このブログでは、重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」に掲載された日誌(独居より)や、差し入れされた本への感想(書評)を掲載している。
今回は、差入れされた本の中から「ガザに地下鉄が走る日」の感想(書評)を掲載する。
(掲載にあたっては重信さんの了解を得ています。)

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【「ガザに地下鉄が走る日」(みすず書房)】
岡真理著「ガザに地下鉄が走る日」を読みました。
この本はイスラエルにとって武装作戦で攻撃されるより脅威に違いない、と思いつつ読みました。パレスチナの西岸地区やガザでイスラエル軍によってパレスチナ人が銃弾や空爆で殺されるニュースは日本でも時々伝えられます。でも日本に住む人々にとっては同情を寄せても遠い存在でしかありません。この「時々伝えられる」パレスチナとは、どんな現実なのか?人々はどう暮らしているのか?実は「時々」ではなく、日常生活のすべてイスラエルの欺瞞的で野蛮な介入と弾圧の中にあること、その数々の姿……。それらを一人の研究者として思索しつつ、旺盛な好奇心を持つパレスチナ人の伴走者としてすごした日々の行動の記録が凝縮されているのがこの本です。
著者から読者に提供される経験と思索の数々は、共感を与えずにはおかない筆致で描かれています。どの章も20代だった著者が新しい社会・現実に直面しながら思索し、問題意識を組み立て、更にパレスチナ問題を解明していく40年近い思索の過程がパレスチナの現場の人々との対話と協力を通して生まれる姿が浮かびます。人々に語りかけ鋭く学ぶ姿勢に私は感動すると同時に、自分をふりかえります。私は解放運動の闘いの側、解放組織の側からしか見えなかったことを読み取ることが出来るからです。著者がアラブ・パレスチナの人々と出会い共感し連帯しながら研究提示している記録を私は追体験的に想像しつつ当時を思い、その地名、サブラ・シャティーラ難民キャンプ、ラシーディーエ難民キャンプ、タッル・エルザァタル難民キャンプ、そしてパレスチナ人がよく語る「ワタン」「ヘルウ・フィラスティーン!(すばらしいパレスチナ!)」や言葉に感情移入して胸に郷愁のように熱く迫り、情景が広がります。
第一章から第十四章のうちどの章もいいものです。第二章のガッサン・カナファーニの「太陽の男たち」。第三章「ノーマンの骨」と題されたイスラエルによるナクバ(大破局)虐殺の真実。第四章「存在の耐えられない軽さ」に記された、イスラエルの10年以上の完全封鎖の下「生きながらの死」におかれたガザの人々の告発。第五章「ゲルニカ」が語るサブラ・シャティーラの82年の虐殺、それらは過去ではなく、著者の筆で今につながる日常性として活写されます。また祖国パレスチナに帰ることの出来ないレバノンのパレスチナ人が、著者がパレスチナ、エルサレムにも最近行ったことを知り、思わず声を揃えて「ヘルウ・フィラスティーン?」と聴く第九章の情景。第十二章では「人間性の臨界」と題して、2008年から9年にかけてイスラエルがガザでいかにパレスチナ人を虐殺したのか、この空爆と虐殺に抗して雨の中日本でも扇町公園から約500人の抗議とデモのあったこと、きりなく記したいエピソードにあふれています。どの章も心に響きますが、第一章、第二章そして最終章についてふれておきます。
 第一章「砂漠の辺獄」の中で著者は自らの経験から思索を開始します。著者が22才の夏トルコ・シリア国境を通過した時、陸続きの国境の間にはどちらの国民国家にも属さない「ノーマンズランド(緩衝地帯)」があることをはじめて知ります。この経験は2003年の米軍イラク侵略の戦禍を逃れるためにヨルダンへと向かったパレスチナ人が、他の国籍のある人々と違って、ヨルダン入国を拒否されてノーマンズランドに留め置かれ、難民と化していた衝撃の事実と向き合うことになります。また、イラクからシリアに逃れ同様の境遇に遭うパレスチナ人。更にはシリア内戦の中、レバノン、ヨルダン、トルコの国境地帯ノーマンズランドに滞るしかない人々、欧州へと難民化をもとめ海の藻屑(もくず)となる人々……。人間としての扱いを拒まれた「ノーマン」……。主権を基礎とする「国民国家」の空隙に落ち込んだ人々を著者は凝視する。「彼らは人権とも、彼らを守る法とも無縁だ。『法』も『人権』も、それは『人間(マン)』、すなわち『国民』の特権なのだということ。国民でないものは『人間』ではない、それが、普遍的人権を謳うこの世界が遂行的に表明している紛うことなき事実であり、その事実が──彼らが『国民』でないために『人間』でないという事実、それゆえに人権や人間を護るべき法の埒外の存在であるという事実が──露わになるのが、ここノーマンズランドだ。」もっとも必要とする人々に人権が与えられず、自らの力では越えられない国と国との間に棄ておかれた砂漠の辺獄。「人間と市民の同一性、生まれと国籍の同一性を破断する」難民という人々の住む穿たれた穴の暗黙の虚構の上にこの世界があると著者は見据える。そこから著者は「パレスチナを思考することは、ノーマンとともにこの砂漠の辺獄から世界を思考するということに他ならない。」という視座を得て、国民国家の狭間で生きることを強いられた「ノーマン」の現実をパレスチナの重層的姿としてその視座のもとに最終章の第十四章「ガザに地下鉄が走る日」まで記録しています。
 第二章「太陽の男たち」では、ガッサン・カナファーニーの小説「太陽の男たち」が「国境と難民」について思考するうえで、二十一世紀の今日的問題を既に半世紀以上も前に記したものとして、改めて読まれるべき作品として紹介しています。世界に問題が溢れるとうの昔に、パレスチナの現実がそこに始まっていたことを示しています。この小説を簡単にスケッチすると、イスラエルの民族浄化作戦によって48年パレスチナを追放された3人の男たちの10年目の物語。働き口も無く、パスポートもビザもない3人がクウェートへと職を求めて密入国を試み果たせずに、死を迎えノーマンズランドにうち棄てられていく物語です。クウェート密入国の手段は灼熱の50度にもなるイラクのバスラからクウェートへの空(から)の給水タンクの内に潜んで、国境を通過することです。この運搬を金稼ぎに諒解する運転手もまたパレスチナ人です。イラク国境は越えたのですが、クウェートの検問所でひまつぶしの係員たちのくだらない話の相手をさせられながら、運転手はジリジリしながら入国手続を終えるや、大急ぎで車をノーマンズランドに移動して停車し、タンクの蓋を開けたが、すでに3人は事切れていました。灼熱の7分の辛抱のはずが20分以上を過ぎてしまったのです。運転手は「なぜおまえたちはタンクの壁を叩かなかったんだ。なぜ叫び声をあげなかったんだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。」と繰り返すのです。この悲鳴で物語は終わります。ここに、作者ガッサンの思いが込められています。
その後、エジプト人のタウフィーク・サーレフ監督によって「欺かれし者たち」のタイトルで、この小説が映画になりました。映画の方は、灼熱地獄のタンクの中で、3人は必死にタンクを叩くのです。でも声は届かず、結局絶命し、原作と同じく、骸はノーマンズランドに棄てられます。今回この著書を読みつつ私は、昔のある光景を思い返しました。あれは、71年の12月の終わりか正月72年の冬、私は26歳のころのことです。当時の私は、ボランティアでPFLPの情報センターを手伝っていました。私のボスがPFLPの週刊誌「アル・ハダフ」の編集長で作家のガッサン・カナファーニです。彼から、自分の小説「太陽の男たち」の映画が出来たので試写会をやるから来いよ、と誘われました。どこかの文化センターの一室で、十数人の身内だけの試写会で、丁度日本から遊びに来ていた女友達を連れてきてもいい、というので出掛けました。ほんの内輪の訳は、PFLPハバシュ議長らイスラエルに命を狙われている人々を護る保安上の配慮だとわかりました。ハバシュ議長夫妻と、ガッサンの妻アニーらがいました。映画は、後半小説のストーリーと違って、タンクの内から必死にタンクを叩く画面になったとたん、暗闇の中でガッサンが身じろぎし、制作した監督の方を見ました。監督は緊張している風で、みんなを見回しました。映画が終わると、ガッサンが何かまくしたてて、監督も負けずに捲し立てていました。ハバシュがニコニコして「いい映画だった」と言って席を立ったので、みなハバシュ夫妻を送りつつ、会はお開きになりました。
翌日、ガッサンに事情を聴くと、ガッサンは、原作通りであってほしかったと話していました。タンクを叩いたのに、世界は耳を傾けず、やっぱり死ぬのは希望がないじゃないか、というようなことを語りつつ、アラビック・コーヒーを啜っていた情景が浮かびます。居合わせたイラク人の映画監督は、サーレフは絵になる最後にしたかったんだろう、闘いを示したかったんだろう、と言っていました。その後PFLPの72年5月30日のテルアビブ空港襲撃作戦に対する報復で、72年7月、生き残ったオカモトの軍事裁判直前に、ガッサン・カナファーニは殺されます。今回この本を読んで、この映画が73年制作と記されているのを見て、ガッサンが生きている間に、もしかしてこの映画にゴーサインを出さなかったのかもしれない、と思いました。ただ、ガッサンの同意を得ていて遅れただけかもしれませんが。
アルハダフの大きな机で、大好きなアラブコーヒーを啜るガッサンを思い返しつつ、この第二章を何度も第十四章と共に読み返しました。最終章が本のタイトルともなっている「ガザに地下鉄が走る日」。2018年のナクバから70年目の「帰還の大行進」が語られています。1948年、民族浄化の犠牲者の難民たちが、ガザに19万人を超えてやってきます。当時のガザの人口は8万人強。70年後の現在、ガザの総人口は200万人。そのうち7割の130万人が、ナクバで難民になった人たちとその子孫です。ガザの200万人の「ノーマン」たちが、人間の諸権利と切り離され、「難民キャンプ」というより「強制収容所」と呼ぶ方がふさわしい「ノーマンズランド」の中で、なお帰還を求める大行進の闘いが続いています。殺されても殺されても。パレスチナを占領し、パレスチナ人の帰還を許さないイスラエルは、逆に諸外国のユダヤ系国民を「帰還法」によって、いつも帰還を促し、「国民」の特権を行使させています。このシオニズム批判も著者は鋭い。
そしてまた、2014年3月、封鎖7年目のガザのフランス文化センターを訪れた著者が見たカラフルな絵について、最後に語っています。それはガザの地下鉄の路線図。本物の路線図のように精巧で、著者を釘付けにしました。それが、ガザのアーティスト、ムハンマド・アブ・サルの制作した「ガザの地下鉄」という題の、想像上の地下鉄路線図だったのです。ガザから西岸のエルサレムへ行って、アルアクサー・モスクに祈ることもできるし、西岸の人々は、ガザに来て海水浴することもできる。ガザに地下鉄が走る日、西岸の分離壁もレイシズムもない、かつての入植者や難民たちが、断食明けの食事を共に囲む……。ガザの地下鉄は、まだ訪れない美しい希望を「絶望の山」から「希望の石」を切り出す鑿だと、著者は記します。ガザの帰還を求める叫びに対して、著者は「私たちが、この世界を私たち自身のいかなるワタン(祖国・郷土)として想像し、それを全霊で希求するのか、ということと限りなく同義である」と、本を結んでいます。そして、「あとがき」がまたいい。ガザに示されるパレスチナの真っ暗の闇の中で、もし「私」のために灯が灯されていると知ったら、その灯に向かって人は歩み続けることが出来る、と著者は書いています。「真っ暗の山中の遠く浮かぶ灯に、私たちもまた、なることが出来るのではないか。いや、そうならねばならないだろう。パレスチナに希望があるとしたら、それは私たち自身のことだ」と。そうあり続けたい。何度も眼元を濡らしつつ読み終えた本です。
              (2月21日記)

「ガザに地下鉄が走る日」みすず書房 3,200円(税別)」
(「みすず書房」サイトより)
イスラエル建国とパレスチナ人の難民化から70年。高い分離壁に囲まれたパレスチナ・ガザ地区は「現代の強制収容所」と言われる。そこで生きるとは、いかなることだろうか。
ガザが完全封鎖されてから10年以上が経つ。移動の自由はなく、物資は制限され、ミサイルが日常的に撃ち込まれ、数年おきに大規模な破壊と集団殺戮が繰り返される。そこで行なわれていることは、難民から、人間性をも剥奪しようとする暴力だ。
占領と戦うとは、この人間性の破壊、生きながらの死と戦うことだ。人間らしく生きる可能性をことごとく圧殺する暴力のなかで人間らしく生きること、それがパレスチナ人の根源的な抵抗となる。
それを教えてくれたのが、パレスチナの人びとだった。著者がパレスチナと関わりつづけて40年、絶望的な状況でなお人間的に生きる人びととの出会いを伝える。ガザに地下鉄が走る日まで、その日が少しでも早く訪れるように、私たちがすることは何だろうかと。
目次
第1章 砂漠の辺獄
第2章 太陽の男たち
第3章 ノーマンの骨
第4章 存在の耐えられない軽さ
第5章 ゲルニカ
第6章 蠅の日の記憶
第7章 闇の奥
第8章 パレスチナ人であるということ
第9章 ヘルウ・フィラスティーン?
第10章 パレスチナ人を生きる
第11章 魂の破壊に抗して
第12章 人間性の臨界
第13章 悲しい苺の実る土地
第14章 ガザに地下鉄が走る日
あとがき

著訳者略歴
岡真理  おか・まり
1960年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科教授。専門は現代アラブ文学、パレスチナ問題、第三世界フェミニズム思想。 著書に『記憶/物語』(岩波書店)、『彼女の「正しい」名前とは何か』、『棗椰子の木陰で』(以上、青土社)、『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房)ほか。訳書にエドワード・サイード『イスラム報道 増補版』(共訳、みすず書房)、サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ』(共訳、青土社)、ターハル・ベン=ジェルーン『火によって』(以文社)、アーディラ・ライディ『シャヒード、100の命』(インパクト出版会)、サイード・アブデルワーヒド『ガザ通信』(青土社)ほか。2009年から平和を目指す朗読集団「国境なき朗読者たち」を主宰し、ガザをテーマとする朗読劇の上演活動を続ける。

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