手元に「関学闘争の記録」(関西学院大学全学共闘会議出版局発行)という冊子がある。この冊子と当時の新聞記事を中心に、何回かに分けて関西学院大学闘争の経過とその内容について掲載していきたい。

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今回のブログは、6月7日のNo519で掲載した関西学院大学闘争の記録の続きである。1969年1月にバリケード封鎖された校舎内の写真と、「卒業拒否者の独白」を掲載する。
まず、1969年1月の各学部封鎖の経過を、この冊子に掲載された「闘争日誌」で見てみよう。

【闘争日誌】(関学闘争の記録より)(抜粋)
69.1.6 全共闘会議で、第5別館封鎖派(社闘、フロント、社学同、人民先鋒隊)と反対派(反帝学評、学生解放戦線)に分かれる。
1.7 第5別館実力封鎖。全共闘(社闘、フロント、杜学同、人民先鋒隊)30人、6項目要求貫徹、全学スト体制の構築めざす。この日から右翼の攻撃に備え、ゲバルト訓練始まる。反帝学評、学生解放戦線派は 「ショック戦術だ」と封鎖に批判、クラス、サークル末端からの組織化めざす。
1.10 学長、退去命令発す。「封鎖は大学の自治を根底から破壊する行為だ。ただちにこの不法行為をやめよ。いまからでもおそくない。すぐ退去して第5別館を正常な状態にもどすことを命じる」
全学執行委員会(反帝学評系)、学院当局に6項目要求に関する対理事会団交を要求。
1.11 法でスト権確立投票始まる。
1.17 学院本部実力封鎖。全共闘(社闘、社学同、フロント、人民先鉾隊)60人、未明に机、イスでバリケード築く。
学院当局、「第5別館、本部の建物の封鎖が続く限り、大衆団交に応じることができない」と回答。
1.18 l法、無期限ストに突入。この頃サークル闘争委結成され、以後講演会活動やすわり込み運動を展開。
1.21 文闘委、教授会に大衆団交求め、昨年12月東山学部長が署名、捺印した10 ・21反戦闘争弾圧の自己批判書と大衆団交開催するとの確認を反古にした理由を追求するが、教授会「何も答える必要ない」と突っぱねる。
1.24 全学集会開かる。これは学院当局提唱による、第1回目の収拾策動であったが、全共闘ヘルメット部隊150入が介入、大衆団交に切り変える。しかし、院長、学長は一切の釈明をしないばかりか、その場から逃亡を図り、一般学生6、000人の怒りを買った。
その後、2、000人の学内大デモを展開。右翼学生職員なぐりかかり、20数名重軽傷。
この頃から全学1連協、体育会有志連合、キリスト者反戦連合が、活発に動き出す。
1.25 商、スト権確立投票開始。   --
1.26 社闘実力部隊30人、未明に、社会学部校舎を、実力封鎖。
1.27 神、無期限ストライキに突入。経済学部集会開かる。
 右翼学生に守られた教授、大衆団交に切り変るや逃亡。新川執行部、これと同時に「闘争の責任負うことできない」と解散声明。以後、経執行部不在。
1.28 全共闘(社闘、フロント、社学同、人民先鉾隊)200、深夜に文学部校舎にバリケード築く。
1.29 文に引き続き、未明、経も実力封鎖。これで理を除く全学部で封鎖体制を確立し、当日から始まる予定であった後期試験すべてが無期延期となった。

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<卒業拒否者の独白>
 ’60年以降のあまりにも長い、陰湿な空白は、「批判」することによって「人間」の歴史が形成されうるかのように、自己を対象化することなく、自らを「人間」という述語へ転化させ、現実の社会状況のなかで、その述語を未曾有のカテゴリーヘと転化させうることを信ずるインテリゲンチャー達の己惚によって埋められようとしてきた。現実の幻想性に拝跪すれば果てしない地平を、現実そのものにまで引きもどす不断の「人間」の行為を放棄した、世界風物劇場の舞台に、こわれた第2バイオリンの悲痛な主題をかなでながら登場する主人公の戯言は空虚な光束の中に死滅しようとしているのだ。
 その空虚な光束の中にこそ、われわれの現実そのもの一闘争の立脚点があるのだ。だが、その立脚点が「自己否定」などというドラマチックな言葉にすりかえられてはならない。いったい、’67年10月8日の学友の死が、鮮血が「自己否定」などという排泄物によって表現されうるものでしかなかったのか。そのような言葉で美化されうるものだったのか。「闘争」が美化されて語られるのは、世界風物劇場の舞台だけでたくさんだ。
逆立ちして眠れ一卒業拒否者の独白―
 ともかく、いかに無内容なものであろうとも「大学卒」という資格が現在の社会体制の中で一つの特権的で有効なパスポートであることは否めない。しかし、この闘争はそういった一切の体制によって与えられるものとしての無意味な特権に対して〈否〉と叫ぶところから開始されたのだ。独占資本に奉仕するための人間を造るための一連の教育を拒絶するところからー。
 この闘争の最初の段階から、後期試験ボイコット、入学試験粉砕、卒業拒否は運動の一連の流れとしてあったはずである。しかし「入試実力粉砕」を叫びつつも「卒業」や「進級」の意味がわれわれに切実な問題としては突きつけられていなかったことも否めない。そして第5別館、法学部での〈死守〉一それは、この闘争が、あくまでも権力に対する非妥協的な永続的な闘いであることをわれわれに指し示した。
 3月になり、卒業試験がレポートや認定などの種々の巧妙な、そして無内容な方法に切り換えられて学院側から打ち出され、卒業見込者としての僕達に突きつけられてきたのだった。形式だけのレポートや曖昧な認定や面接が無意味なものと知りながらも一枚の「卒業証書」を受け取るために多くの友がレポートを提出し、認定され、そして卒業していった。しかし、卒業拒否した僕の中に、卒業していった者と殆んど同質の問題があり、それが解決されないままに卒業拒否を決断したのだと気づいた時、僕のゲバ棒は外部の敵と同時に僕自身の内部へも向けられなければならなかった。
「卒業拒否」というのは国家権力に対する永続的闘争宣言であると同時に、過去20余年に渡って触まれてきた僕の内部の小さを歴史に対する〈否(ノン)〉である。人間は本来、自由な存在としてあるはずである。20余年に渡る体制の、僕に対する変形作業は、僕を変形し、歪め、そして一個の体制に奉仕する奴隷を造りあげようと仕組まれてきた。奴隷にされかかっていると気付き、人間と  しての自由を願った時、僕は僕自身に付きまとう全ての存在を一つ一つ検討してみなければならなくなった。教育、家族、美的感覚……。これらの一つ一つがいかに歪められ、変形されて、体制の奉仕者を造りだそうとしていることか!
 個人的なレベルで語られる欲求の多くが現体制を認めるものであり、というよりは意識の如何にかかわらず体制に積極的に参加するものであり、「卒業しても闘う」などと未来形で語ることは現在を抹殺した二元的な欺瞞でしかありえない。個人的な特殊欲求が、闘う姿勢につながり、なお普遍性をもちうると言う時、そこには厳密な科学性を必要とするのだよいうことを忘れてはなるま  い。体制的存在者としての僕が、僕の個人的特殊な欲求を持ったまま、その特殊的欲求を追求することによって普遍的な反権力闘争を、行なおうとするのは、至難のことである。一つの自己の過去の歴史に対して〈否〉を発することによって切り裂れた僕の歴史が、大きな人間の歴史に参加するためには多くの弾圧が加えられるだろう。しかし、人間として己れの自由を選択することによって全ての自由を選ぶのだという確証がなくて誰に対してゲバ棒を向けることができるのだろうか。
 しかし、卒業レポートの締切日までに「卒業」することの意味や「卒業拒否」の内容などの討論が進まず、「卒業拒否」は個人的な内部意識のものとなり、ただ個々の内部で一つの行為を“決断する”か”否”かのみが問題となり、組織的に運動化することのできなかったことは否定的に総括されねばならない。
 4月になり、桜が咲き乱れ、4連協の部屋も寂しくなっていた。とり残された空しさみたいな、一人だけで観客のいない舞台で気張っているような奇妙な空白感が僕の中にはある。しかし、今こそ僕は、真の連帯の意味や闘うことの意味が解りはじめているのだと考える。闘いは続くだろう。更に新たな闘いの姿勢が僕の中に構築されねばならない。
 横になると、条件反射で/すぐ眠ってしまう僕に/君は〈自己変革〉を迫る/逆立ちして眠ることなんか/僕は出来やしない(文学部内の壁の落書き)
あえて言う。逆立ちして眠れ!と。

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(つづく)

【予告!ブログを引っ越します!】
ヤフーブログの終了に伴い、ヤフーブログは8月いっぱいで記事の投稿ができなくなります。
そのため、当ブログはライブドア・ブログに引っ越します。
引っ越し時期は次回更新日の8月2日の予定です。

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