを思いだし、また坂口さんがそれを目にとめて刻んだ心根に嬉しくなってしまいました。
さらに坂口さんは私の逮捕から、かつて奪還闘争に自分が指名され、拒否し、現在があることを振り返りながら、その時のことも詠んでいます。“沈黙の間(ま)をしばらくは置きて言ふ<出国はせず>とただの一語を”“出国する者ら思ひて明けの空遠ざかりゆく爆音聞きをり”
坂口さんは「あとがき」で次のように記しています。
「再審請求を申し立ててこれまでのくらしに区切りがついたため、過去を振り返ってみました。遠い昔に、過激な路線ともまた組織とも手を切り、その結果として出国拒否にいたったこと(1975年)、一審死刑判決(1982年6月)と同判決をめぐる出来事、そして長年の間筆者を支えて下さった恩ある方への追悼などを取り上げ作品化しました。
また昔からの牢のくらしの折折の感慨も歌に詠んでみました。
幼稚ではありましたが、政治闘争をした端くれとして、またマルクス主義は放棄したもののリベラリストでありたいとする願望から、政治問題に対する関心をなくすことができず、アメリカによるアフガン戦争とそれに続くイラク戦争に関わる素材を極めて少数ではありますが、取り上げて作品化しました。
本歌集が扱った8年間(注:2000年から2007年)、死刑執行は空白をつくることなく、毎年判で押したように着実に行われました。当事者として嫌でたまらないこの素材は、できることなら避けて通りたいと願っています。しかし、そうしたらこの歌集は価値が半減するでしょうし、何よりも国により生命を絶たれた人たちへの申し開きができません」と。
さらに死刑制度批判、本歌集のタイトルの説明をしています。
「このタイトルは、実は歌集の内容を反映したものではありません。それは新世紀である二十一世紀を特徴づけるのにふさわしい言葉として、筆者が選んだものなのです」。「それは人類に束の間の繁栄をもたらしはしましたが、本当は人類を滅亡に導く呪うべき文明なのではないでしょうか?」と産業革命以来の産業社会批判としてタイトルを示しているとのことです。
2000年から2007年までの作品334首を収録していて「跋」は佐佐木幸綱氏が2007年の歌集「常しへの道」に続いて記しています。そして佐佐木氏は母をうたう歌を特に評価しておられます。“縮みたる母の身体に縮まざる大きな双手がいつも目に付く”など六首をあげ、「坂口の歌はどれもまなざしがやさしいが、母をうたう歌は特にやさしい」と評し、坂口さんが2007年で歌を終わらせたことにある区切りの意味があったのではないかと思わせられるとして、2008年93歳で母菊枝さんが他界されたと記しています。「著者は、母の死を、自分の人生の大きな区切りと考えたのだ。そう思いつつ、私はあらためて坂口の母の歌を読みかえし、人生というものを思うのである」と跋文を結んでいます。
どの歌も自分のくらし、心境をさらけ出し、時には悔・感謝を、時には憤りやこらえがたい思い、そうした自分を切りとるように詠んでいて「坂口弘」という人がどんな人なのかがわかるような気がします。
2000年の「冬の花火」に続いて詠まれている歌から私の心に残ったものを記していくと以下です。 
「新世紀」2001年 “弁護士にわれ恵まれて存(ながら)へたり恵まれず逝きし死囚多かり”。
「国民の敵」2002年 この年は佐々淳行原作・役所広司主演のあさま山荘事件の映画が宣伝された年です。“紙(し)をくればわれに攻めくる機動隊のあさま映画の大広告あり”“名指されて<国民の敵>と役所氏の指弾受くるとは思はざりしかな”“佐々書きし過誤あまたなるあさま本をべた賞(ほ)めしたる作家もあるかな”“人質を利用して逃ぐる企ては左翼なればこそ思はざりけれ”一方的なストーリーに対する静かな怒りが詠まれています。
「新獄舎」2003年 “国家より死ねと言はれて十年経(へ)ぬ十年経しかと今さら思ふ”“判決にて<自殺もせずにおめおめと逮捕され>とかく嘲(あざ)けられしかな”“総身より血の気が引きて総身を死のホルモンのごときが満たしぬ”(一審死刑判決をいひ渡されて)“死囚なる身分となりてしばらくは地に足のつかぬ生活(くらし)をしたり”“逆立ちを二年ぶりにせり水流の錆(さ)びし鉄管にほとばしるごとし”
「ときの淘汰」2004年 “小菅の空仰げば思ふ虹を見たし一度なりとも見たしと思ふ”“亡き指導者がわれを誘はむと摑む手を怒りて払ふつづけて見し夢”
「派兵」2005年 “屋上に逆立ちすれば足うらに冬の陽あたりこころ温(ぬく)もる”(私がこの歌集で一番好きな歌です。)“イラク派兵かくも安易に決めたるをいつか悔い深く省みをすべし”
「水琴窟」2006年 “あらざるにわが子の名前を考へをり死刑囚にして独り身のわれが”“ああ便器水琴窟となりぬらむ滴(したた)れる水の音のすがしさ”“上告をわれに促さむと三日続け小菅に来たまひ驚かされぬ”“三十八年われにより添ひてをりをり助言をしてくれ給ひき”
「生存死刑囚」2007年 “人生の節目のをりも正装して過すことなき人屋の生活(くらし)”“新聞に生存死刑囚と書かれをり魂すでに亡きがごとくに”“落ちこめるときわが本の苦しかる総括場面を読みて癒せる”“なりたきは総理と書きて笑はれし小学四年のわれなりしかな”“何ありともこの花のみは裏切らぬと金木犀の香を深く吸ふ”
昔の闘いの日々、更には公判での様々な難しさ、奪還を拒んだこと、そして獄での思索と作歌、想像しきれないことももちろん多いですが、身につまされることもまた多々あります。強く心に響く歌集です。 

虹みたしと拘置所の狭き空仰ぐ
坂口弘のくらし哀しも  
(7月22日)

<出版社の紹介文>
獄中から暗黒の世の中を問う--死刑囚からのメッセージ
死刑判決を受けたあさま山荘事件のことや、獄中から見た世の中をせつせつと詠いあげる。おのれのためでなく死刑廃止を願う真意とは。〈あらざるにわが子の名前を考へをり死刑囚にして独り身のわれが〉。
発売日:2015年03月23日
定価(税込): 1944円
四六判
角川学芸出版

(終)