今回のブログは、『続・全共闘白書』編纂委員会が行っている「個人史記録プロジェクト」の中間総括である。
この中間総括は『情況』2023年冬号(第6期1号)に掲載されたものであるが、この活動を広く知ってもらうため、ブログにも掲載することとした。

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(写真『続・全共闘白書』)
【全共闘「個人史記録プロジェクト」について】
 3年前、『続・全共闘白書』を世に送った同白書編纂委員会は、現在、「個人史記録分科会」を設け、1960年代学生運動の担い手たちに対するインタビューに取り組んでいる。彼らの体験した事実をその「生の声」で後世に残すためのプロジェクトだ。ここで、同プロジェクトの経緯と現状をお伝えしたい。

●「続・全共闘白書」から「未完の総括」まで
 コロナ禍が始まる2020年直前の19年末に刊行された『続・全共闘白書』」(以下、『続・白書』)をご記憶だろうか。1969年の「東大・安田講堂攻防戦」から50年を経たのを期し、60年代学生運動の担い手たちの「現在と未来と課題」を彼らへの膨大なアンケートでまとめ『続・白書』編纂委員会が記録したレポートだ。1969年から4半世紀経った1994年にも同様なアンケートへの回答を集めた『全共闘白書』が出版されており、その続編に当たる。当時、『全共闘白書』はベストセラーとなり大きな反響を呼んだが、『続・白書』も売れ行き好調で、やはり世の関心を集めた。
 しかし、『続・白書』は450人超のアンケート回答をそのまま資料として残そうとしたためA5で700ページを超える大部になった。アンケート回答者たちにとっていわば次の世代への「遺言」というべき内容なのだが、その声を届けるべき肝心の若い世代にとって手にしづらく理解しにくいものになったのが明らかだった。
そこで、世代を超えた様々な分野の人々に続・全共闘白書を読み解いてもらい、若い世代の理解を助け興味を呼び寄せるのを目的に『「全共闘」未完の総括-450人アンケートを読む』(以下、『未完の総括』)が1年余を経た21年初に刊行されることになった。正読本と副読本が揃い、『続・白書』出版プロジェクトはそこでひとまず完結したのだが、『未完の総括』刊行直後から新たな課題が認識されることになった。

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(写真『「全共闘」未完の総括-450人アンケートを読む』)
●「続・白書」が残した課題の指摘
 『未完の総括』は、60年代学生運動の当事者から20代の社会運動研究者まで、世代と国籍を超えた様々な分野の方々から寄せられた『続・白書』に対する論評で成り立っている。そこには、資料としての『続・白書』の価値を高く評価しながら、『続・白書』がそれでもなお積み残している課題の指摘や、それら課題に取り組むことに期待する声が綴られていた。以下、寄稿者の登場順にその声を紹介してみる。

重信房子氏(元日本赤軍): 
『続・白書』が全共闘世代としての何らかの継承を意図しているものなら、もっと当時の運動自身を思想的に考察可能な設問をしてよかったのではないか。全共闘とは何だったのか、その継続に価値があったのか、どうして継続できなかったのか、何が欠けていたと思うのか、党派のあり方を運動の中でどうとらえたのか、学園の外に場を持ち得なかったのか、全共闘の活動を誇りにしつつ封印して生きてきたことなど、設問があれば、もっと答えてくれたと思う。
 『続・白書』では党派に関する設問がないが、全共闘運動は党派なしに全国的に高揚し得なかったのは事実である。
(※重信氏は、『続・白書』に残された活動家と教授の係わりなど具体的な個人の体験に特に感銘を受けたことも記している。)

高成田亨氏(ジャーナリスト、元朝日新聞論説委員)
安田講堂で起訴されたが、今も地域医療にかかわっている群馬大卒医師のエピソードなどはもっと長く読みたい物語だ。

住沢博紀氏(政治学者、元日本女子大教授)
私大では中退者が多いが、その職業をみるとそれぞれ社会の中で居場所を見出している。成長期の日本では活動家が多様な人材として活用される空間があり、それが「運動がその後の日本になんらかの役割を果たしたのか」という(『続・白書』の)設問に対する「果たした」という回答が多いことに反映されている。
しかし、その内容こそ検討されなければならない。公害や反差別、平和運動、市民運動、地域運動への寄与などがそれだが、どこまで客観的な検証に耐ええるか。

佐藤優氏(作家、元外務省主任分析官)
(『続・白書』の)アンケートでは見えない部分、見たいなぁと思った部分が(全共闘以外の団塊世代の運動であり)、全共闘運動の周辺や対峙した人たちのアンケート調査も欲しかった。

田原牧氏(東京新聞論説委員)
(内ゲバの)影響はいまなお「総括できていない」、「なぜ、あそこまで」という問いは捨象できない。
全共闘運動は結局、権力の弾圧というより党派の論理に敗北した。ネバーギブアップとつぶやくのなら、敗北から教訓を汲みだし、「内ゲバ」を乗り越える規範を練り上げるべき。(『続・白書』を)「遺言」などと格好つけるにはまだ早すぎる。

劉燕子氏(現代中国文学者、作家): 
1989年には天安門事件がおき、ベルリンの壁が崩壊し、東欧・ソ連の社会主義体制は次々と崩壊した。ところが、(『続・白書』では)「社会主義は今も有効か」に「失っていない」が51.3%。25年前の『全共闘白書』の46.0%より増えている。何故か、知りたいところだ。
 文革の妖怪が生きかえり、中国を徘徊している今、(日中翻訳家の自分としては)山本義隆さんや今井澄さんたち全共闘世代の精神史をもっと知り、現代における意義を考えたい。

外山恒一氏(作家、活動家、ストリートミュージシャン)
元全共闘が“今”何を考えているかなどどうでもいい。当時、何をやったかには大いに関心があるが、記録が少なすぎる。当時についての回想記を書き残してくれと切に願う。とりわけ地方大学の記録が少なすぎる。
 “今”がこうであることの理由を探るためにこそ書き残して欲しいし、私が話を聞いてやってもいい。

松井隆志氏(武蔵大学社会学部准教授)
(『続・白書』では)「なぜ運動に関わることになったのか」という個人のリアリティに関係する問いが欠けている。入学学部や所属サークル、人間関係、読書など、どのような体験の中で運動に近づいたのかは重要な問題である。世代関係がどうつながったかについて示唆するものもない。
党派に関わる論点が省かれているのも大きな欠落である。排外主義についても論点が提示されていない。
(同じ大学でも)学部や所属サークルが異なれば見えた景色は異なったはず。まして、各大学の個別性を超えて全共闘運動が成立したというのは、全国全共闘の幻なのではないか。
(個人個人が)どのような場面で何を考え何に取り組んだかその帰結を今どう考えているか(あるいはその後何をしてきたか)具体的なリアリティごと伝えなければ、肝心なものも届かない。データだけの社会運動史が面白くないのは、リアリティの次元を欠くからだ。
『全共闘白書』より「大学闘争白書」を待望したい。具体的な闘争のリアリティをたどる中でこそ次世代に伝わるものがある。(*松井氏は後述する「記録さるべき記憶/知られざる記録」の存在を知り、高く評価している)

白井聡氏(思想史家、政治学者)
(参加者たちの)全共闘運動体験の後の生き方について、さまざまな生業に就いたと思うが、その中で運動経験がどう作用してきたのか、肯定的な面も否定的な面も含めて、証言して欲しい。知りたいのは、運動参加の動機になった心情や倫理が、その後の人生にどう作用してきたのかということ。
現在のような社会の出現について、何と闘ったのか、何を得て、何を得られなかったのか、何を変えられて、何を変えられなかったのか、今日の視点で語り遺して欲しい。

「未完の総括」で寄稿者から寄せられた注文は以上のようなものだ。これを整理しまとめると次のようになるだろう。
①これまでなされていなかった個別大学闘争(主として地方の)を記録すること
②そうした大学闘争における個別活動主体のリアルな体験(=個人史)をもっと広範かつ深掘りして記録すること
③そうした記録を踏まえ、「全共闘運動とは何だったのか?」、「何と闘ったのか、何を得て、何を得られなかったのか、何を変えられて、何を変えられなかったのか?」、「何が欠けていたと思うか、党派のあり方をどうとらえたか?」、「内ゲバ(党派)をどうとらえているのか?」に回答すること

 このうち③は、『未完の総括』に対する「未完」ではない全共闘運動の総括を求めるものなので、①と②の課題にまず応えなければならない。どう応えていくか。再度、運動参加者にアンケートするのは無理だし、そもそも「個別大学闘争」も「個人史」もアンケートで済ませられる課題ではない。ただし、①の個別大学闘争の記録については、『続・白書』編纂委員会の中でも、機会あるごとに記録を残し史料を集める活動を行ってきていた。
「学園闘争 記録さるべき記憶/知られざる記録」
「全国学園闘争アーカイブス」
 とはいえ、「個別大学闘争」の記録をさらに進めるには関係者の協力が不可欠であり、協力者を広げていく必要がある。

●「個人史記録」プロジェクトの立ち上げまで
 そうした中で、ほぼすべての要求に総合的に応えることが可能な手段として浮かび上がったのがオーラル・ヒストリーとしての記録、インタビューで個人史を記録するプロジェクト(以下、「個人史(記録)プロジェクト」)だ。
 「個人史プロジェクト」のモチベーションを掻き立てる言葉が『未完の総括』の中にある。それは、寄稿者の一人、若手社会運動研究者である松井隆志氏の「(『続・白書』で)『墓碑銘』として個人の『生き様』は刻まれるかもしれないが、運動としての全共闘が残らない」という胸に刺さる言葉である。
氏の「各大学の個別性を超えて全共闘運動が成立したというのは、全国全共闘の幻なのではないか」という問いも刺激的だった。
個人史の記録にはインタビューによらない自筆による記録=自伝という手段もある。が、『続・白書』刊行後のわずかな期間にも物故者が続いて出ており、自伝に期待するよりインタビューをとにかく急ぐべきだという判断になった。資料として残すにはインタビューの文字起こしが必要になるし、そのための資金も必要になるが、とにかく肉声を残しておき、それらの問題は追って対応を検討することになった。
 4月から6月にかけての議論を経て、社会運動などの若手研究者と連携し、その協力を得ながら「個人史プロジェクト」に取り組むことが決まり、インタビューの対象者としては、まず『続・白書』の回答者から希望者を募ることになった。また、若手研究者として、『未完の総括』への寄稿者でもある田中駿介氏(東大・博士課程前期在学)の参加が決まった。

●インタビューの内容
 「個人史プロジェクト」を進める態勢が整い、記録する内容、つまりインタビューの項目も決まった。『未完の総括』で提示された課題に応えるための広範なものになったが、それを以下に掲げる。

1.生い立ち(思想、文化的背景)
・家庭環境、教育環境、地域環境について
・文化的体験(影響を受けた本、映画、音楽など)
・影響を受けた人物(教師、先輩、同級生、自分をオルグした人物など)
・影響を与えた人物(自分がオルグした人物など)
・60年安保(世代)との繋がり
・戦争世代である両親との関係
・「世界」認識(日本をどんな国だと思っていたか、国際社会、思想、文化について)
2.学園・学校生活と活動
・大学(学部)、学校を選んだ理由(進学の動機)
・入学当時の大学、学校の政治的・文化的な状況
・生活の支え、暮らしの様子
・活動の契機、運動の過程と自己のポジション
3.運動と党派性
・党派との係り(個人的な党派性、学園・学部・学校としての党派性)とその評価
・運動時に対立した組織とその評価
・党派性を伴う運動は必然だったか
・内ゲバについて
4.運動の成果について
・学園内、学園外での成果の有無(文化的成果を含む)
・成果についての反省あるいは教訓
5.運動後(卒業後)について
・労働運動など生活の中で学生時代の問いとどう向かい合ったか?
・その後の党派との係りとその評価
・運動仲間のその後の活動(周りを見渡して)
6.運動と(社会)思想
・当時と現在の日本社会(政治・経済・文化)の変化をどうみているか
・当時と現在の世界(政治・経済・文化)の変化をどうみているか
・当時と現在の「社会主義」思想の評価とその理由
・当時と現在の「マルクス・レーニン主義」の評価とその理由
・当時と現在の「日本共産党」の評価とその理由
・当時と現在の「フェミニズム」についての評価とその理由
7.子供達との関係について(我々は何を残せたのか)
・自分との関係性
・自分と子供の人生の比較
8.現代と60年代学生運動
・68/69年同様の戦いが現代において必要か否か、その理由
・必要と考える場合、可能だと思うか
・必要だが可能でないと思う場合、どうすべきだと考えるか

●プロジェクトの経過
 プロジェクトへの協力依頼を添え、インタビュー希望の有無を尋ねる用紙を6月末、『続・白書』回答者全員に発送したところ、ただちにインタビュー受諾回答が届き始めた。回答は9月初めまで寄せられ最終的に35件に達したが、そのうちプロジェクトの趣旨に合った候補者を選び、原則、回答の到着順にインタビューを進めることになった。
 いざ実際にインタビューに取り組む段になると、アポイントを取り、日時、場所を決める作業の大変さが顕わになる。できれば対面インタビューが望ましいが、インタビューする側、受ける側それぞれに日常の仕事があるし、インタビューする側が東京近辺に住んでいるのに対し、インタビューを受ける側の住まいは東京から離れた地域であるケースの方が多い。遠隔の場合、資金がほぼゼロの手弁当で、双方の都合のいい時間、都合のいい場所での対面インタビューは不可能に近い(実際には、対面インタビューが可能な場合でもコロナ感染を避けるため実施時期を1年近く延期しなければならないケースもあった)。
 ただ、幸いだったのは、リモート会議アプリZoomが普及しており、70過ぎ、あるいは80近い高齢者でありながら、Zoomなどパソコンの活用に不自由しないインタビュー対象者が少なくなかったことだ。Zoomによるリモート・インタビューにはコロナ蔓延下であっても可能だという大きなメリットもあった。
 インタビューを本格的にスタートさせたのは11月に入ってからで、遠方の方々へのZoomインタビュー、東京近郊在住で対面を望む方への貸会議室を利用してのインタビュー、時には遠方かつZoom対応ができない方への例外的な出張インタビューも含め、当初は月2件のペースで進み、順調にいけば1年ほどでプロジェクトを終えられそうだった。
 しかし、22年初夏、コロナ第7波の始まりと重なるようにZoomを利用できる対象者が減り、地域性から対面でのインタビューもいっそう困難になってきた。現役で仕事を続けているため多忙であり、インタビューのための時間調整が難航するケースも増えた。
 そんな中、当初はインタビュー希望回答だったものがキャンセルになったり、逆にインタビューを受けた方による新たな候補者の推薦があったりといった紆余曲折を経て、これまでに25件のインタビューを終えることができた(11月現在)。当初の目論見より時間が掛かっているが、まだ候補者が残されており、インタビューは今後も続く予定だ。

●これまでのインタビュー結果について
 インタビュー実施済み25件の内訳を男女別にみると男性23、女性2件である。60年代学生運動が男性主体であったにせよ、いかにも女性が少ないといえよう。このままでいいか、考えてみる必要がある。
 大学別にみると、東大5、北大4、日大2、関西大2、長崎大2までが複数件、北海学園、明大、中大、法大、駒大、日本医科、横国、信大、京大、立命が各1件となっており、北海道から九州まで15大学に及んでいる。当時の状況から東大が多いのは当然にみえるが、『続・白書』回答者の数の多さを考えると決して多いとはいえないだろう。その意味では、逆に日大の少なさが不思議な感じを与えるのではないか。
他方、それに比べ北大の4件という数こそ意外に思えるかも知れない。これは、全共闘派による北大闘争の記録がこれまでほとんど残されておらず、50年を経たちょうどこの時期に、有志による記録保存の機運が生まれていたことによるものだ。インタビュー対象者間での紹介連鎖が起き、当時の文字通りのキーパーソンへのインタビューも可能になった。本プロジェクトのハイライトの一つだといえよう。
『未完の総括』での注文の中に、地方の大学闘争をもっと記録すべきとの声がある。その点で、全国に広がっているとはいえ、『続・白書』への回答が96大学もあったことを踏まえると、大学数も十分とはいえないだろう。
ただ、本プロジェクトの主眼が「大学闘争」の記録ではなく、60年代学生運動の担い手の「個人史」を残すことにあることを前提にすれば、大学の数は二の次、大学ごとのインタビュー件数もさほど重要ではないといえるかも知れない。
当然のことながら、どのインタビューも誰にも知られていなかった「個人史」ばかりであり、興味深いものばかりである。さらに、これまで知られていなかった大学闘争の真実が明らかになったケースも少なくなかった。
現段階で個別インタビューの具体的な内容に触れることはできないが、『未完の総括』の要求に応えるという目的とは別に、本プロジェクトにはもう一つの狙いがあるのでその点に触れておこう。

●小熊英二「1968」への反例として 
 本プロジェクトのもう一つの狙いとは、「60年代学生運動が何だったのか」を論じた小熊英二氏の超大作である『1968(上・下)』が提示している仮説の検証である。
 よく知られているように、『1968』は学生運動の当事者からよい評価を得ていない。例えば、山本義隆氏は全共闘運動を「高度成長期における集団的自分探し」だとした小熊氏の結論を真っ向から否定している。多くの場合、一読して小熊氏が描き出す「我々の姿」と自分たちの実際との間に大きなズレが感じられ、評価できないのではないだろうか。
小熊氏は、全共闘運動を「高度成長を経て日本が先進国化しつつあったとき、戦争・貧困・ 飢餓といった『近代的不幸』とは次元が異なる、いわば『現代的不幸』――アイデンティティの不安・未来への閉塞感・生の実感の欠落・リアリティの稀薄さなど『現代的』な『生き づらさに直面し反応した現象」』」、「高度経済成長に対する集団摩擦反応」、「日本史上初めて『現代的不幸』に集団的に直面した世代がくりひろげた大規模な自分探し運動」とする。
それが小熊氏の立てた「仮説」であり、結論である。その仮説に基づき、インタビューによる現在の記憶ではなく、「その時点での思考やメンタリティが『冷凍保存』されている」文献資料を渉猟してストーリーを紡ぎ、その出来栄えで仮説の妥当性を問う形になっている。よって、結論であっても仮説はまだ仮説のままである。
それゆえ氏は「(氏の仮説と)異なる主張をしたい当時の人々は、まだまだいるだろう。入学した年、大学の状況、全共闘内での位置、当人のパーソナリティその他によって、『それぞれの1968年』が存在する。本書は「それぞれの1968年」を否定するものではなく、ただそれらを可能な限り包含しうる一つの視点を提供したにすぎない」と周到に但し書きを付けてもいる。
すべての命題=仮説は、反例が存在すれば棄却される。氏も反論を想定しながら論を進め、それが『1968』の分厚さに反映されてもいるが、反例収集が十分であったか疑問である。
そもそも、文献資料は闘争の中心部にはほとんど残っていない。残っているほとんどの資料=言説は、外部ないし周辺部にいて、表現者たらんとする野心を持った観察者、あるいは傍観者によるものだろう。頻繁に引用される津村喬、三田誠広、さらに橋爪大三郎などもその例に挙げられよう。全共闘運動参加者40万人のごく一握りに過ぎない。
小熊氏は、全共闘運動はアイデンティ・クライシスに晒された若者の自己確認、自己表現運動の側面が強いとしている。自己表現者たらんとするわずかな者たちの言説=資料でストーリーを紡げば、自己表現としての運動が見えてくるのは当然だ。
闘争の中心部(例えば、山本義隆氏)に資料となる言説が残っていないのは、小熊氏が主張するような表現のための「言説資源」がないからではない。その時々の行動が、書いて残すまでもない明瞭な動機に基づくものだったからだ。そのことと、新たな「社会理論」=「言説資源」を創出できなかったこととは別の次元の事柄である。よって、言説を残していない闘争の当事者に当たらずにおいて、闘争周辺の文献資料だけで反例を求めるのは原理的に無理があるはずなのだ。

●「60年代学生運動の語り」を目指して
『未完の総括』への寄稿者の一人に小杉亮子氏(埼玉大学準教授)がいる。小杉氏は『東大闘争の語りー社会運動の予示と戦略』というまさに闘争当事者へのインタビューに基づく労作を『続・白書』の前年に世に問うている。『未完の総括』が提示した課題に「個人史プロジェクト」で応えることを選んだのは、実は小杉氏の仕事に触発されたところも大きい。
 まだ確認してはいないが、小杉氏の労作も小熊氏の仮説への反例であり、その方法に対する批判を込めたものであるように感じられる。
その意味では、本「個人史プロジェクト」は、いわば『東大闘争の語り』の全国大学版で、「60年代学生運動の語り」を目指すもの、あるいはそれを準備するためのものと位置付けることができるかも知れない。
本プロジェクトは、『未完の総括』から与えられた課題に応えると同時に、小熊『1968』に対する反例を示し、改めて「60年代学生運動とは何であったか」を考えるためのものである。その結果の可視化はなお先だが、十分期待できるものになるはずである。
本プロジェクトは途上にあり、若手研究者のいっそうの参加を期待したい。インタビュー後に資料化するための文字起こしなど、資金も必要になる。多方面からの力添えが得られることを願っている。

※この「個人史記録プロジェクト」のインタビュー希望の方はzenkyoutou@gmail.com までご連絡ください。

【お知らせ その1】
「続・全共闘白書」サイトで読む「知られざる学園闘争」
●1968-69全国学園闘争アーカイブス
このページでは、当時の全国学園闘争に関するブログ記事を掲載しています。
大学だけでなく高校闘争の記事もありますのでご覧ください。
現在17大学9高校の記事を掲載しています。


●学園闘争 記録されるべき記憶/知られざる記録
このペ-ジでは、「続・全共闘白書」のアンケートに協力いただいた方などから寄せられた投稿や資料を掲載しています。
「知られざる闘争」の記録です。
現在13校の投稿と資料を掲載しています。


【お知らせ その2】
ブログは概ね2~3週間で更新しています。
次回は4月7日(金)に更新予定です。