今年は激動と変革の時代、1968年から50年目の年である。50周年を記念して集会や本の出版が企画されているが、もう一つ、1978年の成田空港管制塔占拠から40周年の年でもある。3月25日には、「三里塚管制塔占拠闘争40年 今こそ新たな世直しを! 3・25」が御茶ノ水の連合会館で開催され、200名を超える参加者があった。
 この管制塔占拠闘争に関わったH氏が、フェイスブックで『開港阻止決戦って何だったのよ、ドキュメント』と題した連載を掲載していたが、この連載記事を私のブログに転載させていただくことになった。今まで、管制塔占拠の前哨戦について2回掲載してきたが、今回は最終回の管制塔占拠闘争を掲載する。(転載にあたっては、H氏の了解を得ています。写真はブログ管理者の独断で選んだものを掲載しています。)
※ 3万字を超える長い原稿なので、ブログの字数制限を超えるため、昨日と今日の2回に分けて掲載しています。

開港阻止決戦って何だったのよ、ドキュメント】その3後編

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★管制塔占拠闘争(13)
太田はその「お椀」、パラボラアンテナの裏側に回り込み、14階外壁に取り付けてある鉄骨に足をかけました。彼のクライミングが始まり、パラボラアンテナのてっぺんに立ち上がりました。ここから16階管制室下部を巻いていた幅60センチメートルのキャットウォークに乗り移ったのでした。
この時、太田は中の人、管制官と目を合わせています。屋根のハッチから脱出しようとする管制官の最後の一人が脚立に乗っていたのです。彼は屋根に出て、脚立を引き上げていきました。彼らはよく自分の職場を守ろうとしました。15階扉に向けてできる限りのものを放り込んでバリケードにしていたのです。
管制室では、下から吹き上げてきたおそらくペンキに燃え移った火炎瓶の黒煙が流れ込み、管制官たちは避難しようとしていたでした。しかし、15階扉からではなく、中空のガラスの外から赤いヘルメットの男が覗き込んできたのでした。
それは太田が、管制室への道を見出した瞬間でもありました。
管制室は五角形の枠にガラスが2重に張り巡らせて360度で空港内を見渡せるようになっていました。そのたぶん西側のパラボラアンテナ上部のキャットウォークに太田が現れ、やがて手にしたバールをガラスに打ち込み始めたのでした。
太田ははじめパラボラアンテナ上のガラスにバールを打ち付けました。ぼよよよーん、とガラスはたわみ、うまくガラスに入らなかったそうです。次は五角形の一つのカド部分に打ち付けます。食い込む手応えがありました。「ここがいける!」と思ったそうです。
そこを割りにかかりますが、実はその下には14階ベランダ扉を尻と背中で押さえ、足を突っ張っている者たちがいました。扉の向こうから、これもまた私達がついさっきまでやっていたようにハンマー状の物らしいものでぶっ叩く衝撃が伝わってきていました。
落ちてくるガラスに注意の声を上げると、太田は管理棟玄関側に移って、またガラスに挑み始めたのでした。
狙うはもちろん角スミ。今度はキャットウォーク(パイプが何本か並んでいる構造)の隙間から60メートル下が透けて見える場所です。足を滑らせれば、命がなくなるところで、彼は両手にバールを持ち、ガラスのヘリに突っ込んでいったのでした。
小さな穴ができ、太田は馬手で棧の手がかりを掴んで身体をぶら下げ、弓手のバールを打ち付けて穴を広げていったのでした。
恐ろしい男です。塔上の美少年です。熊本生まれです。
「いやぁ、高所恐怖症なんだけど、あんときは怖いと思わなかったんだよね。ははは……」と本人は言うのでありますが。
どうやらこの時間あたりか、それより少し前らしいのですが、逆側のベランダに機動隊が一度、姿を現しています。逆側のやはりパラボラアンテナを備えるベランダにも占拠メンバーがいるのではないかとやってきたようなのです。
そちら側にどうやって行けるのか、私には確たることはいえません。たぶん14階のどこかの部屋を通って行った向こうに、同じような出口があったのだと思います。
さて、管制塔の五角形構造を思い出していただきたい。逆側のガラスが割りにかかられていても、機動隊がいた場からはそれが全くわからないのです。
一方、8ゲートからやってくる大部隊は奇妙な動きを見せていました。
しずしずの進撃は相変わらずで、いくつものバリケードをラッセル車(トラックに鉄板が取り付けてある)を先頭で打ち払い、横の機動隊宿舎に火炎瓶を思いつきのように放り投げていました。上から見るにはまことに落ち着き払いすぎのように、休んだりちょっと進んだり、よう分からん(笑)。
そして、キャットウォークから太田が前田に声をかけます。
「あのう、ここから入れますよ」。

★管制塔占拠闘争(14)
太田の「ここから入れますよ」の声に、前田は目の色を変えてパラボラアンテナを登り始めます。ガラスの穴は人が一人ずつ這いずりこむのにもう十分な大きさになっていました。けれども、そこに入るには胸まである16階の外壁を乗り越えなければならず、しかも、壁はちょうど登山でいうオーバーハング状。前田たちは、一瞬宙にのけぞるようにしてから穴に潜り込まなければなりませんでした。
管制塔の屋根には、ハッチをあけて逃れた管制官が腹ばいになり、下の赤ヘルたちを覗き込んでおりました。彼らはまもなくやってくるヘリコプターによって吊り下げられるようにして救助されていきます。恐ろしかったと思います。
管制塔占拠組には「人質を取ってはならない」「民間人に怪我を負わせてはならない」という掟が課せられていました。彼らが管制室から私達との直の接触なしに、去ってくれる状況になったことは本当に天の助けでありました。
思い返せば、ここがいちばん難しく危機的な事態を招きかねない状態だったのです。混乱の中でどんな突発的なできごとが起こってもおかしくなかったのですから。高いところでのやりとり、万一のことが起こらないように、冷静さが求められていました。ドガチャガのさ中でも、占拠組の誰もがそこだけは果たすことができたとは言えます。
管制官たちに恐怖心を覚えさせたことにはまことに申し訳ないと思います。しかし、こうでもしなければ、無理やりな開港を阻止することはできないんだもん。
パラボラを鉄パイプで叩いていた小泉に、中路が「ここをやればいいだよ!」といいざま、持っていたハンマーでパラボラから14階の中に入っている細い管を叩いて落としました。バカバカしいほど手応えもなく、それは落ちたようです。
マイクロ通信室につながる導波管が断たれたされたのでした。自分でハンマーで壊したマイクロ通信室の機器に続いて、中路の仕事は丁寧すぎるのでありました。
中路が使ったハンマーを前田がパラボラアンテナの上から求めました。途中まで上って中路がそれを渡して、そのまま上へ向かおうとしました。
前田は非情なやつです。中路のヘルメットを踏んづけて(比喩だよ)、「下を守れ!」と厳命したのでした。
プロ青の太田が開いたルートを通って、前田に戦旗派の現場リーダーだった水野が最上階へ続きました。ブントの看板しょってます。頼光に従う金太郎さんごときの児島はこのときは少し遅れたようです。さきに大ハンマーだけが上に行っていたようなのです。
前夜、元気よすぎるインターのメンバー(切込み隊、遊撃隊の隊長2人もいなくなっていたのです)が排水溝に入れなかったために、多くの任務を代わりに果たすことになった藤田が上がりました。そして、いまも前田が「いつの間にか入り込んでしまった」という中川が地下足袋のアドバンテージによって、するすると上っていってしまったのでした。
そのあとに平田が続こうとするのに、中路と小泉が腕をとって「待て待て」と引き戻します。前田の話によれば小泉だけは「俺たちは、ここで機動隊を止める。思う存分、上でやってくれ」とりっぱに答えたそうです。
最後に上っていったプロ青の中川は止められなくても、同じ党派の仲間なら止める。この微妙さがまだ初対面のような管制塔占拠組の関係が分かります。
こうして14階ベランダに残ることになったのは、インターの中路、小泉、平田、そして戦旗の若武者・山下でした。身体をくっつけて押さえ込んでいる扉は、ガンガンくる打撃の衝撃に代わって、やがてエンジンカッターの音と振動が伝わってくるようになりました。たぶん、ハンマーで殴りつけているうちに鍵がかかってしまったのだろうと思います。
2本の大ハンマーによって、管制室の機器はまたたく間にガラクタになってしまいました。わずか10分ほどのことでした。壊したあとはすることもないし、群がってきたヘリに向かってミスターX(大物らしいと産経新聞でWanted)は∨サインあげて喜んでるし、破壊を免れたクリーム色の電話にかかってくれば「ただいま、占拠中!」と宣言するし、まもなく選抜野球中継を中断して始まった中継(ヘリが映していたのです)にその気になって、ハンマーを振るうシルエットに面白がっているし、しょうがない奴らです。
管制室にかかってきた電話の一つはなかば涙声だったそうです。
「そこにあるのは大事な機械なんです。壊すのをやめてください……」。おそらく下の管理棟のどこかの階からだったでしょう。
答えの代わりは、破られた窓から春の風に乗ってどこまでも飛んでいく白い書類の群舞でした。

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★管制塔占拠闘争(15)
占拠部隊が管制塔をよじ登り、管制室で「はつりだ、ワッショイ!」になっていくさまを現認したのは、横堀要塞に立てこもっていた仲間や周辺の小屋の人々、8ゲート前の赤い大隊でした。要塞では双眼鏡の中で繰り広げられていくスペクタルを機動隊に向かってマイクで実況中継をしていたといいます。一緒に立てこもっていた反対同盟の石井武さんに至っては、屋上の管制官がヘリに吊るされて去っていくのを、占拠部隊が撤収していくものと思い「やろうら、えらい計画やったもんだ!」と感心していたそうです。
8ゲート部隊はさらにおかしなことになっていきました。
14階ベランダ組は管理棟屋上の機動隊の「降りてこい!」に「降りるために上ったんじゃねぇ」や「降ろしてみろよ」なんて言いあいながら、8ゲート部隊に手を振っていました。
実のところ、俺たちがもう仕事をすましてしまったのだから、わざわざ入ってくることはない、と内心では思っていました。しかし、手を振って彼らのやる気にまた火を着け、突入をさそってしまっているのも、その自分たちなのでした。8ゲート部隊の指揮者は、現場の突き上げと無線で行なっている和多田たちとのやりとりの板挟みになっていたのです。
ここからは、いささか長いですが、この8ゲートを前にした部隊の指揮者たちの話を写します。それにしても指揮者は辛うございます(笑)。
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大森●管制塔に向って「やったー! よくやったぞー!」って、みんなが手をふっていた。
吉鶴●僕は管制塔部隊の作戦内容を知っていたから、「ああ、成功したんだ!」って、すぐにわかったけど、8ゲート部隊の圧倒的多数は、なぜ管制塔に赤旗が翻っているのかがわからない。僕は(前夜、管制塔に向かうマンホール入りに)失敗したメンバーとして、手をふりながら管制塔のちかくまで行こうとしたわけ。
大森●僕なんか、「先を越された」と、警察よりもショックを受けたりしてね(笑)。
大門●8ゲートまで行くしかないと思ったのは、われわれのスローガンが「包囲、突入、占拠」だったからです。8ゲートは占拠部隊ではないにしても、突入部隊だと本人たちは自覚していた。そして、さまざまな訓練を積んできた最精鋭だという自負もある。インターの場合、300人と数は多いが、2年間にわたって毎週、機動隊とぶつかってきた部隊だった。
佐々木●この300名は基本的に中隊、小隊として編成されていた。1小隊が10人程度で、5小隊で中隊となる。実際の戦闘ではあまり役に立たなかったけれども、一応はそのように編成されていたわけです。実戦では、小隊長が「突っこめ」という前に突っこんでしまったり、小隊長が1人で突っこんでいったり、バラバラですけどね(笑)。しかし、そのように編成されているのは、全員がコマンドとして自覚しているからです。
大館●希一さんか私だったのかは忘れたけど、プロ青、戦旗派の諸君といっしょにその場でアジったわけです。「管制塔に突入したのはわれわれの部隊である。今後も闘争が続くのだから、機動隊と白兵戦にならなくても、この場から引き返せ」と。本部からの無線指令で、そのようなアジテーションをしたと思うんです。それが、あとから、ものすごい批判をあびることになった(笑)。
佐々木●トラックの荷台のうしろに立って、そのアジテーションをしたのは僕なんだよ。部隊は、これからどうしたらいいかわからなくて、茫然自失状態。行く気満々の連中だから、「帰るぞ」と言ったって聞く耳を持つはずがない。そこで、言葉を選んで「帰る」とは言わずに、方針提起をした。そうしたら僕のうしろで大館が「行くんだね、行っていいんだね」と無線連絡をしている。
大森●「行く」と決めるまで、5分ぐらいかかって、すでに3分の2くらいは引きはじめていたときだった。先鋒隊は「今日はパクられる」という覚悟をしていたから、「引くのかよー」と野次を飛ばしたわけ。ここまではわれわれの行動指導部がついていたから、「野次るな」と止められた。
大館●インターの内部からは、吉鶴君など管制塔に入れなかった人たち、それから小隊長、中隊長を含めて、「大館よ、ここまで来て、なんで帰るんだ!」と言いつづける。私は私で「これまで訓練を続けてきた2年間が、このままでは吹っ飛んでしまう」と感じて、本部に「行かせてくれ。このままでは現場がもたない」と連絡した。結論が出るまで5分間ぐらいかかったと思いますよ。その間ずうっと、希一さんがアジっていた。
大門●そのとき、私はもちろん「行くな」という指示を出していたのだけれど、「誰が行きたいと言っているのか」と大館君に聞いたら、「吉鶴たちだ」と言う。「車で突入する」という連中もいた。「最後は、収まらないから行かせるしかないか」と悩んでいたら、本部の誰かが「行くと全滅するぞ」と言ったが、「どこかで引かせるから」とゴーサインを出した。
大館●突っこんでいいという指令が出たときは、本当にうれしかった。自分たちは部隊を預かっているので、突っこまなかったら、どうなるのだろうと感じていたから……。
佐々木●「これで、プレッシャーから解放された」という感覚は非常に強かった。ただし、それまで撤収のアジテーションしていた僕は大変だったけど(笑)。「管制塔に突入した同志を迎えに行くぞー!」って、突然、アジの調子を変えたわけだから。
吉鶴●「本部から突入の指令が出た!」と誰かが言ったのを覚えてる。
佐々木●トラック周辺に詰め寄っている連中が、大声で「オー!」って、叫んだからね。
高橋●でも、決断までの5分間というのは、けっこう長く感じたなぁ。もう赤旗が揚がっているので、本部に「どうするか」と聞こうとしたが、無線機の周波数がなかなか合わない。「管制塔が見えた。もう目的は達成した」とアジテーションをしているのに、中隊長の中には、そのような意志統一をしていない人もいて、「同志諸君、管制塔にはすでに突入した同志がいる。われわれが行かなくて、どうするのか」とアジっている(笑)。そうこうしているうちに、行くことになった。本人たちはコマンドのつもりだが、部隊の性格は大衆部隊で、とにかく機動隊とぶつかるという気持ちが強い。だから、隊長までは全体の陣形を心得ているが、それ以外の部分は前夜も当日の朝も、「武器がなくなるまで撤退しない。われわれが撤退するのは武器を全部使い切ったときだ」と、口々に決意表明しているわけです。電気銃だとか、新兵器もいろいろ準備していたので、「まだ何も使っていないじゃないか」ということになる。(『1978・3・26 NARITA』より)。
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管制塔の上から見ていて、奇妙な動きをしていると感じたのは、こういうことだったのです。高いところから「来なくていい、来て欲しい気もする……」と、こちらも妙な気分なのです。さぁ、♪入るの、退くの、どうするの? はやく精神決めなさい、決めたら瓶持って走りなさい……、昔ながらのけしからん替え歌の、そのまた替え歌が心のうちで響くのでありました。
そして、一度、後ろに退いたようにみえた赤い隊列は、次の瞬間、怒涛のように押しかけてきました。あのラッセル車仕様トラックには、前夜、排水溝に入れなかった仲間が乗り込んでいることを、私達は知る由もありませんでした。

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★管制塔占拠闘争(16)
三里塚第一公園では反対同盟主催の数千人がつどう集会が行われていました。
「いま、管制塔が占拠されています」と開始まもなく司会が伝えたようです。静かな声だったそうです。
集会場は大歓声が上がりました。参加者に聞いた所によれば、「真ん中が凹んだ」とその時の印象を語りました。真ん中には、いつものように白ヘル、青ヘルの党派の大部隊が陣取っていたのです。真ん中が凹み、それを取り巻く人々が躍り上がって歓喜するという図だったようです。
反対同盟の青年行動隊は、この党派の大部隊を空港に向けようとしたようです。第3ゲートまですぐです。すでに管制塔が占拠され、管理棟にある警備本部は解体し、ただヘリコプターから、下の機動隊に声が飛ぶだけという警備の大混乱に乗じて、空港内に向かうことはそれほど困難ではないことは、少し経験を積んだ活動家であれば、すぐに分かることです。残念ながら、そこにいた党派部隊はまるで準備ができていなかったのです。
ブツの準備ではありません。やる気の準備です。
管制塔の上から、4000メートル滑走路に座り込んで行う大集会を見てみたかったです。管制塔占拠闘争がより大衆性をもったものに表現できていれば、その後の空港反対運動もまた違ったものになったでしょう。
東峰や横堀の反対同盟の人は、自宅方向へとって返した人が多かったようです。
「戦場はうちの方だ。ここじゃない」と、そのとき思ったと語ってくれた人がいました。この言葉もなかなかに味わい深い。空港内に突入したとすれば、そっちの方向からだ、と感じ取っているのです。彼女は、帰ってくる8ゲート部隊をその後、自宅近くで迎えることになります。
さて、8ゲート。ここでは本部指揮者からのお許しを得て、部隊を突入させます。上から見ていると、トラックがゆっくりと跨線橋(東関東自動車道)の下をくぐり抜けてくるのが見えました。続く赤い大部隊は空港内の最初の交差点で機動隊残存部隊といったん対峙し、それから管制塔方向に一気に進み、機動隊との乱戦になりました。
火炎瓶が乱れ飛び、管制塔の上までパイプが盾にぶつかる音、機動隊がコンクリートを盾で打つ、乾いた軽い音……。何度も何度も、倒れて逮捕された仲間を奪い返し、また、闘いは続けられていました。
胸を打たれるような光景でした。なぜか自分がこの高い所にいるのが場違いのような、下でともに肉弾戦をやらないことが申し訳ないような……、これもまたおかしな気分なのです。
前田が14階ベランダに降りてきて「上はもう全部、潰した。開港はできないよ」と伝えて、眼下の管制塔直下まできた仲間の乱戦を見入っておりました。彼の片手は、ガラスで切ってゼッケンで縛ってあったのを、求められて平田が縛り直した記憶があります。
「(機動隊が)きたら、こいつでゴチン、とな」。相変わらず、ここを死守せよと言うのでありました。この14階では、いま抑えている扉がエンジンカッターで切り取られたときに、外と内からこの扉を巡る攻防になりそうでした。
例のトラックは管理棟の玄関の鉄扉に突撃したようです。警官隊が横隊をつくり、一斉射撃をしたのは、この直前だと思います。私達の進路を確保してくれた9ゲートのトラックもパトカーを追尾することで空港内に入ってきたのでしたが、射撃されるの感じてドライバーたちは首をすくめつつ突入してきたといいます。
この日は、本当によく銃で撃たれています。なのに、どいつもこいつも命知らずになっていたのでした。
ひとりひとりの「兵隊さんたち」は、本気で私達管制塔組を連れて帰ろうと思っていたのでしょう。
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吉鶴●僕なんか、「死んでもいい」と思っていた。
大森●整理していうと、全員が整列して「行くぞー!」と喚声をあげ、トラックが先発した。そのあとを部隊が進むが、機動隊はまだ出てこない。東関東自動車道のガード下をくぐると、その先に機動隊がちらちらと見え出した。インターの方が部隊も大きいし、経験もあったのだが、そのとき、インターと先鋒隊との間で話し合いがおこなわれた。「俺たちが先に突っこむ」と言ったら、インターが「どうぞ」と言ったような記憶がある(笑)。
それで突っこんだのだけど、ガードの坂道を上がったところがT字路になっていて、左側に放水車と機動隊の部隊がいた。こちらは火炎瓶を投げ、警察は放水する。そのように一進一退を繰りかえしていたら、機動隊が放水車を先頭にして、われわれに向かってきた。そして、インター、戦旗が合流して、全体でワーッと喚声を上げ、押しかえしたら機動隊が引きはじめた。分離帯の道路がある場所までは、こちらが攻める一方で、分離帯まで来て対峙関係に入った。
佐々木●躍り上がって、真上から鉄パイプで機動隊に立ち向かっている写真があるね。
大森●ああ! この写真がそのときのものだ。分離帯の右側がインター、左側が先鋒隊。戦旗派はうしろでジグザグデモをやっていた。「おいおい、今日はちがうんじゃないの」って言ったけど。そのあとはどんどん前に進めた。そのときの写真もあって、なぜかインターの隊列に1人だけで混じって僕が写ってるのがある(笑)。その日、戻ってきて、夜になって熱田さんの家に行ったら、インター現闘のT君が「テレビにばっちり映っていたよ」と言われたが、それがこの場面。
大館●見る人が見れば、誰かを判別できるような鮮明さでテレビに映っていたらしい。
大森●このとき、インターが持っていたパイプは比較的軽いもので、それに比べると、先鋒隊のパイプは重かった。1回振り下ろすと、2回目は重くて腕が動かない(笑)。
高橋●あそこの場面はこちら側の完全制圧で、指揮をするなどという局面ではなかった。みんな、それぞれの判断で、楽しそうにやってるなというかんじで。僕は交差点に立って「やってる、やってる」と眺めていた(笑)。
大館●私の場合、見えたわけではないが、ピストルの音には驚かされた。
吉鶴●僕たちは、警備本部の建物に突っこんだでしょ。運転手の指示は、「突っこんだら荷台に火をつけて逃げろ」というものだった。運転席からうしろを振りかえると、指示どおり火をつけている。そこで残りの部隊に火炎瓶と鉄パイプを渡して、前に進むよう指示し、僕は最後にトラックを離れた。警備本部のある管理ビルからは、パンパンとピストルの弾が飛んでくる。僕はピストルを構えている警官から一番近い位置にいたから、何人かに狙われているのがわかった。
大森●どのくらいの距離だった?
吉鶴●20メートルくらいだったかな。警官はわれわれのいる方には出てこられない。柵の向こう側からピストルを発射していた。
佐々木●「あの銃口は俺を狙っている」というのが実感としてわかるんだよね。
吉鶴●狙っている警官に火炎瓶を投げたら、撃ち殺されるというかんじはあったね。僕は管理ビルから撤退する最後尾で、走って逃げたとき、福岡県警の3人組にタックルされて逮捕された。その時点で、8ゲート部隊の戦端は開始されたばかりだった。僕を逮捕した福岡県警は、あろうことか、われわれの部隊と機動隊の間に、弾除けとして僕を連れて行った。たしかに「死んでもいい」と覚悟していたけど、味方にやられるのはイヤだなぁと思った(笑)。
大森●警官隊のピストル発射は、写真などで見ると片手撃ちだけど、僕の記憶では両手撃ちだった。ちょっと膠着状態になったあと、楯の前に出てきて、横一列の両手撃ち。でも、撃ちながら震えているのがよくわかった。一瞬、どうしようかと思ったが、意外と冷静だったな。
吉鶴●あのとき、プロ青でピストルの弾があたった人はいなかったのですか。
大森●下のコンクリートにあたった跳弾で、足を負傷したメンバーはいたね。
吉鶴●バイクヘルにあたったり、着ていたヤッケに貫通した痕が残っていた人もいたみたい。
大森●前年の5・8で東山君がやられたときもそうだが、先鋒隊には「お約束」があった。誰かが前に出て両手を広げ、「撃てるものなら撃ってみろ」というパフォーマンスです。5・8のときには、まだバイクヘルを使用していなかったため、催涙弾の直撃で耳が切れたメンバーもいた。そこで僕も、3・26では「撃ってみろ」と前に出たら、最初は上向きに撃っていたのが水平撃ちになり、本当にピストルの弾が自分をめがけて飛んできた(笑)。
大館●ピストルを撃たれても誰もビビらなかったのが不思議だね。
佐々木●17~18発撃ったというのを聞いたことがある。
大門●放送局がテープを聞きなおして、何発発射したと教えてくれたね。
前田●「あのとき、ピストルにあたって死ぬやつがいなくて本当によかった」と後藤田正晴が述懐したということを、ある新聞記者から聞いたけど、「1人でも殺したら負けだぞ」というのが事前に後藤田が警備本部に指示した内容だったそうです。(『1978・3・26 NARITA』より)
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空港内の8ゲート部隊は、30分ほどしてから撤収にかかりました。まだ機動隊とケンカしたがってなかなか退こうとしないメンバーを抱えて、まとめることに苦労したといいます。体力を使い果たした仲間が隊列から遅れ、数人が逮捕されていきました。
8ゲート部隊にとっては、いちばん難しい局面だと思ったのですが、上から見ている様子では、かなりうまくいったように見えました。
何しろ、ここでも機動隊の指揮命令系統がガタガタ、数も足りていなかったのだと思います。赤い塊が小走りに去っていくのを私達は見送りました。「パクられるな!」と念じつつ。
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大門●機動隊が退路である丹波山に集まりだした。攻めてくる可能性があると思うから、こちらも構えながら撤退する。実際には、8ゲート突入部隊の被害はそれほど多くはない。ところが、千葉県警を中心とする横堀要塞方面の機動隊は無傷であり、陽動作戦で退路を守っていた部隊は弱かったから、ここで多くの逮捕者が出てしまった。
大館●警備本部がズタズタになっていることなど、現場は知りようがなかった。ヘリコプターで追跡されていて、われわれは絶対に機動隊に囲まれていると思っていたから、走って一目散に逃げるのではなく、構えつつ撤退というかんじ。撤退するときの機動隊の動きも遅かった。
大森●部隊に襲いかかって逮捕するのではなくて、空港の外に押し出すという動きだった。
大門●警察無線は入らず、頼りは部隊の無線だけなのだけど、その部隊がまとまっていない。退路の途中にいくつか砂利山があり、そこにさしかかると、的確に情報を伝えてきたホテル最上階のメンバーや横堀要塞からも見えなくなる。また、無線でつながっている部隊は、全体が見えないから自分たちのことだけを伝えてくる。そうすると頼りになるのはテレビだけという状況になった。
高橋●大館君が言うように、包囲されていると思っていたから、じりじりと撤退していった。だから、とても長く感じられたな。(『1978.3.26NARITA』より)
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おそらく15分位はたってからだと思います。10数台のかまぼこ(機動隊バス)が整列し、サイレントともに赤い塊を追っていきました。ここでも数を用意していなかった機動隊は、体制を整えるのが遅れ、8ゲート部隊を空港からなるだけ遠くへ追い出していく、という方針だったようにみえます。
この原稿を書いている時、昔の仲間がおしえてくれました。空港内の戦闘で逮捕される仲間はある程度、覚悟のうえです。彼らが戻ってくる退路を確保し続けた仲間にも逮捕者を出していました。
『松翁交差点から東峰方面に位置した第三大隊、そして予備部隊のはずの第四大隊、そこに含まれた看護小隊の女性たちから多くの逮捕者を出したと記憶しています。』
彼女たちの献身的な行動を忘れるわけにはいきません。そういえば、のちに東京拘置所で手紙でやりとりをした女性たちに「横堀退却被告グループ」から「横堀凱旋被告グループ」と名称を変更した人たちがいたはず。このグループだったのでしょうか。
多くの逮捕者を出した反省から、5月の開港阻止闘争のときには、看護隊は屈強な男たちで編成されることになったとも聞きました。その後の彼女たちの生き方を左右したのですから、けっして小さくない失敗でした。
さて、この日のことをある雑誌で回想した機動隊員が、8ゲート部隊について語ったことがありました。
「向かってくる連中の目がキラキラと輝いて、どうしてこいつらは、こんなに懸命にできるのだろうかと思ってしまった」と。
8ゲート部隊を見送った管制塔組の闘いは、いま少し続くことになります。
中川は管制室から見た光景を語ります。
「労農合宿所の屋根の上ではこちらの方を双眼鏡で見ながら手を振っている仲間の姿、プロ青小屋の横ではマル機の報復襲撃に備えた鉄パイプ部隊、第一公園を出発したデモ部隊だろうか?フェンスの土手から上がる煙……。」
あくまで青く晴れ上がった空のもと、高いところでは春の風が少し冷たくなってきていました。

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★管制塔占拠闘争(17)
8ゲート部隊は去っていきました。16階管制室では壊す機器がもう何も残っていませんでした。壊した機器類は15階扉に向かって転がし落とします。机や椅子、しまいには冷蔵庫まで。階段通路が埋め尽くされるまでそう時間はかかりませんでした。ガラスにてんでにスローガンを書いたり、紙で作ったツチカマを貼り付けたりしていました。
「あとは逮捕されるだけだなぁ」。太田が外を見ながら気の抜けたセリフを吐きました。伸びやかに広がるうららかな北総台地に、ところどころ闘いの煙が上っていました。東には赤旗を身にまとった横堀要塞、西には滑走路を挟んで三里塚公園。何かもう静かにのどかに存在するようです。
太田達の「平和」はもちろん長くは続きませんでした。機動隊が15階の扉を開けて突入の構えを見せるようになります。
カケヤでそのバリケードを崩しにかかったところに、児島と水野が消火栓からホースを引きずり出して水をかけました。「ガソリンだぁ」の声とともに、機動隊は音を立てて後退。また、恐る恐る階段を上ってくるのに、水野が手にした消化器で消火剤を噴霧する。
階段の上と下で対峙しているうちに、東側のベランダに機動隊が姿をみせます。ガラス越しのにらみ合い。てんでに書かれていた落書きに前田がまた新しいものを加えます。「入ってきちゃ危ないよ」。
ガラスにガス銃で穴を開け、そこからガス弾を打ち込みました。拾って投げ返していましたが、次々にやってくる催涙ガスで6人は涙と鼻水まみれ。ガス銃と大鎚で開けられた穴から突入してきた機動隊員に、6人は肩を組んでインタナショナルを歌いながら逮捕されました。感情を表に出すことのない児島が、生まれて初めて感極まってとめどなく涙を流したといいます。
14階ベランダ組は、頭上からガラス片が落ちてくるまで、16階が制圧されたことに気づきませんでした。「こっちのガラスを割るんじゃないよ!」と、見上げた先に機動隊員が顔をのぞかせていました。「あら、ま」という感じです。
この機動隊指揮者は、キャットウォークを回り込んでくる機動隊員に向かって、「そこにいられなくしなきゃダメだ。水をかけろ!」と喚くのです。でも、上が制圧されたのなら、別にここで頑張る必要もない。
「インターうたうか」と平田は仲間に声をかけ、押さえていた扉を離れて仲間と密集します。当時の「お約束」だったのでしょうか。上も下も同じことをやっていたのです。密集するのは、たぶん暴行に耐えるためでもあっただしょう。でも、たしかに組む前に4人とも笑い合っていた記憶があります。やることはやった。これから耐える時間のはじまりなのです。
上からと扉を開いて出てくる機動隊員にほとんど同時に組み付かれ、多少の打撃、引き剥がしにあって、逮捕時間を確認する声とともに14階組の闘いはあっけなく終了しました。平田の後ろ手錠と、唇にケガを負わせたあの指揮者が気に入りませんが。いや、いま思えば彼が逮捕時刻を確認しているとすると、殴りつけてきた機動隊員は別人ということになるでしょうか。40年もたったことだし、恩讐を越えて裁判以来の再会と交歓などできればいいと存じます。第7機動隊たぶん小隊長のMさん。嫌味でなくそう思います。
Mさんは、地上まで連行しながら「何がいやだって、瓶がガシャッと割れる音がいちばん嫌だ」や「もたもたしてっから、入られちゃうんだ」のまことに俗な、しかし人の悪くないセリフを連発しておられました。
下には逮捕された仲間がずらりと列を作っていました。三脚ずつ置かれたパイプ椅子に両側を機動隊員に挟まれて座らされ、臨時の取調室に向かって少しずつ進むのでした。なぜかそこで弁当が出され、くだんのMさんは「俺たちより、いい弁当じゃねぇか」と覗き込むのでした。これも不思議です。きっとどこかの機動隊員用に準備されたのが、出されたのだと思うのです。こんなサービスがあるとは思いもよらず、遠慮なくいただいたのでしたが、バカやろ~、さっき切った唇が腫れるわ、血が流れるわ、食いづらいじゃないか。
取調室には仲間が溢れかえっていました。正面に前夜、排水溝入り口で別れてしまった仲間を見たときには、我知らず目を剥いていたと思います。この連載で何度も出てきている吉鶴君でした。前夜の恨みを晴らさんと、8ゲート部隊に合流してトラックに乗り込み、がんとして突入を主張してやまず、あげくに機動隊員によって、タマ(火炎瓶)よけにされたという男でした。
彼が管制塔部隊の遊撃リーダーだったはずで、ひょっとして、反対同盟旗とツチカマ旗を腹に巻いていたのじゃあるまいか。
まだ、おりました。九大のNくんもそこにいて、足を引きずりながら連行されてきました。彼は10数人分の鉄パイプを私と一緒に抱えて田んぼの畦に足を突っ込みながら運んだ仲間でした。引きずっていた足は銃弾によるものでした。そして、また『三里塚のイカロス』上映の初日に来てくれていた大貫くん。彼は私が所属していた切り込み隊のリーダーだったのです。そいつらが目の前に次々に現れました。なんと律儀な命知らずたち。いいやつらでした。
8ゲート組はケガ人多数。ぼろぼろになりながら、けれど、どいつもこいつも誇り高い顔をしておりました。新山たちの9ゲート組はそこにはたぶんいなかったと思います。新山くんにはあの私達の突入時に管理棟前ですれ違ったまま、会えなくなりました。
こうして1978年3月26日の空港内の闘いは終わりました。(横堀要塞の闘いはこれよりもう少し続きました)。この日から管制塔組は4年~11年の拘留と懲役の獄中ぐらしが始まりました。私の感覚ではそれはまた別の物語の始まりでした。
長期の獄ぐらしはみなさんに応援してもらったおかげで、本人たちはわりに幸せに過ごしたといえます。家族のほうが辛い年月だったというのが掛け値なしの事実です。
しかも、この日の闘いと長い拘留で、二人の仲間の命をなくしました。9ゲートで身を焼いた新山幸男は2ヶ月半後に辛い治療のうちに逝き、4年後には管制塔組の原勲が保釈直後の拘禁症の激発で自殺し、私達の人生の中にその命を生かすしかない存在になりました。ひょっとしたら、終わりがないのかもしれない過程を、管制塔メンバーは歩いているのかもしれません。それはそれぞれの生き方、構え方なので、あえてことあらためて言う必要もない話です。
平田個人は進むことの難しい道であっても、そして、ふりかえってもみても恥多き道でありましたが、足踏みしながらでも、相変わらず「来たる日」に向けて、生きるしかないと考えています。
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「池の柳が芽吹いた。今年は寒かったのに春はまたやってきた。
その足にもの言わせて走れと言って聞かせたのに、逃げる気のないおまえのこと、
かくなるうえは、立ったり、しゃがんだり、足踏みしたりして来たる日に備えよ。
                    母より」
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管制塔占拠から40年。せいいっぱいの虚勢をはって伝えてきたメッセージに、わたしはまだ応えられていません。このメッセージは、あの時代のまっとうな人々に共通する思いであったと思います。であれば、懐古談ではなく、通ってきた道を見直し、少しはましな「教訓」のようなものを汲み取る努力をしなければ、みなみなさまに申し訳がたちませぬ。それを見つけ出す契機は、きっとまだ多く埋もれたままなのです。
『開港阻止決戦って何だったのよ、ドキュメント』はそんな大それた「見つけ出す契機」の役にはとても立ちそうもありません。それでも、試みの前提として、事実を確かめおく「実録」はあったほうがいい。ここに記録した人間や、組織のありようを、立ち戻ってもう一度、考えてみるときの参考にできますれば、という思いです。
その試みをこのページにこのまま続けて記していくかどうか、みなさんの意見を聞いて決めたいと存じます。
(終)

※ 管制塔占拠闘争を報じた第四インター機関紙「世界革命」号外(1978.3.27)をホームページにアップしました。
下記アドレスからご覧ください。
http://www.geocities.jp/meidai1970/kikanshi.html

【お知らせ1】
●「三里塚のイカロス」アンコール上映!

第72回毎日映画コンクール ドキュメンタリー映画賞受賞
管制塔占拠から40周年を記念してアンコール上映決定!
4月14日(土)~4月27日(金)連日10:00より
「新宿 Ks cinema」
新宿駅東南口階段下る 甲州街道沿いドコモショップ左
www.ks-cinema.com

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【お知らせ2】
●日大全共闘結成50周年の集い

2018年6月10日(日)午後
水道橋近辺で開催

【お知らせ3】
ブログは隔週で更新しています。
次回は4月20日(金)に更新予定です。