このブログでは、重信房子さんを支える会発行の「オリーブの樹」という冊子に掲載された重信さんの日記「独居より」の要約版を紹介してきた。
当時の立場や主張の違いを越えて、「あの時代」を共に過ごした同じ明大生として、獄中にある者を支えていくということと、私のブログの読者でこの冊子を購読している人は少ないと思われるためである。
最初の紹介は2011年1月28日「独居より ―重信房子さんの近況―」。それからから11年余り、東京拘置所、八王子医療刑務所及び東日本成人矯正医療センター(昭島市)での重信さんの近況を伝えてきたが、重信さんは5月28日に満期で出所されたので、この重信さんの日記「独居より」の紹介も今回が最後となる。
今回は「オリーブの樹」158号(最終号)に掲載された重信さんの獄中での「日記」と、出所後の「日記」の要約版である。
(この記事の転載については重信さんの了承を得てあります。)
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【独居より 2022年3月8日~5月27日】(最終号)
占領に立ち向かラウクライナの人びとが英雄なら、パレスチナ人も英雄であり、テロリストではない!

3月8日 まだ居室で刑務作業が続いています。居室作業が良いのは、片付けや食後、片付け食後、作業後の掃除がない分、作業所よりダルマ作りに時間が少し多く使えることです。それに、居室で作業中さっと新聞を読めることです。工場での作業の方が良いのは、みんなで話し合ってダルマの作業を助け合ったり、おしゃべりが出来、暖房が入ることです。ダルマ作りはとても楽しいので皆休日を嫌がります。私も楽しいけど、休日は自分の作業に集中できるので大切です。今日はもう盛りに咲いているチューリップ赤2本、ラッパ水仙の黄2本、スイトピー1本、春が届きました。
今日は女性たちの活動に連帯! 3月8日です。

3月16日 朝9時から胃カメラ検査、鼻チューブからやってもらいました。胃にポリープが一つあったのですが、次回検査時、主治医に聴くつもりです。「創」「紙の爆弾」など受け取りました。「創」に「オリーブの樹」から抜粋してまとめた篠田編集長の文が載っていました。Mさんからは「連合赤軍事件の全体像を残す会」の追掉に参加したと、いろいろの写真で説明したものを送って頂きました。曹洞宗「金秀院」で雪野さんが参加して法要が行われた様子がわかります。弘法大師の「阿字の子が阿字のふる里たち出でてまたたち還る阿字のふる里」の一首が碑に刻まれているそうです。阿字とは仏様の世界のことで、殉難者を偲んで当時の住職がお選びになったとMさん。良い報告をありがたく読みました。
(中略)
3月15日 栄養ドリンク テルミール 400kcaIの200 mlを毎食2本を飲むのですが、今日は毎食一本がやっと。3食に4本位飲みました。明日の大腸内視鏡検査の準備です。
作業中の午後、教育担当官の面接。出所にむけた昨年中の改善教育後、どのようなことを考えているか。又、出所にむけて具体的に学習したいことの確認など話合いました。ここでは、パソコンを使う教育学習はないので、社会復帰に必要な暮らし方、税制や電子マネーや、生活保護の仕組みや、すぐ活かせそうな情報の載っている本などについて学びたいと話しました。4月に入ったら、それらの学習の機会がありそうです。
(中略)
3月16日 今日は朝から4リットル近いニフレックス(大腸洗浄液)を飲んで13時には準備完了。大腸内視鏡検査。 13時半すぎから14時半まで。がっかりしたことに1.5センチ位のポリープを、肛門から55cm、横行結腸のあたりに見つけました。去年の5月、内視鏡検査を行ったのですが、主治医は、腸のひだの裏側なので貝逃していた可能性があるとのこと。私が見ても、ちょっと悪性のポリープの形。主治医は自分の技量では、大きく形も複雑で、内視鏡では摘出出来ないとのことでした。治医は出所後、専門の病院なら内視鏡で開腹しなくても摘出出来るはずであり、半年一年以内なら大丈夫とのことでしだ。このポリープは、生体チェックのための採取で傷つけない方がよい、癌が拡散したり、今後の手術に良ぐないとのことで、そのままにしました。そして、その場所がわかりやすいように目印のクリップを2本打ちこみ、墨汁で印を残しました。今日のポリープの発見が5ミリ前後なら、今回摘る確認を承諾書にも記してあったのですが。
出所後すぐ、胃と大腸ポリープの摘出計画を立てることになってしまいました。でも、今見つかって良かったです。出所してからでは多忙で、きっと検査もなかなか出来なかったでしょう。リハビリ含めて、身体を整える機会としたいと思っています。
Iさんからの資料届いて、新聞やTVでは、出ていないウクライナ戦争をめぐる様々な人種差別が欧州中心に露わにあることを知ります。シリアやアフガニスタンなどの難民を追い出して、白人のウクライナ難民を受け入れろといった動きです。イスラエルでもウクライナのユダヤ人のみ受け入れるなどの動きもあるようです。日本も「反ロシア」で、ウクライナ人受け入れが「正義]となり、米国追随著しい。イスラエルのガザ空爆を支持し続けてきたゼレンスキー大統領は、ロシアを戦争犯罪と非難しています。ニュースはウクライナ市民の厳しい悲惨な姿を伝えていて、パレスチナの人々と重なります。
(中略)
3月30日 今日は「土地 の日」。檜森さんの20年目の命日です。今度の出版計面の原稿には檜森さんのこといろいろ書きました。みんなを思い出しつつ黙祷。中東調査会「中東研究」 で「ナクバの日」が5月14日になっています。中東専門誌の初歩的過ちか?私たちはPFLPで5月15日としていたので、ウイキペデ彳アで急ぎ確認したい。

3月31日 今日ベランダへ久しぶりに運動に出ました。プラスチック塀のすきまから、遠くの満開の桜が見え、足下に一ひらの花びら!「花見だねー!」と、盛り上がりました。Iさんのお便りでも川原や畦道は、ホトケノザ、ハコベ、オオイヌノフグリ、シロツメ草が覆っているとのこと、いいなあ……。水谷さんからとても詳細に資料、デー夕を駆使した論文「プーチン体制によるウクライナ侵略戦争の階級的性格と日本労働者人民の課題を考える」が届きました。学習するのに読み易く歴史もまとまっていてわかりやすいです。
(中略)
4月11日 今日から工場での作業となりました。また、午前中には社会復帰に向けての「支援プログラム」が始まりました。今日のオリエンテーションによると、第二回は福祉相談窓ロでの必要な知識など、第三回は電子マネー決済、第四回は外部講師による講義、第五回は看護師による健康管理のあり方など、第六回が全般的に学習をふまえて。以上のようなプログラムは刑期が10年など長期受刑の人に、変化した社会に適合してもらうためのものだそうです。今日は「受講者用ワークブック」図解入りの教科書と厚労省の「コロナ」による「新生活様式、消費者動向、消費者庁の動向など、コロナでの社会生活の変化や発生しているトラブル対処や、ネット記事など本1冊位の資料受け取りました。ひととおり読むのはいい社会学習資料です。今日はプログラムの目的や学ぶことなど、説明うけ読むベきものも受け取りました。午後には分類課福祉関係担当者の人と面接。出所後すぐ病院はどうするのか?健康保険は?身体の健康管理は?財政・生活費は?など質問を受け、対処すべきことなどの話をしました。夕方には居室に戻って「就労支援かわら版」 3月号はじめて見ました。ここから出た後の就労などの回覧です。(中略)
もうあと1回になった最終号の「オリーブの樹」は6月発行予定です。出所直後の様子なども加えて発行します。「オリーブの樹」ずいぶん長い間月刊、その後の受刑者処遇後は2カ月に一回、そして季刊へ。友人たち、編集部、支える会の支援のおかげで、ずっと出所まで記録できそうです。その後は体調、リハビリ、社会的条件などふまえつつ、どんな形で発信していくか決めようと思っています。

4月18日 Aさんから久しぶりのお便り。3/27の泉水さん追悼の様子の写真を送って下さったとのことです。3 ・ 30に檜森さん追悼20周年目の会もあったとのこと。友を偲びつつ友が再会し合う命日は大切な時間です。写真はまだ未入手です。
四月の題詠は「坂」
“女坂行きつ戻りつ論じ合う 愛の替わりに経哲草稿”
大学時代愛を語る照れくささに、いろいろと難しく語り合いつつ、好意を寄せあったものでした。経哲草稿はマルクスの愛についても述べられていて、そんな若さを思い出します。
“ふきのとうつくし咲き初(そ)む土手めがけ 幼と駆ける緑の坂道”
来年は私もそんな時間が持てると良いのですが……。

4月2 2日 快晴。昨日は曇り空だったけれど久しぶりにべランダへ。ポピーのオレンジの花がひとつ今年も咲いているのをみつけてみんなで歓声!出所後の専門病院への診療情報提供書(紹介状)にCDを添付要請した方が良いと、主治医と分類課が話合って、願箋を書くよう言われて書き込みました。出所時に、これでモニター画面(大腸内視鏡の)見ることができるCDも受け取れることになりました。
メイも帰国出来て、私の出所に向けた準備に入っているようです。整理すべきあれこれは、まだ手つかずで、連休中に予定していた本や書類などの整理をずることに変更。あと、もう一回のゲラのチェックが「戦士たちの記録」と「歌集 暁の星」も、五月にずれこんでいて、そのあと、書類や資料整理に更にずれこみそう……。

4月2 5日 今日は快晴。工場から戻り、すぐ入浴して真赤な顏で髪もびしょびしょ。暑い暑いと着換え中、面会の知らせ。大谷弁護士とメイが一緒に来てくれました。あわてて面会室へ。大きな点は二つ。ひとつは、ゲラ最終段階の文章の加筆や削除点の話。もうひとつは、当日のプレスリリースやマスコミ対応のプランなど、その他、あれこれ短い時間にワイワイと話合いました。5月30日は50周年短くても参加するつもりです。
戻って、分類課から、「出所時は、敷地内(と言ってパーキングエリア)に3人。車一台可能。当センターから出所日の知らせを誰に送るべきか?」と聞かれました。当センター側から身元受取人に対する手紙が送られ、そこには迎えに来る出迎え人3人の名前を書いて、当センターへ送り返すよう記されているとのことす。
夕方、由井さんよりお便り。由井さんの、前に出版した本が、新しく判型四六判、タイトルは「重信房子のいた時代増補版」と決まり、5月13日に発売とのことです。由井さんからは「もうすぐ目と目を合ねせて語れますね、周囲の同世代の人たち、転倒・怪我の報告がいくつも…。気をつけましょう。近いうちの再会を」と。楽しみです。
(中略)
4月3 0日 "四月尽昭和公園黄緑萌え 五月出所の訪れ近し"

5月2日 連休の中の平日の月曜、校正点を今朝速達で送りました。おしつまって校正まだやっています。午後大谷弁護士の面会。「ハーグ事件無罪をしっかり書き込むべき」など助言を受け取りました。また、当日のプレスリリースの文・方法・記者対応など大まかに話し合いました。5 ・ 30の集会には参加する予定です。
(中略)
5月13日 今日は最後の矯正指導日。ここでは、矯正指導とは月2回「一般改善指導」として行われます。9時30分からの朝の教育用放送(「過ちは再び」と職業についた人の話など)を聞き感想を書くこと。午後は録画TV (「クローズアップ現代」「情熱大陸」「プロフェッショナル」など)の視聴と感想文を書くことです。
それと前回の指導日から今日までの反省、進展状況、抱負などを9つの目標にそって総括文を提出する日です。9つの目標の3つは当局の指示(①(病院なので)体調・治療をしっかり規則に則って管理しているか②反省を日々の規律にどう生かして規律正しくやっているか③被害者に対する謝罪反省)
他の3つは本人の自己改善目標です。(私は①中東研究を深め出所後活かせるように学習する②短歌の学習によって更に表現・技術など高める③出所に向けた学習)
更に当面の生活目標3つ。(これは前回の指導日に「当面の目標」として決めたものを達成できたか反省点など記し、次の指導日までの目標を3つまた記しておく)私は①ゲラ校正作業を終える②出所に向けた整理③出所後にむけた学習の3点合計9目標、その他に刑務作業、改善教育、出所前知識や社会の仕組み学習など結構忙しい。
それと別に本来の自分の学習、手紙や日記、原稿校正など時間をムダにしないように食事も急いで時間を有効に使います。起床7:30前、空が明るくなれば許されているので読書。ここで書籍・雑誌(資料や新聞などはなぜか不可)が5時ごろから読めます。
今日はもう出所まで2週間しかないので、これからの予定をたてようと思います。来週から居室ではなく工場作業とのことで、その来週からの一週間で仲間たちに誰でも出来易い糊付けの仕方、おもり付のコツ、粘土でどう丸くうまく作るか、ペンキ塗りのコツなどを伝え終える予定です。上手下手のバラつきは他人の話をよく聞いて、自分のやり方を改めることが出来るか?常に次の工程の人の苦労を慮って自分の作業をやっているか否かで違うのだと強調して話しています。みな熱心で良いものを作ろうとするし、作業は面白いし、チームは気持ち良く働いています。
(中略)
5月16日 歌集「暁の星」の再校ゲラが届き、福島泰樹先生の「跋文」が収録されていて初めて読みました。圧倒される量と内容です。「ジャタミシを銃口に」以来の12年に及ぶ5600首とそれ以降の2018年9月から今年の5月の歌まですべて読み込み「ジャスミンを銃口に」から論じていて、その大変な仕事量と深い洞察に満ちた論評はこの歌集の幹のようにそれぞれの歌を引き立てて下さっています。139 P?186 Pまで私の歌を様々な角度から縦横によいところを探して論じて下さっています。これらの文章を読むために、この歌集を読みたいと購入する人が(私の歌より)かえって多いかも……と思ってしまいます。過分な論を福島師の身を削って記して下さったことに、感謝ばかりです。この文で歌集が生きた感じです。私やJRAの、とくにリッダ戦士たちの来歴も詳しく記されています。加えて「栞」として足立正生さん四方田犬彦さんらの文も収録されているそうです。(それは未見)

5月19日 昨日から昭島も快晴になりましたが、コロナが広がったのか、工場もベランダ運動も今週も禁止で室内作業が続いています。昨日「歌集の栞」の支章交付ざれました。足立さん、四方田さん、田中さん3人の方が、歌集を読んで暖かい文を寄せて下さっています。ありがたいです。「跋文」と栞で歌集が素晴らしいものに変身した感じです。(中略)
人民新聞にユダヤ人学者イラン・パペの発言が載っていて、中東のパレスチナの人々の意見と共通しています。「ウクライナ政府は、ネナナチ武装集団とつながりがあるばかりか、露骨なイスラエル派。ゼレンスキ一は、パレスチナ人の権利行使に関する国連委員会からウクライナ代表をひきあげさせた」とのこと。その上、ゼレンスキーは2021年のイスラエルによるガザ攻撃のあと「ガザ問題の唯一の悲劇の主人公は、パレスチナ人のテロに苦しんでいるイスラエル国民だ」とインタビューで答えている、とパペは述べています。中東の「ダブルスタンダード」は、ウクライナ問題から世界に広がり、今後それがあたりまえの基準とされそうな現バイデン政権の動き。占領にたちむかうウクライナの人々が英雄なら、パレスチナ人も又英雄であり、テロリストではない!「ウクライナ」について新著にも「追記」しました。

5月2 0日 今日は、刑務作業最終の日。ダルマ作りの一番始めの工程の材料25個に糊づけして磨き、ダルマの型を整えておもりをつける作業。一方で12個粘土つけて検査に出すまでの作業を最後と思ってていねいにやりました。そして今日は二時半から一時間コーラスの時間です。今年満90才になる先生は、もう歌わないと、数年歌っておられなかったのですが、私の出所を知っておられるので、「今日は歌います」と、素晴らしいソプラノで「ライムライト」を独唱して下さいました。そして今日の名曲演奏は、ショパンの「別れの歌」。先生は、70代になって夫を亡くされ、刑務所施設でのボランティアの歌唱指導を始めて生き甲斐となり、あなたたちから学んで、どれだけ幸せな時期をすごしていることでしよう、としんみり語って下さいました。今日の歌は「あなたが好き」「今日の日はさようなら」「故郷」「花は咲く」これまででも最高のコーラスの日でした。先生に感謝を一言お伝えし、逆にお礼と励ましを頂いてしまいました。

5月2 3日 出発準備の週です。宅送手続き、郵便宅下げ(書類など)など忙しい。午前中に、出所前教育(釈放前指導と言う)の、オリエンテーションをまず受けました。「釈放前指導とは、出所後の生活に必要となる知識を学ぶための指導です。」とあり、必要な学習資料(「道標(みちしるべ)」テキストー冊、出所時所持可の「道標ハンドブック」一冊、ハローワークガイドー冊、「新しい生活様式」の実践例のチラシ一枚、保護観察所所在地一覧一枚)と「意識調査アンケート」、「自由発言用紙」(所内生活を通じて感じたことの自由記載)が交付されました。
次に、法的な説明者がみえて「道標」の内容を解説。そして「在所証明書」が、社会に出て、必要になる事例について示して下さいました。明日は、在所証明書の発行の願箋を申請します。(中略)
「今日から刑務作業なしなので、テレビ視聴もなしです」とのこと。私はニュースしか見ないので、良いですが、出所する人が出る前にテレビ見れる方が有為だと思います。
“あたりまえのようにバイデン横田基地へ 米州のひとつに降り立つ如し”
“ニッポンが核戦争の矢面に 立つこと知らぬかQUADと安保”
(中略)
5月2 5日 今日は出所に向けた最終調整のため3時ころ、大谷弁護士とメイとの面会。まずは準備したいくつもの服や靴、カバンの中から、大谷弁がモデルになって着てくれてた「スルメイカ風」ときめました。メイの友人たちが選んでくれたという帽子も。ワクワク気分。それからおちついて当日の出迎えやプレスリリースのこと話し合いました。8時半ころ出所と聞いていたのですが、当局側から7時半に迎えは来るようにとのことで、帰りに2人に確かめてもらいます。外の景色も私が出所荷物の台車を押して進むという方向も内側にいた私には、わかりません。それでも大谷弁護士とメイたちのタッグにすべて委ね、当日は指示に従ってまず行動することにしました。出所準備の大変な様々を楽しそうに引きうけてくれていて、ありがたいことです。(中略)
2010年8月に受刑処遇に入って、独居日誌№1を書きはじめ、この№613で最終となりました。でも出所後の様子は、オリーブの樹158号発行もあって、5月31日までは続ける予定です。この日誌の中で、友人たちとの交流、励まされたこと、反省したこと、短歌、時事と、いろんな自分の想いを記しながら時を重ねました。ふりかえると、本当に温かなみんなに囲まれ、支えられてきた獄中生活でした。心から感謝を伝えたいです。外界に出れば、非難や冷笑、妨害、尾行、まわりへのいやがらせなど再び味わうかもしれません。それらは覚悟しつつ、友人たちに迷惑や被害がいかないようにと願わずにはいられません。どの友人も「ゆっくり」「穏やかに」とこれからのことをアドバイスしてくれています。まず出所し、そしてポリープの摘出をして、学びながら社会に慣れたいと思います。この獄からの最後の通信にみんなへの友情を感謝しつつ筆をおきます。

5月2 6日 今朝9時過ぎから「領置品調べ」でした。全ての私物を残さず台車に乗せて一階の部屋でしらべるのです。昨日弁護士やメイが面会後差し入れてくれた衣類含めて調べられて、その後最低必要なノート、日用品、衣類などのみ再び'もちかえります。広辞苑などは、既に宅送したので一時間位で終了。
戻って十時過ぎから最後の主治医の診察を受けました。主治医は、十二年前からの当初のシスプラチン、ゼロックス療法等の抗がん剤も効果無く、血流に癌があったので正直生きてここまでこれるとは思わなかったと感慨深げにおっしゃっていました。なんといっても2 012年の、外部病院によるPET検査で、癌のあるらしい位置がわかり小腸の外側に出来ていた丸い癌を摘出して腫瘍マーカーが下がった事を語り合いその英断に感謝しました。「出所後のポリープ摘出も大丈夫でしよう」と励ましてくださいました。その後入浴。午後は検査中と言われていた新著「戦士たちの記録 パレスチナに生きる」の交付を待ちましたがダメでした。
夕方、Uさんからのお便りに高原さんからの伝言で「6月18日にあさま山荘から五十年シンポジウムがあるので重信に参加しないよう伝えて欲しい。また、その集会にメッセージも送らないで欲しい」とありました。高原さんの他人の言論を封じようとする姿勢になんという人か、と思ってしまいます。遠山さんのことがあるのは分かりますが、私には私の考えがあるということ、自由があるということを考えて欲しいと思いました。勿論参加しよう等と考えているわけではありません。そんな体調ではありませんから。出所したらこういう押し付けも多いのかと考えさせられます。私が参加したほうが良いと思うことは、私が決めます。当面体調不良で、当日のプレスリリースと記者対応、友人の歓迎の会、その後の旧友たちの土曜会主催の歓迎には、無理してでも参加したいですけれど。
夕方、警備担当責任者から話があると呼ばれました。「当日は、通常の駐車場を閉鎖し、迎えの車は、大谷弁護士、娘さんのメイさん、運転する人の三人のみ建物の棟の入り口に乗り付けてもらうつもりで、あなたにはほとんど歩かずにここの敷地の外に出て行って欲しい。記者が多く来るし、大谷弁護士と娘さんの面会時の話では、あなたが歩いてみんなに挨拶しつつ車に乗り込むというのが分かり、我々の考えている警備と、かけ離れているのでそこを理解してもらいたい」とのことでした。「あら、私たちの面会の話を聞いていたのですね? !それならその時言ってくれれば良かったのに……。もう大谷弁護士たちに知らせられないですし、計面もあってその変更は出来ませんよ」と言いました。
当局側警備としては、とにかく騒ぎになりたくないとの事で、もし大谷弁護士らが車での建物棟への乗り付けを拒んだりした場合あなたから話して欲しいなどと言っていました。それで「出所7時半」 というのも通常の8時半を特別変更したということも分かりました。

5月27日 今日午前中待っていた検査中の幻冬舎の新著「戦士たちの記録 パレスチナに生きる」が交付されました。(中略)校正チェックをしながら最後の獄の夜。官物、私物、廃棄物、持ち出す物をより分けながら最後の夜を閉め括っています。今朝の朝日新聞に幻冬舍の広告が載っていて「戦士たちの記録」の他「革命の季節」「ジャスミンを銃口に」「りんごの木の下であなたを産もうと決めた」の3冊の緊急重版したと載っています。重版して売れなかったら気の毒と思いつつ広告を見ています。

★釈放されて★
ありがとございました お陰様で満期出所しました!

5月28日 よく寝ました。6時半起床の三十分前に目覚め既に準備を終えていたのでベッドで時間を潰しながら起床の合図で急ぎ洗顔。十五分くらいで数人の処遇担当の人たちが見えノート再点検のために渡し1階へ移動。そこで食事。いつもと異なるメニューの魚肉ソーセージを齧った程度しか食べられませんでした。そして荷物を詰めて着替えを終えました。誘導されて歩き扉を開けるとそこは外と繋がっていて迎えの車がそこに止まっていました。大谷弁護士は私が歩いて車に乗り込むなど企画した計画が狂ったと当局のやり方に批判はありつつも、とにかく再会を喜びあいながら手短に話し合いました。海外からの友人たちやさわさわの友人たちが門前で歓迎して待っていること、記者達が大勢待ち構えていること。私には外の状況が分からないのでとにかく指示に従うからと確認して出発。海外の友人たちの横断幕とさわさわ旗がまず目に入り驚きうれしい気持ちが込み上げましたが、多くの記者たちで騒然。大谷弁護士と記者が確認した通りの動きで無いために写真を撮ろうと押し寄せたようです。私は当センターの敷地をこえたところで車を降り「おはようございます」「ありがとうございます」を繰り返してまた車に乗って近くに公園で記者たちが待っているとのことで移動しました。
音楽を鳴らしてワーワー演説して騒いでいる集団が居て私は権力に抗議でもしている集団かな、位にしか考えなかったのですが(2000年の逮捕後、警視庁に民族派の人が、毎日街宣車で私を応援して毎月1万円ずつカンパしてくれて、警察も苦い顔をいていた事があったので)後に聞けば今日のは、私を糾弾する右翼だったとのことで笑ってしまいました。
とにかく記者会見場の公園に着いて多くの取材陣が居る事に驚きましたが、再出発のけじめとして一言表明しておきたいとプレスリリース(「再出発にあったって」と、そのほかにこれまで記者から受けてきた質問のいくつかに答える意味で「質問について」という文章)を記者ら配布し、お詫びと感謝といくつかの質問に答えました。(本誌14頁~17頁に掲載)
歩くこと禁止の永い入院患者だったので気力で持ち応えていたところもありました。その後、早稲田での歓迎の集いにいく道々、車に酔って何度も吐いてしまいました。でも吐いたので元気になって、会場満員の沢山の友人達に迎えられとっても元気になりました。
温かい友人たち。足立さんの司会で短く挨拶し、乾杯の後一人ひとりが自己紹介をしてくれて、また私の席に次々に来て話してくれました。旧友、メイの友人、新しく出会った友人達みな心から私の自由を祝してくださって感謝と感激の時間で高揚してしまいました。12時半「もう解散」の声が発せられて名残惜しい別れ。でもこれからはいつでも会える!と言う思いを噛み締めながら会場を後にしました。

5月29日 前日のエネルギーの放出のせいか、体調不良。体に力が入らない。今日は、両親の墓参りに行く予定でしたが中止して休む事にしました。全ての予定を中止して体力回復に努めましたが思わしくありません。とにかく住居の確定、歯科治療、ワクチン、ホリープの手術と色々しなければならないのにメイも付添って支えてくれて彼女自身の仕事に動き回れません。
夜、ライラ・ハリドからメイの電話に祝福の電話が掛かってきて話をしました。私の解放にPFLPも声明を発表して社会への帰還を祝しているとのこと、嬉しく聞きました。またイタリアで友人経由アントニオ・ネグリも私の永い獄中の戦いを称え連帯の言葉を表明しているとのこと。階級闘争は絶たれず、より良い世界は可能だと。
今日のエルサレムでの戦いは厳しい様子をアルジャジーラの英語ニュースで伝えています。

5月30日 5・30の五十周年集会に参加したかったのですが、朝から体が動かず立ち上がれません。一昨日にエネルギーを使い果たしてしまったようで、まだ回復していません。みな待ってくれているのに……。
でも足立さんに電話して今日は無理そうなので迷惑をかけないためにも欠席し、ボイスメッセージを送ることで了解してもらいました。
ボイスメッセージ作成後、メイの友人たちの手配で結局病院に行きました。医者は、「20年以上も自由に歩くことや運動を禁止された世界から出て記者会見や友人との交流で体力を使い果たしているのでしょう。まず点滴し、休養第一でワクチンもホリープ手術も体調を回復してからにしましよう」とおっしゃってすぐ点滴を夜までかかって打ってくれました。
折角5.30集会に来られた友人たちには申し訳なかったと思います。集会には100名を越す方々が参加されたとの事です。何とか体調を整えたい。夜9時からのNHKニュースで私に関しての特集を組んで居るのを見ました。驚いたのはそこで画面にNHKが入手したとして獄中日誌のNo.613が出ていたことです。(No612だったかも知れません)

5月31日 昨日点滴したおかげで立っていても大丈夫になりました。でも無理せず今日も休むことにしました。友人達からも祝したメッセージが様々届きます。昨日の集会で会えるのを楽しみに参加してくださった方も多かったと足立さんも伝えてくれました。体力の無いのを実感しています。夜、途中からNHKニュースを見たのですが、岡本公三さんがPFLPら解放闘争の仲間たちとともに5.30リッタ闘争に連帯し記念追悼して、バーシム、サラーハ、ユセフ、二ザールの墓に参っていました。公三さんは、車椅子でしたが元気で健康そうに見えました。とてもありがたく嬉しいことです。ライラからも知らせてくれました。パレスチナの友人たち、バッサム・アブシャリーフなど色々な昔の知り合いも「マブルーク!」(おめでとうのアラビア語)とメッセージを送ってくれます。
今日はまた、大谷弁護士経由R介さんから6月4日の土曜会の私の歓迎集会について出席できそうか、もし不可ならメイちゃんだけでも参加して欲しいと連絡が入りました。私は土曜会には是非なんとしてでも出席しなければ。逮捕直後から精神的物質的に支えてくれた大学時代の友人たちです。会いたい友人たち、手紙で出版の本をやりとりしてきたOさん、毎月法要面会に来てくださったN和尚、懐かしい明大ブント時代の仲間たち。直接会えるなんて何とありがたい事でしょう。短くても是非参加してお詫びやお礼を言いたいので参加します、と伝えました。まだ時間があるので体調を整えたい。
6月5日に名古屋で泉水さん追悼の会がもたれるのでメッセージを送って欲しいと届きました。体調が良ければ政治的責任の意味でも参加しなければと獄中で追悼会の予定を聞いた時には考えていましたが、今はまだ電車に乗ったり街に出ることも出来ていないので叶いません。習い始めたスマホのメールでほんの一言メッセージを書いたのですが二時間もかかってしまいました。「ボイスメッセージにすれば良かったのに……」とメイに言われました。何もかも一つ一つ学習なので体調は悪いけど興味津々ですごしています。

6月1日 初の外出。点滴をしてもらった時はタクシーで往復したので今日初めて街を歩き、メトロに乗って外出です。メイが前から歯医者を予約してくれていたので、少し体調を整えたいと、出かけました。疲れましたが良い時間を過ごしました。メイと少し街を散歩して初めてレストランで食事をしました。昔と違って街は画一的にきれいになり、歩く人々の服装も昔で言えば「カジュアル」です。当時は会社勤めの人は、背広上下でしたから。休み休み帰りました。まだ少しずつ巷に慣れていく必要があります。やっと外出の一歩を踏み出した。まだ体力は無い状態ですが、何とか生きていけそうです。メイの手厚いサポートに助けられていますから。みんなありがとうございます。

※「オリーブの樹」158号(最終号)に掲載された「再出発にあたって」と「今後の活動体制」については、次回のブログに掲載します。

(終)

【「日記」の中に出て来た重信さんの新刊本の紹介】
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『戦士たちの記録 パレスチナに生きる』」(幻冬舎)重信房子 / 著 
(幻冬舎サイトより)
2022年5月28日、満期出所。リッダ闘争から50年、77歳になった革命家が、その人生を、出所を前に獄中で振り返る。父、母のこと、革命に目覚めた10代、中東での日々、仲間と語った世界革命の夢、そして、現在混乱下にある全世界に向けた、静かな叫び。
本書は、日本赤軍の最高幹部であった著者が、リッダ闘争50年目の今、"彼岸に在る戦士たち"への報告も兼ねて闘争の日々を振り返りまとめておこうと、獄中で綴った"革命への記録"であり、一人の女性として生きた"特異な人生の軌跡"でもある。
疾走したかつての日々へ思いを巡らすとともに、反省を重ね、病や老いとも向き合った、刑務所での22年。無垢な幼少期から闘争に全てを捧げた青春時代まで、変わらぬ情熱もあれば、変化していく思いもある。彼女の思考の軌跡が、赤裸々に書き下ろされている。
さらに、出所間近に起きたロシアのウクライナ侵略に対する思いも、「今回のウクライナの現実は、私が中東に在り、東欧の友人たちと語り合った時代を思い起こさせる。」と、緊急追記。元革命家の彼女に、今の世界はどう見えているのか。
定価 2,200円 

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『歌集 暁の星』(皓星社)
連帯の火矢! 重信房子第二歌集
(皓星社サイトより)
テロリストと呼ばれしわれは秋ならば桔梗コスモス吾亦紅が好き
 
元日本赤軍リーダー・重信房子が21年に及ぶ刑期を終え、この5月に出獄する。
本書は獄中で書き溜めてきた短歌をまとめた第二歌集。著者は革命の日々を、連合赤軍事件で粛清された友・遠山美枝子を、現在の世界の悲惨を、二十数年にわたり詠み続けて来た。
本書の歌は、著者のもがきと葛藤の発露であると同時に、歴史の証言でもある。

海外で暗躍すること四半世紀を超え、国内での潜伏と獄中の日々、重信は一体、この斬新で清潔な文体をどこで獲得してきたのだ。
……戦い死んでいった同志への哀悼に、柔らかな心の襞を涙で濡らし続けてきたのだろう。(福島泰樹「跋」より)

アネモネの真紅に染まる草原に笑い声高く五月の戦士ら
空港を降り立ち夜空見上げればオリオン星座激しく瞬く
雪中に倒れし友の命日に静かに小さな白き鶴折る
津波燃え人家逆巻き雪しきり煉獄の闇 生き延びし朝
パレスチナの民と重なるウクライナの母と子供の哀しい眼に遭う

定価2,000+税

【お知らせ その1】

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10・8羽田闘争55周年
山﨑博昭プロジェクトがめざしたもの
東京集会 2022年10月8日[土]

1.献花・黙祷 @弁天橋 11時30分~ (雨天決行)
弁天橋 鳥居前 集合/五十間鼻 平和地蔵[読経・お参り・献花]
◎京浜急行・空港線「天空橋」駅下車、徒歩5分
◎JR蒲田駅東口あるいは大森駅東口から羽田空港行きバス「空港入口」降車、徒歩3分

2.法要 福泉寺 14時00分~ (大田区萩中3-27-10)
◎京浜急行・空港線「大鳥居」駅下車、徒歩15分
◎JR蒲田駅東口 ③番乗り場 羽田空港行きバス「萩中公園前」降車、徒歩1分(「萩中」の次が「萩中公園前」)

3.記念集会
10・8羽田闘争55周年
『山﨑博昭プロジェクトがめざしたもの』
開場 17時30分/開会 18時00分
会場 大田区消費者生活センター
●ドキュメント「プロジェクトの歩み」(代島治彦監督制作、約20分)を放映。
●55年前の10・8羽田闘争の原点に立ち戻って、来し方をふり返るとともに、現在と未来の戦争反対をめぐって議論。
 ・山﨑建夫、水戸喜世子、山本義隆、佐々木幹郎、辻 恵、北本修二、
  新田克己から発言(予定)。
 ・参加者と発起人とのフリートーク。
参加費 1,000円

【お知らせ その2】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在12校の投稿と資料を掲載しています。

http://zenkyoutou.com/gakuen.html

【お知らせ その3 】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は10月7(金)に更新予定です。