昨年5月28日、「ベ平連」の元事務局長、吉川勇一氏が逝去された。No390で吉川氏を追悼して、「週刊アンポ」第1号に掲載された「市民運動入門」という吉川氏の記事を掲載したが、この記事は連載記事なので、吉川氏の追悼特集シリーズとして、定期的に掲載することにした。
今回は「週刊アンポ」第7号に掲載された「市民運動入門」第9回を掲載する。

この「週刊アンポ」は、「ベ平連」の小田実氏が編集人となって、1969年11月に発行された。1969年11月17日に第1号発行(1969年6月15日発行の0号というのがあった)。以降、1970年6月上旬の第15号まで発行されている。

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【市民運動入門 第9回 ビラ配りについての三つの立場 吉川勇一】(週刊アンポNo9  1970.3.9発行)
 最近よく街頭でビラ配りをしたいのだがどうしたらいいかという問い合わせの電話を受ける。とくに警察や法律との関係のことを聞かれる。これが一言で答えられないから困ってしまう。そこで三つの立場からこの問題を考えてみよう。①警察の立場②裁判所の立場③市民の立場の三つである。

 ① 警察の立場
 警察の立場からすると路上のビラ配りに関係する法律はさしあたり道路交通法第77条1項とそれにもとづく各都道府県のきめた条例や規則ということになろう。たとえば東京でいえば「交通ひんぱんな道路において、寄付を募集し、若しくは署名を求め、または物を販売若しくは交付すること」は署長の許可がいるとしてある(都道路交通規則第14条第8号)。そしてビラ配りはこの「物を交付すること」に該当するのだというわけだ。だから警察に聞けば無許可のビラまきはまったくの違法行為でケシカランことで、逮捕、処罰の対象である、という答えがかえってくる。
 では許可を受ければいいのか。そうは簡単にいかないのだ。何のビラか?今もってきたか?ビラの内容の許可を受けるわけでもないのに、まずまこうとするビラを出さないと、届を受付けさえしようとしない。内容が反戦だの反安保だの、ましてや警察の弾圧非難のビラなんかだと、トタンに彼らの態度は固くなる。親のカタキにあったような顔付をする。そして場所が問題になる。まずこれで話はつかない。こっちのまきたい所はすべて「交通ひんぱんな場所で一般交通に著しい影響を与える」からという理由でダメダといわれる。人通りのまったくない裏通りや街はずれなら許可される。しかしそれでは元来ビラまきの意味がなくなる。こっちは多勢の人にまきたいのだから。
 結局、どうしようもないから、許可なんか受けないでビラをまく。警官がでてくる。追いちらされたり、ビラを没収されたり、交番へ連行されたり、中には留置場へ放りこまれたり・・・。
 つまり、どうしたらよいか、と聞かれても、警察の立場からするかぎり、どうしようもないのである。つまりビラまきはやるべきではないし、やらないのが一番いいという答えになる。これが警察の立場。

 ② 裁判所の立場
 裁判所の立場からすれば、さしあたって判例が問題になるだろう。ビラまき事件の判例としては、有名な『有楽町駅ビラ配り事件』がある。1962年5月4日の朝、3人の労働者が東京の国電有楽町駅前の路上で核実験反対などのビラを警察の許可を受けずに配った。そして逮捕された。道路交通法違反で起訴された事件である。
 これに対し、東京地方裁判所は1965年1月23日、無罪の判決を下し、これを不服とした検事側の控訴による第二審でも、東京高裁は翌66年1月28日、一審判決を支持して、ここに無罪が確定した。
 この判決を詳しく紹介するには紙面が足らないが、要するに「一人または少人数のものが、人の通行の状況に応じ、その妨害を避けるためいつでも移動しうる状態において、通行人に印刷物を交付する行為のようなものは、その態様方法において社会通念上一般に一般交通に著しい影響を及ぼす行為類型に該当するものとはいい難いところである」というわけで、つまり少人数で交通の邪魔をひどくしないなら、無許可でビラをまいても一向にかまわないという判決なのだ。
 さて警察もこの判例は知っている筈なのだが、実際には尊重しない。ビラ配りをやると一人であれ、二人であれ、すぐ文句をつけてくる。法律と裁判所の決定をいちばん守らないのは警察だ。

 ③ 市民の立場
 さて最後にわれわれ市民の立場だ。われわれにとって、さし当たっていちばん関連する法律は何か。憲法第21条と第11条だろう。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現」行為は、憲法が国民に保障する基本的人権であり、侵すことのできない永久の権利なのである。土台、許可制なんてことが憲法違反なのである。
 2月7日の北爆5周年デモの時、出てきた機動隊に向かって、デモの責任者の福富節男さんは、スピーカーから大声でどなった。「警官の諸君、デモの邪魔をするのはやめなさい!私たちは今、とっても大切なことをやっているのです。」そうなのだ。デモも、ビラまきも、それは、とっても大切なことなのだ。正しいことをやっているのだという確信をもってビラまきをすることが、そしてそれは市民の侵すことのできない権利なのだということが、私たちにとってのすべてなのだろう。
(終)

【お知らせ】
10・8山﨑博昭プロジェクトでは、2017年1月にベトナム・ホーチミン市のベトナム戦争証跡博物館で「日本のベトナム反戦闘争の記録」展を開催するため、クラウドファンディングを始めました。

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今まで、プロジェクトの事業を進めるために、賛同人を募集し、賛同人の方からは賛同金をいただいていますが、この賛同金は、趣意書に書いてあるモニュメントの建立と記念誌発行のためのものであり、新たな企画であるベトナム戦争証跡博物館における展示の費用は含まれていません。
このベトナム戦争証跡博物館での展示にあたっては、資料の翻訳、資料のベトナムへの輸送、展示準備のためのプロジェクト代表者等のベトナムへの渡航費用など、かなりの費用が見込まれます。
そのため、今回、ベトナム戦争証跡博物館での展示のためのクラウドファンディングを始めたものです。
 クラウドファンディングの詳細は下記のアドレスからご覧いただくとともに、是非とも多くの方のご協力をお願いいたします。

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ご協力をいただいた方には、お礼として、発起人である山本義隆氏の著書「私の1960年代」(要望に応じて自筆サイン入りも可)などを用意しています。