
「朝日ジャーナル」という雑誌があった(1992年に廃刊)。発行元は朝日新聞社。私が大学に入った当時は大学生の間でよく読まれており、「朝日ジャーナル」を持っている学生は全共闘系(心情三派を含む)と思ってまず間違いはなかった。
私も明大に入ってから「朝日ジャーナル」を読むようになり、毎週、大学への通学途中に駅の売店で買い、小脇に挟んで電車の中で読んでいた。
その「朝日ジャーナル」だが、1970年8月、赤瀬川原平氏による「野次馬画報」の連載が始まった。第4号より「櫻画報」と改題され、1971年3月19日号までグラビアページに毎週3ページの連載が載った。
「櫻画報」は、この3月19日号が最終号であったが、この最終号が思わぬ反響を呼ぶことになる。この「朝日ジャーナル」3月19日号(表紙写真)が朝日新聞社によって自主回収されてしまったのだ。
経緯を簡単に書くと以下のようになる。
○3月12日(金)「朝日ジャーナル」3・19発売。特集は「イラスト特集 抵抗する漂民―反文化の心象風景」
○3月15日(月)朝日新聞常務会で回収が決定される。
○3月25日(木)常務会で出版担当、出版局長、朝日ジャーナル編集長の3人の減俸処分が決定される。
「回収事件」に関しては、一部マスコミが取り上げているので、その記事を見てみよう。
夕刊フジ(昭和46年3月19日)(引用)
【グラマーな女のコのヌード写真を表紙にした「朝日ジャーナル」誌3月19日号が、突然、15日夜から16日にかけて売店から姿を消した。「売り切れたの」「いいえ、あのー、なにかつごうがあって朝日から、もう売らないでくれって・・・」まさかヌードの写真が原因じゃなかろうし・・・と、ページをめくってみると、イラストのページに「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」。はてさて、「朝日ジャーナル」先週号はどんな事情で消されたのか?】
『「朝日ジャーナル」誌が東京で町に出回るのは金曜日。だから問題の3月19日号は、12日に町に出た。題字の左に「報道 解説 評論」とうたった同誌はいうまでもなく、朝日がインテリ層を対象に出している教養週刊誌。
ところが今週号は、これまでの同誌愛読者が「ホウ、朝日ジャーナルがまたー。思い切ったものだ」と口をそろえる画期的な編集だった。
ヌード写真の表紙はさておき、「抵抗する漂民―反文化の心象風景」と題して横尾忠則、及川正道氏ら20人のイラスト特集が巻頭から53ページにわたって続く。
さて、こんな先週号が15日から16日にかけて店頭から姿を消した。その事情を駅などの売店を経営している若者や売店の従業員に聞くとー「15日に朝日から理由はともかく、すぐにあの号を回収したいと電話がかかってきましてー」「うちへの連絡は16日朝でした。先週発売だし、ほとんどの店では、もう売り切れ。発売4日目の回収じゃ実はあまり意味なかったのですが・・」「いや、大阪近辺は徹底的に回収しましたよ」
雑誌がほとんど売れてしまってからの突然の回収。なぜ?
●表紙がヌードであったのが朝日らしくない
●27ページにイラストに「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」とあり、このページの欄外の活字「朝日は赤くなければ朝日でないのだ。ホワイト色の朝日なんてあるべきではない。せめて桃色に・・・」とあるためか
●つぎの見開きページに細かい文字で、日刊紙から週刊誌、業界新聞、学習雑誌までの名がズラリ数え切れないほどイラストされ「サテこんどは、ドコを乗っ取ろうカナ?」とあるのが不穏、煽動的というのだろうか。
17日午後、朝日新聞東京本社の受付で同誌編集長に会見を求めると、事情説明に現れたのは、同誌や「週刊朝日」などの最終的な責任を持っているという出版局長室の岡田さん(役員待遇)。(中略)
―もういちど回収のネライをー
「それはー。つまりイラストのことばが、ジャーナルの政治意図と判断されるとー。念を押しておきますが、問題はあの号全体ですね。要するに」
最後に岡田さんは「報道の自己規制をしたとみえるかもしれません。しかし、朝日の報道はコミュニズムあるいはファシズムを社論としているとしているわけじゃなく、ぜったいに片よっておりません。」と強調した。(後略)』
赤瀬川原平氏のパロディーに朝日新聞社が過剰反応したというのが「回収事件」の真相らしいが、この程度の問題で雑誌の自主回収を行うというのは、あの時代を覆う緊張感がそうさせたのかもしれない。
問題の「櫻画報」は、その後、無事乗っ取り先を見つけ、「月間漫画ガロ」1971.6.1号から連載を続けることになる。
※ この「朝日ジャーナル」回収事件の詳細は、「櫻画報大全」(新潮文庫)に掲載されていますので、興味がある方はご覧ください。また、「朝日ジャーナル」3月19日号も古本サイトで探せば見つかると思います。